所沢高校・井田将紀くん自殺事件事例No.040526

陳述書


陳 述 書
08  控訴人代理人意見陳述書 / 弁護士・関哉直人 2009/5/21
07  控訴人意見陳述書 / 控訴人・井田紀子 2009/5/21
06  控訴人代理人意見陳述書 / 弁護士・杉浦ひとみ 2008/12/16
05  控訴人意見陳述書 / 控訴人・井田紀子 2008/12/16
04  原告代理人陳述書 / 弁護士・杉浦ひとみ 2008/2/27
03  最終陳述書 / 原告・井田紀子 2008/2/27
02  陳述書 / 大貫隆志
01  冒頭陳述 / 原告・井田紀子
※ 文書の改行、色付けは武田による


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平成20年(ネ)第4556号 損害賠償請求控訴事件

原審:さいたま地方裁判所平成18年(ワ)第1206号

人(一審原告) 井 田 紀 子

被控訴人(一審被告) 埼  玉  県

 

控訴人代理人意見陳述要旨

 

平成21年5月21日

東京高等裁判所 第10民事部 御中

 

控訴人代理人  弁護士  関  哉   直  人



 本件について、代理人として次のとおり意見陳述する。

1 原判決は、事実確認の性質について、懲戒にも繋がる可能性のある行為の一つとして、生徒に対する指導の一環として教師に認められた権限の範囲内の行為であるとする。
  また、事実確認の違法性判断基準としては、「教育的効果と生徒の被るべき権利侵害の程度とを比較衡量し、生徒の性格、行動、心身の発達状況、不正行為の内容、程度等諸般の事情を考慮し、それによる教育的効果を期待しうる合理的な範囲のものと認められる限りにおいて正当な指導の一環として許容されるべきであり、その範囲を超えた場合には、指導としての範囲を超えた違法なものとなり、教師が生徒に対して負う安全配慮義務に違反する」と述べるところである。

  この点、伊藤意見書も述べるとおり、問題行動と疑われるような行為を行った生徒に対する生徒指導としての事実確認は、懲戒(制裁)を想定し、その前提として行われてはならず、それ自体が教育的効果を期待しうる教育活動行為でなければならない(甲60号証4頁)。
  すなわち、大人の不正行為に対し、制裁や刑罰を課することを目的あるいは目標として取調べを行う場合と異なり、子どもを教育することを目的とする生徒指導においては、事実確認それ自体による教育的効果を重視することが肝要であり、事実確認において白状させようとしたり、事実確認後の懲戒を志向したものであってはならない。
  それゆえに、控訴理由書でも述べるとおり、非違行為の内容、程度と、事実確認の内容を相関させてはいけない、すなわち、非違行為が軽微でなければ、その事実確認のもつ権利侵害性が広く許容されるという関係にはならないのである(控訴理由書36頁)。

  しかしながら、原判決は、将紀が本件試験において、カンニング行為を行ったか、少なくともその疑いが極めて濃厚と認めざるを得ない、という事実認定を前提に、その行為は到底軽度な不正行為とはいえず、教師は十分に事実を確認して指導すべき状況にあったと述べ(原判決59、60頁)、事実確認の適法性を導いている。
  カンニング行為が認められなかったことは、最終的に学校側も認めているところであり、また、関係各証拠から立証しているところであるが、結局のところ、原判決は、事実確認のもつ教育的効果と権利侵害の程度を比較衡量すると述べながらも、実際には、「不正の行為の内容、程度」と事実確認行為とを比較衡量するという論理矛盾を来しており、到底容認できるものではない(甲60号証6頁)。

  本控訴審においては、非違行為の内容が如何なるものであっても、事実確認は適正に行われなければならないという当然の理の下で、教師による事実確認が、教育活動の一環として、教育的効果を志向して行われなければならないこと、故に教育的配慮が重視され、事実確認の態様においてもその範囲で制限を受けることを踏まえてご判断頂きたい。


2 上記観点から言えば、本件において、5人の教師間で、事実確認の目的やお互いの役割について十分な理解のないまま事実確認に当たったこと、これらの教師が入れ替わり立ち替わり参加することで1時間45分にも及ぶ事実確認が行われたこと、その間、食事時間と重なったにもかかわらず一度も休憩を取らせなかったことなどの事情からすると、やはり、本件はその教育的効果を越えて、権利侵害性が強く、事実確認として許容される範囲を超えているといわなければならない

  この点は原判決も、結果としてみれば配慮すべき余地がないとはいえないと述べているが、この点を判断にあたりどのように考慮したかが不明である(原判決67頁)。
  被控訴人はこの点について、将紀の主張を受け入れ、自発的な回答を待っていたため時間が長期化した旨述べているが、本件事実確認が、A教諭の思い込みに始まり、将紀を追いつめる形で行われたことは、事実確認に至る経緯や事実確認の内容、そして、被控訴人が、カンニングの事実は認定されなかったにもかかわらず、訴訟の場で、カンニングは実際には行われていたと平然と主張する態様からも明らかである。
  また、当該理由が、5人という人数や休憩を取らせなかったことを正当化するものではなく、本件事実確認が教育的配慮の視点を全く欠いていたことは明白である。

  5人の教師らは、事件後、このような配慮がなかったことについて、それぞれ控訴人宛てに手紙を書き、謝罪している。
  原審では、教師らはこれらの文章を控訴人に書かされた旨主張し、証言台に立った教師らも同様の証言を行った。このことは、客観的事実に反することであり、また、教師に期待される職責として、少なくとも将紀自身が教育を受けてきた教育者の対応として、非常に残念な対応であり、悔しくも思うところであるが、それでもなお、事件後の当時の教師らの認識としては、手紙に書いてある反省の念があったものと信じたいところである。
  当審においては、本件事実確認のもつ違法性の要素について、より踏み込んだご判断をいただきたい。


3 原判決は、将紀の死が自殺であることを認定しながらも、その直接的原因が本件事実確認であることを認定していない
  すなわち、本件事実確認と将紀の自殺との間に、事実的因果関係があることについて、明確には言及していない。
  因果関係が先行して論じられるべき理論的根拠については控訴理由書で述べたとおりであるが(控訴理由書51頁)、これに加えて、事実的因果関係を判決の中で認定する意義は、遺族である控訴人にとって、当然の判断を示されるという点でも、将紀の死を少しでも受け入れるための手がかりという意味においても、大変大きいものである。
  この点、試験前将紀が特段悩みを抱えていたというような事情はなく、本件事実確認から数時間後に控訴人にメールを残し自殺に至った経緯に鑑みると、本件事実確認と将紀の自殺との間に事実的因果関係が存することは明らかである。
  そして、自殺という結果は、事実確認行為から通常生ずべき損害であることや、特別の事情によって生じた損害であったとしても、予見の対象は自殺を決意することではなく、事実確認行為の危険の認識で足りることは、控訴理由書(54頁以下)や控訴人準備書面1(5頁以下)で述べたとおりである。
  したがって、本件では事実確認と将紀の自殺との間に相当因果関係が認められるところ、当審においてはこの点についても的確な判断がなされるべきである。
                                 
   
                                                                                                       以 上


  
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平成21年5月21日

陳 述 書

 

                                               井田 紀子


 平成20年12月16日付けの控訴人陳述書に記載した私の気持ちには変わりありませんが、付け加えたい事を述べさせていただきます。

 将紀が自らの生命を絶って5年経ちます。私は今でも、教諭たちに問いかけたいです。 「先生たちは将紀に何をしたかったのですか?」と。 5人の教諭たち全ての人が、自分は何をしたかったかを明確に答えられるでしょうか?
 5人の教諭たちが直接手を下して将紀を殺したわけではないので、たとえ将紀の自殺の原因が先生たちの「事実確認」以外にありえないとしても、法律的に裁くのはむずかしいのかなと、法律に素人の私は思うところがありました。

 でも伊藤先生の平成21年1月25日付け意見書(以下「伊藤先生の意見書1」と呼ぶ)で5人の教諭たちの違法性が述べられています。
 私は伊藤先生の意見書を読ませていただいて、やっぱり教諭たちの行為は決して「指導」ではなく「取調べ」にしか過ぎなかったのだと、改めて教諭たちの行いは間違っていたのだと強く思うことができました。 それだけでなく法律的にも違法性のあるものだとの記述には、子どもを亡くした親だからというだけでなく、子どもの権利は侵害されてはいけないのだという当たり前の事が、本来法律に守られているんだと安心する事ができました。

 将紀が運ばれた病院で初めて所沢高校の先生たちと会って、その口から出た「事情聴取」という言葉がまさしく教諭たちの将紀に対する態度の気持ちを表しています。
 百歩譲って5人の教諭たちが将紀にしたことは「生徒指導」だと言われるのならば、伊藤先生の意見書1にあるように「生徒指導」は「懲戒」を前提にしたものではなく、あくまでも子どもを「教育」するという目的でされなければいけないのです。

