カール・マルクスとその亜流の暴力革命思想への徹底批判序説1.

(その7)わがマルクス徹底批判の開始も遅かりし由良之介か偽の友の変態注意「日本赤軍解散を表明」

千年紀に寄す 「編集長日記風」木村愛二の生活と意見抜粋 2001.4.15に、2001.5.8の電子手紙、および読み込み記事を追加


『日本経済新聞』(2001.4.15)の社会面に、はい、決して政治面ではなくて、犯罪一般と同様の扱いで、下記の記事が載りました。まずは、正確にスキャナーにて読み込み、校正しました。

重信被告/日本赤軍解散を表明/「今後は合法的に活動」

 日本赤軍最高幹部、重信房子被告(55)=殺人未遂罪などで起訴=が十四日、都内で開かれた支援者集会にメッセージを寄せ、日本赤軍の解散を表明した。メッセージで同被告は今後、国内を拠点に合法的な公然活動を開始する、としており、来春にも新組織を立ち上げる方針という。

 メッセージの中で、重信被告は「日本社会の中に根付いた歴史を担えなかった以上、私たちの闘いは不十分で、間違っている」とこれまでの活動を総括。「日本を起点とする世直しを開始するにあたって日本赤軍の解散をもって新しい闘い方に挑戦する」と、解散の意思を明らかにした。

 今後は、「時代にふさわしい合法的で、公然とした国際連帯を出発点とし、日本発の闘いを開始する」としており、弁護士によると、イスラエル・テルアビブのロッド空港乱射事件から三十年となる来年五月までに新組織を結成したい考えという。日本赤軍は、前身の共産同赤軍派が掲げた、海外に拠点を確保して世界革命を目指す「国際根拠地論」に基づき、一九七一年にレバノンヘ出国した同派幹部の重信被告らによって結成された。七○年代を通じてハイジャックや海外の大使館占拠事件などを繰り返した。

 その後、冷戦構造の崩壊と中東和平の進展や、九五年以降、メンバーが相次いで逮捕される中、国内志向を強めていた。

 以上で記事紹介は終わり。

 で、どこが「間違っている」のか、ちっとも分からないのですが、とりあえず、警戒警報を発します。

 彼らの元祖、「共産同」こと、「日本共産主義者同盟」とはいっても、第一次は、1960年安保闘争の冒険主義的挑発活動以後、「敗北」を宣言して四分五裂したので、以後は、南北朝の某家の正統争いにも負けず劣らずの醜さ、しかも、「反帝・反スタ」を掲げた挙げ句の果てに、スターリンの血の粛正の真似事をしてしまったのでした。

 スターリンとの中間の日本共産党の官僚支配に反発して結成された初代「日本共産主義者同盟」の連中とは、学生時代に接触していますから、どれほどいい加減だったかを、「騙された」立場から証言できます。その歴史の全体の経過の告白と反省のないまま、偉そうに「日本を起点とする世直しを開始する」などと称する半分気違いのそのまた「支援者集会」を開く連中が、日本に、しかも、「都内」にいるわけなので、どの程度の「合法的で、公然とした」運動になるものやら、御用心、御用心!


送信日時 : 2001年 5月 8日 火曜日 8:54 AM

件名 : 無反省赤軍に憧れる風潮にあえて警告

 ド馬鹿の日本赤軍の重信房子の逮捕と関連してガサ入れを受けた人民新聞社発行『人民新聞』(2001.4.5)が、かなり前に届いていました。中に、重信の「獄中」からの「あいさつ」が入っていて、唖然も唖然、まるで反省なしでした。いずれ詳しく論評せねばと思っている内に、もう一ヶ月が過ぎてしまいました。

 この新聞は、私が、湾岸戦争への協力を違憲とする市民訴訟の運動で大阪に行った際、私が発行していた『フリージャーナル』との無料の交換を申し込まれ、以後、他の個人新聞を送ったりして、続けて無料で受け取っています。

