『電波メディアの神話』(9-7)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.15

終章 送信者へのコペルニクス的展開の道 7

カレー県選出のフランス国民議会議員と恐怖政治

 ペインは独立戦争の最中にも戦争遂行のための資金援助をもとめてフランスを訪問した。その際には「賓客として迎えられ、貴顕紳士が列をなして、『コモン・センス』を持参し、署名を求められる」(同)。

 独立後におとずれたイギリスでもロンドンの社交界が扉をひらく。『コモン・センス』はいわば当時の国際的ベストセラーであった。ペインはしかし、イギリスの上流階級におもねったりはしなかった。まだまだ満足とはほどとおい。夢は世界革命にあったし、とりわけ故国イギリスにこそ念願の共和政治を実現したかった。そこでイギリスでも危険をおかして共和革命の思想をもりこんだ『人間の権利』第一部、第二部を出版する。最初は権力のすきをねらって少部数の上製本をだし、それをうけいれさせる。ころあいをみはからって廉価版を一万、二万、五万部。やはり三万部の海賊版がでた。だがやはり、名誉革命、ピューリタン革命と、二度の革命をのりこえた経験をもつイギリス王政の壁はあつかった。ペインを中心にあつまりつつあった非公然の組織には一斉に官憲の手がまわる。ペインは逮捕直前に忠告をうけいれて、革命がおきたばかりのフランスにのがれる。

 ドーヴァー海峡の対岸では「海峡名物の嵐」にもかかわらず「カレーの市民は、ほとんど総出でペインを歓迎した。軍楽隊が、ラ・マスセイエーズを、それからヤンキー・ドゥードルを演奏した」(同)。ペインはカレー選出のフランス国民議会議員にえらばれた。議会ではわれかえるような拍手喝采でむかえられる。だがフランスでも、間もなくジャコバンの恐怖政治がはじまる。ペインはいわゆる穏健派のジロンドにくわわっていた。フランス国王の処刑には反対した。ジャコバン独裁の時期には発言もままならない。パリ郊外で『理性の時代』を執筆中に反逆罪の名目で逮捕され、ながらく投獄の浮き目をみる。いつギロチン台にのぼるかもしれない獄中の恐怖のなかでも『理性の時代』の執筆をつづける。


(8)奴隷制大農園主・初代大統領ワシントンの背信