 平成16年5月26日に将紀に対して、5人の教諭たちよって行われた1時間45分の「事実確認」は、将紀に対して何の配慮もなされていなかった事を親として大変悲しく思います。
 また、伊藤先生の意見書1にあるように、教諭という教育のプロフェッショナルである職業の人たちが行った「事実確認」が「指導」とは程遠い、ただ自分が見たメモと違うものを将紀が提出した事の追求でしかないという事は更に私の悲しみを強くし、到底納得できない思いでいっぱいにさせます。

 井田将紀が自ら命を絶って5年の月日が経とうとしています。
 多くの人は、桜の便りが聞かれるころはウキウキした気持ちになるものだと思いますが、私は毎年心を一層闇が覆うような気持ちになります。 それは将紀の命日が5月26日だからです。 
 子どもをお持ちの方なら皆さんそうでしょうが、進級・就職あるいは結婚と成長の過程を見る事ができます。 私も将紀を亡くす前は、当たり前に将紀の将来があるものと思ってました。
それが突然断ち切られてしまったのです。 その悲しみはどんなに絶望的なものかお分かりでしょうか? 将紀を亡くしてから、私は自分の将来でさえ考えることができなくなりました。 子どもを亡くすという事は、未来を亡くすことなのです。
 
 小・中学校で将紀と同級生だった子たちと、近所のマーケットや駅で出会うことがあります。
 何気ない近況を尋ねたりの会話をして、成長した子たちの姿に感激したりうれしい気持ちになったりしますが、その後に必ず、将紀の成長した姿を見ることは絶対ないという事実に直面するので何とも言えず悲しくなります。
 この将紀と二度と会うことはない・話すことはできないという事実は私を何よりもつらい気持ちにさせます。
 そしてその事実は悲しい事ですが、私が生きている限り続くもので、そのつらさは決して消えたり薄れたりはしないのです。

 本来、学校関係の事故・事件で子どもを亡くした遺族と学校・県・教育委員とは反する関係ではなく協力しあう関係であって然るべきだと思います。
 子どもが亡くなるという悲しい事実は消えません。 せめて二度と我が子と同じような事があってほしくない… どの事案の遺族も望む事は同じです。
 その為には、起こった事をきちんと確認し、反省し、全国で共通の情報として共有してほしいです。その事こそ再発防止がされると思います。
 子どもが亡くなってさえも何の反省も学習もされないとなると、先生・学校・県は子どもの生命を大切になど考えていないのかと絶望的な気持ちになります。
 子どもは勝手になど死にません。彼らが生命をかけて訴えたことが無にならない事を望みます。

 いつものように「行ってきます」の言葉が最後になってしまい、お別れの言葉をかけることもなく子どもと二度と会えなくなってしまった母の切なる望みです。 先生たちには自分たちのした事と将紀の自殺の因果関係を認め、反省してほしいです。

 本日はこのような陳述の機会を与えてくださりありがとうございました。


  
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平成20年(ネ)第4556号 損害賠償請求事件

原審:さいたま地方裁判所平成18年(ワ)第1206号

控 訴 人(一審原告) 井 田 紀 子

被控訴人(一審被告) 埼  玉  県

控訴人代理人意見陳述書

平成20年12月16日

       控訴人代理人弁護士  杉浦 ひとみ


 1 本件の位置づけ

(1)本件は,高校の教師らの生徒指導の結果,生徒が自殺をしたという事件である。教師らの指導が原因で生徒が自殺に至ったという意味でいわば「指導自殺」と呼ぶことが事柄を端的に表していると考える。それは,いじめを受けた結果,被害者が自殺に至る場合を「いじめ自殺」と広く呼称されたり,労働の現場で長時間に及ぶ労働に精神的・肉体的に疲れきって労働者が自殺に至る場合を「過労自殺」と呼ぶことと同様に,不適切な指導の結果,生徒が自殺に至る場合を「指導自殺」と考えるのである。

(2)これまでも,社会の中で法が立ち入らない,若しくは立ち入りにくい領域が存在した。たとえば,家庭内の問題である。近年,いわゆる児童虐待防止法やDV防止法が制定されるなど,法が家庭内の人権侵害に関与するようになった。雇用の分野でもセクシャルハラスメント,パワーハラスメントや過労死,過労自殺が問題として扱われるに至ったのは,新しいことである。学校教育の領域においても,体罰に関して,形式的には違法とされながらも,実質的にも子どもの人権の侵害だと捉えられるようになったのはさほど昔のことではない。

  そして,近年,学校での指導の後に自殺を図る事件が報道され,耳目に触れるようになった。これは,そのような現象がここへ来て突然発生するようになったということではなく,これまでも発生していたものが,社会の中で人権問題として大きく捉えられるようになったものと考えられる。

(3)しかしながら,この生活指導については,それが児童生徒の権利に大きく関わることから,従前より,ことのほか研究されるべき必要性については,指摘されている問題であった。この点は甲59号証で示した兼子仁「教育法P432」で示されているとおりである(「この生活指導は,人間的成長発達の性質上,教科教育に増して,教育専門的水準を高めることがむずかしいとともに,児童生徒ないし父母の主体的意思を尊重していかなければならない。・・・生活指導は教科教育にはるかに増して,児童生徒の各種の人権・権利と直接しており,それらの人権・権利を侵害することなく学習権・人間的成長発達権を保障していけるような指導助言活動でなくてはならない。そのためには,たんに消極的な指導態度ではなく,生活指導についても十分な教育研究をうらづけにした教育専門水準の向上が期待されるのである。」

  したがって,生活指導の分野の問題であるから広い裁量が許されるというものではなく,学校においてはそのことに関して研究すべきという義務が課されているのであり,生徒の人権と拮抗する場面においては司法が的確に判断を下すべきである。



 2 本件における生活指導の問題性

(1)カンニングは,学業を修めることを本質とする学校生活においてもっとも重大な非違行為である。そして,それを是認する体質が許されれば学校制度自体が成り立たなくなるものである。したがって,カンニングに対する処分は重いものであり,それに関する聴取は,その事柄が極めて重大であるだけに,生徒にとっても教師の対処方法が精神的に大きな影響を与えることになる。それは,たとえば,単純な着衣の乱れの指摘などとは,まったく異なる問題状況にあることは言うまでもない。

  したがって,その場合,指導にあたる教師らに,事実の認識の統一が必要であるし,指導の手順,フォローなども含めた準備や役割分担が必要とされるはずである。また生徒にとっては,カンニングを疑われた聴取という精神的重圧は大きいから,生徒の心理にも十分配慮をしなければならないものである。この生徒の立場での心情については、再現ビデオ収録で将紀役を担当してくれた学生さんが「模擬であっても苦痛であった」ことを述べている。

(2)しかしながら,本件での聴取は,事前の指導準備も役割分担もなく,場当たり的に複数教師が出入りし,また見通し無く長時間に及び行われた。そして,その状況は,控訴人及びその知人が教師らの再現を見た限りでも執拗な質問と沈黙が長時間継続され,いたたまれない重圧を感じたというのである。しかも,そこに立ち会った教師及び再現を執り行うことを了解した管理職等さえも,聴取の雰囲気に気を配ることの必要性にさえ気づかなかった。それは,学校側が,裁判になってはじめて、この聴取中に実はなごやかさあった、と付け加えてきたことからも分かるとおりである。

  しかも,この聴取の対象は,現役での進学を希望し,親に加重な負担をかけたくないと願うであろう環境におかれた高校3年生であったわけで,この無計画な聴取がどれほど彼を不安に陥れ,絶望感を与えたかは想像に難くない。

(3)さらには,本件では,聴取の実態についても疑問の余地が大いにある。事件から間もなく,学校側が聴取の際に行われたという問答集を母親に示した。控訴人(原告)代理人らはこの問答集にしたがって,聴取状況を再現しビデオにしたのである。この弁護士らによる再現が,学校での再現とほとんど同じである記憶を述べているのが甲56号証の陳述書である。

  その後,この再現ビデオを,高校教員経験の長い教員複数や学者に視聴してもらった感想が甲53号証(の1〜7)である。異口同音に,「このような沈黙の多い聴取はあり得ない、教師はもっと畳みかけて話すだろう」と述べられている。
  防御本能から考えても,学校が控えめな問答集を出したことは想定できる。

  また,友人の証言からは自殺の可能性の全くなかった将紀が,自殺に至った  結果から単純に推測しても,この聴取の中で彼を追いつめるようなやりとり  があったことさえ推測されるのである。



