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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』序章1

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(序章1) はじめの驚異

 アフリカ大陸の歴史については、まず、学説のくいちがいの大きさに、おどろかざるをえない。

 もっとも大きなくいちがいは、古代エジプトの位置づけ方にはじまっているようだ。たとえば、ジャーナリストとして、アフリカ通の第一人者と言われるイギリス人のデヴィドソンは、つぎのように書いている。

 「王朝以前のエジプトから出土した約800の頭蓋――ナイル下流からのもの――の分析の示すところでは、少なくともその3分の1はニグロ、あるいはわれわれの知っているニグロの祖先であった。そして、このことから、今日のアフリカ人の遠い祖先は、古代エジプトの文明を生み出した住民のうちで重要な、おそらくは支配的な要素だったという見解(それは言語の研究からも若干の裏づけが得られる)が支持されるもののようである」(『古代アフリカの発見』p.11)

 人種差別問題を考える上でも、世界最古、最長の、古代エジプト文明の、「支配的な要素」をなしていた人々が、黒色人であったかどうかは、大変に重要だ。それゆえ、アフロ・アメリカ人の思想家、デュボイスや、歴史家のウッドソンなどは、意外に早くから、この点に着目していた。彼らは、パン・アフリカニズムとよばれる黒色人自身の歴史再発見、民族的自覚再確認の運動を起していた。

 黒色人歴史家たちが、古代エジプト黒色人説――かりにこう名づけておく――の重要な論拠のひとつとしたのは、ヘロドトス(前484?~425)の『歴史』における証言である。

 「歴史の父」といわれるヘロドトスの時代には、人種も民族も一緒くたに考えられていた。彼は3ヶ所で、エジプト人の人種形質にかかわる証言をしている。しかし、そのいずれも、他のことを論ずるための証拠として書かれており、とりたてて、エジプト人の人種形質を論じた部分はない。彼らにとっては、エジプト人の特徴はあまりにも明らかなことであったのだろう。そして、3ヶ所とも、エジプト人は、「黒い」人種として描かれている。とくに、黒海の南東郡にいたコルキス人を、エジプトの遠征軍の残留部隊だ、と論じている部分では、「色が黒く、髪が縮れていること」を、同一人種・民族と考える上での重要な論拠にしている。

 ところが、へロドトスその他の古代人の著作については、百も承知のはずの、ヨーロッパ、アメリカなどの学者は、古代エジプト人を「ハム系の白色人種」だといいはっている。そして、古代エジプト文明はオリエントからつたわった、と主張している。

 フランス人のシュレ=カナールは、彼らが、「暗黙の人種主義的偏見から古代エジプト人をなにがなんでも〈白人化〉しようとした」、と指摘する。しかし、このシュレ=カナール自身も、北アフリカ、エジプトを白色人種の地方、「白アフリカ」とする慣行にしたがっている。まさに複雑怪奇である。

 黒色人の当事者にとっては、大変に重要な問題で、こうもくいちがいがあっては、大論争にならざるを得ないだろう。そして、事実、この問題は、長い間の論争の焦点になっていた。

 ところが、残念なことに、日本語で出版されている本には、この問題――かりに古代エジプト黒白論争とする――を真正面から取扱ったものがない。それどころか、日本の学者が書いた本では、黒色人、つまりアフリカ人やアフロ・アメリカ人の主張を、全くとり上げていない。

 また、アフリカ全体に、謎の古代遺跡が沢山あり、巨大な石造の城があったこと、ダム、水道、潅漑工事もなされていたこと、アフリカが金属産業の中心地だったこと、鉄をはじめとする鉱山跡が数十万ヶ所もあることなどは、ほとんど紹介されていない。もちろん、そんな状態だから、アフリカの黒色人文明の評価は、まことに不充分で、まちがいだらけである。

 とくに残念なのは、古代エジプト史と、アフリカ史とが、相変わらず、全く切りはなされて、取扱われていることである。これは従来のヨーロッパ系の学者の、あやまった姿勢を、そのまま受け入れていることに他ならない。そこで、シロウトながら、だんだんと病みつきになってきたわたしは、的をしぼって、2人の学者の、最近の研究にもとづく原著をとりよせてみた。

 1人は、フランスで博士号をとったセネガルの黒色人学者、ディオプ、もう一人は、フランスのアフリカ史学界の最高権威の1人、コルヌヴァンである。

 この2人の本にも、相当なくいちがいがある。共通するのは、エジプトを含めて、アフリカ大陸全体の歴史を考えていることと、エジプト文明を、アフリカ大陸の民族自身による創造、として位置づける点である。この2人の著作で学びえたことは、また、さらに驚異的であった。

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