『亜空間通信』843号(2004/07/31) 阿修羅投稿を再録

好戦でっち上げ100人斬り記事の護持で生き恥さらす毎日新聞ほかのメディア関係者は日本の恥

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『亜空間通信』843号(2004/07/31)
【好戦でっち上げ100人斬り記事の護持で生き恥さらす毎日新聞ほかのメディア関係者は日本の恥】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

「戦争の最初の犠牲者は真実」である。イラク「戦争」の嘘は限りないが、「戦場の美談」、ジェシカ・リンチ上等兵の救出でっち上げは、すぐにばれた。

 アメリカの大手メディアも酷いが、日本の大手メディアも、良い勝負である。いや、日持ちの良さでは、67年間の持続ともなれば、国際記録保持者なのかもしれない。年数の計算が簡単なのは、わが生まれ年の事件だからである。

 1937年、日本軍の南京攻略戦で、現在は併合されて毎日新聞の東京本社になっている東京日日新聞が、「百人斬り競争」のでっち上げ記事を連載した

 この件は、実に根の深い問題だが、わが電網宝庫の以下の特集リンクに、簡略に掲載されている。興味のある方は、関係箇所を参照されたい。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-series.html
本多勝一"噂の真相"同時進行版
(以下は「最新」掲示の部分のみ)

731号(2004/02/03)【英BBCケリー事件逆転の先例に米CBSヴェトナム嘘報道攻撃先例あり日本で朝日新聞実質敗訴快報】

648号(2003/08/15)【8.15は敗戦・戦犯・靖国避けて通れず左右に憎まれ愚痴「百人斬り」言論詐欺批判】

624号(2003/07/08)【南京攻略百人斬り虚報記事謝罪要求事件の第1回口頭弁論に百を超す傍聴希望者】

611号(2003/06/09)【南京攻略「百人斬り」記事謝罪広告請求事件の第1回口頭弁論は奇しくも7月7日】

593号(2003/05/08)【従軍戦意高揚虚構記事の先輩日本で毎日・朝日・本多勝一を遺族提訴の卑劣報道】
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 この件で、裁判の進展があったのだが、このところの超多忙状況で、発売日が7月15日の『週刊新潮』の記事の紹介が、半月遅れた。

 この記事で重要なのは、「今年91歳になる車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した」ことも、さることながら、当の毎日新聞自身が、平成元年に発行した「昭和史全記録」の中の南京関連の項目で、「100人斬りは事実無根だった」とはっきり記述している、との記述があることである。

 私は、この「老人」「佐藤振壽」元写真報道班記者の同趣旨の証言を、産経新聞記事で知っていた。それだけでも、毎日新聞は「降参」すべきであると考えて、同紙の広報部に電話したが、応じなかった。

 私には、毎日新聞の「お守り」をする義理はないから、「昭和史全記録」の記述のことは、この『週刊新潮』記事で、初めて知った。

 呆れたことだが、毎日新聞は、往生際が悪すぎるのである。

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週刊新潮 7月22日号 58-60頁

[特集]南京大虐殺『100人斬り訴訟』が暴いた
大新聞の「歴史的ウソ

写真説明:今も記念館に展示される“100人斬り”
向井(右)、野田両少尉と処刑直前に撮影された写真
現在の佐藤氏と従軍当時(中央。右端は従軍していた大宅壮一氏)

 南京大虐殺の象徴として、今でもことあるごとに引き合いに出されるのが、日本兵による『100人斬り』である。大新聞が盛んに喧伝した、その「歴史的ウソ」が法廷で暴かれようとしている。創作された記事がもとで、戦犯として銃殺刑に処せられた日本兵の遺族が、昨年名誉回復を求めて提訴。裁判は山場を迎えた。

 7月12日、東京地裁第103号法廷で開かれた民事訴訟に、車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した。佐藤振壽氏。大正2年生まれであるから、今年91歳になる。

 佐藤氏は、日中戦争が中国全土に拡大していく最中、昭和12年9月から12月まで、東京日日新聞(現在の毎日新聞)のカメラマンとして上海、南京戦線に従軍した。南京陥落が12月13日。いまや当時を知る数少ない貴重な証言者といえるだろう。佐藤氏は、巷間伝わる「100人斬り競争」などなかったことを証言するために、この日の法廷に立った。

