連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態 (16-4)

「ガス室」裁判 判決全文 13

理由の第二
原告の主張に対する当裁判所の判断(一の10)

平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
1997.4.18.提訴 判決[1999年2月16日]
《シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態》と《「ガス室」裁判判決全文》兼用

理由(続き)

第二 原告の主張に対する当裁判所の判断(続き)

一 本件記事に使用された字句自体が原告を誹謗・中傷し、その名誉を毀損するとの主張について(続き)
10 平成9年2月28日号・本件講座の記事について

 本誌同号に、原告が主張する「学術組織を装った」、「民族差別主義者」「欧米の歴史改竄主義者やネオナチの主張の『翻訳』でしかない『アウシュヴィッツの争点』」、「職業的虚言者の『戯言』」、「読者を煙に巻こうとする」、「墓場から蘇ってきたような『ゾンビ』」、「2次資料の改竄さえも怯まないデイレッタントでかつデマゴーグ」、「恥知らず」、「低次元」、「言い逃れ」、「ドイツ語のイロハも知らない」、「化けの皮」、「負け犬の遠吠え」、「犬は歴史改竄などをしません」、「醜いゾンビ」、「頭脳的アクロバット」、「愚説」、「犠牲者・生還者たちを(中略)侮辱・冒涜」及び「悪あがき」という言辞が用いられていることは、前記のとおりである。

(一)被告金子は、前記のとおり、本稿で、原告が代表を務める「歴史見直し研究会」の性格とその活動について言及し、その中で、同会がロサンジェルスに本部を置くIHRの季刊誌と同名の『歴史見直しジャーナル』を発行していること、原告が目下フランス人ロジェ・ガロデイの著作『イスラエル政策の基礎をなす諸神話』の翻訳に取り組んでいることに触れた上、「IHRという学術組織を装った政治集団と親密な協力関係にあり、歴史改竄主義者で民族差別主義者でもある人物の著作を日本語訳にし、結局は欧米の歴史改竄主義者やネオ・ナチの主張の『翻訳』でしかない『アウシュヴィッツの争点』を発表し、『歴史見直し研究会』の代表でもある木村が装おうとする『中立性』、『相手方の組織や個人の思想、政治的立場などにいっさいとらわれず、可能なかぎりの関係資料、耳情報を収集して』云々もまた筆者にとっては到底信じ難く、職業的虚言者の『戯言』にしか聞こえないのである。」という。

(1) 右の文脈からすれば、「学術組織を装った」というのはIHRを形容するものであり、「民族差別主義者」はロジェ・ガロディを指すものであって、原告個人に関するものではないことが明らかである。この点に関する原告の主張の趣旨は、あるいは、「学術組織を装った」IHRと「密接な協力関係にあり」、「民族差別主義者」であるロジェ・ガロデイの著作の「翻訳に取り組んでいる」と指摘されたことが原告を誹謗・中傷するものという点にあるとも解されるが、右の指摘だけでは、原告個人の人格との関連性が希簿であり、通常の理解力を持った読者をして原告の人格にまで及ぶ言辞と認識させるものではないから、原告の右主張は失当というほかはない。

(2)「欧米の歴史改竄主義者やネオ・ナチ主張の『翻訳』でしかない『アウシュヴィッツの争点』」というのは、本書に対する被告金子の総括的な論評であり、その拠って来る根拠は、本件講座において同被告が縷々述べるところであって、それが正鵠を得ているか否かは別論として、本件の主題に関する論評としては、社会通念上許容できる範囲のものというべきである。

(3)「職業的虚言者」が原告個人を指すことは明らかであり、この言辞が一般的には個人の社会的評価を低下させるものであることは否めない。前記のとおり、被告金子は、本件講座の随所で、本書における「資料の偏り」、「資料の改竄」、「重要資料の黙殺」、「研究不足」などを指摘しており、おそらくは、これらを総合して原告を「職業的虚言者」と称するのであろうが、そのように極め付ける根拠は明確ではなく、論埋の飛躍があるように思われる。

  しかしながら、本件の主題は歴史認識の問題であると同時に、個人の思想や信条に深く関わる問題であって、その性質上、これをめぐる論争は勢い過激となり、時に感情論に走る傾向が避けられないこと、本件の論争の背後には、「マルコポーロ事件」に端を発した前記のような経緯が存在していること、原告は、その見解が物議をかもすことを予期した上で本書を世に問うたこと、本誌は、あらゆるタブーに挑戦する論争を主眼とする雑誌であり、その購読者は論争にありがちな過激な言辞や誇張を相応に埋解しているものと推認されることなどの諸般の事情にかんがみれば、原告を「職業的虚言者」とする被告金子の右の言辞も、まだ社会的に許容し得る範囲内にとどまるものというべきである。

