2000年11月分
| 11.4.(土) | 文化勲章・科挙など骨董品を温存し屋上屋の誤解を重ねるバベルの塔に一発 |
| 11.7.(火) | アラブ記者と会って痛感したアブラ(石油)寄り支配層と目糞鼻糞の反体制 |
| 11.9.(木) | 可愛い旧石器捏造よりも、古墳・自由の女神・ガス室など政治的歴史捏造をこそ暴け |
| 11.16(木) | 60年安保闘争40周年を生前葬にした元ブント書記長の告別式と献杯欠席の弁 |
| 11.19(日) | 悪餓鬼の赤軍シンパを叱りつつ右左を問わず軒並み政治屋批判展開を決意! |
| 11.26(日) | 米大使館前キャスター修行に米学生作曲とガルブレイス『満足の文化』持参 |
| 11.28(火) | 鍛え直した声帯と体力でアメ大・検察庁・警視庁・外務省と梯子演説の怪挙 |
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鍛え直した声帯と体力でアメ大・検察庁・警視庁・外務省と梯子演説の怪挙
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一昨日の日曜日の夜、……明日、天気予報では晴のようだから、2000.11.27.(月)、初の英語街頭演説に立つ。やるぞ!……と、自分自身を追い込むべく、この「日記風」の前回、2000.11.26.(日)の末尾に記し、一部メーリングリストにも案内し、某アラブ記者にもメールを送り、メール受領の返事を受け、ついに背水の陣を敷いた。
その昨日の月曜日、まずは本当に快晴だった。荷物が沢山だったから、チャリンコとテクテクシーでは、汗ダクダクで、いや、いや、夏山同然、暑かった。港区は赤坂のアメリカ大使館前に辿り付き、昼休みの1時間、バッチリ、英語の演説、やったぞ!
「貴方は正しい」(You are right)とガーナの女性が激励
交番の目の前の道路の端で、苦労して運んで来た荷物をほどき始めたら、例によって警官が3人、つかつかと歩み寄ってきた。3人とも若い。今、考えると、少し高級で風変わりなホームレスか、地べたに筵を広げる行商人か、ともかく変な爺さん、と思ったのかもしれない。「ここで演説するんだ」と答えたら、「駄目」「許可証あるか」ときた。武蔵野警察署の時と同じ台詞である。どうやら、まずは、これで脅かすように教育されているらしい。
だが、当然、前座の演説開始、これは言論の自由に関する歴史的な闘いを無視した違法行為、違法行為を奨励する警察が腐敗するのは理の当然である、となる。こちらも例によって、滔々と、「俺は知ってるんだ。なめるなよ」という主旨の演説をぶちかましつつ、ヨドバシカメラの特売、5,000円で求めた軽い三脚を立て、風で倒れないようにガードレールに紐で縛り付ける。それに古い映写幕を活用した携帯用「タテカン」を掛けると、「英語ですか」と、警官の態度が少し改まる。
「そう。あの買春検挙歴だけが確からしい馬鹿首相でさえも、“アイティ、アイティ”って騒いでるからね。今に、世界中で、私のニュース解説が、数秒間に取り込めるようになる。だから、英語のニュース・キャスターの練習をするの。今日が初日」、などと冗談まじりに説明しつつ、七つ道具を組み立てている内に、黒人の女性が通り掛かった。立ち止まって、ちょっと「タテカン」を眺めて、厳かに、「貴方は正しい」(You are right)と言って、さっさと立ち去る。私が背後から「どこからきたの」(Where do you come from?)と聞くと、こちらを見もせずに、「ガーナ」(Ghana)。私は、「オー、ガーナ!」と、嬉しそうに叫ぶ。
これにて、3人の若い警官は、完全に、わが薬籠中のものとなった。手始めの音楽、米軍放送で入手したばかりの「手集計」(Hand Count)のテープ演奏、「ハロー、アメリカンズ……」と、堂々の演説開始。なお、「黒人の女性」とだけ書くと、最近のハリウッド映画に登場するような妖艶な美女を連想し、私との今後の関係を心配する向きもあろうが、実は、相撲取りのような体型の威厳のある肝っ玉母さん風の中年女性であった。しかも、下記のような「タテカン」の意味を直ちに理解したのであるから、しかるべき国際的な知識の持ち主である。「尻尾が犬を振り回す」(The tail wags the dog)
私が、アメリカ大使館の真ん前で広げた携帯用「タテカン」の内容は、強烈極まるものであった。場所がアメリカの中心部なら命に関わる。私のやることは、常に、そうなのである。いや、そうでなければ、やる気は起きないのである。以下、マジックで記した通りに、色と大きさを再現するが、まずは、一番大きな文字にした格言の意味を説明する。この格言については、すでに別途、わがホームページの総合雑誌『憎まれ愚痴』の初期に、"Wag the dog"と題するハリウッド映画の情報に接して、記事にしている。手元の安物辞書のwagの項目に出てくるほど、人口に膾炙している皮肉の格言なのである。しかもアメリカでは、「尻尾」をユダヤ人、「犬」をアメリカ全体と理解するのである。モニカ・スキャンダルでダウン寸前、フラフラのクリントン大統領が、ユダヤ人のオルブライト国務長官に振り回されたユーゴスラヴィア侵略戦争などは、その典型である。
だから、「尻尾」の上にはイスラエル国旗、「犬」の上には星条旗を、百科事典からの拡大フルカラー・コピーで、貼り付けて置いた。ついでに拙著、『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』『湾岸報道に偽りあり』と拙訳『偽イスラエル政治神話』の表紙の縮小フルカラー・コピーをも、空白部分に張り込んだ。『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』の表紙には明らかに黒人の大スフィンクス、『湾岸報道に偽りあり』の表紙には油まみれの水鳥の絵、『偽イスラエル政治神話』の表紙にはフランス語の原題、すべて説明に使ったし、警官に見せる身分証明書代わりにもなった。………………………………………………………………………………………………………
(Ultra Right Wing Political Zionst Lobby)
The Tail
(United States of America)
Wags the Dog
So Called Holocaust is the most Shameless
Hoax of the 20th Century to Justify
the Robbery of Lands from Palestinians
and the Endless Slaughter by Missiles
KIMURA AIJI………………………………………………………………………………………………………
アメ大・検察庁・警視庁・外務省と梯子演説の怪挙
演説の細部は省くが、上記の「タテカン」の文句を中心に、持参した本や雑誌の拡大コピーを朗読し、堂々、1時間の初の英語演説。同時に別の丈夫な三脚にアナログのヴィデオ・カメラを載せて、道路の斜め反対側に置き、自分を撮影した。帰宅後に写してみると、即興でしゃべった部分に言葉の間違いがあった。やはり、原稿を準備すべきであろう。
終わって、虎の門交差点近くの馴染みの公園にて、持参の弁当、炒り胡麻追加のバター塗りトースト・サンドイッチとヨーグルトを平らげた。次は、都心まで出てきた行き掛けの駄賃、武蔵野市の税金横領事件の不祥隠し問題で、すぐ近くの千代田区は霞ヶ関、検察庁・警視庁を目指す。またもや、夏山同然、暑かったが、陽射しは斜めとなり、検察庁の前は並木の日陰。ここは何の妨害もなかった。
