所沢高校・井田将紀くん自殺事件事例No.040526

伊藤進氏の意見書



※ 原告弁護士を通じて、伊藤進氏にはサイトに掲載することの許可を得ています。
※ 改行、文字あけ等はtakedaによる。

県立所沢高校「事実確認後生徒自殺事件」に関する意見書

平成21年1月25日

      
明治大学名誉教授
日本教育法学会会長    伊 藤 進  
       
    

 

   東京高等裁判所  御中

 


第 1 緒言

 この意見書は、平成16年5月26日、埼玉県立所沢高校において中間考査の試験中のカンニングを疑われ教諭らから「事実確認」を受けた井田将紀君(以下「被害生徒」と呼ぶ)が、事実確認後に飛び下り自殺した事件(以下「事実確認後生徒自殺事件」と呼ぶ)につき、所沢高校を設置・管理する被告埼玉県(以下「被告学校」と呼ぶ)に損害賠償責任があるか否かの前提となる教諭らの「事実確認」の違法性の有無につき、原審判決及び原審の一件記録を検討した結果に基づき意見を述べるものである。


第 2 本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「事実確認」の違法性の有無を判断するに当たっての基本的視点

1 「被害生徒」の教育を受ける権利の侵害
 本件「事実確認後生徒自殺事件」は、被害生徒の中間考査試験中のカンニングと疑われるような問題行動に伴っての学校の「生徒指導」教育活動に係わって生じたものであることから、憲法26条1項で保障されている生徒の教育を受ける権利の侵害という視点に立って、被告学校の賠償責任の有無を判断すべきである。
 最高裁昭和51年5月21日大法廷判決(刑集30巻5号615頁)は、「教育を受ける権利」を保障する憲法26条の「規定の背後には、・・特に、・・子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。」として、「教育を受ける権利」の保障の下での子どもの教育についての基本的理念を指摘する。
 これによると、学校教育は、学校や教諭は支配的権力者としてではなく、生徒の学習をする権利に対応し、それを充足するという観点に立って行われているかが重要視される。そのことは、学校教育における教科教育に限らず、生徒の人間的成長発達のための指導助言活動としての「生徒指導」教育活動においても同様であり、生徒の教育を受ける権利を満たすために、生徒の学習の充足という教育的配慮のもとで行われなければ、前掲最高裁大法廷判決が示した子どもの教育に係わっての基本的規範に違背することになる。
 これに加えて、本件のような生徒の問題行動に伴っての学校の「生徒指導」教育活動においては、生徒の人権や権利と直接するものであり、それらの人権・権利を侵害することなく学習権・人間的成長発達権を保障していけるような指導助言活動でなければならない。そのためには、十分な教育研究に基づいた教育専門的水準にうらづけられた慎重で、高度な教育的配慮にもとづいた「生徒指導」教育活動であることが要請される(兼子仁「教育法(新版)」431頁、堀尾輝久=兼子仁「教育と人権」264頁以下参照)。

2 教諭らの「事実確認」に当たっての生徒に対する安全配慮義務及び教育的配慮義務
 本件「事実確認後生徒自殺事件」は、「生徒指導」教育活動として行われた教諭らによる「事実確認」後における生徒の自殺事件であり、教育専門職者の故意または過誤に基づく作為的行為により生徒の生命、身体、精神を害するという教育過誤事故(伊藤進=織田博子「解説学校事故」497頁参照)という特質を持つものである。
 このことから、原審判決は「教職員らは、生徒らと学校生活を共にし、直接指導に当たる立場として、生徒らが健全で安定した学校生活を送ることができるように、同人らの生命、身体、精神等の安全に配慮する義務があり、特に生徒指導を行うに際しては、教師、生徒という権力的関係が生徒にとって大きな精神的・心理的負荷につながりやすいこと、思春期の生徒が精神的不安に陥りやすいことから、当該生徒の年齢、性格などを考慮した上で、教育目的の観点から、当該生徒に過度に肉体的・精神的負担を負わせるにいたった場合には、除去するなどの教育的配慮を行う義務がある。」と判示する。
 「生徒指導」教育活動に当たっての抽象的な規範としては、まさに適切正当である。また、先例(長崎地判平成20・1・28(平成18年(ワ)第323号)甲第58号証)として同旨の見解もみられる。