  また、「戯言」という言辞は感情論を脱しきっていない感を免れないが、原告の「ガス室否定論」に対する論評であり、原告の人格に直接わたるものではないから、その名誉毀損性を問題にするに足りないというべきである。

(二)被告金子は、前記のとおり、「あえて『ガス室がなかつた』と」までは断言しない。だが、『ガス室があった』と確信することができるような物的証拠も、論理的説明も、いまだに発見できない」とする原告の本書における記述について、「歴史改竄主義者特有の論法で読者を煙に巻こうとする」ものと述べるが、この言辞自体は特段の侮蔑的意味合いを帯びるものではなく、問題とするに足りない。

(三)被告金子は、前記のとおり、同被告のいう「歴史改竄主義者」に対するハーバード大学の心理学教授ダニエル・シャクターの痛烈な批判を引用した上、「墓場から蘇ったような『ゾンビ』の批判はもうこれで終りにしたい。……資料研究が偏っているばかりかはなはだ不十分でもあり、加うるに重要資料の黙殺や2次資料の改竄さえも怯まないディレッタントでかつデマゴーグでもある論者の主張は、論破できたものと考える。」と述べる。

 「墓場から蘇ったような『ゾンビ』」という言辞は、被告金子が本件講座の冒頭で、「ナチス犯罪の否定・矮小化をその使命とする『修正主義学派』のようなものは『公認』されているわけでもなく、歴史改竄主義集団の主張はすでに論破されつくされており、もはや黙殺の対象でしかない。」と述べていることとの脈絡において次のように理解することができる。すなわち、同被告にとっては、「歴史改竄主義者」らの主張はすでに死滅して、「墓場」に入ったものであり、これを蒸し返そうとする原告の主張は、映画のキヤラクターに例えれば、墓場から蘇ったゾンビのようなものだというのである。右の「ゾンビ」への例えには、敢えて原告を挑発するかのような作為が看取されないではなく、正当な論争の在り方からすれば、軌道を外れている感があるが、前に述べた本件における諸般の事情を考慮し、かつ、右の理解によれば、「ゾンビ」に例えられているのは原告個人ではなく、原告が唱える「ガス室否定論」であることにかんがみるときは、これもなお、社会通念上許容できないものではないというべきである。

  なお、「2次資料の改竄さえも怯まないデイレッタントでかつデマゴーグ」という言辞の各構成要素が名誉毀損を構成しないものであることについては既に述べたとおりであり、この理は、これらの各要素を組み合せた場合についても同断である。

(四)被告金子は、前記のとおり、「『アウシュヴィッツの争点』の著者・木村愛二に対する『失礼』なことも書いただろう」と断りながらも、「強制収容所犠牲者に対する木村の恥知らずな態度に比べれば、それは取るに足りない些細なことである。『歴史見直しジヤーナル』代表で『論争』大好きな木村がもし筆者と論争をする気があるのなら、低次元な反論ではなくて、歴史改竄土義者の『業績』に全面依存せずに、1次資料(!)を根拠に自分の主張を証明すべきである。」と述べる。

  被告金子が右の「強制収容所の犠牲者に対する恥知らずな態度」というのは、強制収容所の犠牲者に対する「冒涜」という言辞と同趣旨のものであり、これに対する評価は前に述べたとおりである。

  また、被告金子が「低次元」というのは、原告個人の人格に関する言辞ではなく、原告の議論の有り様に対する論評であり、これに続く文脈から明らかなように、この部分における同被告の主張の根幹は、「1次資料を根拠に自分の主張をすべきである」との点にあるから、にれを全体的に評価すれば、原告に対する名誉毀損を問擬すべき事柄ではないというべきである。

(五)被告金子は、前記のとおり、原告に対し、6つの質問項目を立てて、これに答えるべき旨を催告し、「ガス室否定論者問題」を日本国内で解決したい旨を訴えた上、「だが、あくまでも『持論』の正当化を木村が試みようとするのなら、そして強制収容所の犠牲者・遺族・生還者たちをこれ以上侮辱・冒涜し続けるのなら、この問題を国際間題化する以外の方法しか私には残されていない。」という。

  原告は、右の強制収容所の犠牲者などに対する「侮辱・冒涜」の言辞が原告を誹謗・中傷するものである旨主張するけれども、この点についての評価は、前に述べたとおりである。

  また、被告金子は、原告が右の質問項日への明確な回答を提示できないとすれば、「『悪あがき』をいい加減にやめ(る)」ベきであるという。

 「悪あがき」とは、論争・論評などにおいて異説を唱える者や自己と立場を異にする者に対して用いられる常套語で、ここでは、その文脈からみて、「しても無駄であるのに『持論』の正当化を試みる」という意味を持つものと解され、原告個人の人格に対して向けられているものではないから、名誉毀損や侮辱を論ずるまでもないというべきである。