だが、警視庁前は、大変だった。簡単に言うと、実力で妨害されて、演説はできなかった。この件は、長くなるので、別途、武蔵野市の不祥隠し独自捜査シリーズで、警察の言論妨害問題として、まとめて記す。予定が狂って欲求不満、声帯の調子は悪くないから、隣接の外務省に向かう。ここでも若干の同様の妨害を排して、数人の警察官を制圧、30分ほど、英語の「タテカン」を広げて、しかし日本語の演説で、アメリカ追随の日本政府と外務省の腰抜け振りを痛烈に批判した。やはり、日本語の方が楽である。当たり前。
ともかく、鍛え直した声帯と体力の成果は、十分に確認できた。警視庁には電話で2度、「違法行為」を咎め、提訴の可能性も匂わして置いた。提訴も含めて、報復攻撃の手段は、これから練りに練る予定。
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米大使館前キャスター修行に米学生作曲とガルブレイス『満足の文化』持参
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パレスチナ内戦に関して自らは何らの直接行動に出ず、このところ、ホームページ記事やメール上でのみ赤軍派などの政治屋を半気違い扱いしている。もともとは行動派の私としては、やはり居心地が悪い。実は、かなり前から、1960年安保闘争以来の懐かしき赤坂はアメリカ大使館前にて、英語のインターネット放送キャスターの修行を兼ね、ほとんどは手持ちの活字の読み上げによる初の英語演説をしようかと計画していた。しかし、手持ちとは言っても、分厚い英語の原書から目星の該当箇所を探し出し、それを街頭演説向きに、老眼でも読める大きさの拡大コピーにするのは、結構、時間が掛かる。最初の台詞ぐらいは自前でと考えている内に、絶好の音楽が入手できた。流行りのナプスターとかによるものではない。米軍放送からである。
「手集計」(Hand count)の戯れ歌を武蔵野警察署前で実験
録音したのは、多分、11.23.勤労感謝の休日であろう。「多分」と書くのは、1面が30分のテープに毎日続けてニュースを録音するから、日時を特定し難いのである。某電気大学と理解するが、その大学の学生が作った歌という説明で、「ハンド・カウント」を繰り返す軽やかなメロディの戯れ歌である。もちろん、賑やかな伴奏付きである。
早速、翌日の24日、武蔵野警察署前での昼休み演説の際、「マイク・テスト」代わりに使った。単1電池を10本使う巨大ラジカセ「ドラム缶」は、最初に音量調整をしないとワウル。ギリギリ一杯の音量まで上げる間、「ただいま……」などとしゃべるのは面白くない。音楽で始めてみたら、結構、いける。雰囲気も絶好。広報担当の副署長が制服姿で入り口に顔を出し、ニコニコ挨拶していた。もちろん、演説も冴えに冴えた。演説の内容は別途、武蔵野市の税金横領事件に関する不祥隠し独自捜査シリーズで発表する予定。アメリカの選挙の論評にガルブレイス『満足の文化』持参
どうせなら、この前座の音楽に続けて、アメリカ大使館前での演説の冒頭に、最近の話題沸騰の大統領選挙に関しても、ひと味違う論評をしなければ気が済まない。
そこで本日、武蔵野市の中央図書館から、ジョン・ケネス・ガルブレイスの著書、『満足の文化』(CULTURE OF CONTENTMENT)を借り出してきた。奥付を見ると原著のCopyrightの年が1992年で、日本語訳の発行日は1993.9.25.となっている。私が当時、新聞の書評を見て注文した本である。題名の方は、うろ覚えだったので、著者のガルブレイスによるデータ検索をしたのだが、この本の中に「人口の半数が大統領選挙に参加せず」(p.173)などとあったことを覚えていた。
わが家の唯一の宅配紙、『日本経済新聞』(2000.11.18.夕)の「あすへの話題」欄では、「詩人・弁護士」と欲張った肩書きの中村稔が、「少数者支配体制」と題して、「投票率は5割強だから、」「どちらも」「有権者のわずか4分の1の票を集めたことによって、アメリカの最高権力者として世界中の国々に圧倒的な影響力を行使することになると思えば恐ろしい」などと記していた。
この中村の論評が、これまで目に止まったアメリカ大統領選挙批判の中では、最も鋭いものだった。しかし、『満足の文化』以外にもアメリカの政治体制に関する文章を沢山読んでいた私にとっては、まだまだ物足りない。ガルブレイスは、「貧困者にとって投票は無意味である」(p.171)としている。『満足の文化』という題名そのものも、独特の皮肉である。アメリカでは「下層階級が『必要』とされる」(p.45)のだとも論じている。
つまり、あれだけの馬鹿騒ぎをする「アメリカ民主主義」なるものは、同じギリシャ語源の言葉で比較をすれば、デモクラシーというよりもデマゴギーと形容した方が実態に近いのである。
以上の問題点を英語に直すのは、私には難しいが、これも修行である。明日、天気予報では晴のようである。その後は、天気が崩れるらしい。最早、背水の陣か、2000.11.27.(月)、初の英語街頭演説に立つ。やるぞ!
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悪餓鬼の赤軍シンパを叱りつつ右左を問わず軒並み政治屋批判展開を決意!
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気になり続けている問題があると、目に触れる文章の多くに、その問題と関係する事実と視点が、ここにも含まれ「とるわいな」と、片言を操り始めた頃の九州の言葉で感じてしまうものである。これは、むしろ、当然のことであって、あらゆる事象が複雑に関係し合っているのである。ましてや、共通のキーワードが含まれている場合には、見過ごすわけにはいかなくなる。このところ、多事多難か、見過ごせない問題が多すぎて、ああ、やんなっちゃうな、ああ、忙しいなと思いながらも、ついつい考え始めてしまう。
赤軍派に走ったような若者を、なぜ「素直」と思うのか
またもや、連日の三面記事報道が続く日本赤軍のことになるのだが、私が最近、この悪餓鬼どもに対してと同様に、その生みの親の親の親ぐらいに当たる日本共産党を含む自称左翼に対しても、腹が立ってならない理由は明白である。彼らはすべて、このところ、パレスチナ問題を自分たちの独占的な課題であるかのように語り続けているのだが、実は、ろくに調べてもおらず、特に、私が孫子戦略の最重要課題として指摘し続けている「ガス室の嘘」に関しては、敵対的な態度を取り続けているのである。『マルコポーロ』廃刊事件の直後ならいざ知らず、もう5年以上も経過しているのに、この阿呆振りは見過ごすわかにはいかない。その底辺には、日本の文化人全体の非論理的な日和見が潜んでいる。
この「日記風」では、3日前の11.16(木)、ブント問題の継続で、その濁流の果てのチョロリ逮捕、「日本赤軍」問題にも触れた。本日は、『日本経済新聞』(2000.11.19)「文化」欄に、紹介記事によると文芸評論家らしい秋山駿の「私小説の力」と題する一文が載っていた。大抵の文芸評論は、退屈で読む気が起きないのだが、書き出しが「重信房子の高校時代の文章」となっていたので、ついつい拾い読みしてしまった。
