木村愛二の生活と意見 2000年11月 から分離

悪餓鬼の赤軍シンパを叱りつつ右左を問わず軒並み政治屋批判展開を決意!

2000.11.19(日)(2019.6.17分離)

 気になり続けている問題があると、目に触れる文章の多くに、その問題と関係する事実と視点が、ここにも含まれ「とるわいな」と、片言を操り始めた頃の九州の言葉で感じてしまうものである。これは、むしろ、当然のことであって、あらゆる事象が複雑に関係し合っているのである。ましてや、共通のキーワードが含まれている場合には、見過ごすわけにはいかなくなる。このところ、多事多難か、見過ごせない問題が多すぎて、ああ、やんなっちゃうな、ああ、忙しいなと思いながらも、ついつい考え始めてしまう。

赤軍派に走ったような若者を、なぜ「素直」と思うのか

 またもや、連日の三面記事報道が続く日本赤軍のことになるのだが、私が最近、この悪餓鬼どもに対してと同様に、その生みの親の親の親ぐらいに当たる日本共産党を含む自称左翼に対しても、腹が立ってならない理由は明白である。彼らはすべて、このところ、パレスチナ問題を自分たちの独占的な課題であるかのように語り続けているのだが、実は、ろくに調べてもおらず、特に、私が孫子戦略の最重要課題として指摘し続けている「ガス室の嘘」に関しては、敵対的な態度を取り続けているのである。『マルコポーロ』廃刊事件の直後ならいざ知らず、もう5年以上も経過しているのに、この阿呆振りは見過ごすわかにはいかない。その底辺には、日本の文化人全体の非論理的な日和見が潜んでいる。

 この「日記風」では、3日前の11.16(木)、ブント問題の継続で、その濁流の果てのチョロリ逮捕、「日本赤軍」問題にも触れた。本日は、『日本経済新聞』(2000.11.19)「文化」欄に、紹介記事によると文芸評論家らしい秋山駿の「私小説の力」と題する一文が載っていた。大抵の文芸評論は、退屈で読む気が起きないのだが、書き出しが「重信房子の高校時代の文章」となっていたので、ついつい拾い読みしてしまった。

 別途情報として、最近、インターネット空間に赤軍シンパ風のメールが飛び交うという話も聞いたので、この際、この記事を例題として、少し、その軽率を叱って置きたい。

 秋山は、「1930年生まれ」とあるから、現在は70歳で、私よりも7歳年長になる。しかし、年長だから私よりも熟成というわけではない。「早大仏文科卒」などという経歴は、日本の安手文化人の典型である。現在は「女子大に出講している」旨、自己紹介している。その秋山が、一応は、「行動として爆発」することを「よろしくない」とはしながらも、高校時代の文章だけを手掛かりにして、重信房子を、「良く光る眼を持ち、さとい耳を持った、一人の若い娘さん」とか、「あの素直な若い娘さん」とか、いかにも自らの教え子の世代に擦り寄る調子で書いているので、これは見過ごせない。

 私は、1960年安保闘争で、初めて警視庁機動隊と体当たりし、樫の警棒で殴られ、興奮の果てに、「執行部、日和るな!」「突入しろ!」などと叫んでしまった。実際にも、首相官邸突入で頭を割られたり、同窓生の樺美智子が死んだ時の南門突入では、鉈を渡されて檜の門を破壊したりした。

 今更、後悔しても始まらない。宮本武蔵の言、「事に当たって後悔せず」に賛成し、後悔よりも観察素材として活用するが、その頃の自分を「純粋」だとか「素直」だとか思ったことはない。若者を「純粋」とする表現は、何度も読んだり聞いたりしたが、これは、実態を無視する空論であり、自分の青春を美化したい老人の世迷い言か、はたまた、馬鹿な若者を煽て上げて利用しようとする「ズル中年」の策略であると、ここに喝破する。

 人間は、生まれたまま野放図に育ち、教育と称する「仕付け」を受けなければ、普通の動物と同じで、本能に基づく自己中心の行動を取る。頭の中も同じである。「仕付け」が不十分か、または、現実と整合性がない仕付けで「はみ出す」場合には、反乱を起こすこともある。毛語録には「造反有理」とあるようだが、「理」は、必ずしも「正義」ではないし、「正義」の御旗すらも、最近のアメリカの正義のように、怪しい場合が多い

