『亜空間通信』631号(2003/07/21) 阿修羅投稿を再録

BBC・ケリーvsワシントンポスト・エルズバーグ両博士の英米メディア報道歴史的勝負

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『亜空間通信』631号(2003/07/21)
【BBC・ケリーvsワシントンポスト・エルズバーグ両博士の英米メディア報道歴史的勝負!】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 私は、本日(2003/07/21)から数えると3日前に、以下の緊急投稿を発した。英文は冒頭のみを再録し、リンクを示すのみとする。本通信で指摘する問題点は、なぜ即座に、「大変な国際ミステリーなり」と判断できたかである。

---------- 引用ここから ----------
英ガーディアン最新:英政府がイラク情報粉飾とBBCに語ったらしいケリー博士が散歩に出て行方不明。こりゃあ、大変な国際ミステリーなり。
http://www.asyura.com/0306/war37/msg/179.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 7 月 18 日 18:53:45:

英ガーディアン最新:英政府がイラク情報粉飾とBBCに語ったらしいケリー博士が散歩に出て行方不明。

以下の目次の見出し「BBC情報源が行方不明との報告」

http://www.guardian.co.uk/
'BBC source' reported missing
10.15am: David Kelly (left), named as the possible source for BBC's report claiming government 'sexed up' a key intelligence dossier on Iraq, has been reported missing by his family.

以下の記事の見出し「BBCの情報源として名指しされた男が行方不明との報告」

それまでにも圧力を受けていたとの説あり。

こりゃあ、大変な国際ミステリーなり。

http://media.guardian.co.uk/broadcast/story/0,7493,1000716,00.html

Man named as BBC source reported missing
Ciar Byrne
Friday July 18, 2003
The Guardian

David Kelly, the government adviser named as the possible source for the BBC's report claiming the government "sexed up" a key intelligence dossier on Iraq, has been reported missing by his family.

The 59-year-old went missing from his home in Abingdon, Oxfordshire, at 3pm yesterday afternoon after telling his wife he was going for a walk, according to Thames Valley Police.
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 私は、ケリー博士のことはあまり良く知らなかったが、少なくとも、イラク「戦争」の口実の「大量破壊兵器」に関する情報を知る立場にあったとすれば、何と、30年以上も前のアメリカのヴェトナム戦争で、メディア問題の焦点となった事件、略称、「エルズバーグ博士」事件を想い出すのは、メディア関係者にとっては、当然至極のことなのである。

 ところが、どこにも、この事件に論究する記事が出てこない。呆れてしまったが、仕方なしに、自分が発表するしかないと、思い定めて、「エルズバーグ博士」で電網検索したら、実に簡単に、古巣の日本テレビの広報部時代の2年先輩、年齢では1年先輩の「隅井孝雄」現・京都学園大学人間文化学部「教授」が出てきたのである

 隅井孝雄は、私が民放労連の関東甲信越地方連合会の執行委員として放送問題を担当していた時期、民放労連の本部の方の執行委員として、やはり、放送問題を担当していた。

 当然、その時期のメディアの最大の事件、「エルズバーグ博士」事件に関する記憶を共有しているのである。

---------- 引用ここから ----------
http://homepage2.nifty.com/sumee/
~ 京都学園大学 人間文化学部 隅井研究室 ~
@隅井情報ステーション@
http://homepage2.nifty.com/sumee/america0223.htm
アメリカの社会と文化02
第22回 ワシントンポストとキャサリン・グラハム
ウオーターゲイト事件

京都学園大学 人間文化学部 隅井 孝雄
12/6/2002

1. ニューヨークタイムス、ベトナム機密文書事件

 1971年6月12日日曜日、ニューヨーク・タイムスの特ダネ、ベトナム機密報告書のほぼ全文の公開を始めた。

 この報告書は1967年ごろ当時のアメリカ国防長官だったロバート・マクナマラが命じて作成が開始された文書である。アメリカのベトナムに関する関与、介入の歴史が克明に描かれていた。国防省職員で、機密文書作成の調査員の一人であるダニエル・エルズバーグ博士は、アメリカはベトナムへの介入を止めて撤退すべきだと考えていた。たまたまワシントンポストでベトナムに関する記事を書いていたニール・シーハン(ワシントン支局、議会担当34)を目にとめ、資料のコピーを提供したのである。社主アーサー・オックス・サルツバーガー、編集局長のエイブ・ローゼントール49、論説顧問のジェームス・レストンらニューヨークタイムスの幹部が、政府と対決しても掲載することを決意した。

 ワシントン・ポストはこのときすっかり遅れをとったが、政府に対してプレスが共同戦線を組む必要を感じ、資料を手に入れ、5日遅れ6月17日から掲載を始めた。社主キャサリン・グラハムと編集責任者ベンジャミン・ブラッドレーの苦渋の決断である。