別途情報として、最近、インターネット空間に赤軍シンパ風のメールが飛び交うという話も聞いたので、この際、この記事を例題として、少し、その軽率を叱って置きたい。
秋山は、「1930年生まれ」とあるから、現在は70歳で、私よりも7歳年長になる。しかし、年長だから私よりも熟成というわけではない。「早大仏文科卒」などという経歴は、日本の安手文化人の典型である。現在は「女子大に出講している」旨、自己紹介している。その秋山が、一応は、「行動として爆発」することを「よろしくない」とはしながらも、高校時代の文章だけを手掛かりにして、重信房子を、「良く光る眼を持ち、さとい耳を持った、一人の若い娘さん」とか、「あの素直な若い娘さん」とか、いかにも自らの教え子の世代に擦り寄る調子で書いているので、これは見過ごせない。
私は、1960年安保闘争で、初めて警視庁機動隊と体当たりし、樫の警棒で殴られ、興奮の果てに、「執行部、日和るな!」「突入しろ!」などと叫んでしまった。実際にも、首相官邸突入で頭を割られたり、同窓生の樺美智子が死んだ時の南門突入では、鉈を渡されて檜の門を破壊したりした。
今更、後悔しても始まらない。宮本武蔵の言、「事に当たって後悔せず」に賛成し、後悔よりも観察素材として活用するが、その頃の自分を「純粋」だとか「素直」だとか思ったことはない。若者を「純粋」とする表現は、何度も読んだり聞いたりしたが、これは、実態を無視する空論であり、自分の青春を美化したい老人の世迷い言か、はたまた、馬鹿な若者を煽て上げて利用しようとする「ズル中年」の策略であると、ここに喝破する。
人間は、生まれたまま野放図に育ち、教育と称する「仕付け」を受けなければ、普通の動物と同じで、本能に基づく自己中心の行動を取る。頭の中も同じである。「仕付け」が不十分か、または、現実と整合性がない仕付けで「はみ出す」場合には、反乱を起こすこともある。毛語録には「造反有理」とあるようだが、「理」は、必ずしも「正義」ではないし、「正義」の御旗すらも、最近のアメリカの正義のように、怪しい場合が多い。
私は、自分をも他人をも、美化しない。自分のことを最初に評価すると、1960年安保闘争の頃の私は、「思い上がりも甚だしい跳ね上がりの糞餓鬼」でしかなかった。素直ではなかったが、それほど馬鹿でもなかった。自分がしたいことをやっていた。前回も記したように、オッチョコチョイの私を利用「しやがった」「陰険な左翼政治ゴロ」のブントには、当時から暴力主義の傾向が見られた。その最後のチョロリが、赤軍派である。
赤軍派は、北朝鮮に逃げようとして「淀号」乗っ取り事件を起こした一派、浅間山荘事件の連合赤軍、アラブ人が英雄と勘違いした重信房子らの日本赤軍、この三派に分裂した。いずれも、ろくでなしの半気違い集団である。
「淀号」乗っ取り犯人の塩見某とも彼等の30周年記念集会などで会った。やはり、1960年安保40周年記念ロフトプラスワン「激論」の取材と出演交渉のためであった。集会に参加したのは、特に、その集会に「再建ブント」の代表が出る予定を知ったからだったが、薄気味の悪い連中が集まっていた。塩見は集会で、一応、乗客に迷惑を掛けたことを詫びたが、自分たちの「ピュアな気持ちを理解してほしい」などと、気持ちの悪くなる台詞を吐いた。その後、心筋梗塞で苦労したようだから、あまり罵倒はしたくないが、反省しているようで実はタレント気取り、薄気味の悪い「ズル中年」の悪餓鬼である。
どだい、50歳を過ぎても、自分が昔は「ピュア」だったなどと、平気で言えるなどとは、脳味噌の成長が止まってしまった馬鹿丸出しでしかない。暴力主義から除名や排除までの言論弾圧セクトを一掃せよ
ブントの流れが暴力主義に傾いた理由は、動物行動学的に分析すれば、実に簡単である。反対意見を暴力で封殺するためでしかない。しかし、その暴力主義を批判する親の親の親ぐらいに当たる日本共産党の方にも、まだ、暴力革命路線が残っているし、すぐに「除名」で脅す癖はなくならない。除名後にも「反党分子」などと名指しで攻撃し、「市民権を与えない」などと力むのだから、反対意見を封殺する「タブー」に支えられた原始社会、ヤクザ集団と変わらない。除名とかの御立派な規約がなくても、言いなりにならない相手を排除する「シカト」集団は、そこらじゅうに、いくらでも転がっている。「市民運動」なんて、気取ってみたって、同じことである。
つまり、結果として、いわゆる反体制の運動には、その目玉商品の「言論の自由」がないという実に奇妙キテレツな現象が生じている。これでは、当然、負けるわけである。「敗北の総括」ばかりが溢れるわけである。
ブントの濁流が学園を浸した頃には、いわゆる「ノンセクト」も発生した。どうしても若者を「素直」と形容したいのなら、どう見ても半気違いの暴力主義者よりも、この「ノンセクト」か、それとも、それらすべての政治的集団が嫌いで「ノンポリ」と呼ばれた連中の方が適当だろう。だが、その連中すらも決して「素直」ではなかった。結構、ひねくれていた。大きな流れから見ると、欺瞞の固まりの体制と、やはり欺瞞の固まりの反体制と、双方ともに嘘ばっかりの55年体制とやらが、ただでさえ素直ではない若者を、「行動として爆発」する方向へ押しやったのである。そういう社会状況を放置した年長者の方も、やはり、「よろしくない」のである。
人間が、いわゆる「人間らしく」振る舞うようになるためには、人間の最大の特徴である「知性」「理性」「悟性」に磨きを掛ける必要があるし、その基礎的条件としての言論を尊重しなければならない。などと言うと、いかにも道学者風に聞こえるだろうが、私は「倫理」などは主張しない。本当に自由な言論によって、お互いの自己中心本能を抑制し合うことなしには、若者の不満が「行動として爆発」する状況が続くであろう。
それなのに、口を開けば「人類の未来」などと声高な、いわゆる反体制運動の組織が、暴力にまで頼って言論の自由を抑圧するという矛盾に満ちた状況なのである。抑圧とは言えないまでも、労働組合では、政党が絡む問題になると、「それは別の場で」などとなる。しかし、「心は二つ、身は一つ」どころか、宮仕えもあるし、家庭もあるし、親戚や近所の付き合いもあるし、忙しくて、「別の場」まで付き合っていられない。結局、機械の部品としての「部分人間」を強制する資本主義に反対し、全人格的な場を取り戻すはずの労働者の戦いの組織が、その成員に「部分人間」または「部分頭脳」たることを強制することになる。つまり、労働組合さえもがセクト的なのである。
それらすべての「言論弾圧セクト」の弊害を一掃することなしには、「人類の未来」への展望は開けないであろう。住み難い世に挑む野人1号宣言は平凡な温故知新
そんなこんなで、過日、私は、「野人1号宣言」を発したのであるが、実は、これ、平凡極まる温故知新なのである。
最近の訳本では『アメリカの民主主義』となっている1830年代のフランス貴族の政治学者、トックヴィユの著書の題は、明治時代には『自由原論』(1868)と訳されていた。それを読んだらしい福沢諭吉(1834-1901)は、「個人の独立」を説いていた。だから、明治時代の「自由」は、現在の「民主主義」と同義語で、その条件は「個人の独立」だったのであるが、福沢自身も富国強兵路線に迎合してしまったし、その成れの果ての現在の自由党は、まるでその反対物に転化している。「個人の独立」も、どこかへ消えてしまった。
なぜ消えたかと言えば、要するに難しいことだったからである。夏目漱石(1867-1916)は、現代語訳すると、「知に働けば角が立つ、情に竿させば流される。とかく、この世は住み難い」と嘆いた。いわゆる反体制の組織も、「この世」の力学を克服できなかったし、現在も、できていないのである。むしろ、克服する気を失っている。