 しかし、原審判決は、かかる安全配慮義務及び教育的配慮義務の具体的な内容、程度に関して、本件「「事実確認後生徒自殺事件」の特質についての配慮がみられない。
 本件「事実確認後生徒自殺事件」では、
 第一に生徒の教育を受ける権利の充足をはかる責務を負っている学校及び教諭ら自体の直接的な行為に起因するものであること、
 第二に学校の教育活動を担っている教育専門職者による行為に起因するものであること、
 第三に被害生徒が単に思春期にあるというだけではなく、本件「事実確認」と密接に係わる大学進学を控えた生徒である等、被害生徒についての諸状況を具体的に把握し、生徒指導に当らなければならない立場にある学校ないし教諭らの行為に起因するものであること、
 第四に文部科学省においては毎年「生徒指導上の諸問題の現状について」を発表し、生徒指導に伴う生徒自殺の防止への配慮をも求めていること
から、教育専門職者である教師としては生徒指導に伴う自殺が現実にあり、教師としてはこれを防止するために最善の配慮をすべきであることは知識経験として有していたことを前提とすべきであることなどへの配慮が求められ、その安全配慮義務及び教育的配慮義務の具体的な内容は教育専門的でなければならないし、その程度は教育専門職者として高度なものでなければならないという配慮が欠如している。


第 3 本件「事実確認後生徒自殺事件」において違法性判断の対象となる教諭らの「行為」 

 原審判決は、本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「行為」は、「本件のような不正行為に関する事実確認は、懲戒そのものではないが、事実確認の結果如何では、生徒に対する懲戒にも繋がる可能性のある行為の一つであるから、生徒に対する指導の一環として教師に認められた権限の範囲内の行為であるというべきである。」と捉えている。
 しかし、本件「「事実確認後生徒自殺事件」では、被害生徒がカンニングと疑われるような問題行為を行ったことに伴って行われた教諭らによる被害生徒の問題行為の「事実確認」行為のみが対象となるだけである。
 たしかに、教諭らによるかかる「事実確認」行為により確認された事実内容によっては、その問題行為がカンニング行為と確認され懲戒に繋がる可能性はないとはいえないが、かかる「事実確認」行為を懲戒と一体的なものとして対象にすべきではないのである(廣木克行「再現ビデオを視聴しての意見書」(甲第53号証の1)参照)。本件における争いのない事実としても、「懲戒後」自殺ではなく、「事実確認後」自殺であることからも明らかである。

 もっとも、社会一般的には、不正と疑われるような行為をした者について社会的制裁、特に刑罰を課する場合には、そのような社会的制裁ないし刑罰を課するに値する不正行為を行ったかどうかの「事実確認」のための取り調べの伴うのが通常であり、「事実確認」は社会的制裁ないし刑罰に繋がる一体的な行為と見られていることは否定するものではない。
 しかし、問題行動と疑われるような行為を行った生徒に対する「生徒指導」教育活動としての「事実確認」は、懲戒(制裁)を想定し、その前提として行われてはならないのであって、それ自体が教育的効果を期待しうる教育活動行為でなければならないのである。「梅澤秀監・「『事実調べ』で失敗しないために」月刊生徒指導95年9月号44頁~45頁(甲第51号証)」による「生徒指導の目的は子ども(生徒)を教育すること(=立ち直らせること)であり、罰を与えるとか、責任をとらせるとか、従わなければ排除することではない。」「『事実調べ』を行うなかで、ときに私たち教員は、生徒に『白状』させようとあせってしまうことがある。しかし、学校内で起こる問題行動の多くは、喫煙・喧嘩・カンニング等比較的軽微なものであり、その行為を行ったことに対して罰を与えることが重要なのではなく、問題行動を起こしたことをきっかけに、今後ルールを守ることを決意させるための指導をすることが重要である。」との指摘にもみられるところである。
 すなわち、問題行動と疑われるような行為を行った生徒に対する「事実確認」は、成人の場合のようにその犯した非行に対する社会的制裁ないし刑罰を加えるために行われる「事実確認」ではなく、問題行動と疑われるような行為を行った生徒に素直にその行為を説明させること、その説明を通じて、その行為の不適切性を自覚させ、今後、ルールに従うことの重要性を自覚させるという教育的配慮のもとで行われるべきであり、その「事実確認」は「教育(保護)主義」(梅澤・前掲45頁参照)という考えに基づいたものであることによって、正当な教育指導として許容されるのである。
 もっとも、「事実確認」の結果によっては、それが不正な行為である場合もあり、その時点では教育的懲戒も許容されることはいうまでもないが(学校教育法11条)、問題行動と疑われるような行為を行った生徒に対する「生徒指導」教育活動としての「事実確認」は、このような教育的懲戒を背景としたものであってはならないのである。