 私は、このところ、あえて、赤軍派をまとめて、「半気違い」と批判しています。返す刀で、その親の親の親ぐらいの日本共産党も、元祖のマルクスも、基本が暴力主義、権力主義として、徹底批判を続けています。当然、歴史的な意義を考えてのことです。

 しかし、皆さん、「しーん」としてますね。おそらく、そういうことだと予測はしていました。暴力主義者は、「こわーい」んですよ。だから、皆、「しーん」としてしまうのですよ。それこそが、暴力主義者の狙いなんですよ。

 私は、あえて言います。実は、つい最近にも、歩道で自転車を後ろから飛ばしてきて、「ちん」と鳴らしただけで、速度を緩めもせず、私の腕にぶつかっても謝罪もせず、そのまま飛ばして通り過ぎ、「こらっ、降りて来い」と大音声で叱り付けると、渋々戻ってきたものの、「どかないのが悪い」と居直る大馬鹿者と大喧嘩になりました。屈強の30代くらいの若者ですが、私には、いざとなれば、少しは武術の心得があるからこそ、叱り付けることができるのであって、電車の中で悪餓鬼に注意したら、4人で袋叩き、誰も止めなかったなどという呆れ果てた現状の下では、ドン・キホーテよりも酷い目に遇い兼ねません。

 しかし、しかし、筋を通さずに生きて、何になるのか、じっくりと御考え頂きたいのです。特に、いわゆる右の暴力には、すぐに目を三角に吊り上げる癖に、いわゆる左の暴力には、甘い顔をするなどというのは、一番不愉快です。この自称左翼、自称平和主義者こそが、「公然の敵」よりも悪い「偽の友」なのです。

 別途、わが電網宝庫で記しましたが、日本では1960年安保闘争、世界的には「革命は銃口から生まれる」との毛沢被東路線の下に、あらゆる形態の自称左翼暴力主義がはびこりました。

 アメリカの場合には、黒人の差別反対闘争の中で、ブラックパンサーから現在のネイション・オブ・イスラムに至る暴力主義的な流れが続いています。私は、このような疑似左翼の暴力主義が、その反対側の白人至上主義を刺激し、より凶暴な暴力に発展し、左右の暴力主義に怯える普通の人々を、結局は「国家の保護」の下に追い込んでいると考えます。

 暴力主義は、根本から徹底批判すべきであって、『噂の真相』も『創』も、その他諸々も、商売の目玉に赤軍派を使うのは、いい加減にせえ!

 以下、『人民新聞』(2001.4.5.1073号)掲載、重信房子の「メッセージ」なるものの全文を紹介する。
 ただし、『人民新聞』編集部の追加による小見出しは省略した。

 この幼稚な文章についての論評までする気はまるで起きないが、ただ一つ、「東欧」はまだしも、「ユーゴの革命」とまであるのには、呆れ果てた。この下手糞作文にも出てくる「米国」が、劣化ウラン弾までぶち込んで、ドルでひっぱたき、ミロソヴィッチを政権の座から引き降ろしたのを、御得意の「反スタ」の勝利だとでも思っているのだろうか。この集会にまた、わが旧知の「宮崎学氏の反弾圧講演」までが加わったというのだから、魑魅魍魎の阿呆もいい加減にせえ!


●四・一四へのあいさつ 公正と正義を求めて、ともに進みます

2001年4月10日/重信房子

 満開の桜が散り終える頃でしようか。目を閉じると、獄に居るのも忘れて、春が広がります。れんぎようや沈丁花の匂う暖かい風、空が、光の中で踊ります。そして、この季節、レバノンのベカー高原に広がる真紅のけしの花の群れは、息を呑むほど美しいときです。また、地中海に落ちる太陽の最後の光を帯びて、岩場の真紅のけしが黄金色に染まる一瞬の美しいベイルートが見えます。目を閉じると、どこまでも自由が広がります。みんなと、この春の中を共に語りあえたら、どんなに嬉しいでしよう。語りあえる自由を渇望しています。