ああ、ややこしいのだが、現在、私は、出版労連の個人加盟組合で、ネットワークとやらのカタカナ語が少し嫌なのだが、略称ネッツ労組の組合員である。ここに断固、野人1号として、労働組合でも政治議論をしよう、政党を右も左もなく軒並み批判しよう、遠慮のない宇宙規模の論争を展開しよう、などと呼び掛ける決意を固めた。「素直」ではない悪餓鬼は叱り飛ばすに限る
インターネット先住民の若者の中には、自分では危険な行動はできない腰抜けの癖に、「赤軍……」とか「千葉動労……」とか呟いては、薄ら気味の悪い暗い笑いを浮かべたりして、反体制派を気取る向きが多い。その連中も実は、本能的に、赤軍シンパを気取ると周囲から気味悪がられて立場が有利になると、無意識に感じているような、ケチな根性の持ち主なのである。しかし、簡単に叱ると、それじゃ、おめえ、日共かよ、などと、ゲバ・セクト丸出しの下品な脅しに転ずるド阿呆さえいる。戦後の自信を無くした親が、ちっとも叱らなくなったので、仕付けの悪い餓鬼が増えたのだ。
そんな、まるで「素直」ではない悪餓鬼は、鬼っ子のブントに叛かれた日本共産党をもひっくるめて、すべて、厳しく叱り飛ばすに限るのである。政党という用語も偉そうで威張り過ぎである。私は政治屋の商売人と呼ぶ。政治屋は皆んな、これまでにも何度も間違ったし、今も、間違ってばかりいるし、今後も間違い続けるに決まっているのである。政治屋は皆んな、思考が停止したままの実に下らないセクト根性の固まりだと思っていれば、これ以上は騙されずに済むのである。政治屋は皆んな、目糞が鼻糞を笑う類いの程度の低い半気違いの集まりなのである。普通は、こういう時に、「素直になれ!」などと言うのであるが、私は、「素直」と言う言葉が実態を反映していないと判断するから、「嘘を付くな!」と言う。「威張るな!」と言う。おこがましくも霊長類などと自称する人間は、皆んな、本能的に「嘘付き」の「威張り屋」なのである。
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60年安保闘争40周年を生前葬にした元ブント書記長の告別式と献杯欠席の弁
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今月、11.11.土曜日の午後、手帳には一応、元ブント書記長、島成郎(しげお)の告別式と献杯の二次会の日程を記していたが、やはり行く気になれず、欠席した。
見掛だけは立派な綺麗な封筒入りの案内への嫌気
私は、もともとブントが嫌いである。特に人脈もなかった。ではなぜ、上記の日程を知ったか。簡単に言うと、今年の初夏、6.10.やはり土曜日に行われた元ブントらの呼び掛け人主催による1960年安保闘争40周年記念集会を伝え聞いて、取材が目的で主催者に連絡を取り、招待状を受け取って参加した。その継続で今回も、見掛だけは立派な綺麗な封筒入りの案内が届いた。しかし、もともと追悼の気持ちもなかったし、葬式を同窓会代わりに位置付けるとしても、会いたい気分になる相手が、まるでいないことが確実だと、自分の気持ちの上でも確認できたからである。
上記の日程の双方ともに土曜日を選んでいる理由は、「全国」からの参加者の便宜を考えてのことである。島の死亡を報じた手元の短いベタ記事(『日本経済新聞』2000.10.18)によれば、島が「胃がんのため」死んだのは、1ヶ月近く前の10.17.である。記事には「告別式の日取りは未定」とあった。その「未定」の2文字を見た瞬間に閃いた予感が当たって、初夏の時と同じく、「見掛だけは立派な綺麗な封筒入りの案内」が届いたのである。「またか」と思った。
「見掛だけは立派な綺麗な封筒入りの案内」という表現は、われながら、いささか毒々しいが、上記の集会と告別式の事務方を務めた奥田は、神田の印刷会社の社長なのである。この種の仕事はプロ中のプロである。奥田個人についても、実物を見て確認したが、「元革命家」などと名乗られては革命が迷惑するような、デップリと太った古風な重役風だった。6.10.集会の会費は、何と、1万円だったから、私としても迷惑だった。無責任な左翼政治ゴロの自作自演によるゾンビ生前葬
島とは、上記の6.10.集会で始めて会った。二次会では偶々、島夫妻の真っ正面に座ってしまった。しかし、すぐに隣に、日本テレビ時代に迷惑した元ブントの跳ね返り、江田某が割り込んできたりしたから、島夫妻とは、ほとんど口をきかなかった。島は退院したばかりとのことだったが、顔色はまさに土気色で、まるでゾンビのようだった。豪華ホテルでのパーティは、会費の高さだけではなくて、内容も不愉快だった。事前に、島が昨年、『ブント私史』を出したことも知っていたので、島の自作自演による生前葬と、取り巻き組みの襲名式のゴッタ煮のようだと感じていた。何が元革命家かと胸糞悪くなった。
最初から不気味な表現をしてしまったが、1960年安保闘争では、私自身が、まさに若気の至りの興奮の極に達し、国会に突入したのだった。オッチョコチョイの典型の私は、島のような無責任で陰険な左翼政治ゴロが大嫌いである。だから、病気だ、死亡だ、と知っても、まるで同情心が沸かない。むしろ、不愉快さが増すばかりである。告別式と二次会の日程を手帳に記した理由は、いわゆる取材が目的だったが、特に新しい発見ができるとも思えなかったのである。
もっとも、私自身についても、決して、島らのような「無責任で陰険な左翼政治ゴロ」とは無縁な、別の世界の人種だと思っているわけではない。共通する嫌な部分があるからこそ、彼らの嫌な性格が理解できるのであって、いわば、その部分を切り落としたいような、衝動的で自己嫌悪にも似た激しい不愉快感を覚えるのである。
6.10.集会で島に会う以前に私は、島らとは1960年安保闘争の「敗北」の直後に決裂したという経歴の現「社労党」委員長、林絃義(ひろよし)と、まずは電話で話した。林が拙宅に送ってくれた社労党機関紙『海つばめ』で、林自身が執筆した島批判の文章を読んでいた。林は、島が昨年出した『ブント私史』を「ブントの本質を示す」「醜悪」な「泣き言」などと、徹底的に、こき下ろしていた。林とは、その後、6.19.こちらも「全国」意識して日曜日を選んだ彼ら主催の1960年安保闘争40周年記念集会で会った。
私は、うわべは穏やかだが見掛けほどには謙虚さもなく実は傲岸不遜な林の方も、好きにはなれない。島らに対してほどには激しい嫌悪感は覚えないが、個人的に付き合う気は起きない。一言で評価すると、彼が率いる集団は「隠れキリシタン」風の「独りよがり」、独善である。しかし、島らへの批判の文章に関する限りでは、表現の仕方は別として、事実経過の評価としては納得できる内容であった。
ブントの発生経過、その分派の支離滅裂については、別途、まとめる予定である。実は、わが6.15.ロフトプラスワン「激論」のヴィデオ編集を兼ねて、かなりワープロ入力済みなのだが、取材と資料集めの予定が延び延びになっているのである。有象無象、烏合の衆、魑魅魍魎、半気違いのゲバルト路線
それもこれもで、今年も大変な年だった。年頭に、1960年安保闘争40周年の6.15.ロフトプラスワン「左右激論」の出演依頼を受けて、結局は、企画とヴィデオ資料編集にまで、のめり込む始末となった。それが上記の「取材」の原因である。そのシッチャカメッチャカの苦労の駄賃稼ぎ代わりに、もうひとつ思い切って言うと、結果として、1960年安保闘争と、日本共産党とブントと、ついには、その濁流の果ての最後のチョロリの日本赤軍「女帝」逮捕に至るまでの、有象無象、烏合の衆、魑魅魍魎、左翼だか右翼だか定かでない傲慢無礼な権力亡者で半気違いのド馬鹿の生態を、改めて観察し直す羽目に陥った。