第 4 原審判決における教諭らの「事実確認」行為の違法性判断の不当性

 本件「事実確認後生徒自殺事件」において、学校及び教諭らの行為が正当な教育活動であったと評されるかどうかの判断の対象になる行為は、問題行動と疑われるような行為を行った被害生徒に対する「生徒指導」教育活動としての「事実確認」行為についてであることは前述した。それは、学校及び教諭らによる懲戒行為ないし制裁的行為でないことに特に留意しておかなければならないのである。
 このような観点からみると、まず、原審判決の寄って立つ違法性判断基準自体が妥当性に欠ける。
原審判決は「本件のような不正行為に関する事実確認は、懲戒そのものではないが、事実確認の結果如何では、生徒に対する懲戒にも繋がる可能性のある行為の一つである」と捉え、「学校教育法11条を根拠に、そのような行為は教師に認められた権限の範囲内の行為として許容できるとする。
 たしかに、被害生徒の問題行動が「懲戒にも繋がる可能性のある行為」として懲戒と一体として捉える限りにおいては妥当するが、被害生徒の問題行為についての「事実確認」は、懲戒とは区別された「生徒指導」教育活動であるとみるのが正当と解されることから、誤った解釈といわざるを得ない。学校教育法11条は学校及び教師の懲戒行為について、それが「教師に認められた権限」であるとして許容しているのであって、その懲戒行為とは異なる本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「事実確認」行為を教師の権限として許容しているものではない。
 もっとも、このような問題行動と疑われるような行為を行った被害生徒に対する教諭らの「事実確認」行為は、教師の教育権として教科教育のほかに人間的成長発達の指導助言活動である、いわゆる「生徒指導」教育活動として許容されるものではあるが、学校及び教師の懲戒行為を許容する学校教育法11条を根拠とすることは妥当性に欠けるといわなければならない。

 ところで、このような原審判決の誤りは、前述したように、問題行動と疑われるような行為を行った被害生徒に対する教諭らの「事実確認」行為を、成人の場合において、その犯した非行に対する社会的制裁ないし刑罰を加えるために行われる「事実確認」行為と同視している点にある。
 それは、「生徒指導」教育活動の一環として許容されている「事実確認」は、犯罪行為の取り調べではなく、正当な教育指導であるという教育的配慮の欠如に基づく結果であり、被害生徒の教育を受ける権利の侵害となるか否かが問われている本件「事実確認後生徒自殺事件」においては基本的スタンスの誤りと評されるものである。
 ついで原審判決は、その違法性判断基準として「かかる生徒に対する指導は、生徒の権利侵害に伴うことも少なくないから、教育的効果と生徒の被るべき権利侵害の程度とを比較衡量し、生徒の性格、心身の発達状況、不正行為の内容、程度等諸般の事情を考慮し、それに教育的効果を期待しうる合理的な範囲のものと認められる限りにおいて正当な指導の一環として許容されるべきであり、その範囲を超える場合には、指導としての範囲を超えた違法なものとなり、教師が生徒に対して負う上記安全配慮義務に違反するというべきである。」と判示する。
 かかる違法性判断基準は一般的には妥当なものと評しうる。ちなみに、学校及び教諭による懲戒や叱責・注意など懲戒的「指導」を苦にしての自殺事件において、そのような懲戒ないし懲戒的指導の違法性の判断基準としては、原審判決が示した違法性判断基準は妥当なものと評される。
 しかし、ここでも、本件「事実確認後生徒自殺事件」に則してみると、根本的な誤りがみられる。
それも、前述した学校及び教諭らの行為が正当な教育活動であったと評されるかどうかの判断の対象になる行為を「生徒に対する懲戒にも繋がる可能性のある行為」についての「事実確認」と捉えたことに起因するものであるが、原審判決はそれ以上に、「事実確認」を「懲戒」と全く同一視し、「不正行為の内容、程度」と教諭らの「事実確認」行為の比較衡量を違法性判断基準として転化させていることである。
 その上で、本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「事実確認」行為は、被害生徒に問題行為と疑われるような行為があったものの、その「不正行為の内容、程度」について事実確認をするのが目的であるにもかかわらず、事実確認されていない「不正行為の内容、程度」と教諭らの「事実確認」行為とを比較衡量するという論理的矛盾に立った判断基準に基づくもので、到底許容できるものではない。

 そして、かかる誤った違法性判断基準を前提として、さらには「本件事実確認が、正当な指導として許容されるものであるものかについての検討」が行われ、まず被害生徒の非違行為の程度、内容について「カンニング行為を行ったか、少なくともその疑いが極めて濃厚」「仮にカンニング行為を疑わせるような行為があった場合についても、その行為は決して軽度とはいえず」「既に終了した日本史の試験についての勉強をしていたとの説明が不合理であることは否めない」などと認定し、被害生徒の問題行動が非違性の高い不正行為であり、被害生徒の説明についても疑念があると決めつけることによって、教諭らの「事実確認」行為は「適切」であり、「教育的観点からの必要性を上回るほどに、被害生徒の権利を侵害したとはいい難い」とし、「本件事実確認が、教師の生徒に対する指導の一環として、合理的範囲を逸脱した違法なものということはできず、教諭らに被害生徒に対する安全配慮義務違反は認められない」と帰結する。
 これでは、事実確認も行われていない問題行動を重大な非違行為と一方的に決めつけた上での、教諭らの「事実確認」行為に違法性はないとするものであり論理的に許容できるものではない。
 そして、ちなみに、その後「生徒指導委員会において被害生徒にはカンニング行為の事実は認められなかった」と判断されていることからすると、かかる論理に基づく違法性否認は許容されるものではない。