(六)被告金子が、本誌平成9年1月24日号の末尾に「『外国語、外来語のカタカナ表記は、慣用にこだわらず、原則として原音にちかよせる』のが木村の『主義』だそうだが、それでも原音に程遠いドイツ語人名だけは金子式カタカナ表記にした。」と述べたことに対して、原告が本誌編集部宛に反論を寄せ、その中で、カタカナ表記については、『慣用化した表記の一部を採用した』と慣用化したものを採用した旨述べたことは、前記のとおりである。

  被告金子は、右の原告の発言を捉えて、「言い逃れ」を試みていると評するけれども、甲第2号証によれば、原告は、もともと本書において「原音にちかよせるのが私の主義だが、本書では読みやすさを優先するために慣用化した表記を一部採用した」と述べており、右の反論においても同旨の主張を繰り返しているのであるから、被告金子が「言い逃れ」というのは当を得ていないと思われる。しかしながら、「言い逃れ」という言辞自体は、この種の論評において使用される限りにおいては、人格毀損性がさほど強度ではなく、被告金子の不法行為を問題にするには足りないというべきである。

(七)被告金子は、前記のとおり、本書において原告が用いているドイツ語の日本語表記を例に取り上げて、「ドイツ語のイロハも知らない」という。原告のドイツ語能力に関する右の評価が相当の根拠をもつものか否かは、俄に判定し難いが、この部分は、前記のとおり、原告が本誌編集部に宛てた本件講座に対する抗議の中で、被告金子を「傲慢も甚だしい」と詰ったことに同被告が反発した部分であって、厳密な意味での反対評論とはいえないけれども、これに準ずるものとして、社会適念上許容されるものというべきである。

(八)被告金子が本件講座で、原告が本書で参考・紹介している文献類は歴史改竄主義者やネオ・ナチと目される人物が著したものばかりである旨述べたことに対し、原告が本誌編集部に宛てた抗議文において「訂正と謝罪」を求めたこと、これに対して被告金子が、「しかし、その主張は埋由がない。自分の『化けの皮を剥いだ』相手を憎いと木村が思う気持ちはわからないでもない。私が怒っているのは、強制収容所の犠牲者とか、その遺族や生還者たちを木村が侮辱し冒涜する『主張』を繰り返している点にこそある。しかし、どのような罵倒の言葉を木村が私に浴びせようとも、少しも怒る気持にはなれない。それは、『負け大の遠吠え』にしか聞こえないからである。木村さん、くれぐれも早とちりをなさらないように。『犬』は木村さんを『形容した用語』ではありません。それに犬は歴史改竄などをしません。」と反論したことは、前記のとおりである。

(1)「化けの皮を剥いだ」あるいは「化けの皮が剥がれる」は、評論において反対説を論破したとする一方が用いる常套語であり、被告金子が右にいう言辞もそれ以上の意味を持たないと解される。やや過激な表現であることは否めないが、前記のような本件における諸般の事情にかんがみれば、社会通念に照らして、まだ許容し得るものというべきである。

(2)「負け犬の遠吠え」は、被告金子がわざわざ断りを入れているように、原告を形容したものではなく、この語の通常の用法の域を出ていないから、これを待段異とするに足りない。また、「大は歴史を改竄などしません」は、言わずもがなの言辞で、原告を揶揄する意図も感じられないではないが、少なくとも「犬」が原告を指すものでないことは明らかであり、名誉毀損・侮辱を構成するほどのものとはいえない。

(3)「強制収容所の儀牲者とか、その遺族や生還者たちを……侮辱し、冒涜する」という言辞の評価については、既に述べたとおりである。

(九)被告金子は、本件講座の締めくくりの部分で、前記のとおり、次のようにいう。「小論の論題に『レクイエム』の語を使っていることから、『いじめ教室』の『葬式ごっこ』を木村は連想したようだ。かつて完全に論破された「主張」をいまだに繰り返している人々を批判するには『レクイエム』以外の用語が思い浮かばないし、そのような人々はやはり醜い『ゾンビ』でしかない。『歴史見直しジャーナル』という刊行物を発行している木村は、その『頭脳的アクロバット』を同紙面で展開したらいかがなものだろうか。そうすれば『週刊金曜日』の読者は、木村などの『ガス室否定』論者たちの愚説から解放される。」

(1)「醜いゾンビ」という言辞の評価については、前に述べたとおりである。

(2)「頭脳的アクロバット」という言辞の意味は明確ではないが、おそらく、被告金子の立場からすれば、原告の見解は頭脳が曲芸をしているようなものだという意味であろう。これは、原告の「ガス室否定論」に対する論評であり、右の文脈で用いられるこの言辞には、格別の侮辱的意味を持たないとみるべきである。

(3)「愚説」は、やや辛辣な表現ではあるが、これも評論における常套語であり、本件においてもそれ以上の意味を持たず、これをもって名誉毀損や侮辱の成立を論ずるに足りないというべきである。


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