すでに別途、簡略には記したが、1960年当時に全学連の主導権を握っていたブントは、元日本共産党の学生党員を中心としていた。日本共産党の幹部の方に、ハンガリー動乱へのソ連の軍事介入を認めるような理論的な誤りと、その押し付けの官僚主義の誤りが多々あったが故の、いわゆる鬼っ子としての「はみ出し」ブントの発生だったのである。上記のごとく「失敗」で崩壊したブントには、すでに雑多な「はみ出し」集団が合流していた。以後、「敗北」の残党から、革共同、中核、革マル、赤軍、などなど、魑魅魍魎の半気違い集団の分派の濁流、いわゆる「セクト」が発生し続けた。
私自身は、もともと、いわゆるノンポリで、特に暗い左翼は嫌いだったのだが、多分、「敗北」の総括の直前であろうか、文学部の学生自治会の主流派の一部から、「社会主義学生同盟の再建に参加しないか」と誘われた。ところが、その連中には、単に暗いだけではなくて、私の目の前で、「あいつ、最近、生意気になったな。殴るか」などと打ち合わせるような間抜けなところがあった。だから、「こいつら、何を考えとるんか」と呆れて、取り合わなかった。今にして思えば、その後の「ゲバルト路線」への転落、堕落の傾向が、すでに露呈し始めていたのであった。心情的な赤軍支持者のチョロチョロ発生とPLO周辺の独占
日本赤軍「女帝」逮捕の直前には、まさに必然の偶然であろうが、私は、先にも、この「日記風」に記した通り、某アラブ国の記者と会った。その際、私は、PLOなどが日本赤軍派を英雄扱いしている間違い、厳しく言えば失敗について、「彼らの暴力主義は日本の平和主義者の間で人気がない」という主旨の穏やかな指摘の仕方をした。
だから、「女帝」逮捕の記事を見た途端に閃いたのは、「またぞろ利用されているな」であった。というのは、嫌々ながら嫌いな名前を書くが、逮捕後に新聞でも報道された重信房子とやらの『人民新聞』への寄稿、「中東レポート」について、私は、昨年から知っていたのである。私は、『人民新聞』の編集部や発行人の身元に興味はないし、事実、全く知らない。1992年頃、カンボジアPKO出兵反対の市民運動で大阪に行った際、同席した記者から、私の個人新聞、『フリージャーナル』との交換を申し込まれ、以来、『フリージャーナル』に引き続き、『歴史見直しジャーナル』などの個人新聞と交換の無料で郵送を受けている。記事の見出し程度は一応見ている。この種の印刷物が公安警察の手に渡るのは常識である。当局は、『人民新聞』関係者の出入りを張り込んでいただろうし、かなり早くから、「女帝」の所在を突き止めていたに違いない。
なぜ、この時期に逮捕したかについて、私は、当然、現在のパレスチナ内戦の状況を考える。もともと、パレスチナ問題に関して、日本では、PLOなどが英雄と勘違いした日本赤軍の存在が、かえって一般の理解を妨げてきた。テル・アヴィヴ空港で自動小銃を乱射した岡本某などは、半気違いの典型である。これだけでも、パレスチナ問題は、一般市民にとって鬼門となる。ところが、私よりも8歳ぐらい若い55歳の「女帝」と同世代の半気違いだけではなくて、その後も、心情的な赤軍支持者がチョロチョロ発生し続けていた。彼らはPLO周辺にヤクザ紛いの独占集団を形成し、不気味さを漂わせ続けた。
その一方で、1960年当時に鬼っ子を生み落とした日本共産党は、赤軍批判のキャンペーンを張り続けたが、その割りには、ほとんど国際問題に取り組まない。結果として、PLO、もしくはアラブ人の方への日本の「左翼」世論は、混濁の度を増し続け、政治的シオニスト、またはイスラエル支持のロビーの操作に屈し続けている。
であるからして、今回も、イスラエルの仕打ちのあまりの酷さに怒る日本人の気持ちを、再び攪乱するために、あの「想い出の日本赤軍」の再現を、当局が演出したのではないかというのが、私の直感である。少なくとも、結果として、そういう影響が出るであろう。困ったことではあるが、やきもきしても仕方がないから、ここで愚痴るだけとする。
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可愛い旧石器捏造よりも、古墳・自由の女神・ガス室など政治的歴史捏造をこそ暴け
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宮城県上高森遺跡の旧石器「ねつ造」報道が姦しい。
まずは言葉の問題だが、「ねつ造」などの、チョットではなくて、超々、チョーチョー、間抜けで便宜的な表記法では、大人でも元の漢字を忘れている場合には、意味がピンと来ない。ましてや、最初から元の字を習っていない子供の場合には、漢字離れを、ますます助長する。私が一番困るのは、わがワープロでは一発転換できないことである。
そこで先頃、わが仮住まいの唯一の宅配紙、『日本経済新聞』の2つの犯罪記事の大見出しに、「ねつ造」と「改ざん」が並んだ際、私は堪りかねて、わが壮年期に流行った「シヴィル・ミニマム」(このカタカナ語も気に食わない)の惰性的な実践者として、あのNTTを利用して、高い高い自費で電話を掛け、「読者対応室」(この「対応」なる用語も気に食わない)の日替わり担当者に、「捏造」で突っ張るか「デッチ上げ」などに変えよ、などと助言しておいたのだが、一向に改まらない。だから、「ねつ造」の見出しを見ると、余計に腹が立つ。どうせなら「『陵墓』新発見の『いたずら』」を奨励する
今度の旧石器捏造事件には、特に政治的な動機があったわけではないらしい。だから、「みじめ」なだけで、歴史に名が残るかどうかの保証はできない。
考古学または人類学の歴史に名高い実例は、現代人の頭蓋骨を加工したピルトダウン人の捏造である。この捏造は、「発見者」のイギリス人ら、つまりはヨーロッパの白人こそが、ホモ・サピエンスの先駆けなりと偽る根拠をなし、しばし、人種差別の疑似科学的な合理化の役割を果たした。捏造者自身による「発見」が1909年、「弗素法」による捏造の「発覚」が1948年だから、ヒトラーとヒロヒトらの人種差別・最優秀民族説による狂気の凶器の世界侵略の時代を、完全に覆っていたのである。
玩具の潜水艦を利用したネス湖の怪獣の写真の捏造は、単純な「いたずら」に近い。しかし、最初の動機が単純でも、政治的に利用されることは多い。
ネス湖の怪獣探検の企画に引っ掛かった石原は、今、都知事になっている。そこへ直線的にはつながらないものの、ネス湖の怪獣の写真の「いたずら」を、石原は、自らの売名に利用した。過日、ロフトプラスワンにて仕掛け人、「呼び屋」の康芳夫が、企画・司会の私の隣席で、「SF作家の小松左京などをシャッポに担ごうと口説いていたら、石原が出しゃばってきた」と明言したのである。この明言の場面のヴィデオ録画もある。
欧米では、学生の「いたずら」も多いようだ。同じ「いたずら」なら、日本の学生も、負けずに、逆の意味での過激に政治的な「いたずら」をしたらどうか。日本の考古学で最も国際的に恥辱的かつ漫画的なのは、古墳時代である。いまだに、「『陵墓』の学術調査に道を」(『日本経済新聞』2000.8.24)などと題する弱々しい社説が載る始末なのである。「いたずら」だけでは不満足なら、古墳捏造による大御所「いじめ」に挑め!