第 5 本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「事実確認」行為の違法性

 本件「事実確認後生徒自殺事件」におけるような問題行動とみられるような行為を行った生徒に対する教諭らによる「事実確認」行為は、教師の教科教育と共に、問題行為とみられるような行為を行った生徒に対する人間的成長発達の指導助言活動、すなわち「生徒指導」による教育活動として許容されるものである。
 しかし、学校及び教諭は、その教育活動において生徒の生命、身体、精神を侵害することのないよう安全を配慮する義務を負っていることは異論のないところであり、このような生徒の生命、身体、精神に対する安全配慮義務を怠った場合には、その教育活動は、生徒の生命ないし人格的利益の侵害として社会的に許容されない違法なものと評されることになる。
 それと共に、「生徒指導」教育活動は、十分な教育研究に基づいた教育専門的水準にうらうちされ、高度な教育的配慮のもとに行われ、それによって教育的効果の期待しうると認められるものでなければならないのであって、その「生徒指導」教育活動の方法、程度、範囲が、これらに適合したものでない場合には、生徒の「教育を受ける権利」の侵害として違法と評されることになる。
 以上のような違法性判断基準については、原審判決においても抽象的規範としては大筋で承認しているところであるし、従来の裁判例からみても、また学説においても異論のないところである。
 そこで、以上のような「生徒指導」教育活動における違法性判断基準に立ってみると、本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「事実確認」行為は、以下に述べるように社会的に許容できない違法なものであると判断される

 第一に、教諭らが、本件「事実確認」を行う端初となった被害生徒の問題行為の時点に遡ってみると、原審判決によれば、物理の試験中に、試験監督をしていた教諭が「被害生徒が消しゴムをみながら解答を記入していたことに気付いた。」「そこで、・・1分間程度被害生徒の様子を注視していたところ、消しゴムの紙ケースが大きくずらされ、紙が巻かれていた。そして、その紙には、活字で、コンデンサーの公式・・が記載されていた。」、「そのコンデンサー公式は物理の試験に関係するものであった」という状況事実が認定されている。
 そこでもし、それが事実であるとすれは、被害生徒の行為は明らかにカンニング行為といわざるを得ない。そうだとすると試験監督をしていた教諭は、その場で、「その紙」を取り上げるなどの教育的指導を行い、後刻、そのような不正行為の行われたことを前提としての懲戒などを行うのが最も適切な「生徒指導」教育活動であったといわざるを得ない。
 このような原審判決による事実認定の当否については、被害生徒がこれを否認しつづけていることから正当と判断できないが、本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「事実確認」行為が違法な行為性を帯びるに至った原点は、かかる最適な「生徒指導」教育活動を行わなかったことに根を発しているともいえる。
 すなわち、被害生徒がカンニング行為を行ったという事実を確認しないまま、カンニング行為を行っていたものとの疑念のもとに「事実確認」行為が行われていることに留意すべきであるからである。
 さらには、その後、同教諭が「被害生徒の様子を約1分間確認した。被害生徒は、前方に向かって着席し、左手首近くに消しゴムを置き、その消しゴムに巻かれているペーパーを見ながら解答していた。」、そこで、消しゴムを出すよう言ったが、被害生徒は、これを拒否した。同教諭と被害生徒との間に、約10分間のやり取りが繰り返された後「ポケットから、握りつぶされくしゃくしゃの状態となった紙を取り出し、同教諭に手渡した。」。しかし、同教諭は「その紙を、直ちに手帳の間に挟み、上着の胸ポケットにしまった。その際、同教諭は、紙の大きさを確認したが、その文字や内容まで確認しなかった。」という事実を認定している。
 もしそれが事実だとすれば、試験監督をしていた教諭は、その渡された紙に書かれている内容について、それより以前に同教諭が見たといわれている「コンデンサー公式」が記載されているものであるかなどを確認するのが通常ではないかと思われる。そして、そのペーパーの内容が物理の試験に関係する内容のものであったときは被害生徒の行為をカンニング行為として、後刻、懲戒などの「生徒指導」を行うことになるが、そのペーパーの内容が物理の試験に関係する内容のものでなかった場合-本件「事実確認後生徒自殺事件」においては物理科目に係わる内容のものであったとは確認されていない-には、通常は、試験に際しては不必要なものを持ち込んではならないこと、あるいはそのようなものをみてカンニングと疑われるような行為をしてはならないことの心得を守っていなかったものとして、その場で、あるいは試験終了後に、その旨をさとし、注意をするなどの「生徒指導」教育活動に留まっていたであろうし、またその限りにおいてのみ「生徒指導」教育活動として許容されるものである。
 ところが、本件「事実確認後生徒自殺事件」では、ペーパーを受け取った教諭が、そのペーパーの内容の確認を怠ったという不適切な措置をした結果、自ら視認したと信じていたことに基づく被害生徒のカンニング行為への疑念が残っている一方で、受け取ったペーパーの内容が当該試験科目と関係のない科目のものであったこととの落差が生まれ、長時間に渡る「事実確認」にまで至るという結果を招来したもので、当該被害生徒の問題行動に対する「生徒指導」教育活動としては、十分な教育研究に基づいた教育専門的水準にうらうちされ、高度な教育的配慮のもとに行われ、それによって教育的効果の期待しうると認められるようなものではなく、許容されている「生徒指導」教育活動を逸脱した違法なものと評される。

