連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態 (15-3)
「ガス室」裁判 判決全文 7

1997.4.18. 提訴
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件

判決全文 7 理由の第一:前提となる事実(十四前半:1~3)

読みやすくするため、文字の色・大きさ等を変えています。

理由(続き)

第一:前提となる事実(続き)

十四 このように、本誌の「投書」欄及び「論争」欄を通じて梶村や原告の見解に対する意見・批判が交換される中で、本誌は、その平成8年9月13日号に「『朝日』と『文春』のための現代世界史講座」第2部として、井上文勝の「イスラエルからの風景(一)」と題する記事を掲載した。その後、この企画は休載となり、一旦途絶えていたが、平成8年2月末ないし2月初句ころ被告金子は被告会社に対し、右のような本誌における一連の議論で欠落している部分を補い原告に反論したいとの趣旨で、「『ガス室はなかつた』と唱える日本人に捧げるレクイエム」と題する原稿を持ち込んだ。

  被告の本誌編集部は、金子の右原稿を検討した結果、これを前記企画の第3部として取り上げることを決定した。かくして、右金子の原稿は、本誌の平成9年1月24日号から2月28日号まで計6回にわたって連載された(本件講座)。この連載記事の概要を各別に見ていくと、次のとおりである。

1 本誌(平成9年1月24日号……連載第1回)

(一)本稿は、その題名「『ガス室はなかった』と唱える日本人に捧げるレクイエム」をそのまま用いた原稿で、被告金子は、その冒頭で、「ナチス強制収容所における大量虐殺の否定、あるいはその犯行行為の矮小化を使命とする歴史改竄主義者(「歴史見直し論者」)について検討する前に、確認しておかなけれぱならないことがひとつある。とし、「それは、『法的・道徳的な追及を恐れたナチスがその関係書類を破棄し、被拘禁者の殲滅に関わる文献資料が残されていないため、アウシュヴィッツの犠牲者数を正確に算出することが不可能である』という国立アウシュヴイッツ博物館歴史部主任ピペルの指摘である。どれだけの無実の人間がナチスの強制収容所でその命を奪われたのか、それが『 400万人』なのか、それともより少なかつたのか多かったのか、そうした多い少いを論争してみてもそれは水掛け論に終わり、あまり生産的な議論になるとは思えない。」と述べる。

(二)以上のような前提を置いた上で、被告金子は、まず、内外の「歴史見直し論者」やその団体について紹介する。「アウシュヴィッツ絶滅収容所に『ガス室』や『死体焼却炉』などはなかった、『ホロコースト』もなかった、『チクロンBは殺虫剤で殺人用ではない』、大量殺戮があったかのごとき主張は『国際的ユダヤ人圧力団体』の政治宣伝に過ぎないなどと唱える歴央改竄主義者たちは、国際連携を保ちながら国際組織を形成している。アメリカ合衆国・ロサンジェルスで1979年に設立された『歴史修正研究所』(IHR)によって『歴央修正雑誌』という季刊誌が1980年に創刊された。世界近代史学会においてあたかもふたつの学派が公認されているかのような主張を、IHRはその疑似学術的な機関誌で繰り返している。すなわち、一方がホロコーストの存在を信じ、それを疑おうともしない『絶滅論者』、他方がその既存の説を『見直そう』とする『修正論者』であるというのだ。その路線上に登場したのが西岡昌紀論文「ナチ『ガス室』はなかった」(『マルコポーロ』1995年2月号 文芸春秋)である。『マルコポーロ』が廃刊に追い込まれてからの日本における『ガス室はなかった』論者の代表格は木村愛二だろう。」