元々、古墳の嘘の暴露ができない腰抜けの大手商業メディアが、その一番肝心な「歴史見直し」を避け、子供の鬼ごっこよりも薄汚く、逃げ隠れしつつ、「旧石器時代の歴史の全面的な書き直し必須」などと煽るから、小心者の悪餓鬼に「魔が差した」のである。エジプトに拒否されたギリシャ神話風「自由の女神」
歴史学などと自称するガクガク「愕」然の大嘘は、昔から溢れているが、それは、むしろ、当然のことである。思想的な支配の道具としての神話が、学問を自称する疑似科学の装いも新たに、少しづつ騙しの技術を変えているに過ぎないのである。
私は、戦争中に侵略者の子供として中国の北京にいたから、あそこは懐かしい場所なのだが、10年程前の天安門事件の際、テレヴィで中国人の学生たちが、アメリカの「自由の女神」の模造品を作っている有様を見て、ああ、中国共産党の幹部も詐欺師だろうが、こいつらも相当な阿呆やな、と慨嘆したものである。「アメリカ帝国主義」が嫌いだからでもあるが、「自由の女神」に関する「世間常識」の間違いをも知っていたからである。
たとえば、手元の骨董印刷物、平凡社の『世界大百科事典』の「自由の女神」の項目によれば、アメリカ独立100周年記念に、フランスの歴史家ラブレーが寄贈を提案し、彫刻家バルトルディ(1834-1904)が設計し、1886年建造、正式名称は「世界を照らす自由(Liberty Enlightening the World)」、アメリカの民主主義の象徴、などなど、とある。まこと麗しき大西洋を隔てた国際的な美談なのである。
ところが、そこは格言の通りで、「美し過ぎる話には必ず嘘がある」のである。
アメリカの放送局の最大手の3大ネットワークの本家、ABCのニューズ・コメンテーター、ポール・ハーヴェイは、時々、歴史の俗説を覆す裏話を楽しそうに紹介するのだが、その中に、「自由の女神」寄贈の裏話があった。この像は、元々、まさに、その寄贈国のフランスのレセップスが企み、1854年に利権を入手し、1869年完成したスエズ運河の建造の際、地中海からの入り口の灯台として設計されたのだが、エジプトに拒否されてしまい、お蔵入りしていたのである。あのギリシャ神話風の「世界を照らす自由」の逞しい女神の像は、嫌々ながらも自国の領土を通過する運河建造の利権を売らざる得ない立場のエジプト人、またはアラブ人から見れば、ヒタヒタと押し寄せる欧米の世界征服の象徴に他ならなかったのである。
だから、当然、この像を「象徴」とする「アメリカの民主主義」は、欧米による世界征服の最後の思想的武器となっているのである。私は今後、この裏話を、「アメリカの民主主義の嘘」の象徴として位置付けることにする。ここまでは驚かない自称平和主義者が、なぜ「ガス室の嘘」に狂うか
ここで、ついに、わがホームページにも、かねてからの課題、「歴史の嘘」シリーズを連載する決意を固めた。私の最初の著書は『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』である。古代エジプト人は黒人だったとか、湾岸戦争では「誰が水鳥を殺したのか」とか、欧米の嘘を暴くのが、最早、私の習性になっている。真相を突き止めないと気が済まない。
日本人の多くは、この種の話では、すぐには理解しないまでも、怒ったりはしない。ところが、湾岸戦争の継続として「ガス室の嘘」を追及し始めたら、予想以上の反発を受けた。様相も形相も、かなり違う。異常である。やはりか、こいつらも阿呆やな、とは思いつつも、疲れる話である。
日本人だけのことではないのだが、なぜ、自称平和主義者たちは、「ガス室の嘘」に狂うのであろうか。
私見の大筋については、拙著『アウシュヴィッツの争点』にも、拙訳『偽イスラエル政治神話』の解説にも記した。しかし、この異常な心理現象の背後には、まだまだ深く、重層をなす精神的な「焼き入れ」が潜んでいるようである。最近、語源のラテン語では「外傷」の意味だけだったのに、精神病の術語で「精神的外傷」を意味するようになった「トラウマ」(trauma)が、普通の会話でも流行っているが、似たようなものである。
「焼き入れ」は、刀の鍛練とか瀬戸物の窯焼きの技術用語だから、前向きに解釈できる。「焼き入れ」を経た素材は自然の状態よりも固くなる。刀や瀬戸物なら、それで結構なのだが、人間の頭となると、「しなやかに」働かなくなるから、長野県の「名刺折り曲げ」官僚の場合のように、始末が悪くもなる。
最近、冤罪事件に詳しくて、現在はオウム真理教の問題を追っている友人、三浦英明と雑談していた際、この「ガス室の嘘」に特有の心理現象についても、「宗教の奥の手」が働いていることに気付いた。私は、この手口を知ってはいたが、「ガス室の嘘」の問題に関しては、これまで、この手口の重要性を指摘していなかった。
私は、その時、三浦に、別途のホームページ記事、「シオニスト『ガス室』謀略周辺事態」シリーズで紹介済みのアメリカのユダヤ人の歴史学者、ピーター・ノヴックの本、『アメリカ人の生活の中でのホロコースト』の内容が興味深いと説明していたのである。それなりの学究肌の歴史学者、ノヴックは、問わず語りに、事実を克明に描き出している。私なりに読むと、政治的シオニストは、アメリカのユダヤ人、ひいてはアメリカ人全体に、「ホロコーストを見過ごした罪」を被せて置いて、その償いとしてのイスラエル支持の世論を、脅迫的に作り出しているのである。そう話した途端に、三浦は、「それは宗教の手口だ。オウムもそうだよ!」と叫んだのである。
宗教では、あのユダヤ人の部族宗教の神話、「旧約聖書」の物語のように、まずは「知恵の実」を食ってしまった人間の「罪深さ」を、厳かに強調する。「悔い改めよ」となる。人間という動物には、必要以上の「知恵」が付いてしまった。その上、不幸なことには、社会生活を営むようになってしまったので、動物の本能としては当然の自己中心的な行為を、「罪深い」と位置付けるようになってしまった。そう教えられると、素直に、日頃の本能的な欲求や行いを思い出しては、そうやな、罪深いな、と思ってしまう。「悔い改め」の「焼き入れ」をされてしまう。これが宗教の「味噌」である。
ところが、「宗教は阿片」と喝破したはずの「社会主義」とか「共産主義」とかの教義の方でも、たとえば、「貴方はドップリと首までブルジョワ思想に漬かっている」などと、「罪深さ」を信じ込ませるのである。この「焼き入れ」を受けた自称平和主義者、実は現代的な疑似科学的宗教の狂信者の「焼き入れ」の効いたガチガチ思考では、「人類の罪深さの象徴」として教え込まれた「ナチズム」の所業のすべては、何らの疑いを差し挟む余地もなく、罪の固まりなのであり、その罪の悪の動かせぬ証拠こそが「ガス室」なのであり、当然のことながら、ヒトラーを免罪するがごとき「ガス室の嘘」論者などは、これまた「焼き入れ」が十分に効いた伝家の宝刀で、直ちに斬り捨てるべき怨敵なり、となるのである。怨敵退散! 怨敵退散! 怨敵退散! デデンコ、デン、デン! 次第に高まる興奮の果てに!
なお、瀬戸物は割る以外に始末の方法がないが、刀は「焼戻し」が可能であるなど、この件には、さらに詳しい検討と論証が必要なので、いずれ再論する。
ともかく、名刺の折り曲げの非礼どころの騒ぎではないのである。桑原! 桑原!
