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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』序章5

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(序章5) ケメトの住民

 エジプト学者の加藤一朗は、古代エジプト人自身が、自分達の国とその他の地方をよんだ用語を、つぎのように説明している。

 「古代エジプト人は、自国を《ケメット》(黒い土地、ナイルの氾濫の及ぶ沖積地帯)とよび、《デシュレット》(赤い土地、砂漢)、《カセット》(高い土地、丘の彼方の外国)と対照させた」(『神王の誕生』/エジプト王朝の成立』、p.85)

 また、自分たち自身に対するよび名については、こう説明している。

 「エジプト人は、白分たちのことを表現する《レメッチ》(人びと)ということばを、決して異国人のためには用いなかった」(同前、p.91)

 エジプト人は、また、レムトゥ・ケメト(ケムトゥ)、すなわち、ケメトのひと、というように、自分たちをよんでいた。ほとんどのエジプト学者は、これを「黒い土地の人間」の意と解釈している。

 ところが、ディオプは、このケメトは決して、黒い土に由来する用語ではなく、黒い人間の形容だ、と主張している。

 エジプトの国名の起源を、土の色と関係させて論じたのは、『英雄伝』の著者、プルタルコス(46-120)の著作、『イシスとオシリス』(33章)が初めてであって、エジプト人自身の記録には、そんな理由を論じたものはない、という。そして、黒い人間についてこそ、この用語は使われている、ともいう(『黒色人文明の先行性』、p.57-59)。

 これも大変なくいちがいである。ディオプが、古代人の証言を列挙している中にも、エジプト(ギリシャ語で“黒い”に発するという)の国名の由来を、肌色に求めている例がある。プルタルコス以前、前1世紀のギリシャの哲学者、アポロドレスは『イナクスの家族』の章、2~3節で、つぎのように書いている。

 「エジプト人は、彼らの国を黒い足で征服し、その国を彼ら自身の呼び名にもとづいて、エジプトと命名した」(同前、p.37)

 この引用の紹介を含めて、こういう論旨を展開している本は、ディオプのもの以外には見当らなかった。だから、ここでは、ディオプの論理を追っていくしかない。しかし、これは非常に説得性があるといわねばならない。

 まず第1に、レムトゥ・ケメトという場合、ケメトは“黒い”という形容詞でしかない。土とか、土地とか、国土とかいう単語は含まれていない。黒い国土という場合には、ター・ケムトなどといっているようである。

 だから、レムトゥ・ケメトを直訳すれば、黒い人間、黒色人としかならない。これも、論埋的にはその通りである。

 さらに、ディオプは近代の例をあげる。

 「白アフリカ」、「黒アフリカ」というよび方は、白色人、黒色人の意味からでているのではなかろうか。たしかに、アラビア語の「ブレド・エッ・スダン」も、黒色人の国の意味であった。それは、土の色に由来したものではなかった。

 メラネシア(ギリシャ語のメラノから、黒い島々)というではないか。これもオセアニアの黒色人地帯の名称である。

 わたしもひとつ追加しておくと、「白人高地」(ホワイト・ハイランド)という例がある。ここは、ケニアの古くからの農地を、イギリス人が奪い、ヨーロッパ系入植者を屯田兵がわりにしたところである。土地は肥沃で、明らかに黒い。

 はたして、ケメトは「黒い人」であろうか、「黒い土」であろうか。この件については、まだ、結論的なことはいえない。しかし、この謎ときも面白そうだ。ディオプの著作、1955年の『黒色人国家と文化』に対しては、ヨーロッパ系学者による、いくつかの挙足取り的批評が眼についた。しかし、彼の引用している古代人の証言についての、まともな反論は見当らなかった。これもまことに残念なことである。

 ではこの点について、人類学者はどういう見解を示してきたのであろうか。

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