『亜空間通信』1070号(2005/08/06) 阿修羅投稿を再録

8/4ロフトトーク参加発言に補足し本日8/6原爆記念巡る日本「反戦」意識の自国中心偏りを批判

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『亜空間通信』1070号(2005/08/06)
【8/4ロフトトーク参加発言に補足し本日8/6原爆記念巡る日本「反戦」意識の自国中心偏りを批判】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 本通信は、一昨夜参加した「東條英機の孫・由布子・マッド天野らロフト・トーク」の感想と、そこでの参加発言の補足、関連情報の分析、批判である。つまり、わが原爆記念日の論説である。

 戦後60年、いわゆる還暦とやらで、今年の夏は「反戦」議論が沸騰中であるが、論議の幅を広げるために、まずは、「外圧」の強烈な刺激を加えて置く。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050805-00000312-yom-int
海外ニュース - 8月5日(金)23時9分
広島に原爆「後悔していない」エノラ・ゲイ乗組員声明

【ロサンゼルス支局】広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の元乗組員3人が、原爆投下60年を前に、「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった。我々は後悔していない」とする共同声明をインターネット上に発表した。

 声明を出したのは、エノラ・ゲイ乗組員12人のうち、生存するポール・ティベッツ元機長(90)ら3人。声明は、原爆投下がなければ、連合軍による日本の本土上陸作戦は避けられず、「日本人や連合軍の多くが犠牲となっていた」と主張している。声明は、英BBC放送など欧米メディアで報道された。

 ティベッツ元機長は声明の中で、「私は、日本の退役軍人や市民からも感謝された。(原爆投下がなければ)彼らは、捨て身の本土防衛をせねばならなかったからだ」との意見を記した。

 「エノラ・ゲイ」はティベッツ元機長の母親の名で、元機長が爆撃機に命名した。
(読売新聞) - 8月5日23時9分更新
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 この「外圧」は、アメリカ発である。確かに、かなりの数のアメリカ人も、原爆は必要でなかったとか、原爆投下は日本占領で死ぬ百万人の米兵の命を救ったとかいう説には、批判的なようである。

 しかし、少なくとも、原爆投下の当時、原爆が、日本占領で死ぬ百万人の米兵の命を救ったという宣伝は、広く受け入れられたのである。そうなった原因は、日本の真珠湾攻撃、特攻機の攻撃などにある。たとえ、ABCD包囲網の石油禁輸によって、真珠湾攻撃に「誘い込まれた」のだとしても、日本人は、自らの不徳と不明を、恥じるべきである。

 原爆記念日を巡る議論には、60年の歴史があるのだが、例年、特に、この一時期、急速に盛り上がる

 この種の議論に熱心な自称平和主義者は、どこにでもいる。私は、日本の中心地の東京都千代田区で、地元の労組の協議会、略称「千代田区労協」の幹事、事務局長をしていたが、その時代には、日常的な労組の地域活動をせずに、この時期だけ騒ぐ、足が地面に着いていない連中を、「夏のお化け」と呼んでいた

 私は、また、戦争中には北京にいた。中国人の子供とも一緒に遊んだ。北京は故郷であり、気持ちの半分は、中国人である。だから、中国人の心情を想いつつ、これまた強烈な日本製の「外圧」を加える。

 以下は、本日の早朝に発した、わが投稿である。

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イラク派兵の最高責任者の小泉不純一郎が壇上に立つ「平和」集会は欺瞞の象徴である。
http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/102.html
投稿者 木村愛二 日時 2005 年 8 月 06 日 09:01:05: CjMHiEP28ibKM
(回答先: 広島原爆の日 平和公園で祈り (NHKニュース) 投稿者 熊野孤道 日時 2005 年 8 月 06 日 08:54:36)

 毎年繰り返す「夏のお化け」大会が、むしろ、日本の侵略、重慶の絨毯爆撃などの戦争犯罪を、日本人に教えず、隠す場になっている。

 イラク派兵の最高責任者の小泉不純一郎が壇上に立つ「平和」集会は欺瞞の象徴である。
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 8月4日の当日の出版記念の本は、以下のごとく、マッド・アマノ新著『リトルボーイとファットマン』であった。「リトルボーイ」が広島に投下されたのは、1945年8月6日で、本日は、その60周年記念日である。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku1063.html
http://www.asyura2.com/0505/war72/msg/720.html
『亜空間通信』1063号(2005/07/27)
【東條英機の孫・由布子・マッド天野らロフト・トークでマーク・ゲイン『ニッポン日記』示す議論】