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アラブ記者と会って痛感したアブラ(石油)寄り支配層と目糞鼻糞の反体制
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日曜日の11.5.イスラエル秘密情報機関モサドの「魔手」を警戒しつつ、相手は某アラブ国の通信社記者「A」とのみ記すが、2時間半の会談を行った。「魔手」と記したのは、決して確実な証拠を握ったわけではないのだが、事実として、私が湾岸戦争以来、かなり親しくなったアラブ人が、2人も、ともに私よりもかなり若いのに、つぎつぎと死んでいるからであり、わが暗黒冗談の辛口ワサビのモサドを刺身の妻になすり付けて、その残念さを表現して置きたいがためである。
「A」は、私が「ガス室の嘘」または「ホロコーストの嘘」を主張しており、ガロディ著の日本語訳題『偽イスラエル政治神話』を出版したことを、人伝に聞き知り、教えを求めてきたのである。わが資料提供と秘伝の伝授の礼としてか、洋食の夕飯を振る舞われた。以下、会見の経過を要約しつつ、その会見で痛感した日本とアラブ諸国の「ふがいなさ」を記す。「ふがいなさ」を痛感した対象は、支配層とかのことだけではなく、いわゆる反体制をも含む全体のことである。「ガス室の嘘」同時多発ハルマゲドンの世界各国一斉蜂起
私は、会見の前にファックスで、以下の記事の英語の全文を送っておいた。拙訳は、すでにわがホームページ「シオニスト『ガス室』謀略周辺事態」にて公開済みである。「A」は、以下の記事そのものは見ていなかったが、概略の事情は知っていると言った。拙訳の全文は下記をクリックされたい。
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シリアの新聞がホロコーストを「神話」と呼ぶ
2000年1月31日(月)午前9時22分(現地時間)ロイター・ダマスカス・シリア発シリア政府の機関紙が月曜日の記事で、ホロコーストを神話と表現しつつ、西側諸国の支持を獲得し、かつ、自らの敵側を牽制するために、ナチによるユダヤ人殺害の規模を誇張しているとして、イスラエルを告発した。
「なぜイスラエルは、この疑わしいホロコーストの策謀を強要するのか」と、政府機関紙ティシュリーンの編集長、モハメッド・アル=ワデフィは書いた。
「私は、イスラエルとシオニスト組織が、二つの目的を持っていると信ずる。第一は、ホロコーストへの弁償の口実で、ドイツ、および、その他の西側の支配層から、さらに金を得ることだ」
「第二の目的は、ホロコーストの神話を振りかざすことによって、シオニズムとその侵略主義政策への反対者なら、誰彼なしに、ユダヤ主義の名目で告発することである」
イスラエルの首相官邸は、この記事に即応する論評をしていないが、ナチ狩りのシモン・ウィゼンタール・センターは、このシリア紙の論評を『政府が認可したホロコースト否定論』と呼んだ。[後略]………………………………………………………………………………………………………
シリアは当時、イスラエルと、「ゴラン高原」および「レバノン南部」の違法占領地帯からの撤退を巡って抗争中で、いわば最前線のアラブ人の国家である。そのシリアの政府機関紙が、ついに、これぞ、かねてより私が推奨し続けてきた孫子戦略「故上兵伐謀、其次伐交」(謀攻篇二)に踏み切り、「ホロコーストの嘘」告発の外交論戦の火蓋を切ったという、最も歓迎すべき迫真の状況報告なのである。
それも、それを伝えたメディアが、何と、「アラブ寄り」どころか、天下の西側諸国の名門、特約通信社「ロイター」なのだから、なぜ、日本の大手メディアが、この配信記事を報じなかったのかということも、これまた、大問題なのである。
以上の記事と同時期に、いくつかのアラブ人による同種情報が寄せられたので、私は、上記の連載記事を、「同時多発ハルマゲドンの世界各国一斉蜂起」と題した。以後、シリアが背後に潜むレバノン南部の紛争地帯で20年のイスラエル支配が破れ、イスラエル軍は「友軍」こと傀儡軍を見捨てて敗走した。
私は、手垢に汚れたヨレヨレの古本、『孫子』の文庫本を持って行った。それをめくって見せながら、「A」に、「テロ」とレッテルを貼る逆宣伝のネタになり易く、命に関わる「インティファーダ」よりも、孫子の「故上兵伐謀、其次伐交」を重視し、「ホロコーストの嘘」を暴き、G7の中の唯一の非欧米国家、日本の世論を獲得せよと説いた。アブラ(石油)寄り支配層と目糞鼻糞の反体制
「A」の質問の中には、日本の外務省のアラブ諸国への対応振りと、折から国賓として迎えられ、国会で演説までしたイランのホメイニ大統領の来日の経過、それに対するアメリカの反応の予測もあった。
私は、日本の庶民は子供の頃からの「アラビア千夜一夜」愛読者であり、アラブ贔屓だが、同時に、ベスト・セラーの偽書、『アンネ・フランクの日記』に騙されて、ユダヤ人への同情心に浸っているという、矛盾だらけのヌクヌク状態を説明した。支配層については、日本語で「駄洒落」、英語で「一語入れ替え」(one word change)と表現するジョーク、「アラブ寄りよりもアブラ(石油)寄り」を紹介した。
イランはアラブではないが、アブラ(石油)産出国である。念のために月曜日に外務省の中近東2課に電話をして確かめると、毎年何ヵ国かの元首を国賓として迎えることになっており、「たまたま」イランの番になったと説明する。私は、ノーベル賞の受賞者決定と似たような政治配慮じゃないの、と冷やかし、ついでに、インドネシアの石油に手を出した田中角栄と、シベリアの石油を狙って北朝鮮に接近した金丸信の末路を、思い出して注意せよと説いた。エネルギー資源の独占は、石油財閥が中心のアメリカ帝国にとって、基本的かつ決定的な戦略的政策なのである。「邪魔者は殺せ!」である。
そこから話は、日本の位置付けになった。私は、日本が、議会への代表権を持たないアメリカの末っ子の州であると説明した。「A」も、肩をすくめて、アラブ諸国のまとまりのなさ、「ふがいなさ」を嘆いた。「A」は、かねてからの持論の感じで、「問題はアラブ人自身にある」と、キッパリとした口調で語った。私も、「問題は日本人自身にある」と言わなければならない。反体制の「目糞鼻糞」振りについては、何度も論じているので、ここでは繰り返さない。別途、最近のパレスチナ問題の報道状況を論ずる予定である。
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文化勲章・科挙など骨董品を温存し屋上屋の誤解を重ねるバベルの塔に一発
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昨日は文化の日とか称している日だったので、やはり何か、臍曲りの憎まれ愚痴を叩かねばなるまいと思い、2000年を
期して生産中止の骨董品のワープロことワード・プロセッサー、使い慣れたる東芝ルポで入力を始めたのだが、あれやこれやと愚痴ネタが多すぎて、仕上げが遅れ、本日に繰り越した。
主旨を要約すると、文化ッタラ、勲章ッタラ、司法試験ッタラ、古代国家さながらの科挙制度の骨董品を、その伝来の源の中国が変貌を遂げた今日もなお、後生大事に温存する日本の摩訶不思議について、少し論じてみたいのである。近頃の暗記優等生型、インターネット・バーチャル思考による文章には、言語は明瞭なれど意味は不明瞭の特徴がある。結果は、誤解の言葉の独り歩きが屋上に屋を重ねて重層をなす現代的バベルの塔である。これをしも、文化というべきなのだろうか。文化ッカ、文化ッカ、カッカ、カッカ。返上の話はトンと聞かないお手盛り叙勲国家のお飾り文化人たち