3 本件がこのような事件であることに鑑みた時,原審では,教育における生活指導の意義と教育者に課された安全配慮義務,カンニングという問題の持つ重さ,教師らの一般的な行動習慣などの重要な点について,とうてい十分な検討がなされているとはとうていいえない。

  控訴人は息子の死を悲しむだけでなく,彼がその命を賭して訴えたかった教育現場の問題について,どうしても正しい判断をしてほしいと控訴に及んだのである。当審では,子ども一人の命の重さを感じていただくとともに,子どもを育む教育現場において,本件のような杜撰な指導がまかり通ることを許し,お墨付きを与えるような判断だけは避けていただきたい。どうか慎重な審理していただきたいと強く希望する。




   
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平成20年(ネ)第4556号 損害賠償請求事件

原審:さいたま地方裁判所平成18年(ワ)第1206号

控 訴 人(一審原告) 井 田 紀 子

被控訴人(一審被告) 埼  玉  県

控訴人意見陳述書

平成20年12月16日

       控訴人  井 田 紀 子


1 私の次男の井田将紀が自らの命を絶ってから4年半の時間がたちました。子どもを亡くした哀しみは薄らぐことはありません。むしろ、将紀と二度と会えない・話せないという現実に嫌というほど直面し、絶望的な気持ちになるようになりました。
  先生たちはあのとき、一体何を見て、何を考えていたのでしょうか。
  将紀がどんな思いをたどってあの自殺の現場に行ったのか、私に送った最後のメールをどんな決心で打ち込んでいたのか。何度も何度もあの日の将紀を思って、心が堂々巡りをします。

 将紀には、自殺するような動機はありませんでした。私と将紀、その兄の3人家族は、会話のある親子でした。もちろん青年期特有の親には話せないような秘密はあったと思いますが、自殺により家族のつながりを断ち切るようなことを考える要素はありませんでした。このことは、将紀が亡くなってから、将紀の友だちがいろいろんな話をしてくれる中からも確信しました。「将紀は死ぬような奴じゃない」「将紀が親より先に死ぬような、そんな親不孝を考えるはずがない」「あの教師たちが将紀を殺したんだ」将紀の友だちは憤りながらそう語っていました。
 母思い、兄思いで、将来は母の面倒は自分が見ると言ってくれていた将紀でした。


2 将紀が自殺をしたその年(平成16年)12月に、私は知人らと一緒に、学校で先生本人たちによって再現した下さった事情聴取の様子を見ました。
時間も1時間45分をかけ、着衣も当時のジャージだった先生はそれに着替えるなど、当日を忠実に再現することに心を砕いてくださっていました。

 でも、そこで見たのは、同じ質問が執拗に繰り返され、長い沈黙が続く、重苦しい時間でした。いやな気持ちでした。将紀は一人でいつ終わるかもわからないこの状態の中にいたのですから、つらかっただろうなと感じました。それは、その場にいるのが辛いだけではなく、高校3年生で受験を控えた自分の立場がどうなるのか、受験ができなくなるのではないか、親に負担がかかるのではないか、親が落胆するのではないか。誰一人自分の味方がいない部屋の中で、将紀はどんどん混乱していったのでしょう。自殺の直前に将紀は「本当に本当に迷惑をかけてごめんね」というメールを私に送ってきました。 このままでは親に迷惑をかける、もう死ぬしかないと思うほどに、混乱し自分を失わされた将紀を思うと辛くてたまりませんでした。


3 1時間45分の聴取の中で何があったのかは、将紀がいなくなってしまい明らかにはできなくなりました。でも、私は第1審の裁判の中で、先生方があまりに子どもの心について無知で、思いやる心も持たずに聴取がされたことがよく分かりました。それは、学校の聴取状況を原告代理人らが再現し、この沈黙が将紀を苦しめたと主張すると、ここへ来てはじめて「実際には会話の中に冗談も笑いもあった」と学校が反論してきたからです。子どもを亡くした直後の母親に見せるのに、学校が実際よりも取り繕った再現することはあっても、実際以上に過酷な状況をあえて再現するとは思えません。ところが、当時の先生方の再現には冗談も笑いもありませんでした。聴取の中でなごやかさが子どもの心に与える影響を重要とは考えていなかったことになります。

 また、法廷で証言する先生方の姿を拝見しました。「事件直後に母親に謝罪の手紙を書いたのは母親に強要されたから」という趣旨の証言をされました。あの状況が思春期の高校3年生の子どもに心理的に負担をかけたこと、そして息子が自ら命を絶ち、母親は二度とその息子に会えなくなったこと、このことについて心から謝罪など書くつもりはなかったということを証言されたことになります。将紀の聴取にあたって、先生方は人間としての何らの思いやりも愛情も持ってはいただけていなかったのだ、ということを思い知りました。
カンニングの疑惑についての聴取にあたって、子どもをギリギリまで追いつめたことにも気づかずになされた指導だったということだと思います。


4 生徒指導の不適切による子どもの自殺は将紀が初めての事案ではありません。この傍聴席にも遺族の方がいらっしゃいます。いじめによる自殺は司法の場ではまだ厚い壁がありますが、存在自体は認識されています。結果、いじめをなくそうという動きやいじめが起こった時の対応を考えようとしています。でも「指導死」については、その存在自体が認められていません。結果、先生たちの意識、指導のあり方についても見直すという動きはありません。これでは、将紀のような子がまた、現われてしまいます。

 子どもは未熟なものですから、いけない事・悪いことをしたら、家庭でも学校でも叱ったり指導するのは当然の事です。ただ指導とはその目的、その手段、その結果いずれもが妥当でなければいけないと思います。将紀が受けたものは、あまりに人数が多く時間も長く、何の配慮もなく内容的にも、そして結果においても妥当なものではなかったと思います。

 平成16年5月26日、いつものように「行ってきます」という言葉が将紀との最後となったのです。あの5人の先生による事情聴取がなければ将紀が死ぬ事はなかったのです。将紀の自殺と事情聴取との因果関係はまぎれもない事実です。

 裁判官の方にお願いします。指導が不適切な時には、子どもの心は壊され、それによって自殺に至ることもあるということを認めてください。決してあってはならないことですが、悲しいことですが存在しています。きちんと事実を見てください。それにより反省したり是正したりで何よりの再発防止になることですから。
 将紀は「将来はかあさんの面倒は見るからね」と言ってくれたやさしい子でした。お友達もたくさんいて、将来の目的も持ち楽しい毎日をすごしていました。あの事情聴取が全ての物を奪ってしまいました。
 将紀の生命だけでなく、私や家族の夢や希望も…。

 少なくとも、不適切な指導が自殺の引き金になるという関係は認めてください。思いもかけず子どもを亡くした母の切なる希望です。私と同じような悲しい思いをする人が二度と出てほしくないと望む母の切なる希望です。このような発言の機会を与えてくださったことに感謝しております。ありがとうございました。


  
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平成18年(ワ)第1206号 損害賠償請求事件

原 告  井 田 ○○

 

被 告  埼  玉  県

原告代理人陳述書

平成20年2月27日

さいたま地方裁判所 第2民事部 合議係 御中

       原告訴訟代理人 弁護士  杉 浦 ひとみ


 4年前に所沢高校において起きた本件『カンニング疑惑不当聴取自殺事件』の裁判が2年に渡る審理を終えるに当たって、本件事件の問題点と意義について述べます。

1 平成16年5月26日、この日中間試験が終わるまで、井田将紀君は、定期試験のために明け方まで勉強をして取り組み、大学受験をめざし、将来母親の面倒を見ることを兄と語り、また友人とは遊びの約束をし、試験帰宅後にテレビゲームをすることを考えていた少年でした。
将来のことだけを考え、自ら命を絶つような要素の全くない少年が、この数時間後に自殺を図ったのです。

試験終了後の正午ころから、将紀君の生きていた最後の証である原告母親へのメール発信時刻午後5時40分までの空白の間に起きた大きな出来事が、今回のカンニング疑惑による学校の聴取でした。


2 この聴取と自殺との因果関係、聴取方法の不当性、教員等に課された安全配慮義務違反については審理の過程から明らかにされました。
これによって将紀君が当時負った精神的苦痛に対する損害はもちろんのこと、さらに、本件では、将紀君の死についても教員等に予見可能性を認めることができるものです。

そもそも死亡の予見可能性に関して重要なのは,自殺により死亡することの被告の認識ではなく,自殺に至る原因となる危険な状態の発生の認識で足りるものであり、判例の中でも確立されてきたところです。
子どもの自殺理由の中で「叱責」が高率を占め、また叱責後の自殺という事件も多数起きています。
加えて高校三年生という状況、教員と子どもの力関係、そして今回の聴取態様等々を検討したときに、本件の不当聴取が、将紀君を自殺に至る原因となる危険な状態におとしめたことは十分予見し得たはずです。