 南京攻略に向かう戦闘で、中国兵を競って斬ったとされるのが、向井敏明少尉(26)“当時”と野田毅少尉(25)“同”である。

 当時の東京日日新聞が、昭和12年11月30日付の紙面を皮切りに、4回にわたって武勇伝としてそのニュースを伝えたことが発端だった。第1報のほんのさわりを紹介しておく。

「まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に『百人斬り競争』を企てた二名の青年将校がある。無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ。(略)銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀『関の孫六』を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る」

 まさに当時の新聞が、戦意高揚のための紙面作りを競っていたことの典型だろう。この記事が災いした。戦後、昭和46年に本多勝一氏が朝日新聞に掲載した『中国の旅』と題するルポの中で、日本兵による残虐行為として断罪したことから世に広まったのである。

 現在でも、中国各地にある抗日記念館には、「南京大虐殺」の象徴として、当時の新聞紙面と、向井、野田両少尉の写真が大きく展示されている。

 向井、野田両少尉は、昭和22年12月、中国の法廷で戦犯として裁かれ、翌月に銃殺刑に処せられた。その判決の最大の根拠が、当時の東京日日新聞の記事だったのだ。だが、その記事自体が虚構であったとしたら、2人の少尉は新聞報道によって殺されたことになる

 これまでにも、研究者によって「100人斬り」などなかったことがたびたび論証されてきた。しかし今回の裁判は、昨年4月、向井、野田両少尉の遺族が、記事の訂正など名誉回復を求めて、毎日新聞と朝日新聞、本多勝一氏などを相手取って提訴したものである。遺族は、長い間、筆舌に尽くしがたい苦労を味わってきた。

「訴訟という形になればいいなと思っていましたが、公務員という仕事をしていましたし、お金もかかるので無理だと思っていました」

 と、原告の1人である向井少尉の次女の千恵子さん(63)は話す。彼女は、成田市役所に勤務し、課長、図書館長を歴任して平成13年に退職した。

「父のことで、“戦犯の子供”と言われ続けて生きてきました。ことに本多勝一さんの連載が始まり、父たちのことを“殺人鬼”として登場させて以来、職場や家庭でも影響を受けました。夫からも、“お前は人殺しの娘だ”と言われるようになり、毎晩のように口論になりました。それがもとで離婚することになったのです。図書館の戦争コーナーには、左翼系の本ばかり置いてあります。このままにしてはおけない、という思いから、本格的に父のことで活動を始めるようになった。そもそも毎日新聞が訂正しなかったために、孫引きでいろいろなことを書く人が出てきてしまったのです」

 野田少尉の妹で、鹿児島県下に住む野田マサさん(75)もこう話す。

「向井さんに誘われて、私も訴訟に参加することにしました。一昨年、ちょうど向井さんが訪ねてこられる直前に、鹿児島で新聞やテレビ、教職員組合の後援で南京大虐殺の展示会が開かれたんです。娘が行きまして、主催者に会いたいとお願いしたら、“平和教育のためにやっているんだ”と言われたそうです。兄の写真も飾られていたみたいです。毎日と朝日には間違いを認めてほしい。南京の兄の写真も撤去してもらいたいと思います」

 支援組織もできたことで、遺族はようやく訴訟にこぎつけた。戦後、半世紀以上を経た今日でも、遺族にとっては重くのしかかる問題だったのである。

「ホラ話を書いた」

 問題の東京日日新聞に掲載された向井、野田両少尉の写真は、そもそも佐藤氏が撮影したものだった。記事を執筆したのは、浅海一男記者(戦後、毎日新聞労組委員長。退職後、中国問題評論家。故人)。佐藤氏と浅海記者は、南京攻略の途上、常州に一番乗りした第16師団の片桐部隊と合流する。そこで向井、野田両少尉と出会った際の様子を、佐藤氏はこう振り返る。

「浅海から“将校が2人いるんだけど、タバコを切らしているんでやってくれ”と言われたのです。私は、上海で買い込んでおいたタバコを彼等にあげました。その時に、浅海から、“これから南京に入るんだけど、100人斬るんだって。だから写真を撮ってやってくれ”と言われたのです。それで2人に、“どうやって100人斬るんだ。まさかチャンバラじゃないだろう?”と聞くと、“白兵戦をやるから”と言うのです。“誰が証明するんだ?”と聞くと、“私の当番兵が勘定する”と説明したのです」

