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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第4章5

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第4章5) ヒエログリフ

 ドイツ人のベックは、工学博士であったが、製鉄の歴史を詳細に研究した。『鉄の歴史』の第1巻は、古代から中世までの範囲をとり扱っている。彼はヒエログリフをも学び、第1章に「エジプト」を設定した。そして、従来のオリエント起源説のあやまりを指摘し、つぎのように書いた。

 「エジプト人の碑銘や彫刻から、かれらのところでは、すでに第4王朝の第1代の王の時期に、鉄が使用されていたことを知る」(『鉄の歴史』、p.31)

 このベックの主張は、すでにピラミッドの壁やスフィンクスの足元から鉄製品が出土したことによって、証明されはじめたといってよいだろう。

 ところが、エジプト史学者は、このヒエログリフの解釈に反対しつづけてきた。なぜかというと、初期のヒエログリフには、「天の金属」と書いてあるから、鉱石からとりだした鉄ではなくて、天から降ってきた隕鉄を利用したのだという主張をくみ立てた。鉄の利用は、隕鉄にはじまるという説明は、また、ほとんどの歴史関係の本にも書いてある。  

 このような説明方法は、すでに、エジプト史研究の初期から行なわれていた。だからベックは、同時に、この隕鉄の利用の可能性についても、研究をしていた。ベックは、地上に落ちた隕鉄は、表面が酸化し、「褐鉄鉱の外観をもっているから、これを純鉄として認識することはむずかしい」、と指摘している。そして、実際に隕鉄を何種類も集めて、実験を行なった。その結果、隕鉄は、「石器では加工できないほど硬い」、という結論をえた。隕鉄のかたまりを、鉄のハンマーでたたくと、形は変わらず、コナゴナになってしまう、という実験結果もでている。 

 それゆえ、もし隕鉄を利用したとすれば、それは、金属を熱処理する方法が知られてからでなければならない、というのがベックの結論となった。この結論は、わたしにも非常に論理的に思える。また、この主張に対する技術的な反論は全く見出せなかった。むしろ逆に、隕鉄を最初に利用したという学説の矛盾が、はっきりしてきた。

 たとえば、イギリス人のフォーブスは、「隕鉄は、何世紀も前から知られていたけれども」、鉱石から鉄をとりだす方法は、エジプト人には知られていなかったという説明をしている。理由は、すでに紹介したように、鉄の冶金には高温が必要だということであった。ところが、ニッケル含有量の多い隕鉄、つまり、ニッケル鋼を加工するためにも、高温が必要なのだ。現在の技術では、焼入れに、820~870度Cを適当としている。しかし、古代の鉄の製法では、400~800度Cしか必要でなかった。つまり、鉱石から鉄をとりだす方が、ニッケル鋼の隕鉄の加工よりも低温でできた。明らかに、フォーブスの説明は、矛盾している。

 つぎにフォーブスは、古代エジプトで、ベンガラ(酸化第二鉄の赤い顔料)が使用されていたことを認めているが、これを、鉄鉱石の熱処理による製品だと考えていない。これも大変に矛盾した考え方である。現在では、硫化鉄鉱の熱処理によって、ベンガラがえられることがわかっている。また、ベンガラは自然にころがっているものではない。ベンガラを最初につくりだした民族は、鉄鉱石の熱処理を知っていたにきまっている。

 このように、古代エジプト人が、製鉄法を知らなかったという主張は、矛盾だらけである。しかし、古代エジプトの本拠地には、鉱石はほとんどなかった。鉱右を、農作物や家畜の野生種におきかえてみれば、これなしには鉄の発明は成立しない。

 では、鉄鉱石があり、しかも、鉄の発明の条件をもっていたのは、どこであろうか。

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