3 ところで、本件の聴取の不当性については、これまでの審理の中でも明らかになってきましたが、今回の事件は、非常に異例なことに被告側学校が事件直後に、聴取の状況を書面にして原告に提示していました。

もとより、死人に口なしの本件では、この教員等による聴取がどのようなものであるかは、全くのブラックボックスで、被告側が示した「1時間45分の時間と聴取態様」を基本に考えるほかありませんでした。
これに基づいてもこの聴取は非常に過酷なもので、この聴取再現の検証を裁判所に要求したのも、将紀君の状況を少しでも体感していただきたく思ったからでした。

この検証の申立が認められなかったことから、原告としては、この聴取状況を裁判所に具体的に伝える手段として、教員歴30年前後、生活指導にも当たってきた経験豊富な教員及び教育学者計7名から本件聴取について意見を得ることができました。
その複数の意見書によれば、本件での被告側の聴取は異常なものであり、将紀君の置かれた立場は絶望的なものであって、この聴取が自殺の原因となる危険な状態に至らせるに十分であったと理解することができます。

さらに、驚いたことに、これらの意見書は異口同音にして、このような聴取はあり得ない、教員は子どもにもっと語りかけ話させよう、教育しようと畳みかけるものであり、教員という存在の実態と合致していない、畳みかけて追及したことが容易に想像できると書かれていたのです。

現場を知る教員たちの意見書(甲53号証の1〜7)は、ブラックボックスである聴取過程の実態について、「事実確認事項概要」(甲7号証)再現ビデオ(甲12号証)とともに、今回の聴取が将紀君にとって一層過酷なものであっただろうことを大きく推測させる証拠になります。

学校現場は、子どもの育つ場所であり、教員らは未熟な子どもの心、発達段階によって繊細に反応する心を知り、与える影響もまた絶大であることを熟知した存在であるはずです。
教員等の不注意が与えた結果について適切な責任を認めることなくして教員の進歩もなく、将紀君が命をかけて教育現場に残した痕跡も意味を失います。
この意義を十分斟酌していただき適正な判断をしていただくことを強く希望します。


   
3.最終陳述書 / 原告・井田紀子 TOP


最終陳述書

平成20年2月27日 井田 紀子



裁判をして一番驚いた事は、被告側からの「将紀の死は自殺ではなく事件に巻き込まれたか、事故である」との主張でした。

提訴するまで事情聴取した5人の先生を初めとし校長・教頭等学校関係者、県の教育委員と何回も会いましたが、唯の一回も、将紀の自殺を否定する言葉を聞いたことはありませんでした。

将紀の死が自殺ならば当日の事情聴取が原因と考えられるが、事件あるいは事故だとそれ以外の原因となるからの主張としか思えません。
校長先生から将紀が死んだ後、「生徒指導のマニュアルがなかったので作った」と私ははっきりと聞きましたが、公判の中でそんなマニュアルは作ってなかった事がわかりました。

学校は常々「命を大切に」と教えているところです。
その学校の関係で生徒がひとり自殺しているというのに、結局学校は何もしないという事がわかり、その事は「将紀の死」と直面したと同じくらいの絶望感を感じました。
何があったかきちんと把握もせず、反省すべき点も検討しないという学校側の姿勢からは、将紀のような悲しい出来事を二度と起こしてはいけない、起こらない様にしようという気持ちなど学校側にはないんだと思い知らされただけです。

平成16年5月26日の12時からの約2時間の事情聴取で、5人の先生達はいったい何をしたかったのだろうと、将紀の死の直後から、死後約4年たとうとしている今もずっーと疑問に思っています。

先生達がした事は、決して「指導」とは思えません。「追及」でしかありません。
「指導」はその目的、その手段、その結果が妥当でなければいけないと思います。
将紀の場合、そのどれもが妥当ではなかったのではないでしょうか。

裁判官の方々には、証拠として提出した弁護士の先生たちによる再現ビデオをご覧になっていただけましたでしょうか?
あのビデオは学校から提出してもらった「事実確認概要書」に基づき、記載されていた時間と会話数を機械的に割り振り、再現したものです。
何ら時間の加算はしていません。

平成16年の12月に私、弟夫婦、友人達立会いで学校の先生達によっても再現してもらっています。
それと弁護士の先生達によって再現したものとは、あきらかな違いはありませんでした。
学校の先生達は同じような事を何回も聞いて、無言の時間も多く、私は「もう、やめて」と思うくらい執拗な感じがしてとっても不愉快な気持ちになりました。
だれも将紀をかばう発言もなく、あまりに不公平な状況だと憤りを感じました。
将紀の気持ちをなごましたり、解放したりの気配りある発言も行動もなく、これでは将紀はつらかっただろうと思いました。

裁判で被告側から「雑談等をして将紀の気持ちを和ませた」との主張がありますが、再現の当時そのようなものはありませんでしたので、学校側に不信感と怒りを強く感じました。

再現テープでわかるように、不自然なくらいの無言の時間があります。
「事実確認概要書」以外の将紀を追いつめる会話があったと考えるのが自然に思えます。
それは隠さなければならない内容だったのでしょうか?
もし、あれが全ての会話だと学校側が主張するのだとしたら、あの無言の時間は、将紀には圧力でしかなかったでしょう。

被告代理人は、尋問の時、私に「短ければよかったと考えますか」と質問しました。
その時、私は、結局学校側は何にもわかっていないのだと確信し、怒りを覚え、また悲しくなりました。
私は確かに、先生達に対し昼食、飲み物、休憩、人数や時間に配慮がないと訴えてきました。
それはただ単にそれらの事だけでなく、基本的に将紀にたいする配慮は全くなかったと言いたかったのです。
そんな事さえもわかっていないのだと思い知らされました。

家の近くに将紀が通った小・中学校があります。そこは私にとりあまり通りたくない場所となってしまいました。
そこでは、サッカーをしたり、体育祭だったり、将紀が元気な姿を見たところです。
それは当たり前の事でしたが、今は将紀がいないという事実を突きつけられる場所となり、つらい気持ちになります。

将紀は何をしたのでしょうか?
試験に必要でないメモを持ち込んだという事実があるだけです。
それに対して、あまりに多人数、あまりに長い時間、そして何よりも内容がひどすぎます。

学校関係者にお願い致します。恐れずに事実をきちんと把握して認めて下さい。
思いかけず子どもを亡くした親の、切なる望みです。
あの「事情聴取」がなかったら、21歳になった将紀がまちがいなくこの世にいたはずです。
教諭達が直接手を下したわけではなくても、将紀を追いつめたものがあったのです。

裁判官の方々にお願い申し上げます。どうか、真実に沿った、公正な判決を切にお願い申し上げます。

本日は、このような発言の機会を設けていただき、ありがとうございました。


  
2.陳述書 / 大貫隆志   ※大貫陵平くん(中2) の父親 TOP

陳述書

大貫 隆志



 私は学校の指導の不適切さから、わが子を自殺によって失った親です。
井田さんの事件も、自殺した次男、陵平のケースと類似した点があると感じました。
 また、陵平の事件は井田将紀君の事件の4年前に、同じ埼玉県で起きた事件であり、ニュースでも大きく報道されたため、教育機関には陵平の自殺と引き替えに何かを学んでいただいたに違いないと期待をもっていました。
 子どもがどんなときに自らの命を絶つのか、学校に陵平の自死から何を学んでほしかったか、また子どもをこのようなことで失った親の悲しみはどれ程のものかについて陳述したいと思います。


1 息子が学校の指導後自殺した経過について

 2000年9月30日22時30分に、私の次男、大貫陵平が自宅マンションから飛び降り、自殺しました。当時彼は、埼玉県新座市の中学二年生、13歳でした。
 学校でお菓子を食べたことを、同じくお菓子を食べた他の20人の生徒とともに、教員12人から1時間半にわたって事実関係を確認され、反省文を書くこと、親に学校に来てもらうこと、臨時の学年集会で同級生の前で決意表明を行うことなどの指導を受けた翌日のことです。
 彼の部屋の机にはきちんとした字で書かれた反省文と、床には乱れきった字で書かれた遺書が残されていました。