  このように原告を紹介した上で、被告金子は、本書について、「一般の日本人読者がそれに気づくのは容易でないかもしれないので述べておくが、木村がその著作『アウシュヴイッツの争点』(リベルタ出版…1995年)で参考・紹介している文献類は、書名で『争点』と銘打たれているものの、歴史改竄主義者として世界的に高名な人物、あるいはネオ・ナチ(ナツィ)として公安警察のリストに載っているような人物が著した図書や雑誌論文ばかりである。『相手の組織や個人の思想、政治的立場などにいっさいとらわれず、可能なかぎりの関係資科、耳情報を収集して、比較検討、総合分析を心がけるのが主義』と木村がうそぶこうとも、木村の主張はネオ・ナチのそれといささかも変わるところがない。そのようなお粗末の内容のものであろうとも、木村の主張もいくらかの検討に値するだろう。」と述べる。被告金子によれぱ、原告の主張が「検討に値する」のは「1942年1月のヴァンゼー会議で決定された『ユダヤ人問題の最終解決策』(殲滅)があったのかなかったのか、またそれを遂行するための『ガス室』が存在したのか否かなどを論争しようと思うからでもなければ、木村などの歴史改竄主義者を『再教育』するためなどでもな」く、以下の3つの理由があるからであるとする。すなわち、「第1の理由は、『ガス室否定』論者の主張に含まれている具体的な誤りを明らかにし、そのいい加減さ、研究不足と偏向、つまりその非科学性と政治性を読著に知っていただこうとするためである。『ガス室否定』論者たちは、こぞつて『反ナチス』の立場だなどと主張して憚らないが、それは泥酔者が『自分はシラフ』だと主張するようなものであり、まやかしに過ぎない。第2の理由。強制収容所で虐殺された犠牲者やその遺族、また収容所生活を辛うじて生き延びることができたものの、いまだに何らかの後遺症を負い続けている元拘禁者(木村用語で「生き残り証人」)。これらの人々の心を深く傷つけ、侮辱し冒涜する主張を繰り返す歴史改竄主義者やネオ・ナチの存在そのものが、筆者の容認できる範囲を完全に超越しているため、その主張に内包する犯罪性や人権無視などを明示し、それを通して犠牲者の尊厳を復権しようとするためである。そして第3に、『ガス室否定』論が日本社会と全く無縁な異国の問題などでなく、日本の国内問題とも重複していることも示唆できるだろう。旧日本軍による諸々の残虐行為の否定・矮小化を試み、日本国による戦争責任と戦後責任を否認する『歴史認識』、自国至上主義的で反国際的な『自由主義史観』なるものを唱え、日本の若者に一面的な歴史教育を施そうと企てているアジテーターの論法と、『ガス室否定』論者の論法とが軌を一にしており、双方に密接な関連性があることも自ずと明らかになるであろう。」

(三)被告金子は、本稿の日的を以上のように措定し、次いで同被告がいう「歴史改竄主義者」の主張に見られる特徴点を挙げる。「第1の特徴は、強制収容所被拘禁者としてのユダヤ人のみしか眼中になく、そのユダヤ人犠牲者数をなるべく小さく抑えようと躍起になっていることにある。他方ユダヤ人以外の強制収容所被拘禁者たち(ロマ民族=〔ジブシー〕・戦争捕虜・障害者・政治犯・宗教犯・同性愛者など)の存在をことごとく無視している。その理由のひとつは、これらの論者たちが『ガス室神話』は第2次大戦後に『ユダヤ人国際組織』によって『捏造』されたものだと思い込んでおり、ユダヤ人、そしてイスラエル国家を『目の仇』にするユダヤ人排斥主義者でもあるからだろう。」

(四)なお、被告金子は、本稿の末尾に注意書き的に次のように書いている。「おことわり…『外国語、外来語のカタカナ表記は、慣用にこだわらず、原則として原音にちかよせる』のが木村の『主義』だそうだが、それでも原音に程遠いドイツ語人名だけは金子式カタカナ表記にした。」

2 本誌(平成9年1月31日号…連載第2回)