 私自身の不用意な逮捕と文書類の押収によって、心ならずも全く関係のない個人や団体にまで、家宅捜索や弾圧を許す結果となったことを心からお詫びします。今にいたるまで「危険分子日本赤軍と関係」として、そうした方々の市民生活を脅かし、社会的信用を傷つけ、市民運動家や政党、団体への弾圧を行う警察当局に抗議します。

 私が尊敬し、信頼を共にすべきそうした方々の怒り、戸惑い、不信を招いたであろう私自身の逮捕と、非を詫びます。そして、公正と正義を求める世直しの中で、自らを正しながら、人々から仲間として、受けとめられるよう心して進みます。

 私たち日本赤軍はアラブにいる限り、アラブ人民、アラブ社会と共に生き続けていました。しかし、日本社会の中に私たちは居所を持たずに進みました。日本社会の中に根付いた歴史を担えなかった以上、私たちの闘いは不充分であり、間違っています。

 ある時代、ある状況の中で、武装闘争が、人民の要求としてあり、それによって状況を切り拓く役割もありました。忘れられたパレスチナ民族の権利を全世界に知らしめたリッダ空港作戦など一九七○年代の闘いは「武装闘争こそ最良のプロパガンダ」としての位置をもって闘い、そ○後七四年の国連総会で、アラファト議長がPLOの代表として出席が認められ、政治的権利を獲得しました。

 インティフアーダ民衆蜂起の八○年代の闘いは、今にいたる建国の闘いへと、人民の権利と主権を実現しながら進みました。

 しかし、冷戦後の世界においては、人民の要求と社会的要求を根つことしない武装闘争は政治を実現できず、人民弾圧の口実を作っています。人民の変革の意思の量と質が大きければ大きいほど、平和的変革が可能なことを東欧、ユーゴの革命が示しました。

 今において、日本人民は武装闘争を望んでいませんし、そういう条件も状況もないことを知っています。パレスチナのインテイファーダの民衆蜂起に照応する人民の権利と生存の闘いは、日本においては民主主義の徹底を実現することだと思っています。そして、人々の世直しの要求の量と質が広がれば広がるほど、平和的に世直しは実現できると確信します。問われているのは、人と人との関係を変えながら社会を変えようとする自分自身の関わり方かもしれません。

 私は日本赤軍の仲間たちが二一世紀の闘いの姿として描いていた方向を、私自身のこれまでの役割を自覚するが故に、同志たちの意思として、ここに再ぴ宣言します。

「国際主義と軍事を特性としてきた日本赤軍の歴史を二○世紀のアラブの人民と社会の歴史に刻みます。そして、日本を起点とする世直しを開始するにあたって、日本赤軍の解散をもって新しい闘い方に挑戦します。私の仲間たちは、世直しを求め続けます。歴史的に蓄積してきたアラブ人民との信頼を生かし、時代にふさわしい合法的で、公然とした国際連帯を出発点としながら日本発の闘いを開始するでしよう。時きたりなば、その小さな力が世直しを求め合う日本の、世界の仲間と結びあうでしよう。」

 私自身の仲間たちのしごとを、獄中から及ばずながら支えたいと思っています。 二一世紀、一番大切な価値として、私自身は人間らしさをも求める《公正》さを貫こうと心に誓いました。特権にしがみつく、自民党政治も、警察官僚機構もまた同じです。失敗を隠し、聖人君子のように振舞った特権のしたで、制度疲労は進み、公平さ、公正が損なわれてきました。

 国際関係においても、公正さのない平和は達成できず、火急に公正な解決がパレスチナで求められています。ただ、そこに住む人々の歴史的要求に対して、公正な妥協点を作ることができるかどうかが、対立の根拠を共生の根拠に変えることができます。