 第二に、教諭らの「事実確認」行為の状況についてみると、原審判決では、「教諭らが被害生徒を一方的に追及するものでは」なかったこと、「被害生徒を責めたり、追い詰めるような質問はしていない」こと、五人の教諭らでは「一応の役割分担がなされていたこと」などを強調し「本件事実確認実施に際し、教諭らが選択した場所、時間等は適切であり、その方法においても、事実確認の開始から終了に至るまで、威圧的ないし執拗に被害生徒を追及するものではなく、むしろ被害生徒の意見を尊重しながら慎重に行われたものといえ、かえって長時間を要したとさえいえるものである。」と指摘する。
 確かに、教諭らの「事実確認」行為の状況が、原審判決の認定の通りであったとすると、威圧的なものではなく極めて穏やかに行われたものと推察される。しかし、それは被害生徒自身も、教諭らの「事実確認」に対して、多少の躊躇をしながらも、素直に応じていたことに対応するものであったにすぎない。
 それよりもむしろ、1時間40分という長時間に渡る「事実確認」行為が行われたのは、前述したように、教諭らによる本件「事実確認」が、被害生徒がカンニング行為を行ったのではないかとの信念にもとづく疑いを抱きながらも、渡されたペーパーの内容をその場で確認することをしなかったという不適切な措置の結果として生じた疑いとの齟齬を明らかにする必要があったこと、本件判決自体でも指摘しているように、「本件試験中に見ていた消しゴムに巻いた紙をそのまま手渡したのではなく、ポケットに以前から入っていたペーパーを取り出したことが推認することができる。」「証言は信用でき、被害生徒は本件試験中に物理に関する記載がされたペーパーを見ていたと認めざるを得ない。」との信念を持ち、無意識的であったとしてもこのことを被害生徒に「白状」させようとした結果とみるのが妥当である。
 このことは、教育専門家及び教育現場の教諭らの意見書(甲第53号証の1~甲第53号証の7)において指摘されているように、通常では考えられない長時間に渡る「事実確認」行為の遠因ではないかと推察される。すなわち、極めて確信的な疑いをもって、犯罪を犯した疑いのある大人に対する「事実調べ」と同様の状況での「事実確認」行為が行われた結果ともいえる。
 このような態様での「事実確認」は、教育的配慮のもとに行われ、それによって教育的効果の期待しうると認められるような「生徒指導」教育活動ということはできず、そのこと自体、許容されるものではなく、違法といわざるを得ない。
 それと共に、原審判決も認めるように「教師と生徒の間には、その立場の違いから潜在的に権力的関係が存在し、また、一般的に高校生が思春期の多感な時期であることを考慮すると、5人の教諭が同時に立ち会ったことや、被害生徒に休憩を全くとらせなかったことについては、結果としてみれば、配慮すべき余地がなかったとはいえない」ような状況で、犯罪行為の事実調べにも類するような態様での「事実確認」行為が長時間に及ぶことによる被害生徒が受ける精神的な威圧は計り知れないものがあるといわざるを得ない。
 そのような教諭らの「事実確認」行為においては、被害生徒の生命、身体、精神の安全を配慮すべき義務を怠るものであり、被害生徒の人権の侵害にも繋がるものであって違法と評さざるを得ない。
 さらには、このような態様での長時間「事実確認」行為は、被害生徒に取っては「執拗な取り調べ」ともみることができる。それは、教諭らにとっては無意識的であったとしても、被害生徒にとっては、教師という潜在的権力者による「強い心理的な圧力を感じさせる」もので「精神に対する暴行」ともいうべきものであり、長時間の無言状態で、執拗に行われるときは「教師による精神的いじめ行為」ともいうべきものである。
 教育専門職者としての教諭にとっては、例え、それが無意識的に行ったものであったとしても、このような被害生徒に対する「精神に対する暴行」あるいは「教師による精神的いじめ行為」が行ってはならないことであり、「事実確認」行為に際しては、そのことへの十分な配慮は欠かせないものであり、その配慮なくして行われた「事実確認」行為は、「生徒指導」教育活動として許されるものではなく、正当な教育活動を範囲を超えた違法と評される。

