『電波メディアの神話』(9-5)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.15

終章 送信者へのコペルニクス的展開の道 5

民衆の側にたつプレスマン(印刷兼著述業)の伝統

 金属活字による印刷術の発明者については諸説がある。

 庄司浅水は『印刷文化史/印刷・造本・出版の歴史』で諸説を紹介し、「今日では」ドイツ人ヨハン・グーテンベルク(一四〇〇?~一四六八?)を「その発明者とするのは、だれも異存がない」としている。ただし、先駆的な金属活字が実在したらしいので、正確には母型から鋳造する金属活字の発明という方が正確なのかもしれない。いずれにしてもグーテンベルク以後、活版印刷が急速に発達し、普及し、現代につながっていることはたしかだ。

 活版印刷の発展は民衆の識字率をたかめ、ヨーロッパにおける中世の封建支配をゆるがしはじめた。庄司は、その当時の権力のうごきと「印刷者」の関係をつぎのようにしるしている。いささか長文になるが、近世の幕開けにおける言論の自由のありさまの要約として、そのまま引用させていただく。なお、「印刷者」は「プレスマン」の直訳である。現在も新聞記者の意味があるように、最初は印刷・兼・執筆または執筆・兼・印刷という実態だった。

 「まもなく、政府の当事者たちは、印刷術は人間の思考や行動に大きな影響を与え、新しい思想と信仰を伝えるのに大きな力を持つことを知り、この新しい表現様式によって革命が起こることを心配した。イギリスのある高官は『われわれは印刷機をこわしてしまわなければならぬ。さもなくば印刷機はわれわれを滅ぼしてしまうだろう』といい、国王や大臣や国会を批判する者を罰する法律を制定し、イギリス最高裁判所は『政府についてその善悪にかかわらず、いっさいの批判をゆるさず、もしこの禁を犯すものは耳を切り、舌を抜き、その他あらゆるごう問を加えて死罪に付すべし』というきつい達しを出した。

 しかし、そうした迫害にもかかわらず、印刷者は小さな印刷機をかかえて、その正しいと信ずるところを印刷しつづけた。かれらは『人は真理を知らば真理は人を自由にすべし』のことばを信じた。そのために多くの印刷者は笞刑に処せられ、首手かせ(罪人の首と 両手をはめて人前にさらしものとした昔の刑具)をかけられ、絞首台の露と消えることがあっても真実と信ずるものを出版した。ある印刷者は『諸君は非難され、投獄され、罪に問われ、絞首のうきめをみるかも知れない。しかし諸君が正しいと信ずる主張を公にすることは、諸君の権利であるというよりもむしろ義務である』といい、『われに二十六の鉛の兵隊あり、これをもって世界を征服せん』ともいった」

 もちろん、当時のすべてのプレスマンが、このような信念にもとづいて仕事をしていたわけではない。最初から単に生計をたてるための職業とこころえていたものもいれば、利潤追及と経営規模拡大にはしったものもいた。また、絶対王権をくつがえした近代が、結局は資本主義社会へと変貌していくにつれて、利潤追及派の方が主流となる。プレスマンは印刷工、記者、印刷会社の経営者、新聞社の経営者というように、人格を分裂させていく。


(6)市民トム・ペインと『コモン・センス』の時代