 私は、自分をも他人をも、美化しない。自分のことを最初に評価すると、1960年安保闘争の頃の私は、「思い上がりも甚だしい跳ね上がりの糞餓鬼」でしかなかった。素直ではなかったが、それほど馬鹿でもなかった。自分がしたいことをやっていた。前回も記したように、オッチョコチョイの私を利用「しやがった」「陰険な左翼政治ゴロ」のブントには、当時から暴力主義の傾向が見られた。その最後のチョロリが、赤軍派である。

 赤軍派は、北朝鮮に逃げようとして「淀号」乗っ取り事件を起こした一派、浅間山荘事件の連合赤軍、アラブ人が英雄と勘違いした重信房子らの日本赤軍、この三派に分裂した。いずれも、ろくでなしの半気違い集団である。

「淀号」乗っ取り犯人の塩見某とも彼等の30周年記念集会などで会った。やはり、1960年安保40周年記念ロフトプラスワン「激論」の取材と出演交渉のためであった。集会に参加したのは、特に、その集会に「再建ブント」の代表が出る予定を知ったからだったが、薄気味の悪い連中が集まっていた。塩見は集会で、一応、乗客に迷惑を掛けたことを詫びたが、自分たちの「ピュアな気持ちを理解してほしい」などと、気持ちの悪くなる台詞を吐いた。その後、心筋梗塞で苦労したようだから、あまり罵倒はしたくないが、反省しているようで実はタレント気取り、薄気味の悪い「ズル中年」の悪餓鬼である。

 どだい、50歳を過ぎても、自分が昔は「ピュア」だったなどと、平気で言えるなどとは、脳味噌の成長が止まってしまった馬鹿丸出しでしかない。

暴力主義から除名や排除までの言論弾圧セクトを一掃せよ

 ブントの流れが暴力主義に傾いた理由は、動物行動学的に分析すれば、実に簡単である。反対意見を暴力で封殺するためでしかない。しかし、その暴力主義を批判する親の親の親ぐらいに当たる日本共産党の方にも、まだ、暴力革命路線が残っているし、すぐに「除名」で脅す癖はなくならない。除名後にも「反党分子」などと名指しで攻撃し、「市民権を与えない」などと力むのだから、反対意見を封殺する「タブー」に支えられた原始社会、ヤクザ集団と変わらない。除名とかの御立派な規約がなくても、言いなりにならない相手を排除する「シカト」集団は、そこらじゅうに、いくらでも転がっている。「市民運動」なんて、気取ってみたって、同じことである。

 つまり、結果として、いわゆる反体制の運動には、その目玉商品の「言論の自由」がないという実に奇妙キテレツな現象が生じている。これでは、当然、負けるわけである。「敗北の総括」ばかりが溢れるわけである。

 ブントの濁流が学園を浸した頃には、いわゆる「ノンセクト」も発生した。どうしても若者を「素直」と形容したいのなら、どう見ても半気違いの暴力主義者よりも、この「ノンセクト」か、それとも、それらすべての政治的集団が嫌いで「ノンポリ」と呼ばれた連中の方が適当だろう。だが、その連中すらも決して「素直」ではなかった。結構、ひねくれていた。大きな流れから見ると、欺瞞の固まりの体制と、やはり欺瞞の固まりの反体制と、双方ともに嘘ばっかりの55年体制とやらが、ただでさえ素直ではない若者を、「行動として爆発」する方向へ押しやったのである。そういう社会状況を放置した年長者の方も、やはり、「よろしくない」のである。

 人間が、いわゆる「人間らしく」振る舞うようになるためには、人間の最大の特徴である「知性」「理性」「悟性」に磨きを掛ける必要があるし、その基礎的条件としての言論を尊重しなければならない。などと言うと、いかにも道学者風に聞こえるだろうが、私は「倫理」などは主張しない。本当に自由な言論によって、お互いの自己中心本能を抑制し合うことなしには、若者の不満が「行動として爆発」する状況が続くであろう。