 第三に、本件「事実確認後生徒自殺事件」における被害生徒の問題行動がカンニング行為と認定されなかった事実を前提としてみると、教諭らによる「事実確認」行為において、生徒の精神侵害への配慮が全く欠如していたものといえる。
 カンニング行為と認定されなかった事実を前提とした場合の被害生徒にとっては、心得違いにすぎない問題行動であったにもかかわらず、試験監督をしていた教諭の初動での不適切な措置の結果として確認していないにもかかわらずカンニング行為の疑いを持って不正行為の「事実調べ」をするが如き態様で「事実確認」が行われたことになり、被害生徒の「心情の落差」には大きなものがあったといわざるを得ない。
 そして、それが長時間に渡り、執拗に行われることによって、思春期にある多感な時期の被害生徒の精神状況としては、事実をいってもわかってもらえない「あきらめ」と、精神的に耐えられなくなり、いわゆる「切れる」状態に陥ることが当然に予測できる。
 それに加えて、その告げる内容を明らかにしないまま、担任から「母親に連絡する」旨が告げられることにより不安が増幅し、「あきらめ」「切れる」精神的状況がますます増幅し「絶望的」精神状況に至り、「自暴自棄的」になることのあることが容易に推察されるにもかかわらず、それらを予測し、それらに対する適切な措置を講ずることなく「事実確認」行為を続けたことによって「自殺」という痛ましい結果を招いたということは、教育専門職者でもある教諭らにおいて、被害生徒に対する精神の安全配慮義務への配慮が足りなかったといわざるを得ない。
 以上によれば、本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「事実確認」行為は、十分な教育研究に基づいた教育専門的水準にうらうちされた教育的配慮のもとで、教育的効果が期待さる適法なものではなかったこと、学校および教諭に課されている生徒の生命、身体、精神に対する安全配慮義務をも怠ったものであって、生徒の生命ないし人格的利益を侵害し、生徒の「教育を受ける権利」を侵害した違法と評すべきである。


第 6 「被告学校」の教育専門的「事実確認」の方法等についての指針の欠如

 原審における原告主張にみられるように、昭和52年10月の第82回国会において少年の自殺防止についての審議を契機として、文部省から文部科学省にかけて、現在に至るまで、毎年「生徒指導上の諸問題の現状について」と題する発表がなされ、毎年度の公立小・中・高等学校の児童生徒の自殺者及び自殺原因等が報告され、「児童生徒の自殺予防についてできるだけ配慮」することが求められている。
 それを受けて、長崎市教育委員会の生徒指導に当たってのマニュアルや、長野県教育委員会の生徒指導資料などにみられるように生徒指導に当たって、生徒の生命、身体、精神に対する安全を配慮すると共に、教育的配慮と教育的効果が得られるような組織的、計画的実施方法などを用意しているところもみられる。
 そこで、前述のように、「生徒指導」は、「生徒の生命権及び人権侵害」ないし「教育を受ける権利侵害」をも招きかねない危険性を内包していることから、それは十分な教育研究にうらうちされて行われなければならないものであることが要請され、そのためには、学校自体としての組織的、計画的な「生徒指導」教育活動の実施についての指針を設けることが求められる。
 「生徒指導」教育活動は、「生徒指導」に当たる教育専門職者としての教師個人にのみ委ねるのではなく、教育専門機関としての学校自体における組織的な実施方法ないしマニアルが作成され、それに基づいて実施されることが望まれるものである。
 この意味では、本件「事実確認後生徒自殺事件」における学校の「生徒指導」教育活動については、校長、教頭らの書簡(甲21号証)にみられるように「本件事実確認に関し、学校として組織的、計画的な進行ができず、人数及び時間への配慮に気付かなかったことを謝罪する」していることから、「事実確認」に当った教諭らの個人的な判断方法によって実施されたものであって、このことが教諭らの思い込み、無考慮な「事実確認」行為に陥らせ、その結果として「事実確認」後「自殺」という痛ましい悲劇を招いた大きな原因にもなっているものといえる。
 それは、教育専門機関としての「被告学校」自体の被害生徒の生命、身体、精神に対する安全配慮義務を怠り、かつ「生徒指導」教育活動における教育的効果を伴う教育的配慮に欠けるものであって、違法として評されるものである。