 被告金子の第2回の論稿は、本誌平成9年1月31日号に、「ガス室存在の明白な資料を無視する木村愛二」という副題の下に掲載された。

(一)本稿において、被告金子は、原告の著作である本書には、アウシュヴィッツとビルケナウ収容所における犠牲者の数に関して「研究資料改竄と一次資料無視」があると主張する。その前提として、被告金子は、次のように説明する。「アウシュヴイッツ収容所に関わるかなり初歩的なこと、つまりアウシュヴィッツへ連行された逮捕者に a『登録された被拘禁者』と、登録番号も与えられず収容者にもならない b『末登録の被連行者』の2種類があり、各地から列車で連行されてきた逮捕者が遅くとも1942年夏以降は収客所駅内のホームでまず〈選別〉され、一部の者は登録されることもなく直ちに『ガス室送り』となったことを木村はご存じないようである。もっとも、ビルケナウ収容所内の駅のホームで行われた被連行者の〈選別〉ばかりでなく、『ガス室』が設置される前段階においてさえ実行された、もう1つのタイプが〈選別〉にはあった。1度は被拘禁者として登録された者が、収容後に負傷したり罹病し、収容所内の『病棟』に隔離されれば、そこでSS医による定期「診察」(選別)を受けねばならなかった。そして労働力として『無価値』な存在と断定された病者・傷者は、フェノール注射などで虐殺された。1938年夏以降、強制収容所の本質的な目的は、被拘禁者の強制労働への投入にこそあり、ナチスにとって労働力として利用価値がないとされた人々は次々と抹殺されたのである。」。その上で、被告金子は、本書について、「『収客所内での死亡者の総数を、ピペルは約20万人と算定している』と木村は『紹介』しているものの、ピペルのドイツ語訳冊子のどこにもそのような箇所はない。木村の利用した英訳本を筆者は所有していなかったので、著者のピペル博士に送ってもらったが、木村の紹介するような文書はやはり含まれていない。『アウシュヴィッツ・ビルケナウヘ連行された130万5000人のうち、1940年から1945年の間に収容所内で命を失った者は 108万8200人、その端数を切り上げたそれに近い 110万人を犠牲者の最低値とする』というのがピペル研究の最終結論である。ピペルは『登録された被拘禁著』のみを20万人、『未登録の被連行者』を90万人と推計し、その総計110万人を犠牲者数としている。木村の紹介する『約20万人』という数は、ピベル研究の『登録された被連行者』数だけなのである。いかなる根拠をもって木村が『未登録の被連行者』を犠牲者数から除外したのかは不明だが、その真意は犠牲者数をなるべく少数に見せようとするところにあることは明らかだろう。『細工』(資料改竄)なしに自分の主張を維持できないところに『歴史見直し論者』の苦しい立場が表出されている。」と批判する。

(二)次に、被告金子は、本書が、アウシュヴイッツ収容所の「『ホロコースト』物語の『立証』は、もつぱら元収容所司令官のホェスの『告白』にたよってきた」、「1943年から1945年のことは、知らなくてもいいはずのホェスの『告白』のみが生きのこっている」などとしている点について、原告が「自らの研究不足を暴露している」ものであるとする。その理由は、「ホェッス(ホェス)がアウシュヴィッツ司令官であった時期は1940年5月4日から確かに1943年2月10日までであった。だが、1943年でホェッスとアウシュヴィッツとの縁が切れたわけではない。強制収容所を統轄するSSの「経済・管理本部」配属となったホェッスは、SS首領ヒムラ-によってハンガリー系ユダヤ人殲滅の責任者に任命され、1944年5月初句から7月末日まで、再度アウシュヴィッツ収容所へ舞い戻ってきた。」からであるという。