 しかし、佐藤氏は2人の話を信用しなかったという。

「野田さんは大隊副官で、向井さんは歩兵砲の小隊長でした。2人とも兵を指揮する役職ですから、刀を振り回して白兵戦に参加することはありえない。私は最初からホラ話だと思って、たいして気にもとめていなかったのです。その後、2人には会っていませんが、2人が所属していた冨山大隊には何度も行きました。そこの兵隊から100人斬りの話は聞いたことがありませんでした」

 佐藤氏が両少尉に会った時点では、まだ競争は始まっていない。しかし第1報ではすでに何十人も斬ったことになっているのである。

 佐藤氏は、まさかホラ話が記事になるとは思っていなかったという。

「前線にいると内地の新聞は来ません。その後、上海に引き揚げた時に、支局でバックナンバーを見ていて記事に気がつきました。“あいつ、ホラ話、書きやがったな”と思いましたよ」

 そしてこう懺悔する。

「南京大虐殺記念館では私の写真を勝手に使っている。南京軍事裁判でも、人定尋問で私の写真が使われた。記事はウソでも写真は本人に間違いないですからね。その新聞がもとで銃殺されてしまって遺族の方には申し訳ないと思います。私が今回証人として出ることにしたのは、遺族への謝罪の気持ちと、真実をはっきりさせなければならないと思ったからです。陸軍省は、ホラ話でも、戦意高揚のために都合のいい話だから検閲を通してしまったんですよ」

米軍の取調べでは釈放に

 浅海記者は、100人斬りの現場を目撃して記事を書いたわけではない。

 先の向井千恵子さんは、

「父が死んだ理由を聞かされたのは小学校3、4年生の時です。祖母は100人斬りについて、父から“食後の冗談で言っていた全くのホラ話だよ”と聞かされていたと言いました」

 と語るが、佐藤氏の証言を裏付ける話はいくつもある。後に野田少尉の遺品の中から、当時、浅海記者との取材のやり取りを詳細に記録した手記が発見されている。それを読む限りでは、野田少尉が持参していた刀で何人斬れるか、といった雑談から、浅海記者のアイデイアで、100人斬りの武勇伝が生まれた様子がうかがえる。確かに、その場で100人斬りの話題にはなったのだろう。少尉も大言壮語したと思われる。とはいえ、事実かどうかも確認せずに送稿したのだから、明らかに創作である。

 さらに、向井少尉は南京で裁判を受ける前に、東京でも取調べを受けているが、この時には釈放されている。

 南京事件に詳しい評論家の小堀桂一郎氏はいう。

「南京戦は近代戦で、銃撃戦ですから刀を振るって100人も斬るなんてことはありえない。戦後まもなくB、C級戦犯を裁く目的で、2人は米軍によって取調べを受けていますが、米軍だって近代戦とわかっているから、事情を聞いてすぐ釈放したのです」

 今回の裁判では、新たな証拠が提出される予定である。裁判を支援しているジャーナリストの水間政憲氏はいう。

「南京攻略では、武勲のあった兵士に金鵄勲章が授与されました。仮に戦闘行為で100人斬ったことが事実なら、最高の武勲として記録されているはずです。しかし実際には、記録を調べてみても2人とも受章していません。つまりそもそも100人斬りなどなかったということになるのです」

 被告側は非を認めていない。毎日新聞は裁判の中で、「適正に取材し、かつ正確に記録したもので記事は真実である。他者が誤って引用したとしても、それは今の毎日の責任ではない」

 と主張している。だが、当の毎日新聞自身が、平成元年に発行した「昭和史全記録」の中の南京関連の項目で、「100人斬りは事実無根だった」とはっきり記述しているのだから、その矛盾をどう説明するのか。また、朝日新聞も後に単行本となった本多勝一氏の連載について、

「60数年も前の新聞記事の記載を歴史上のものとして紹介したものであり、また、当該行為を当時の戦場でありがちだったものであると論評したものである。したがって、同記述によって両少尉の子や兄弟が社会的に非難されることになるとは、通常考えられない」(準備書面)

 と主張するのである。

 報道被害を訴える大新聞が、自社の「歴史的ウソ」には頬被りするつもりか
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 私は、今回も、毎日新聞の広報に電話して、これでも訂正せず、遺族に詫びなければ、私が、「日本人として恥ずかしい」から、小泉レイプ事件のように提訴すると通告した。

 編集綱領制定の記念日もある毎日新聞の労組も、何しちょるのか、好い加減にせい、甘ったれるなよな!

 以上。


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