『亜空間通信』926号(2005/01/01) 阿修羅投稿を再録

NHK内に“青雲西湖会”数百人エビジョンも有力会員を指摘せぬ腰抜け朝日らグル・メディア批判

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『亜空間通信』926号(2005/01/01)
【NHK内に“青雲西湖会”数百人エビジョンも有力会員を指摘せぬ腰抜け朝日らグル・メディア批判】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 明けまして(2005/01/01)、まったく目出度くもなし、「正月は冥土の旅の一里塚」。しかし、年越しの週刊誌にも、NHKだの、エビジョンイルだのと、一応の目次があるから、大枚はたいて、買わざるを得ない。大晦日の雪の道で転ばぬように気を付けながら、そろりそろりと歩いて、コンビニで、3冊も買ってきた。

 どれもこれも、NHKが12月19日に生放送した「NHKに言いたい」への批判である。

 ところが、例えば『週刊朝日』、元・サンデー毎日編集長、現・テレヴィ・タレント、鳥越俊太郎の顔写真まで目次にあしらっているというのに、しかも、朝日・毎日といえば日本の代表的な大手メディアだというのに、このところのNHK醜聞のおおもとの問題点を、まるで追及していない

 「お茶濁し」、「ガス抜き」、「画龍点睛を欠く」、「九仞の功、一簣に欠く」などともというが、肝心要の問題点が抜けていては、見出しだけ、NHK検証番組、鳥越俊太郎氏らが激白、「お粗末、あれでは『会長が言いたい』だ!」などと、シロ抜きゴシック大文字、言葉ばかり力んでも、こちらは気が抜けるだけである。紙の無駄である。環境破壊以外の何物でもない。

 私は、紅白歌合戦チーフ・プロデューサーの醜聞報道を知った直後(2004/07/24)に、その「おおもとの問題点」に関する通信を発している。

 以下の『亜空間通信』834号に記した「西湖会」のことである。悪党の集まりの政党にも、派閥、主流派、反主流派などがあるが、NHKにも、フリーメーソンやら、世界シオニスト機構やら、公明党の背後の創価学会のような、悪の中核、実質的な司令部が存在するのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku834.html
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1033.html
『亜空間通信』834号(2004/07/24)
【イラク派兵中の日本で政府「有事指定公共機関」NHK懲戒免職職員が象徴するメディア権力の恐怖】

[中略]

 昼寝をしようとした途端、電話が掛かってきた。

 仕方なしに出ると、旧知の某週刊誌の記者で、NHKに関する質問である。自宅で取っている唯一の日刊紙、日経の朝刊にも、「NHK」「プロデューサー懲戒免職「紅白など制作費」「4800万円不正支出」の4段見出しの記事があった。

 [中略]

「横領」の事実を告発された磯野克巳氏とは、一体いかなる人物なのか。

 海老沢勝二会長と同郷の茨城県出身。局内でコネ採用と言われる長期臨時要員採用枠で、昭和55年に入局した。

[中略]

 某週刊誌の記者は、『NHK腐蝕研究』の著者である私に、いきなり、「西湖会」を知っているか、と聞いたのである。彼は、おそらく、NHKの職員からであろう、「橋本登美三郎の後援会、西湖会で、磯野克巳は海老沢勝二と知り合って、そのコネでNHKに入った」という情報を得て、それを調べていたのである。

 そこで、橋本登美三郎と後援会の鍵言葉で、電網検索すると、以下が出てきた。(以下、割愛するが、興味のある方は、わが電網宝庫と阿修羅掲示板の上記のURLを訪問されたい)

[後略]

 大手メディアが、まったく知らないわけではない。次は、別途の電網報道の例である。

http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/special/040909.html
報道STATION -特集-

NHKのドン 海老沢勝二会長とは? 9月9日 放送
一連の不祥事にゆれるNHK。そのトップに君臨し続ける海老沢勝二会長とはどんな人物なのか?

1934年、茨城県潮来町に生まれた海老沢氏。父親は佐藤内閣時に官房長官をしていた、橋本登美三郎氏の後援会長をしていた。

故橋本氏は、NHK設立に尽力し、NHKの生みの親ともいわれた人物。この橋本氏との出会いが海老沢氏に大きな影響を与えたという。

海老沢氏は早稲田大学卒業後、1957年NHKに入局。地方局勤務の後、政治部に配属。当時、時事通信記者として海老沢会長と仕事仲間だった増山栄太郎氏は、「特ダネを抜くというタイプではなく、腰が低く挨拶の時も笑顔を絶やさず、好感の持てる感じがしていた」と当時の印象を振り返る。

そんな海老沢氏の転機となったのが、1964年の佐藤内閣誕生。親交のあった橋本氏は官房長官に就任、海老沢氏は、縁の深い、橋本氏の番記者となった。

増山氏は「橋本さんを通じて自民党の郵政族の人脈を広げていった。NHKの中で出世コースへの糸口になったんじゃないか」と言う。事実、時の最大派閥、佐藤派、その流れを汲む田中派の中で、海老沢氏は太く強靭な人脈を築きあげて行き、1989年、NHK理事に就任。

当時のNHK会長は、海老沢氏の政治部直属の上司だった、故・島桂次氏。

元同僚は「島さんは海老沢さんの政治力を評価していた。島さんは海老沢さんの協力を得て会長になったが、会長になった後、海老沢さんはいらなくなった」

政治力を恐れられたのか、海老沢氏は突然、理事職を終われ、関連会社に異動。しかし、異動から3ヵ月後、島会長が放送衛星打ち上げ事故に際し国会虚偽答弁により引責辞任。まもなく海老沢氏は理事に復帰し、1997年、会長に就任。以来、7年間、三期に渡り、NHKのトップの座に君臨し続ける。