〈反省文〉

反省文

2年5組 大貫陵平

ぼくは9月29日に昼休み中に●●君たちとベランダに出て話をしていました。
その時●●君がハイチューを食べていて、僕も食べたくなってハイチューをもらって食べてしまいました。
今思えば本当にバカな事をしてしまったなと思います。
おかしを食べている人は二学期に入ってから少し見かけていましたが、1度も注意をしませんでした。
議長で中央委員で部長で班長でみんなにたくさんの仕事をまかされている自分が注意一つできなくて、ついには自分自身が食べてしまったのが情けないです。
また●●先生が1人1人確認をとっていたとき(帰りの会)全員大丈夫です。と言っていたけどそんなわけないのもわかっていました。
その時なにも言えなかった事を今ではなにをやっていたんだろうと思います。
本当にすいませんでした。
ライターをもってきたのは僕です。スプレーとかにはつけてはいないけどもって来てしまいました。
その時はかるはずみ気持ちでした。別に何をしようとか考えず持ってきました。

今後どのように罪をつぐなうか考えた結果、僕は2-5の教室を放課後できるかぎり机の整とんとゴミひろいをします。
また合唱祭の練習をたくさんなってみんなをリードして一所懸命がんばります。
仕事をすすんでやりみんなのクラス、学年の役に立てるようがんばります。
これからは自分に注意できるようにします
今回は先生方の貴重な時間をたくさん使ってしまって本当にすいませんでした。
今後ぜったいにこのような事がないように気をつけて学校生活を送ります。
すいませんでした。

(個人名以外、原文のまま)


  〈遺書〉

  死にます

  ごめんなさい

  たくさんバカなことして

  もうたえきれません

  バカなやつだよ

  自爆だよ

  じゃあね

  ごめんなさい

  陵平
 
 
 これが、彼の残した最後のメッセージです。
 明るく、人なつこく、負けず嫌いで何にでも一所懸命に熱中する陵平が、なぜ死を決意しなくてはならなかったのか。「まさか」「信じられない」。
 外傷もほとんどなく、静かに眠っているかのような陵平を目の前にしながらも、その死を受け入れられない気持ちでいっぱいでした。

 私がオートバイのレースを趣味にしていることから、陵平は小学校2年生くらいから子供用のバイクに乗っていました。いっしょに練習にいったり、草レースにでたり、家族全員で北アルプスや南アルプス、八ヶ岳、富士山に登ったり、キャンプにいったり、楽しかった思い出を数え上げればキリがありません。
小学校の後半は地域のサッカークラブに参加し、中学に入ってからは野球部に所属して、暇があれば素振りやキャッチボールをしていました。

 2000年9月29日の「指導」の翌日、30日に、陵平は病院に行くために学校を休みました。
 以前から予定されていた「あご」のしこりの検査のためです。
 検査を終えて帰宅し、夕食をとって家族と一緒に「欽ちゃんの仮装大賞」を見ながら笑い転げ、その後、兄とは別のテレビ番組を見たいために、もう1台のテレビのおいてある部屋に行きました。

 そして、21時10分には担任から母親宛に電話が入りました。
 「陵平君が学校でお菓子を食べ、9月29日にその件で学校で指導をしました。来週の学年集会の場で、(学級委員などの)リーダー格の生徒には、みんなの前で決意表明をしてもらうかも知れないので、その準備をするように伝えてください。また、陵平が学校にライターを持ってきていたようなので、その点もお母さんから確認してください。ライターの件に関しては該当する生徒すべての保護者に学校に来てもらうようになると思います。」

 母親が陵平の所に行き「学校でお菓子食べたんだって?」と聞くと「うん、ごめんなさい」。「ライターをもっていたって先生が言ってたけど、本当?」「ごめんなさい」。あまり落ち込んだ様子なので、母親はそれ以上なにも言わなかったそうです。陵平はそれから、自分の部屋とテレビのある部屋とを何度か行き来していたようです。
 本当に落ち込んでいるときは、自分のベッドでじっとしていることが多いので、ショックは受けてるようだけど、大丈夫だな、と母親は思っていたそうです。

 その夜の22時30分。靴を履き、玄関からそっと通路にでて、彼はマンションの10階から飛び降りました。
 担任の電話から1時間の間に、陵平にどんな気持ちの変化があり、どんな理由から死を選択したのか。彼が帰ってくることはなく、いったいどんな意味があるのかと自問しながらも、死を決意するときの彼の気持ちを少しでも感じ取りたく、新座市立第二中学校に質問を投げかけました。
 子どもを失った悲しみは、どんなことをしても消えるものではなく、そしてどんなことをしてもらったとしても子どもが帰ってくるわけでもありません。
だから学校に謝罪をして欲しいといった気持ちはまったく持っていませんでした。ただ単純に彼が最後の数日間、どんなことを感じていたのか、それを知りたいと思いました。

 学校に対しては何度も何度も何があったのか教えて欲しいという話をしましたが、ほとんど答えらしい答えが返ってこないのです。
 教育委員会に働きかけをしたりして、ようやく話を聞けたのが1ヶ月後の10月31日のことです。
 ただ単に何があったのかを知りたいというだけなのに、たいへんな労力と非常に長い時間を使わなければなりませんでした。
 そして、一人の人間が自らの命を絶ったということをもとに、私たち自身も自分が子どもに対して何をしてきて何をしてこなかったのか。自分が自分の子どもの死の引き金を引いてしまったとしたら、どういうことがあったのだろう。何をして何をしなかったのだろう。何ができて何ができなかったのだろうと、そのことをずっと問い続けていました。

 同じような立場から、学校にもそれを考えて欲しかったのです。
 少なくとも一人の貴重な命が失われた。学校の指導が悪かった、もしそうだったとしたら、次に何をしたらいいのだろうか。そういった意味で彼の死を活かして欲しいと思いました。
 でも新座二中の対応は、学校の指導は問題ないという返事を繰り返し、生徒たちにも十分な説明をせず、保護者に対してもわずか30分間の保護者会で非常に簡単な説明をしただけで終わりにしてしまいました。

 その後、新座二中では学校開放を3週間に渡っておこなったり、生徒に対して悩みのアンケートをしたり、実効性に乏しい対処によって、この出来事にピリオドを打ちました。
 後からわかったことですが、このような事件等があった時に、なかなか親に真実が知らされないということは、新座二中に限った話ではなく、日本中どこでも当たり前のようにおこなわれていることだということです。



2 事後の学校側の対応

 私は、次男の自死の直後から他の20人の生徒の後追い自殺等を未然に防ぐため、カウンセリングをはじめとする対策をとっていただくよう学校側にお願いを続けました。しかし、20名の生徒に対して、他の生徒と異なる特別の対応をとることは好ましくないとの市教委の指導により、それは実施されることはありませんでした。

 また、学校でなにがあったのかを詳しく知りたいと申し入れました。
 しかし、実際に話を聞くことができたのは2000年10月31日、陵平の死から1ヶ月がすぎていました。
 その場には、指導に立ち会った複数の教員が出席しているにもかかわらず、一人ひとりの意見や感想は聞くことができず、統一された情報が提供されるだけでした。なにを話すか、なにを話さないか、事前に詳細な検討がされたのではないかという印象を強く感じました。

 私は、陵平の死を自分のいたらなさが原因であると学校側にも市教委にも言ってきました。
 私が、できる限りの繊細さで陵平の心理をくみ取り、できることのすべてを行なっていれば、彼は死ななくてすんだのではないかという思いからです。
 そして、学校や市教委にも、直前の指導が陵平の死に何らかの影響を与えたとすれば、なんだったのかを考えてほしいと伝えてきました。
 「学校に責任がある」と言いたかったのではなく、陵平の死から何ごとかを学び、次の犠牲者を出さないようにしてほしかったのです。
 しかし学校や市教委は、「学校の指導には問題はない」「指導に行きすぎはなかった」「指導と自殺との関係は分からない」と繰り返し、責任回避の態度を崩すことはありませんでした。

 この出来事は、埼玉県西部地域版をはじめ全国版の新聞、TBSやNTVの全国版ニュース番組で報道されました。
 指導のあり方や原因究明がされていないことについて、2006年にも市議会一般質問で取り上げられています。
 新座市教委は「指導と自殺の関連性は不明」とし、「それまでも続けてきた指導方法であるから、あらためる必要はない」との姿勢を崩しませんでした。



3 指導と自殺との関連性について

 一部重複しますが、出来事をもう一度振り返ってみたいと思います。
 2000年9月29日昼、昼休みに一人の生徒がお菓子を食べていたことを生徒指導主任が「匂いから発見」したことが発端になっています。
 そしてその子が所属していた2年5組では、これは陵平のクラスでもあるのですが、その日の帰りの会で担任から「他にお菓子を食べた子はいないのか。」という問いかけがありました。
 この問いかけに対して陵平が自分から手を挙げて、自分も最初に発見された子からお菓子をもらって食べたということを告げています。
 他に食べた子はいないのかという話が続き、この段階では9名お菓子を食べた者がいるということが発覚しました。