[中略]

 私は、8月4日(木)18:30、東京都新宿区百人町Naked Loft(ネイキッド ロフト)に行く。

 旧知の三人、マッド・アマノ、東條由布子、西岡昌紀が、顔を揃えて、戦後60年、本当の戦犯を問うというのだから、参加せざるを得ない。

 すでに、阿修羅戦争掲示板に、以下の投稿をした。

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原爆もパロってしまうマッド・アマノ新著出版
http://www.asyura2.com/0505/war72/msg/690.html
投稿者 木村愛二 日時 2005 年 7 月 26 日 23:10:27

[中略]
トークショー
『リトルボーイとファットマン』出版記念 8月4日(木)
「東京裁判をぶっとばせ」

戦後60年。日本はアメリカの属国にされてしまった。本当の戦犯は誰だ?
マッド・アマノ、東條英機首相の孫である東條由布子さん、他パネラーが戦後60年を検証する。新作パロディ発表。
【出演】マッド・アマノ、東條由布子、西岡昌紀、他

[中略]
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 折から、手許に届いた月刊『WiLL』9月号には、東條由布子・上坂冬子の「特別対談」、「今こそ知ってほしい祖父東條英機の真実」と題する記事がある。

 東條由布子は、祖父が「責任は我にあり」と記した「宣誓供述書」のGHQ発禁本を、神田の古書店で発掘して広めている。しかし、「すべて東條一人が悪い」とする風潮には納得できない。

 記事の本文の最初の方には、次のやりとりもある

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 上坂 戦争責任に関して、どうして東條英機さん一人だけがクローズアップされるんだと思います?
 A級戦犯といえば東條、と、中国、韓国から槍玉に挙げられているでしょ。

 東條 やっぱり連合軍の占領政策のせいじゃないでしょうか。
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 これに対して、私は、以下の23年前の旧稿の抜粋のコピーを持参し、GHQに迎合した「天皇から吉田以下、東条一人を悪者にし、すべてを「軍閥」のせいにして逃げきろうとした当時の「旧支配層の動き」について、議論を促す予定である。

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征矢野仁(木村愛二の筆名)著、一九八二年、鷹書房刊
『読売グループ新総帥《小林与三次》研究』(117-118頁)

《日本敗北の翌々年、一九四七(昭和二二)年三月には、トルーマン・ドクトリンによる反共世界戦略が、はっきりと打ち出されるが、その底流はすでにその一年前から、露わになり始めていた。その下で開かれる極東軍事裁判(東京裁判)はやはり、裁判一般と同じく、大衆的糾弾の波を柔らげるというお芝居の本質を持っていたのである。

 たとえば、シカゴ・サン紙特派員のマーク・ゲインは、東条一人を悪者にし、すべてを「軍閥」のせいにして逃げきろうとする旧支配層の動きについて、するどい眼を配っていた。

 『ニッポン日記』の一九四六年六月二三日の項に、彼はこう書いている。

 《(前略)東条は、神も知ろしめす、もちろん十分罪がある。しかしこの連中が、天皇から吉田以下にいたるこの連中が、正義の怒りに踊り狂って「あいつが一人で、何もかもやったんだ」と叫び回る光景は、まさに醜悪である(後略)》。
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(以上へのフォローアップ投稿)

東条が辞任したのは1944年であって、1945年ではない
http://www.asyura2.com/0505/war72/msg/725.html
投稿者 たかす 日時 2005 年 7 月 27 日 21:48:22: ifeEPcYg7BdHI

 東条は在任中は独裁権を振るったが、辞任したのは終戦の前年であり、日本が無条件降伏するのはそれから1年以上も後のことですね。その間、天皇らは特攻隊員が死ぬ状況を放置しながら一体、何をしていたのかが問われるべきでしょう。

 さらに歴史の前後の幅を広げて、電網(インターネット)検索をすれば、石原莞爾、黒船、この二つのキーワードで、以下の論説が発見できる。いわゆる戦争責任の追求は、黒船にまで遡るのである。

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http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/6_untiwar/saji.htm
[中略]
今、ふたたび太平洋(大東亜)戦争を考える
「雑学・太平洋戦争の真実」(日東書院)
佐治芳彦著-1997.4.1-

[中略]

 昭和陸軍が生んだ最大の天才(戦略家)といわれた石原莞爾(1889-1949)が、終戦後、持病の悪化で東京の逓信病院に入院していたとき、東京裁判のため来日していた連合国の検事に尋問を受けたことがあった。