海老沢氏を取材してきたジャーナリスト・上杉隆氏は、現体制の問題点を指摘する。「側近は情報を上げる仕事しかしていない。よい情報は上げるが悪い情報はあげない。島さんの恐怖政治を見てきているので、自分を守る裏切らない人間を集めている」。

元紅白プロデューサーを内部告発した人は、関連会社へ異動。

他にも不正を告発した後、退職した人もいるという。

元同僚は「こんな事しちゃいけない、と言った人は、今、NHKにいない」と、現状の問題点を指摘する。

 しかし、ここでも、「橋本登美三郎氏の後援会」としながらも、「西湖会」という固有の名称を出していない。創価学会を単に宗教団体としか表現しないようなことである

 以下は、橋本登美三郎に関する簡略な電網人名事典の記事である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E7%99%BB%E7%BE%8E%E4%B8%89%E9%83%8E
橋本登美三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

橋本登美三郎(はしもと とみさぶろう 明治34年(1901年)3月5日~平成元年(1989年)1月19日)は、昭和時代の政治家、衆議院議員。ロッキード事件で有罪となった。

明治34年(1901年)3月5日、茨城県行方郡潮来町の回送問屋の家に生まれる。最初、父は「三郎」という名を考えていたが、親戚が生まれた子供に三郎と名づけたので、母親の名前をつけて「登美三郎」と命名したという。旧制佐原中学から、早稲田大学政経学部に入学。在学中は雄弁会に所属し、闘将と称された。昭和2年(1927年)大学卒業後、朝日新聞社に入社する。満州に特派員として派遣されたのを皮切りに中国で活躍する。南京に日本軍が入場した際、記者15人ほどを引き連れて、一番乗りしたことで有名である(南京事件については、疑問視している証言をしている)。外信部長、東亜部長を歴任し、終戦の昭和20年(1945年)に退社した。

昭和21年(1946年)、衆議院議員総選挙に出馬するが落選。地元潮来町の町長に選ばれる。昭和22年の総選挙に再度出馬するが落選。昭和24年(1949年)に茨城1区(当時)から総選挙に立候補し、三度目の正直で最高点を得票し、当選する。当選後、主に郵政関係、特に電気通信関係の族議員となる。昭和35年(1960年)第一次池田勇人内閣の建設大臣兼首都圏整備委員会委員長として初入閣。佐藤栄作の側近として、田中角栄、保利茂、愛知揆一、松野頼三とともに「佐藤派五奉行」の一翼を占める。昭和39年(1964年)佐藤内閣が発足し、内閣官房長官、建設大臣、運輸大臣、自民党総務会長を歴任する。佐藤退陣を受けての角福戦争では田中陣営の大幹部として、総裁選挙で田中角栄を擁立する。田中内閣成立をうけて、自民党幹事長に就任。政権の大番頭として田中を支える。二階堂進と交代する。

昭和51年(1976年)8月21日 ロッキード事件丸紅ルートで、運輸大臣在任中に500万円を受け取ったとされ、東京地検特捜部に受託収賄容疑で逮捕される。
判決を受けて控訴。
平成元年(1989年)1月19日死去。88歳。
[後略]

 以下は、わが電網宝庫で無料公開中、1981年10月1日発行、絶版、目下、木村書店から改訂新版発行準備中の拙著、『NHK腐蝕研究』の関連箇所抜粋である。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-5-2.html
電網木村書店 Web無料公開『NHK腐蝕研究』
第五章 NHK《官廷》の華麗なる陰謀を撃つ
(5-2) NHK利権山脈・人脈の数々

[中略]

 もうひとつの有力な“政治利権”は、NHKそのものへの就職斡旋である。これが“票田”に結びつくこと、タコの足の如しといわれる。KDDのコネ就職も有名になったが、そのKDD社長として高名をとどろかせた板野学については、『人事興信録』を引いて、「二男は昭和二十八年生れ、NHK勤務」(『テレビ腐蝕検証』)といった例が紹介されている。しかも、これらに地方名士との電波免許の裏取引さえからむのだから、“主権者”は踏んだりけったりだ。

 NHKの職員数は、一九五五年には約八千五百人。それがいまでは約一万七千人。退職者の補充を考慮に入れると、一万人以上は確実に新規採用。しかも、これだけではコネをまかない切れず、ほかにも“臨時職員”が潜りこんでいるというから、大変な数になる。

 それらの金脈、人脈の利権連峰のなかでも、とりわけ目立ったのが、空飛ぶ汚職兵器のロッキード事件で“灰色高官”の名をほしいままにした“トミさん”こと橋本登美三郎。元朝日新聞記者で、奥方は元NHKアナウンサーである。NHK内に“青雲西湖会”数百人の後援会を持ち、永らく利権吸い上げと番組操作のパイプ役を果たしてきた。そのトミさんもついに落選。となれば当然、目白の闇将軍の鼻息をうかがいつつ、まずはポスト橋本への立候補者が先陣争いを始める。

[後略]

 いかがかな、大手メディアの諸氏、わが電網宝庫を少しでも覗けば、これぐらいのことは、すぐに分かるのじゃよ。

 以上。


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