 この9名が、会議室と呼ばれている、新座二中の職員室の隣の部屋で、通常の教室の約2分の1のスペースに呼ばれます。
 そして2学年の担任7名、それから副担任合わせて12名、9対12という数で「指導」がスタートします。これが午後4時半のことです。
 この指導は6時まで続きます。その中で「他に一緒にお菓子を食べたやつがいないのか」という質問がなされています。
 お菓子の数と食べた人間の数があわないだろうという問いかけがなされ、次々に仲間の名前が挙げられていきました。そして最後には21名の生徒がその会議室に集まることになります。

 この集まった21人の中には、例えばクラブの部長であるとか、各クラスのリーダーであるとか、「これから3学年に向かって、皆をリードしていかなくてはいけない立場」の人間が多かったのです。
 そのため教員達はこの出来事を非常に重視し、反省文を書いてくるようにという指示を出しました。
 反省文にどのようなことを書くのかということも、具体的に指示されています。

 21人を揃えてくるのに非常に時間を使ってしまい、夕方の6時になってしまい、これ以上続けるわけにはいかないということで、一旦この話は打ち切られます。
 翌日、30日の午前中から、生徒達は反省文を提出したり、それから更に担任から指導を受けたりしています。
 30日の夜には、担任から「各家庭に連絡をするから、その前にお菓子を食べて学校で指導を受けたということを自分の口から親に言っておくように」という指示が出されています。

 ただ、陵平だけがここから先の体験が違っていきます。
 陵平は以前から予定されていた検査の為に、病院に行きました。その為に学校を休んでいます。
 MRIなどの検査を終えた陵平は、家に戻って来て、昼寝をしたり、返済の期限がきたCDを返しに行ったりしてその日を過ごしています。

 夕食後9時10分になりました。担任から母親宛てに電話が入りました。
 陵平が学校でお菓子を食べたこと、それからライターを持って来たらしいということ、そういったことを確認して欲しい。そしてライターを持って来た生徒の保護者には、来週学校に来てもらうことになると思う。それからお菓子を食べたことに関して、来週予定されている臨時学年集会で決意表明をしてもらうという内容の伝達がされています。

 その後母親が陵平に電話の内容を伝え、学校に行くことを了解したという旨を伝えています。
 その話の間中、陵平は沈んだ様子だったので、これ以上話はしない方がいいだろうと考えて、手短に打ち切ったと言います。

 その晩の10時10分のことです。
 長男が寝ようとしていたところ、ドスンという非常に大きな物音、彼の言葉によれば、エアガンを撃ったような音を聞きつけました。
 長男はそのことを母親に告げ、母親が陵平を探すと、部屋にいない。
 ドアを開けて通路に出て地上を見ると、そこに陵平がいました。
 担任から電話があった後、そのドスンという音を聞くまでの間、たった40分の出来事です。

 後から想像するに、その間に陵平は反省文を書き、それから遺書を書き、誰にもわからないようにドアを開けて表に出て行ったようです。
 ほんの軽い気持ちからお菓子を食べたこと。それが大きな問題へと発展していき、結果として抜き打ちのように親の知るところとなり、親が学校に呼び出されることとなり、さらに、臨時学年集会でおおぜいの同級生の前で決意表明をしなければならなくなる。
 リーダーというニックネームで呼ばれていた陵平にとっては、なんでこんなことをしてしまったのだろうという思いと同時に、自らの尊厳が一気に崩れていく感覚を味わったのではないかと想像します。
 同時に、大好きな母親に迷惑をかけてしまうことも、心の大きな負担となったことと考えます。
 
 「たかがお菓子と思うかもしれないが、それを見逃すと今度はタバコになる。そうやって学年が立ちゆかなくなるから、お菓子といえども見逃せない」という学年主任の言葉通り、一連の指導は徹底して陵平の心に影響を与えました。
 陵平は自らの行為を悔い、深く反省し、そして死を選んだのです。



4 行きすぎではなく、いたらない指導

 お菓子を食べた生徒を発見してからの学校側の対応は、「過剰な反応」と私の目には映ります。
 お菓子からタバコへ、そして学校崩壊へと連想が自動的に飛躍する学年主任の心理に、私はある種の「おびえ」を感じます。
 新座二中の教員達は何におびえ、そして何を守るために、学年に関わる12人の教員全員が集まり、21人の生徒に対しての1時間半にわたる「事実確認」を行ない、「反省文」「親への電話連絡」「臨時学年集会での決意表明」という「指導」を行ったのでしょうか。
 少なくとも私には、この一連の行動に「子供の能力を開発し、豊かな可能性を開き、個性を伸ばし育てる」という意図を感じることができません。
 私の目に映るのは、「決まりだから守るべきだ」「決まりを破るのは悪い人間だ」という教員の声なき声であり、「面倒を起こすな」「教員としての自分の評価が下がるじゃないか」という隠れた意図です。
 もちろん事実はわかりません。しかし「臨時学年集会での学年全員の前での決意表明」は、みんなの前でさらし者になる辱めですし、「親を学校に呼びだす」対応は、子どもの心理への圧迫という側面を持つことは、教育者として当然把握しなければならない事実です。

 学校での指導が関係しているのではないかと指摘される事件や事故では、「指導に行きすぎはなかった」という発言が繰り返されています。
 しかし、過剰なストレスのかかる状況や尊厳を著しく傷つけられる状態では、子どもが突発的に死を選ぶ可能性があるということは、過去の事例や児童心理学の分野ではなかば常識となっています。
 「指導あるいは叱責」と「子どもの心理状態に対するケア」はつねに同時に考えられなければならない問題です。
 これを欠いた指導は、行きすぎた指導などではなく、いたらない指導として非難されなければならない行為です。



5 井田将紀君の自死を知って


(1)繰り返される事件

 井田将紀君の自死は、武田さち子さんからの電話で知りました。
 武田さんは『あなたは子どもの心と命を守れますか!―いじめ白書「自殺・殺人・傷害121人の心の叫び!」』の著書もある、いじめ・自殺関連の研究者です。

 将紀君の報道を調べると、複数の教員による長時間の「事実確認」あるいは「事情聴取」、そして過大な精神的圧力など、陵平と将紀君の受けた「指導」には共通点が多く見られます。
 私は、陵平の事件の教訓がまったく生かされていないことに強い憤りを感じました。

 二人は同じ年齢で、同じ県内ということに加え、通っていた中学校は数キロしか離れていません。
 陵平のケースは、朝日・毎日・読売・産経・東京新聞の埼玉版をはじめ、全国紙などで数十回取り上げられており、また、TBSでも3日間連続、日本テレビで1日、全国版のニュースとして報道もされています。
 こうした報道を、県立所沢高校の教員が一度も目にしていないとは考えられません。事件報道を見聞きしたが、気にもとめなかった。あるいは、自分のこととして受け止める繊細さにかけていた、といえるかもしれません。

 そして、教員個人だけでなく、市町村の教育委員会、県教委が、新座市で起きた陵平の自死を「指導と自殺との関連性も考え得る」という立場から、複数教員による指導のあり方、長時間にわたる指導での配慮などについて注意を呼びかけていれば、将紀君の自殺は防げたはずです。
 指導は、子どもの学びや成長を目的として行われるべきことです。当然のことながら指導を行った者は、指導の結果に責任を負う立場にあります。

 将紀君に対し、5人もの教員が事情聴取を行う必要があるのか、大人数での指導は精神的負担が過大ではないか、指導後の将紀君に対する心理的配慮が必要ではないかなど、将紀君の事件には、普通に考えてもいくつかの大きな問題点が浮かび上がります。
 これらの問題に関し、当然教員は十分な配慮を行わなければならないはずです。

 この教員達が、そして学校が、陵平の事件から先に述べたことを学んでいれば、「複数の教員」による「長時間」の指導が、いかに子どもにとって精神的負担が大きいことなのか、自分の行った行為が「親の知るところ」となることが、子どもにとってどれほどつらいことか、指導後の子どもの心理へのフォローが、いかに大切かを考え、子どもの安全に十分配慮できたはずです。
 私は将紀君の事件に触れ、教育機関が陵平の事件から何も学びとらなかった現実に対し、正直失望しました。
 そして、陵平の死が何もいかされなかったことが、残念でなりません。


(2)陵平の事件と将紀君の事件について

 やってもいないカンニングを疑われ、否定しても何度も確認される。自分を信じてもらえない。その時間は彼にとって、どれほど長く、そして、いたたまれないものだったのでしょうか。
 その場にいた教員の無責任で無自覚な言動が、あるいは指導を受ける側に対する繊細さを欠いた対応や姿勢が、将紀君の尊厳を立ち直ることのできないほどに打ち砕いていったことは、容易に想像できます。