第 7 結語

 以上、指摘したことからも明らかなように、本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「事実確認」行為の違法性判断においては、先例としては「懲戒自殺」判例における違法性判断に依拠するのではなく、「教諭暴行自殺ないし精神的障害」判例に依拠にするのか妥当といえる。
 たしかに、本件教諭らは被害生徒に対して身体的加害ないし身体的暴行を加えたわけではなく、原審判決の事実認定によればむしろ穏やかな態度であったようであるが、前述したように「精神に対する暴行」あるいは「教師による精神的いじめ行為」ともいうべきものであるからである。
 そこで、先例に照らしてみると、「教諭暴行自殺ないし精神的障害」判例においては、教諭らから投打されて精神的傷害を負った事件(福岡地久留米支判昭和5・11・26新聞3221号4頁)、盗難事件取り調べ中の教諭による暴行により精神分裂症になった事件(福岡地飯塚支判昭和34・10・9下民集10巻10号2121頁)、教員用トイレを使用したことを理由としての平手殴打による精神的苦痛(横浜地判表和53・3・31(法律実務577頁)、授業中離席したことにつき出席簿で頭を叩かれたことよる精神的苦痛(浦和地判昭和60・2・22判タ554号239頁)、授業中に集中して人の話を聞くよう言い聞かせていたのに放課後に質問にきた生徒を殴打したことによる自殺事件(神戸地姫路支判平成12・1・31判時1713号83頁)など殆どの判例において学校の賠償責任が肯認されていること、「懲戒自殺」判例においても、結果としては学校の賠償責任を否定しているものの、懲戒として長時間応接室に留め置かれ昼食の機会を与えず身体的自由を長時間にわたって拘束し、その自由意思を抑圧し、もって精神的自由をも侵害し、ついには体罰による身体への侵害にも及んだとして違法性を肯認する判例(福岡地飯塚支判昭和45・8・12判時613号30頁)、非行事実を認めたために平手で頭部を数回殴打したうえ帰宅させた後に自殺した事件で、懲戒行為は担任教師としての懲戒権を行使するにつき許容される限界を著しく逸脱した違法なものであるとする判例(最判昭和52・10・25判タ390号136頁)など、教師の身体的暴行を伴うものについては違法性を肯認するのが殆どである。
 かかる先例に照らしてみると、教諭らによる身体的暴行を伴うものではないが精神的暴行ともいえる「強い心理的な圧力」が予測される場合についても同様に違法性が肯認されてしかるべきである。
 このことは、喫煙行為に対する指導後の生徒自殺事件において、その事実確認に際して、強い心理的な圧力を感じていたと推測されるとして教育的配慮の欠如を指摘する先例(長崎地判平成20・6・30(平成18年(ワ)第323号)(甲第58号証)もみられるところである。

 また理論的には、違法性判断については侵害行為と被侵害利益との相関関係における比較衡量によるとするのが一般的であるが、今日の有力説(幾代通「不法行為法」109頁、森島昭夫「不法行為法講義251頁以下など)では、被侵害利益に重点を置くべきであると主張されている。このことは、学校事故違法性論においては、意識的に、考慮することが重要である。
 学校事故では、被害生徒が、生命、身体、精神という重要な利益が侵害されたということでは十分ではなく、生徒の教育の場における人権侵害や教育を受ける権利の侵害が生ずることをも考慮して、違法性を判断することが必要ではないかと考えられるからである(伊藤=織田「前掲書」565頁参照)。

 以上を総合してみると、本件「事実確認後生徒自殺事件」における教諭らの「事実確認」は、被害生徒の生命、身体、精神という重要な利益を侵害するものであり、かつ被害生徒の教育を受ける権利を侵害するものであって、「生徒指導」教育活動として許容される範囲を逸脱した違法なものと認定するのが相当と判断する。
                                                                                       以上

 
県立所沢高校「事実確認後生徒自殺事件」に於ける「因果関係」に関する意見書

平成21年4月22日

      
明治大学名誉教授
日本教育法学会会長    伊 藤 進  
       
    

 

   東京高等裁判所  御中

 




・第 1 緒言・

 この意見書は、平成16年5月26日、埼玉県立所沢高校において中間考査の試験中のカンニングを疑われ教諭らから「事実確認」を受けた井田将紀君(以下「被害生徒」と呼ぶ)が、事実確認後に飛び下り自殺した事件(以下「本件事件」と呼ぶ)につき、所沢高校を設置・管理する被告埼玉県(以下「被告学校」と呼ぶ)に損害賠償責任があるか否かの前提となる、教諭らの違法な「事実確認」行為(教諭らの「事実確認」の違法性については、平成21年1月25日付、意見書参照)と被害生徒の「自殺」との間に因果関係があるか否かにつき、原審判決及び原審の一件記録を検討した結果などに基づき意見を述べるものである。