(三)さらに、被告金子は、アウシュヴイッツ収容所における犠牲者に関して、「アウシュヴィッツ収容所被拘禁者の毒ガスによる殺害に関わる証言をした元SS隊員は、なにもホェッスのみではない。敗戦後、刑務所の独房でホェッスが書いた『回想録』、あるいは戦犯裁判に関連した取調官による尋問調書でもなく、執筆者の完全なる自由意思で書かれているため、それらの資料よりもはるかに勝る『クレーマ目記』という一級資料がある。」、「1942年夏以降、『第3帝国』(ドイツ・オーストリア)・フランス・ベルギー・オランダ・ノルウェー・ポーランド・スロヴァキア・ギリシャ・イタリアなど各国の、また1944年5月初旬以降は主にハンガリーのユダヤ人が、続々とアウシュヴイッツへ連行されてきた。その全員が収容所への到着後すぐに〈選別〉され、労働力として『無価値』な人間、つまり病弱者・老人・妊婦・乳児、それに14歳末満の子どもなどは登録されることもなく、数百人から1000人を超える単位で直ちにガス室で殺された。」と指摘した上で、「各地から連行されてきたユダヤ人を含む被連行者全員が被拘禁者になったわけではない上に、その一部が登録もされず、到着後直ちにガス室で虐殺された史実を、アウシュヴィッツ収容所関連や戦犯裁判関連の基礎資料も読まずして真っ向から否定しようとするデマゴーグたちと『論争』しても、まったく意味をなさないと筆者は考える。」という。

(四)このほかに、被告金子は本稿において、本書における原告の歴史資料の用い方やその評価の仕方に疑問を呈している。

(1) その第1は、原告が「原資料に必ずあたるべき」という歴史資料の使い方の基本を無視しているとする点である。「自分は『専門の歴史家でない』などの言い逃れは、自書を発表する以上通用しない。最初のアウシュヴィッツ収容所司令官であつたホェッス・ルドルフは、1946年3月2日夜中にイギリス軍のMPによって逮捕され、そこから刑務所へ連行、そこで尋問を受けた。5月にホェッスの身柄はポーランドの刑務所に移されたが、刑務所で彼は『回想録』を書いている。その『回想録』のホェッスが逮捕後に尋問を受ける個所の英訳本と日本語訳本とを木村は対比し、英訳に含まれている『重要な文章』、自白は『わたしをなぐってえたもの』が日本語訳で欠けていることを指摘し、そこから直ちに『ドイツ語の原文があやしい』との結論に達している。AとBの比較からCが誤っているとの結論を導き出すという信じ難い『論理』である。」

(2) その第2は、原告には「資料批判」という姿勢が見られないとする点である。「アウシュヴイッツ収容所の最後の司令官の名を突き止めるのに木村はかなり苦労をしたようだが」、これが「ベアーであったことがようやく判明してからも、木村はそのベアーの『ガス室を見たことはないし、そんなものが1つでも存在するなどということも知らなかった』との証言、被告としては当然ともいうべき証言を紹介するに留めている。そして、それを『ガス室はなかった』とする根拠のひとつに挙げている。自らを防御することが最大の関心事であったはずの、被告となった元加害者による証言にどれだけの資料的価値があるというのだろうか。『資料批判』なる用語は木村にとって未知の語彙に属するようだ。同じもの(証言)を異なる2つの尺度で計り、1方で元被害者(生き残り証人)の証言を徹底的に疑間視し、他方で元加害者の証言なら疑いもせずに『鵜呑み』にするところに、木村の『客観性』のなさがまざまざと示されている。そのような姿勢、元被害者の証言に含まれている些細な誤りを探し出し、鬼の首でも取ったかのように被害者証言を全面否定しようとするのは、どうやら歴史改竄主義者たちの常套手段のようである。元被害者の証言であればそれを疑おうともせず絶対視するような非学間的立場はとらない筆者は、それらの論者よりも少なくとも公平だと自負している。過酷体験が、それを蒙った当事者の記憶におよぼす心理的影響があることは当然であり、その結果、元被害者の証言や体験記に、誤りや思い違いや不正確な個所が含まれていることはむしろ当然だと考える。もっとも、上述の『ガス室を見たことはない』というベアー証言についての言及がある著作として木村が利用しているのが、クリストファーセンという怪しげな老人の書いたものであることを考えると、その信憑性そのものを疑わずにはいられない。」