 陵平の事件と将紀君の事件には、いくつもの類似点があります。
 その一つが複数の教員による事情聴取です。陵平の場合は2学年の担任7名、それから副担任合わせて12名、将紀君の場合は5名の教員が事情聴取にあたっています。
 時間の長さも共通しています。陵平の場合は1時間30分、将紀君の場合は約2時間もの間、事情聴取を受けています。
 狭い空間に多くの教員と子どもが集まっている点も同様です。陵平の場合は通常の教室の半分ほどのスペースに12人の教員と21人の子どもが、将紀君の場合は5人の教員と将紀君が空きスペースのほとんどない状態で座っています。

 そしてこの間の教員の振るまいが、共通しています。
 教員全員が、子どもの非を責める立場から関わっており、誰一人として子どもを擁護する立場に立っていません。
 教員は学校のなかで絶対的な強者の立場にあります。
 その教員から、しかも複数で、長時間にわたって事情聴取を受けることは、子どもにとって精神的にきわめて大きな負担であることは明白です。

 また、陵平の場合は「事実確認」、将紀君の場合は「事情聴取」と呼ばれていますが、子どもの立場から考えれば叱責を受けているのも同様です。
 陵平の場合は教員からこんな言葉が発せられています。「以前学年集会で話をしたにもかかわらず、このようなことになってしまったね。学年委員や部長も多いね、手を挙げてごらん。このままでは学年がダメになってしまうよ」「以前、陸上部の生徒が大会中にお菓子を食べたことで、大会の途中で帰ったことがあった。反省をして奉仕活動を行った。たかがお菓子と思うかもしれないが、大変なことなんだよ」「選抜高校野球などでは不祥事で出場できないこともあるんだよ」。そして反省文を書くように指導されています。
 将紀君の場合は、消しゴムに巻かれたメモを持ち込んだことを文章に書き、さらにそれを自分で読み上げることを求められています。
 こうした体験が子ども自身にとってどの程度、精神的に負担となる体験なのかは、個人差があるでしょう。しかし、真摯に、深く受け止めるタイプの子どもも大勢いることも、教員としては当然理解しなければならず、十分配慮しなければなりません。

 さらに、何度も追い打ちをかけるように心理的負荷がおそってくる点も、また共通しています。
 陵平の場合、1時間30分の「事実確認」と「反省文」、予期せぬ担任からの「母への電話」と母親の「学校への呼び出し」、そして臨時学年集会での全員の前での「決意表明」。
 将紀君の場合は、2名の教員によって始まった「事実確認」が3名、4名、5名へと増え、そのたびに類似した質問をされます。そして、何度も否定しているにもかかわらず、執拗にカンニングを疑われました。
 「消しゴムに巻かれたメモを持ち込んだこと」を文章に書いた後も、「試験開始後発見されるまでの流れ」を書くように言われ、メモを「いつ頃どんなふうに置いた」かを書くよう求められるなど、心理的に負担の大きい体験を重ねています。
 こうしたやりとりの後、担任から「今日のこと家に帰って親に話して下さい」「君がお母さんに言った後に,担任の先生から連絡してもらいますから」と告げられ、さらには「日本史の席が一番前ではなく,後ろの方だったら,カンニングペーパーを見ていたの?」などと、担任から再度疑いを含む質問を投げかけられています。

 1度、2度なら耐えられたかもしれません。しかし幾重にも覆いかかる心の負担に、ついに陵平は、そして将紀君は耐えられなくなったのです。
 将紀君は県下でも有数の進学校である県立所沢高校の生徒です。陵平も学級委員や部長などを務める存在でした。
 子どもたちは、いわゆる学校社会の中で「優秀」であるほど、学校での評価や立場を失うことのダメージは大きいと考えられます。
 ましてや、そのきっかけが些細なことであったり、不当な疑いであったりする場合には、強い理不尽さを感じるのではないでしょうか。
 耐えきれないほどの理不尽さも、自分だけに関わることであれば、なんとか乗り越えることができたのかもしれません。しかしそれが、親に降りかかっていくとわかったとき、子どもの尊厳は修復不能なダメージを受けるのではないでしょうか。
 教員のうち誰か一人でも、子どもに寄りそう立場から関わっていれば。

 最後にひとこと、子どもの心の負担を軽くする言葉をかけていれば。親を巻き込むことさえしなければ。将紀君の命を救うチャンスはいくらでもあったはずです。
 「不正行為を行っているのでは」という教員の思い込みから始まった将紀君への事情聴取は、事実誤認として中止することもできたはずです。
 しかし、教員達は自らの間違いを認めないがために「違う教科のメモとはいえ机の上に置いてあるのがいけない」「他教科の試験中に日本史を勉強することがおかしい」などのこじつけとも受け取れる「指導」を行ない、「いままでにも不正行為のようなことはあったか」などと不要な疑いをかけています。
 教員達のこうした心ないふるまいが、将紀君の心を深く傷つけ、「自分は生きるに値しない」とまで感じさせたのではないでしょうか。



6 最後に

(1)学校や教育委員会が、学校での指導にともなう事件・事故に関する情報を隠蔽し、自らの保身のために「指導には問題がない」「学校とは無関係である」とする無責任な振る舞いをすることによって、生徒の死を防ぐ手だてが立てられないのです。
 こうした「不作為」によって、学校や教育委員会が、生徒が自殺する危険性を高めているといったら言いすぎでしょうか。
 これは、「指導」によるものだけでなく「いじめ」による自殺、「熱中症」による死亡事故などにも共通していえることです。
 教育の理想については、さまざまな意見があることでしょう。しかし、子どもたちの能力を伸ばし、可能性を開く場としての学校には、子どもの安全が何よりも求められるはずです。

 いま、学校は安全な場所でしょうか。
 生徒の心理に思いのおよばない粗雑な指導。教員による指導の名を借りた暴力、精神的圧力。いじめの存在。そしてそれを見ぬふりをする教員。
 こうした危険要因を取り除かない限り、子どもたちは学校で安心して学ぶことはできません。


(2)「今日と同じように、明日も我が子との時間が続いていく。それは、ごく自然に約束されたことと、あの日までは思っていました。しかしそれは、突然のわが子の自死によって断ち切られました。」
 「学校は安全なところ。先生は子どもを守ってくれる。何か問題が起きた際には、学校に相談すれば対応してもらえるという思いが、幻想にすぎなかったことを思い知らされました。」
 「私はわが子に何をしてきたのだろう。何をしてこなかったのだろう。してきたつもりで、できていなかったことはなんだったのだろう。何をすれば、わが子は生きていられたのだろう。」
 
 これは、私が耳にした、子どもを失った親の声のほんの一部です。
 いじめや学校の指導をきっかけに命を失った子どもの遺族は、「なぜ、いじめが繰り返され、命を失う子どもが後を絶たないのか、なぜ子どもの心を深く傷つけるような指導が繰り返されるのか」ということに強い憤りを感じています。
 子を失った私と同じ思いを、他の誰かに味わってほしくない。その一心で学校や教育委員会への一方通行に等しい不毛な働きかけを続けてきた者として、井田さんのように強い類似性を持つケースでお子さんを失った方に出会うことは、再びわが子を失うに等しい悲しみです。


(3)平成17年度の警察白書によれば、0〜19歳の自殺者数は608人とあります。 このうち何人の児童生徒が、学校での指導をきっかけに命を失っているのか、残念ながら統計には表われていません。
 しかし、2006年3月16日に北九州市で起きた自殺事件のように、指導をきっかけとする自殺は、明らかに存在するのです。
 この事件は、3月16日に翌日の卒業式に向けた準備や掃除を行った際、男子生徒が振り回した紙の棒が同級生の女児の顔に当たったことがきっかけとなっています。
 午後3時すぎ、担任の女性教諭が男児に問いただしたところ、反抗的な態度を取ったため、男児の上着の襟をつかんで揺すりました。
 男児はバランスを崩し、ペットボトルを投げつけて教室を出て行きました。
 午後4時半ごろ、帰宅した家族が自室で首をつっている男児を見つけました。

 このケースでも、学校を飛び出した生徒を捜す、あるいは家庭に連絡をすることで最悪の事態は避けられたはずです。
 その理由として1994年9月9日に兵庫県龍野市立揖西(いっさい)西小学校で、同様の事件が起きているからです。
 この事件では、担任教員(46)にぶたれた1時間後、内海平君(小6・11)が、自宅裏山で首吊り自殺しています。
 この事実を教員、あるいは教育委員会が学んでいれば、北九州市の男子生徒の死は充分に防げたのです。