 それなのに、口を開けば「人類の未来」などと声高な、いわゆる反体制運動の組織が、暴力にまで頼って言論の自由を抑圧するという矛盾に満ちた状況なのである。抑圧とは言えないまでも、労働組合では、政党が絡む問題になると、「それは別の場で」などとなる。しかし、「心は二つ、身は一つ」どころか、宮仕えもあるし、家庭もあるし、親戚や近所の付き合いもあるし、忙しくて、「別の場」まで付き合っていられない。結局、機械の部品としての「部分人間」を強制する資本主義に反対し、全人格的な場を取り戻すはずの労働者の戦いの組織が、その成員に「部分人間」または「部分頭脳」たることを強制することになる。つまり、労働組合さえもがセクト的なのである。

 それらすべての「言論弾圧セクト」の弊害を一掃することなしには、「人類の未来」への展望は開けないであろう。

住み難い世に挑む野人1号宣言は平凡な温故知新

 そんなこんなで、過日、私は、「野人1号宣言」を発したのであるが、実は、これ、平凡極まる温故知新なのである。

 最近の訳本では『アメリカの民主主義』となっている1830年代のフランス貴族の政治学者、トックヴィユの著書の題は、明治時代には『自由原論』(1868)と訳されていた。それを読んだらしい福沢諭吉(1834-1901)は、「個人の独立」を説いていた。だから、明治時代の「自由」は、現在の「民主主義」と同義語で、その条件は「個人の独立」だったのであるが、福沢自身も富国強兵路線に迎合してしまったし、その成れの果ての現在の自由党は、まるでその反対物に転化している。「個人の独立」も、どこかへ消えてしまった。

 なぜ消えたかと言えば、要するに難しいことだったからである。夏目漱石(1867-1916)は、現代語訳すると、「知に働けば角が立つ、情に竿させば流される。とかく、この世は住み難い」と嘆いた。いわゆる反体制の組織も、「この世」の力学を克服できなかったし、現在も、できていないのである。むしろ、克服する気を失っている。

 ああ、ややこしいのだが、現在、私は、出版労連の個人加盟組合で、ネットワークとやらのカタカナ語が少し嫌なのだが、略称ネッツ労組の組合員である。ここに断固、野人1号として、労働組合でも政治議論をしよう、政党を右も左もなく軒並み批判しよう、遠慮のない宇宙規模の論争を展開しよう、などと呼び掛ける決意を固めた。

「素直」ではない悪餓鬼は叱り飛ばすに限る

 インターネット先住民の若者の中には、自分では危険な行動はできない腰抜けの癖に、「赤軍……」とか「千葉動労……」とか呟いては、薄ら気味の悪い暗い笑いを浮かべたりして、反体制派を気取る向きが多い。その連中も実は、本能的に、赤軍シンパを気取ると周囲から気味悪がられて立場が有利になると、無意識に感じているような、ケチな根性の持ち主なのである。しかし、簡単に叱ると、それじゃ、おめえ、日共かよ、などと、ゲバ・セクト丸出しの下品な脅しに転ずるド阿呆さえいる。戦後の自信を無くした親が、ちっとも叱らなくなったので、仕付けの悪い餓鬼が増えたのだ。

 そんな、まるで「素直」ではない悪餓鬼は、鬼っ子のブントに叛かれた日本共産党をもひっくるめて、すべて、厳しく叱り飛ばすに限るのである。政党という用語も偉そうで威張り過ぎである。私は政治屋の商売人と呼ぶ。政治屋は皆んな、これまでにも何度も間違ったし、今も、間違ってばかりいるし、今後も間違い続けるに決まっているのである。政治屋は皆んな、思考が停止したままの実に下らないセクト根性の固まりだと思っていれば、これ以上は騙されずに済むのである。政治屋は皆んな、目糞が鼻糞を笑う類いの程度の低い半気違いの集まりなのである。普通は、こういう時に、「素直になれ!」などと言うのであるが、私は、「素直」と言う言葉が実態を反映していないと判断するから、「嘘を付くな!」と言う。「威張るな!」と言う。おこがましくも霊長類などと自称する人間は、皆んな、本能的に「嘘付き」の「威張り屋」なのである。