3 本誌(平成9年2月7日号…連載第3回)

 被告金子の第3回日の論稿は、本誌の平成9年2月7日号に「ソ連人捕虜」の大量虐殺死体焼却をさせられたユダヤ人たちもガス室ゆき」という副題を付して掲載された。

 本稿で金子は、原告が本書において、「ナチス・ドイツのゲルマン民族最優秀説の狂気も、ユダヤ人迫害攻策もあきらかな歴史的事実である」とは認めつつも、「ナチス・ドイツはユダヤ人を移住させる以外の政策を立てたことはない」との「歴史見直し論者」の主張を同時に紹介し、自らも「『絶滅計画』の証拠となるような公式文書は発見されていない」などと主張していることを捉えて、「社会共有の歴史認識となっていることを一応は認める振りをし、それをただちに打ち消そうとするのが歴史改竄主義者など煽動者たちの論法に見られる常套手段である。『すべての歴史資科の確認が重要であろうが、わたしの立場は、専門の歴史家とジヤーナリストまたはジヤーナリズムへの問題提起である』ときわめて無責任で思い上がったことも木村は平然と言ってのける。基本的な歴史資料を無視して『問題提起』などができるとでも思っているのだろうか。それは取材もせずに記事を書こうとするジヤーナリストのようなものである。」と批判する。そして、「そのようなディレッタント的『立場』の木村を相手にしても仕方がないのだが」としつつ、「殲滅計画を裏付けるナチス文書いくつかを紹介しておく。」として、次のような指摘をする。

(一)歴史見直し論者の主張は、SS首領のヒムラーが、既に1940年10月ユダヤ人の移住を全面禁止した史実、同年同月、ゲシュタポ(秘密国家警察)がベルギーとフランス両国に「ユダヤ人移住禁止令」を発したことなどを無視している。

(二)ヒトラーが1939年9月に、「治癒不能な病人」に「慈悲死」を施す旨を指示した文書がある。これに即して、精神障害者などに対して毒ガスによる安楽死が実施されたが、その史実はユダヤ人殲滅の準備段階として捉えられるべきである。

(三)元親衛隊判事のウイーベック・ゲルハートは、フランクフルト地裁のアウシユヴィッツ裁判(1963年12月から1965年8月)において、「ユダヤ人殲滅はヒットラーが口頭で命令したものだと聞かされました」と証言している。

(四)ナチス政権の国民啓発・宣伝相ゴェベルス・ヨーゼフは、1942年2月12日の日記に、「総統はョーロッパのユダヤ人を容赦なく片づける見解を再度表明した」と記している。

(五)ナチス・ドイツが新たにその領土に編入したポーランドの占領地、いわゆる総督府に第3帝国内に居住するユダヤ人を強制移住させる政策が1939年10月から実施されたが、その総督府の保安諜報部の責任者が、1941年7月に帝国保安本部第4課B4局(ユダヤ人問題担当)の長官アイヒマンに宛てた「ユダヤ人問題解決の考察」という文書がある。その中の1節に、「総てのユダヤ人に食料を与える可能性がこの冬にはなくなる。速やかな効果が期待できるなんらかの手段によって、労働能力を喪失したユダヤ人を処理することが最も人道的な解決方法なのではないかどうか、真剣に検討されるべきである。」と記載されている。

(六)総統ヒトラーに次ぐ権力者の国家元帥であるゲーリングが1939年10月末、帝国保安本部長官のハイドリッヒに宛てた「ドイツ勢力圏におけるユダヤ人問題総解決の準備」を指示した書簡がある。同書簡は、ニュールンベルグ裁判の証拠物件としても提出された重要な文書である。被告金子は、以上のような「証拠」を示した上で、「『ナチスがユダヤ人を移住させる以外の政策を立てたことはない』という主張も、絶滅を指示する『文書は発見されていない』などという主張も、ともに歴史資料に基づかないデマである。」とする。


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