(4)同様に、井田将紀君のケースでも、「過剰なストレスのかかる状況や尊厳を著しく傷つけられる状態では、子どもが突発的に死を選ぶ可能性がある」ことを教員が知識として身につけ、適切な対応をとっていれば防げたはずです。
 その責任は教員一人のものでなく、学校や教育委員会、市や県にもおよぶと考えられます。
 いわば、教育に携わるすべてのものの無知と怠惰が、生きられるはずの将紀君を死に追いやったと考えるべき事態なのです。

 「子どもの成長を願って行った指導であるから」、あるいは「悪意があったわけではない」「暴力をふるったわけではない」という理由で、教員が自らの行為を正当化するのであれば、それは指導をきっかけとして死を選ぶ生徒が少なからず存在することを知らない、あるいは知っていても軽視する、プロフェッショナルとしての怠惰を責められるべきであるし、その程度のことで死を選ぶとは想像できなかったというのであれば、児童心理の基本すら学んでいない無知を責められるべき行為でしょう。

 子どもの命を守るために、当該教員や学校、自治体関係者に、いま一度自らの責任を誠実に見つめ直していただき、どのような対応をとれば将紀君の死が防げたのかについて真剣に考えることを、「学校に行かなければ死なずにすんだ子」を持つ親として、強く希望いたします。

                                                                    以 上


    
1.冒頭陳述書 / 原告・井田紀子   ※井田将紀くんの母親 TOP

冒頭陳述書

井田 紀子



私の次男の井田将紀が亡くなってから2年の時間が過ぎました。
自分よりも子供のほうが先に死ぬなんて、みなさんもそうでしょうが想像もしませんでした。まして自殺するなんて思いもよらなかったので、悲しみ・動揺・絶望が襲いかかり、それは時間が過ぎても変わることはありません。
時が経つという事は「癒し」よりも、「二度と会えない、話せない」と思い知らされる絶望感の方が強いです。夢でも幽霊でもいいから将紀と会いたい!話したい!と強く思います。

2004年5月26日の朝、高校3年1学期の中間試験の最終日でした。
「行ってきまーす!今日で試験終わるから、学校から帰ったらゲームして寝るから、夕飯の時でも寝ていたら起こさないでね」と将紀はいつものように登校していきました。私も「わかった、気をつけてね」と送り出しました。
それが最後になりました。

お友達のウチに泊まりにいったり、映画を見に行ったり、フットサルをしたり、勉強会をしたりして高校生活を楽しそうにのびのびと過ごしていました。
その翌週には卒業した中学校で体育祭があり、中学時代の友人たちと応援に行く約束もしていました。
高校3年生になり、自分から塾に行きたいと言い出し、自分で塾も決めてきてほとんど毎日塾に通ってました。
目標の大学も決めて、将来の職業も決めてました。

ですから、自殺した原因はその日学校で起こったことしか考えられませんでした。
ですから、将紀が救急車で運ばれた病院に私より前にいらした学校の先生方に「学校で何があったのですか?」と尋ねました。
将紀が2時間目の物理の試験中に不正行為をしたので「事情聴取」をしたとの事でした。
先生から「事情聴取」という言葉を聞いた時、法を犯した犯罪者に対しての言葉のようで不快な気持ちになりましたが、学校で使われている言葉だそうです。

どんな不正行為かというと、試験中に小さなメモを見ていたとの事でした。
事情聴取は試験終了後の12時から14時頃の約2時間、5人の先生方によって行われたそうです。その間、昼食を与えられなかっただけではなく、とっても暑かった日でしたが飲み物もトイレ休憩もなかったそうです。
実際に病院では4人の先生と聞きました。その2日後テレビ局の人から4人ではなく5人だと学校は言っていると伝えられ、不信感を持ちました。

将紀が提出したメモは日本史の内容が書かれたものです。でも試験監督の先生は物理の記号が見えたそうです。
その記号が見えたという思い込みがすべてを支配していたんだと思います。その辺りの食い違いは今後の裁判で実証して行く事になると思いますが。

時間というのは相対的なものです。
映画とかスポーツとか楽しい事をしている時は2時間なんてあっという間に過ぎてしまうように感じるでしょう。
でも5人の先生に囲まれて、自分のした事は認めているのに、何度も同じような質問を繰り返され、いくら否定をしても物理の記号が見えたと言われ、結局は信じてもらえないままの約2時間はどんなに長くつらいものだったろうと思います。
まして中間試験の最終日です。ほとんど眠っていない状態でしたし、朝も軽くしか食べていません。
疲労度はかなりだと思います。

学校の先生方に再現して頂き、その場に立会いましたが、大人の私、ましてその時私には弟や友人という仲間と一緒だったのにもかかわらず、その約2時間は耐え難いものでしたし、終わった時には精神的にかなり疲労しました。
ですから将紀はさぞつらかっただろうと思いました。
先生方から提出してもらった約2時間の内容は再現によって紙面で読んだだけではわからない物が感じられました。

ですから、裁判官の方にお願いがあります。
お忙しいとは思いますが、証拠として提出の再現のビデオを是非ご覧ください。
学校の先生方によって再現されたものはビデオ撮影できなかったのですが、弁護士の先生方によって再現してもらった物ですが、文章を読んだだけではわからない、異常な無言時間の多さ、将紀が感じただろう圧迫感を感じ取って頂けると思います。その時は必ず早送りではなく2時間の時間を掛けてご覧ください。切にお願い申し上げます。

先生方は何をしたかったのでしょうか?本当に指導をしたかったのでしょうか?
教育委員会は「まちがった指導ではなかった」と言っています。
でも、たかだかメモを持ち込んだだけで、1対5というあまりに不公平な数と約2時間というあまりに長い時間の事情聴取はおかしいと思います。
もしそれを間違っていないと、本気で考えているとしたら教育委員の方々の常識は一般人のそれとあまりにかけ離れています。
教育委員・先生方にも家族がおありでしょう。ご家族に聞いてみてください。何と答えられるでしょうか。

事情聴取の間、隣の体育館では体育祭の結団式が行われていました。
将紀は高校最後のそれにも参出席させてもらえないばかりか、みんなの声が聞こえるような場所で長い時間事情聴取されています。どんなに孤独だった事でしょう。
そういう事も含めて、将紀に対して何の配慮・気配りもなされていない事が腹立たしいです。
一人の先生でもいい将紀の立場になってくれる先生がいたらと思います。
一言でもいいから、将紀にやさしい言葉を掛けてくれる先生がいたらと思います。将
紀の気持ちを解放してから帰してくれたらと思います。結局、将紀はカンニングしていないのですから。

先生方は5分1ずつの責任しか感じていないかも知れませんが、将紀には5倍の圧力がかかっていたのです。
学校では「相手の立場になって考えよう」と指導されているのではないのでしょうか?
それとも先生が生徒に対しての時は考えなくていいのでしょうか?
先生方に尋ねました。先生一人と私サイドの人間5人で、乱暴な事はしない・言わないで約2時間過ごすとしたらどうですか?怖くないですか?どの先生も怖いとおっしゃいました。将紀は生徒対先生です。もっと怖かったのではないでしょうか?

教育委員会が間違った指導ではないと言っている指導によって、カンニングもしていない子どもが少なくとも一人死んでいるのです。
この事実を考えるときに「間違っていない」と決めつけるのではなく、「何か間違ったところがあったのではないだろうか」という見方はできないものなのでしょうか?
列車事故や医療事故でも原因を追究して是正して行く事が再発防止となっています。
私や家族の希望の星だった将紀はどんなに望んでも、悲しいけれど二度と還ってくることはありません。
ですから、将紀と同じような子が二度とでないで欲しいという事は私の強い望みです。こんな悲しい・つらい思いをするのは私たちで終わりにして欲しいです。
終わりでなければいけないのです。

将紀はやさしい子でした。
高校2年の修学旅行で北海道に行った時、祖父母に何が届くかはお楽しみだよと言ってカニを送りました。
私が仕事からの帰りにスーパーで買い物をして重いと、よく迎えにきてくれました。
思春期の男の子ですから、普段はそんなに話しませんでしたが、スーパーから家までの道々はしゃべりどおしでした。
他愛もない話でしたが、私には楽しい時間でした。
今、仕事からの帰宅で同じ道を毎日通ってます。私には一番さびしい時間となっています。

そんな将紀が飛び降りる直前だったろう5月26日の17時43分、「ほんとにほんとに迷惑ばっかかけてごめんね」と私にメールをくれてます。
仕事中で私はそのメールに気づきませんでしたので、もし気がついていたら止められたのではないかと悔やんでいます。
ただ将紀がどかな気持ちでメールをうったのだろうと考えると母親として可哀想でなりません。
「命を大切に」と指導されている学校なのですから、たとえ一人でも、井田将紀という17歳の子が命を亡くしているのです。そこを基本において考えていただけたらと思います。


   



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