『電波メディアの神話』(4-2)

第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.6

第四章 権力を守護する象牙造りの
「学説公害」神殿 2

明治の元勲、伊藤博文以来の「学説公害」の実例

 参考のために実例をあげると、たとえば私は現在、湾岸戦争への九〇億ドル支出とPKO法・カンプチア出兵の双方で違憲訴訟の原告になっているが、そこで立証する「納税者基本権」に関しての講義をうけて、またまたあきれてしまった。ここでは、明治維新の元勲、伊藤博文(明治初年に大蔵少輔)の遺訓がいまだに生きている。「税金の使い方は行政の仕事であって、納税者には発言権がない」という趣旨の伊藤博文説が、税法の世界の「定説」として奉戴されつづけているというのだ。そのために、政府の税金のつかい方を違法だとする訴訟は、事実審理にはいる以前に、ことごとく窓口で棄却されてきた。

 裁判所がなぜ、このようなかびくさい「学説公害」の守護者になっているかというと、ここにもやはり人権後進国ニッポン特有の事情がある。裁判官は、ほんの一部の例外をのぞいて、すべて司法試験合格後は司法研修所にはいり、そのまま裁判所のみに勤務している。日本がまねたはずの欧米では、すくなくとも何年かの民間の弁護士経験をへたのちでなければ裁判官にはなれない。住民による選挙さえある。日本の裁判官だけが、いわば世間知らずの実務的な判断能力をかく学生あがりのまま、首相が任命権をにぎる最高裁のみに身分を保障され、強力な司法権限を行使しているのである。批判的な立場の専門家によると、日本の裁判官はほとんどすべて「無資格者」というべき状態であり、こんな「野蛮」な国は、いわゆる先進国の中では日本だけだそうだ。しかし、その方が、日本独特の封建制度に毛が生えた程度の、上意下達の高級官僚機構による権力支配の上では好都合なのである。

 さて、いささか横道にそれたようだが、裁判官とか法律家の世界とジャーナリズムの世界とが、どれほどちがっているだろうか。実際には、いわゆるジャーナリズム論をとりしきる象牙の塔の状態も、裁判官の世界とほとんど似たような官僚機構なのだ。


(3)当局見解に疑いをさしはさまない「封建的」学界