 ニューヨークタイムスとワシントンポストはニクソン政権からの強力な圧力と、掲載禁止の裁判所仮処分命令を受けながら抵抗。6月30日に両紙の併合審理で最高裁は政府が掲載をとめることは違憲であり、新聞が報道する自由を侵害出来ないとの画期的な判断を下した。

 ニクソン政権の掲載禁止理由は次のようなものである

 掲載された資料には合衆国の国防情報が含まれているとともに、同資料は極秘扱である。この情報の掲載は合衆国法典793節、スパイ防止法第18章の条項により禁じられている。国防上修復不可能な損害を招く。今後掲載せず、文書を国防省に返還するよう要請する。

 これに対して最高裁判所は次のような判断を示した。

 いかなる表現の自由もそれを事前に制限することは憲法に反する。制限を正当化する理由を政府は明示しなければならないが政府はその義務を果たしていない。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 今、イギリス政府、与党の労働党の側は、「自殺」か、それとも「暗殺」か、ともかく、死んだケリー博士に関する「責任」を、BBCに押しつけるという実に下らない下品至極な策動に終始している。

 こういう時には、いちいち腹を立てていると、健康に悪い。下手な掛け合い漫才を、仕方なしに見せられていると思えば、少しは気が晴れる。

 私は、この問題を、BBC・ケリーvsワシントンポスト・エルズバーグ両博士の英米メディア報道の歴史的勝負として、リングの外で観戦することに決めた。ゴングを鳴らす。チーン!

 ただし、それだけでは白けるので、プードル犬を首相にした労働党なる「ゲテモノ」の歴史の背景を、少しだけ紹介する。

 以下は、わが電網宝庫情報の抜粋である。英労働党は、何と、労働組合が作った政党なのである。

---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yokos.html
ラダイトからボルサまで
~労働組合運動の地域的&産業的組織の国際的経験と原理を探る~

執筆:1976年 木村愛二
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yokos-04.html
第2章:労働組合運動の発祥地~イギリスの場合~

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yokos-04-d.html
8.TUCからの排除

 一方、この間に、現代のTUC型の組織構造を決定付ける事件が、政治的な背景を伴いながら進行していた。

 1895年に、TUCは一方的に、地方労働組合評議会を、その構成組織から排除した。ウェッブ夫妻が述べているように、「この評議会こそは総評議会[TUC]の創始者であった」のだが、産業「別」の中央集権的なタテ組織への傾向を強める全国組合の強大化とともに、形勢は逆転していた。

 つぎのようなウェッブ夫妻の筆になる文章は、現代の日本のヨコ組織とタテ組織の関係を考える上でも、大変に深い意味を含むとのと言わなければならない。

「全国組合の中央執行部は、自分たちが直接に代表されない指導的な団体の存在にたいしては、疑いと嫉妬心をもっていたので、その地方支部は、実際に禁じられないまでも、想像上でも競合的な力となるかもしれないものを固く守るようなことを奨励されなかった」

 このような雰囲気の下で、複雑な、いまだ正確には解明されない主導権争いが頂点に達した。1895年のTUC大会は、あらゆる地方労働組合評議会を直ちにTUCから追放すること、各労働組合の総組合員数にもとづく投票制度をとること、代議員は有給の役員もしくは現にその職種で働いている組合員に限ること、などを決定した。

 結果として明らかなことは、第1に、地方労働組合評議会が、自らが生みの親だったナショナル・センターのTUCから追放されたことであり、第2に、当時のサンディカリスト指導者として著名なトム・マンが、TUC大会の代議員資格を失ったことである。この提案が可決されたTUC大会の状況を、ウェッブ夫妻は、非常におそろしい雰囲気であった」と記している。

 奇しくも、この年は、ウェッブ夫妻の共著、『労働組合運動の歴史』の初版が刊行された翌年であり、エンゲルスの没年でもあった。

 以来、イギリスの地方労働組合評議会は、労働党の地方構成要素というような、日本で言う「選挙地区労」の蔑称の地位に甘んじながら、今日に至る。ウェッブ夫妻は、「全国労働組合評議会連盟をつくろうとする企ては成功しなかった」と記しているが、時期その他の状況は記していない。この「全国労働組合評議会連盟」なるものが作られたとしたら、それは、のちに見るフランスやイタリアの場合のように、ヨコ組織の結集による全国中央組織を実現したことになる。歴史は意外な展開を見たのかもしれないのである。

 いずれにしても、現代のTUCの組織構造の形成には、明白な意図的工作の証拠が残されている。
 [後略]
---------- 引用ここまで ----------

 以上。


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