わが仮住まいの唯一の宅配、『日本経済新聞』(2000.11.3)にも、多分、他の商業新聞より地味ではあろうが、「秋の叙勲4632人」「輝く功績/満面の笑み」」などの見出しの記事が載っていた。32頁は、4632人全員の紹介で全面が完全に埋まっている。叙勲者の筆頭、「勲一等旭日大綬章」の受章者は参議院議長の井上裕(アイウエオ順)である。
それでも、「勲一等旭日大綬章を受章した9人はいずれも自民党所属の閣僚経験者。越智氏は今年2月、金融検査に関する『手心』発言で辞任に追い込まれたばかり」と、一応の指摘があったり、社会面の「道を究めた受章者」の紹介の方が詳しくて写真も大きいことなどが、唯一の救いではあろうが、この「道を究めた受章者」たちも、すべて皺だらけの老人で、ゆるみっぱなしの無邪気な笑顔である。老いて幼児に戻るとは言うが、実に幼稚な喜びようである。この老人たちは日本の侵略戦争の経験者であるが、このところ、勲章を返上した話はトンと聞かなくなった。
勲章などの軍人が特に好む道具を、子供の玩具に類すると揶揄した芥川龍之介(1892-1927)は、わずか36歳で自殺した。1927年は、いわゆる大正デモクラシー崩壊期の昭和2年で、私が生まれる10年前である。昭和は戦争の時代だった。以後、軍人商売の大失敗を経ながらも、名のみの「文化国家」で復活した「文化勲章」が、この骨董品愛用国家の象徴の一つとなっている。
文化勲章に関して私には個人的な想いがある。私を不当解雇し、総額では6,000万円の支出をしながらも最後まで正式な解雇撤回をせず、「玉虫色」終結を固執した叙勲者がいたのである。当時の社長だった小林与三次は、もう死んだが、元自治省事務次官、日本テレビの社長・会長、読売新聞の社長・会長、その途中で卒中を2度、最早、残る望みは勲章だけと世間から言われ、その通りに受賞した。その「玉虫色」和解のせいで私は、60歳から出るはずの厚生年金が受け取れず、国民年金を継ぎ足して、半分以下の金額を、44か月遅れで、やっと受け取れる直前の身である。恨み骨髄の叙勲者なのである。
その私から見れば、いかにもお人好し風の「道を究めた受章者」たちさえ、体制お手盛り勲章国家のお飾りでしかない。戦争を知っている癖に、抵抗を知らない、愚かで哀れな人達なのである。日本の大手新聞の論説委員の文化水準の低さに慨嘆
同紙の1面下の「春秋」欄の冒頭は、「きょうは文化の日」だった。私は、大抵の記事を、サッと斜めにキーワード検索してから、詳しく読むか読まぬかを即断する。「イラン」とあるので、ウヌッ、「あの」首都テヘランで「アメリカに死を!」のデモが行われる国の話なら、少し読んでみようかと思ったら、つぎには、「英語parliamentがフランス語のparler」、とある。
つい最近、この「日記風」で議会の本質を論じた際、私は、parliamentの語源がフランス語のparlementであり、歴史用語では「諸侯会議」、具体的にはルイ王朝の王家の客間だと指摘した。民主主義とかの宣伝文句を取っ払ってみれば、唯一実在し続けているのは議会であり、かつての宮廷貴族の半分がチャラチャラお飾りの野党議員と入れ替わって、つぎつぎと体制に取り込まれ、庶民を騙して続けているだけなのである。そういうことをハタミ大統領がしゃべるわけはないと思って点検したら、やはり、まるで違っていた。
ハタミ大統領の日本の「国会での演説は、国会を意味する英語parliamentがフランス語のparler(対話)に由来するとの語源説明から始まり、それぞれの国が独自性を保ったうえで民主化を推進できるとの信念を示した」のだそうである。
この欄の執筆者は、論説委員とかの肩書きの、いわゆるベテラン記者である。ハタミ大統領の演説を「知的で格調の高い」と大仰に評価し、「聴衆になった日本の政界の人々には、現実とは無縁の難解な文明論に聞こえたかもしれない」と締め括る。皮肉を効かせた積もりなのだろうが、何のことはない。そこらのバス停大学の政治学教授の子供騙しの西欧「民主主義」礼讃のたわごとと同じことを、イラン、イギリス、フランス、などなど、外圧混じりで、チャラチャラちりばめただけの優等生的白痴論説でしかない。
私は、1998年1月、パリでロジェ・ガロディの裁判傍聴に参加した際、イランの反体制派の作家と知り合った。イランは、反アメリカだから面白いが、やはり、イスラム教の狂信独裁国家である。せめて、西欧の議会主義の欺瞞を暴く姿勢を示してほしいものだが、実のところ、石油産出国の元首として、石油消費国または工業国の日本の国会で演説するとなれば、日本人の西欧コンプレックスに付け込む芸当で、凡俗を煙に巻くことになるのであろうか。
今は、国際通訳が発達したから、意味が不明瞭でも言語は明瞭な演説の解説記事ができ上がる。しかし、その元の言語が歪んだ実態の反映なのだから、分かるようで分からない。誤解の屋上に、さらに誤解の屋を重ねるバベルの塔でしかなくなるのである。司法試験合格数の制限の科挙こそが「独占エゴ」「質の低下」なのだ!
上記の「春秋」の冒頭部分はさらに、「日本では『知識人』という言葉が、いつの間にか死語になってしまったような気がする」と続く。「知識人」も「文化人」も気障で嫌われるから自然消滅するかもしれない。しかし、「資格人」には決定的な既得権があるから、しぶとく生き残るかもしれない。
文化の日の前々日、2000.11.1には、日本弁護士連合会の臨時総会が開かれ、司法試験合格数を年間1千人から3千人に増やす司法審議会の方針を容認する執行部案が可決された。『日本経済新聞』(2000.11.2)によると、「委任状を含め賛成は7,437票、反対は3,425票だった」。賛成者は、「法律業務を独占する我々はエゴを排し、改革の担い手になるべきだ」と主張したらしい。反対者の論拠の中には、「経済的な犠牲は計り知れない」とか、「質が低下する」とか、があった。
私は、自分自身の不当解雇反対闘争でも16年半、それ以外にも労組幹部として、市民運動参加者として、個人として、かなりの裁判を経験している。具体的な経験に基づく感想を先に述べると、付き合いの深い弁護士のことになってしまうので困るのだが、それでも遠慮なく言うと、意外も意外、素人目にも法律関係の知識が乏しい弁護士が多い。司法試験の合格を目指す特訓は大学の受験と同様で、試験に出る法律の丸暗記に終始している。資格を得た後には、新しい勉強をしないどころか、目の前の課題に関しても、それまでに学んでいなかった法律に、まるで目を通さず、間違いを指摘しても平気で居直る弁護士さえいた。私は彼等を法律屋と呼ぶ。人数制限のある資格人には、医者こと、医は算術屋もいるが、法律屋と同様に独占収入が確保されているから、同様に腐敗も甚だしい。
私の考えでは、「3千人に増やす司法審議会の方針」さえも、やはり人数制限であり、特権階級の育成による支配体制強化の一環でしかない。たとえば、運転免許と、どこが違うのか。業務上の運転免許は普通免許よりも厳しいが、人数制限はない。競争に晒されるから実務で腕を磨き続けることになる。競争がない「独占」の方が「質が低下する」のである。事実、アメリカでは、桁違いに司法資格者が多くて、法律では飯が食えずに運転手をしている例もあるそうだ。
日本でも、そうなるべきである。少なくとも、競争が激しくなれば、法律屋も医は算術屋も、「あのように」威張れなくなるであろう。威張り屋よ、去れ!
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