 パレスチナ問題が二一世紀になっても解決できない根拠は、公正さを欠いた「和平」という名の支配をパレスチナ人民におしつけている米国とイスラエルの姿勢にあります。《公正》は言葉では抽象的で簡単な言葉のようですが、自分自身が公正に判断する、えこひいきしない、縁故を求めないフェアプレーの精神を磨く中で、フェアーな解決もまた見えてきます。私は獄中にありながら、民主主義の徹底を求めるうちの一人として、公正に、自分目身の裁判に関わる姿勢としても、生き方としてもフェアーでありたいと願つています。そのように生きながら、人々と出会いたいと願っています。

 今、満開の桜が散り終える頃でしようか? 満開の桜が散り終える頃までに成すべきことのうちの一つだった娘達の国籍取得が成り、四月三日、日本に帰国することができました。親身になって国籍取得と帰国に尽くされた大谷先生はじめ弁護士、法務省外務省の方々、そして現地で様々な協力と支援に尽力されたレバノン大統領をはじめとするレバノン政府当局者に感謝します。

 そして、娘ヘ。困難を越えてきてくれてありがとう。初めての日本、夢に見た日本で、私の旧友、これからの友と共に一つ一つ学びながら生きていく道を学び、アラブと日本の架け橋になってくれることを望んでいます。私たちが非合法・非公然にしか担えなかった連帯が、あなたたちの時代には、日本とアラブの両国国民の連帯に発展し、はば広く築かれれば、こんな嬉しいことはありません。

 出席してくださったみなさん、私は、反省は反省として後悔はしません。生き、楽しんできたこの半世紀の人生を語り合うチヤンスを今日、これからの希望と重ねてまた、進みます。「オリーブの木」ありがとう。育つよう、私なりに尽くします。共に!

4/14「重信房子さん訪日『歓迎』集会」
多彩な人とプログラム
反弾圧運動の呼び掛けも

 二三日の初公判を一週間後にひかえた四月一四日、重信房子さんを支える会主催(協賛・救援連絡センター、人民新間、月刊情況編集部、帰国者の裁判を考える会、ウナディコム)による激励の集い「重信房子さん訪日『歓迎』集会」が東京・文京区民センターで開催された。入場者には日本赤軍の解散と新生の声明といえる重信さんからのメッセージを含めた資料集が配られた。集会には獄中の日本赤軍メンバーに加え、日本政府に対して重信さんの釈放を訴えるパレスチナ帰還の権利国民会議準備会、サブラ・シヤテイーラキヤンプ人民委員会、ナジヤハ・ワキーム前レバノン国会議員、PPLP-GC、PFLP政治局からのメッセージも寄せられた。

 参加者は「噂の真相で知った」という二○代の青年から外国人労働者支援の七○代の市民活動家、笹島日雇労組など約一○○人。開場前から集まりだし、初対面にもかかわらず会場準備、運営を手伝う青年もいた。この他、蔵田計成、植垣康博、鈴木邦男、塩見孝也、松田政男各氏の姿も見られた。

 集会では山中幸男氏の弾圧情況報告、大谷恭子弁護士による公判説明、宮崎学氏の反弾圧講演、岡本組によるレバノン報告の他、若松孝二監督による岡本公三さんの最新ビデオ上映。怨歌、ロック演奏が行われた。自由発言では重信さん関連で弾圧を受けた人すべてが連帯した「反弾圧運動」の呼びかけが参加者からあった。支える会は裁判カンパ集めと支援者交流を目的に会報『オリーブの木』を五月より発行する。

▼「ぜひ講読して重信さんを共に支えて下さい」/購読料は月一口ニ○○○円/半年か一年分にまとめて送金願いたい、と呼びかけている/送金先・郵便振替 [後略]


以上で(その7)終わり。(その8)に続く。


ブント「重信房子の高校時代の文章」

(その8)「組合は左翼?」議論からアナルコ・サンディカリズムとプルードン『貧困の哲学』再評価
カール・マルクス批判 に戻る