 そのとき検事(アメリカ人)が「戦争犯罪人(いわゆる「戦犯」)のなかで、いったい、だれが第一級と思うか」と訊ねた。それに対して石原は「トルーマン(当時のアメリカ大統領)」と答えた。

 石原は、その理由として、トルーマンが国際法の規定を無視して、一般市民、つまり非戦闘員の無差別大量虐殺(広島・長崎の原爆投下を含め100万人近くの市民を殺した)を行わせた点をあげた。そして「このトルーマン大統領の行為こそ戦犯第一級のそのまた第一級に価するもの」として、連合国検事に、彼を戦争犯罪人として告発したのである。

 ついで検事が「日本の戦争責任は、日清・日露戦争までさかのぼる」と述べたとき、石原は「それならペリーをよんでこい」といった。無学な検事はペリーの名を知らず「ペリーとはだれだ?」と反問した。

 石原は検事に次のように教えた。すなわち、ペリーは鎖国政策のもと300年間、他国に一切迷惑をかけず平和に生活していた日本に、黒船(艦隊)を率いて開国を迫った人物である。

 日本(江戸幕府)は、その艦隊の脅迫でやむをえず開国し、君らの国と外交関係をもったところ、君らの国が例外なく侵略主義や帝国主義の恐ろしい国々であることが分かった。そこで日本も、植民地化を免れる(生き残る)ため、やむおえず君らの侵略主義や帝国主義を学ばざるをえなかった。

 したがって、太平洋戦争の戦争責任が、もし日清・日露戦争にまでさかのぼるとすれば、日本を武力(艦隊)で脅迫して開国させ、かつ侵略主義・帝国主義を教育した元凶であるアメリカの水帥提督ペリーを承認として喚問せよ・・・。

 このように述べて、彼は勝利者側からの、いわゆる戦犯や戦争責任の追及のナンセンスさを皮肉り、検事をグーの音も出ないほどやりこめたのである。[後略]
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 しかし、この石原自身が、満鉄爆破事件の主犯である。「偽」満州国を創り、結局は、日本の侵略戦争の片棒を担いだ事実は、争いようもない。彼の「世界最終戦争論」は、夢想に過ぎない。

 8月4日の短い討論の時間では、簡単な指摘しかできなかったが、日本が、ドイツ・イタリアと結んだ「枢軸」の出発点は、「反米」ではなかった。「防共協定」だったのである。この協定は、日独伊に拡大された。実に複雑怪奇なことには、これに「ソ連」を加えて、アメリカを牽制する「大陸ブロック」、四ケ国同盟あるいは四ケ国協商の構想もあった。

 ところが、日本がノモンハンでソ連と戦っている最中に、ドイツの外相、フォン・リッペントロープの主導権で独ソ不可侵条約が結ばれる反面、それには真っ向から反対のヒトラーによる対ソ開戦となるのである。

 この矛盾に満ちた複雑怪奇な歴史の事実と、不幸な輪廻の解明なしには、いかなる主義の平和論も、石原の「世界最終戦争論」と同様、夢想に過ぎなくなるのである。

 私は、この歴史の不幸な輪廻の解明の一助として、わが木村書店発行の季刊『真相の深層』の05夏6号から、『カール・マルクスの大罪』の連載を始めた。ローマ「共和国」がローマ帝国になり、共和主義のフランス革命が、仲間殺しのギロチンを生み出し、ヨーロッパ大陸全体への侵略の拡大となったように、カール・マルクスを理論的教祖と仰ぐソ連の社会主義革命も、収容所列島を築いたのである。

 別途、宗教戦争の歴史もある。宗教であれ、社会改革の主義であれ、狂信が生み出す血みどろの内戦、戦争の歴史の仕組みを、全面的に解明することなしには、非暴力の平和の実現は、不可能である。

 最後に再び、本日の原爆記念日に立ち返る。日本の原爆反対運動は、杉並区の市民が始めたとされているが、私は、当時、杉並区の西高校の高校生だった。実際に動いたのは、日本共産党員の民青同盟員だった。ソ連が原爆を持たない時期の「反米運動」だった

 実情は、「反戦」「非戦」「核兵器反対」を美名とする「親ソ」運動であった。

 だからこそ、ソ連と中国が原爆を持つようになると、「社会主義国の核兵器は破邪の剣」とする日本共産党と、「いかなる国の核兵器にも反対」とする日本社会党の意見の食い違いから、運動は分裂し、現在にまで至る「元祖争い」の組織抗争を繰り広げている。実に愚劣な歴史なのである。

 以上。


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