電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年3月

「ガス室の嘘」から逃げ回った日本の自称「言論の自由擁護」組織にここらで一喝

送信日時 : 2001年 3月 10日 土曜日 0:46 AM

件名 :私がネッツに参加した理由と現状の補足

 様々な御意見を頂きました。感謝します。またまた、短くしようと思っても、やはり、長くなりましたが、締めの一言として、お受け取り下さい。

 いずれ、わが人生の全体については、かなり早くから、(仮題)『傍迷惑一代記』をと予定もしておりますので、ここでは、とりあえず、私の電子手紙を巡る一連の騒ぎが、わが「憎まれ愚痴」的挑発に起因していることは確かであることを認めつつ、同時に、一連のメールの送信者の中には、私の文章だけでなく、「金子マーチィン」の文章も読んだと言われる方もいましたので、これを機会に、以下、簡略に、私がネッツに参加した理由と、それと深く関係する今度の騒ぎの発端となった挑発的な電子手紙の意味、および私の現状について、補足し、皆様の理解を求めます。詳しくは、わがホーム頁を御覧下さい。

 いきなり「金子マーチィン」と言われても、何のことか分からない人が多いでしょうが、彼は、イギリス人と日本人の混血で、オーストリアで大学に入り、日本女子大の教授となった経歴で、『週刊金曜日』に、私の著書、『アウシュヴィッツの争点』を題材として、私の「ガス室は嘘」論、または、ホロコーストはシオニストのパレスチナ侵略の口実としての謀略なりとする論に対して、6回でしたか、30頁ほど、ともかく、長い長い批判、私に言わせれば、誹謗中傷名誉毀損のデタラメを書き連ねました

『マルコポーロ』廃刊事件は、それ以前に起きています。広告主を脅迫するという日本では前代未聞の言論弾圧に対して、いかなる組織も、動こうとはしませんでした。問題が分からないからといって済まされる問題ではなかったのに、私に聞こうとする人も、特に「幹部」級には、ほとんどいませんでした。

 先に私は、ネッツ参加の理由について、個人的な要求によるというよりも、古い表現なら「公憤」とでもすべき面のみを強調してしまいましたが、その背後には、それらと一致する私個人の切実な要求、すなわち、上記の「ガス室は嘘」論に起因する様々な出版界の言論弾圧、執筆妨害、嫌がらせ、などなどに関する要求もあったのです。

 しかし、その要求は、もともと、なかなか理解頂けるものではなくて、私が良く知っている人でも、私の立場から率直に言えば、見て見ぬ振りか、迷惑そうにか、ともかく、相手にしたがらず、逃げ腰の人が多かったので、自分一人でも戦うと決意し、組織的には棚上げにしていたのです。

 もちろん、拙著の読者もいましたし、全国で100名ほどの「歴史見直し研究会」の会員もいましたが、会員の実情は、私の個人新聞、『歴史見直しジャーナリル』の定期購読者に止まっていました。

 ネッツへの参加の経過を具体的に言うと、私が参加を求める手紙を受け取ったのは、たまたま私が、上記の金子マーチィン記事に関して、彼個人、週刊金曜日の発行会社の金曜日その他を、東京地方裁判所に訴えざるを得ない状況に置かれていた時でした。私は、もとより、ネッツが私の個人的要求を取り上げてくれるとは考えていませんでした。それどころか、当時、出版労連の主流は、この問題で、私と対立関係にあったのです。

 しかし、私には、長い労働組合活動と労働争議の経験があります。それに比べれば、この「ガス室」闘争は遥かに楽なものです。私が自分の主張の正しさを確信しており、ほとんどの年嵩の役員が顔見知りの出版労連や、さらには同じ状況のマスコミ文化情報労組会議傘下の労組の組合員として、私が、労働組合運動の一角に再び姿を現わせば、誰も私を排除はできないと確信していましたし、それは事実、証明されました。

 続く問題は、私自身が、とかく特殊な問題の扱いをされやすい「ガス室の嘘」以外にも、特に自称平和主義者の日本人の当面の関心事に関して、かつて、それなりの評価を得た拙著、『湾岸報道に偽りあり』と同程度の資料収集、分析能力の保持状況を証明して、発言の足場を確保することでした。その一環が、ネッツでも「長いメールが多過ぎる」と受け取られる状況につながるのです。いわば、あらゆる戦略論で、禁じ手とされる「多方面作戦」の展開は、かなり大変なことでした。

 以後、4年、その間、『アウシュヴィッツの争点』と同主旨の訳書、『偽イスラエル政治神話』をも発表し、今月末からは、原著者のロジェ・ガロディも参加する「見直し論とシオニズム」会議が、「ガス室の嘘」の基本的な被害者、アラブ人の国のレバノンの首都、ベイルートで開かれるに至りました。

 遂にここまで来た国際的大運動に関して、まったくの無知、卑怯未練振りを晒け出してきた日本の自称「言論の自由擁護」組織に対して、私が、ここらで、一喝を加えるのは、当然のことです。それらの組織は、幹部(いや、患部か)総入れ替えを行い、ある者は、私の前に土下座して謝罪すべきなのであります。その一貫が、私が皮肉り、鍋島さんが反発したマスコミ文化情報労組会議の集会案内なのであります。

 鍋島さんが、以上の事情を十分にご存じかどうかは分かりません。私は、しかし、誰もが理解し難いことではあろうとも、以上のような経過に関して、最早、沈黙を守る気が、さらさらないばかりか、あらん限りの力を尽くして、「偽の友」一掃の戦いを繰り広げる決意を、さらにさらに、固め直しているのです。

 ああ、おそらく、また反発されるでしょうね。しかし、私の怒りは、そう簡単なものではないのです。いわば、長年の仲間に裏切られ続けた怒りなのですから。

 なお、その後に『噂の真相』から追放された本多勝一のような阿呆な言論詐欺師を別とすれば、私を個人的に知っている言論関係者は、私に対して、これまで、少なくとも攻撃的な態度は取っていません。上記の「土下座して謝罪すべき」患部は、私と面識のない下らない官僚ばかりです。この問題に関する私の全面的な勝利は、目前に迫っています。


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