・第 2 不法行為責任と「因果関係」・

 民法709条は、故意または過失に「よって」他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これに「よって」生じた損害を賠償すべき旨を規定している。そこで、不法行為責任においては、加害行為と発生した損害との間には因果関係がなければならないとされている。
 本件事件でも、被告学校に不法行為に基づく損害賠償責任があるというためには、教諭らの違法な「事実確認」行為と被害生徒の「自殺」との間に因果関係がなければならないことになる。
 ところで、判例、通説は、民法709条に規定する前の「よって」は不法行為成立の要件としての因果関係だとされ、後の「よって」は不法行為の成立が認められた後に、加害者が賠償すべき損害の範囲に関する因果関係だと解している(森島昭夫・不法行為法講義273頁参照)。
 前の因果関係は損害賠償義務を負う者の行為と損害との事実的因果関係(条件的因果関係、自然的因果関係、事実上の因果関係とも呼ばれている)を意味し、後の因果関係は加害行為との間に事実的因果関係が認められる損害のうち、どこまでを賠償させるのが妥当かという損害賠償の範囲に係わる因果関係を意味するものと解されている。
 もっとも、民法709条の文言が、前の「よって」が不法行為成立要件としての因果関係を意味し、後の「よって」が損害の範囲に関する因果関係を意味するものとして対応するものであるかどうかは若干疑問があるが、不法行為制度においては、損失を負担するのは、その損失を惹き起こした者とされていることから、損害賠償義務を負う者の行為によって損害が惹起しているという事実的因果関係の存在と、事実的因果関係が認められるすべての損害について賠償責任を負わせたのでは責任が無限に拡がるおそれのあることから、損害賠償義務を負う者にその損害の全てを賠償させてよいのか、賠償されるべき範囲はどこまでかを決定することが必要と解される(同旨、平井宜雄・損害賠償法の理論24頁以下、森島・前掲書277頁など)。
 そこで、本件事件においても、教諭らの違法な「事実確認」行為と被害生徒の「自殺」との間に事実的因果関係があるかどうかと、被害生徒の「自殺」との間に事実的因果関係が認められる場合、違法な「事実確認」行為を行った教諭らに、被害生徒の「自殺」損害につき賠償させるべきかどうかにつき検討する必要がある。


第 3 教諭らの違法な「事実確認」行為と被害生徒の「自殺」との間の事実的因果関係・

 不法行為の成立に係わる加害行為と損害との因果関係である事実的因果関係は、「あれなければ、これなし」の関係、すなわち条件関係が存在することと解することにつき異論はない。そして、その条件関係は、加害者の行為が、損害発生にとって、必要条件であればよく、それが唯一の原因、つまり十分条件である必要はないとされている(森島・前掲書283頁)。

 本件事件について、原審判決が認定した事実関係の要点を纏めてみると、
 ①所沢高校1学期中間考査最終日の5月26日の2時限目の物理の試験開始後20分ないし30分経過した後に、試験監督をしていたA教諭が、被害生徒がカンニングとみられるような問題行動を起こしたとして、3時限目の英語の試験を受けた後、そのまま教室に待つよう指示したこと、
 ②A教諭は3時限目が終了した同日午前11時50分ころ、待機していた被害生徒に対し、「事実確認」の行われた本件準備室に行く旨を伝えたこと、本件「事実確認」は、同日午後零時ころから本件準備室で開始されたこと、同日午後1時40分ころ、事実確認を行っていた4名の教諭のうち3名が退室し、担任のY教諭のみが残り、同教諭がお母さんの帰宅を待って「自分の口から今話したこと言えるかな」と確認し、明日の午前7時30分ころに電話することをお母さんに伝えておくように言い、「今回を反省して、これをステップにしてしっかり頑張るんだぞ。」と声をかけ、同日1時45分ころ、本件事実確認はすべて終了したこと、
 ③その後、同日午後5時43分ころ、被害生徒は、母親に、携帯電話で「ほんとにほんとに迷惑ばっかかけてごめんね」とのメ-ルを送信し、友人に「ずっとずっと好きだった」とのメ-ルを送信していること、
 ④被害生徒が、同日午後6時ころ、アスファルト舗装された本件駐車場付近で倒れているところを付近の住民が発見し、当日午後8時8分ころ死亡したこと、死亡診断書には死因の種類が「自殺」とされ、受傷から死因までの時間は約2時間30分と記載されていることが確認さている。


 以上の事実からすると、「事実確認」行為の終了と「自殺」との間には、約4時間余りの時間差がみられるが、この間に「自殺」の直接的原因となる事実が存在したことについては確認されてはいないし、警察署の捜査でも死亡前に他人とのトラブル等がなく、他方で自殺の前兆もなかったとさている。かかる認定事実によると、教諭らの違法な「事実確認」行為が被害生徒の「自殺」と条件関係にあることは明らかである。
 他方、原審判決では、本件試験前の被害生徒の様子について、横浜国立大学に進学して将来は公認会計士を目指していたこと、普通の真面目な生徒であったこと、物理の試験ではほぼ90点以上をとっていたこと、受験について特に悩んでいる様子はなかったこと、担任教諭に進路等についてなやみを話したことはなかったこと、試験終了後に友人の自宅に泊まりゲ-ムなどをして遊ぶことを約束していたこと、友人との会話で飛び込み自殺に対して否定的な意見を述べていたことなどの事実も認定していることから、本件事件の教諭らによる違法な「事実確認」行為以外には、被害生徒が「自殺」する原因はみあたらない。
 以上のことから、本件事件においては、教諭らの違法な「事実確認」行為は被害生徒の「自殺」にとって必要条件というよりも十分条件であったとみることができ、事実的因果関係が認められ、不法行為の成立要件としての因果関係は存在すると解するのが妥当である。

 なお、先例としても、喫煙につき生徒指導を受けた中学生が自殺した事案で教諭の指導と被害生徒の自殺との間には事実的因果関係があること優に認められるとするもの(長崎地判平成20年6月30日〔甲第58号証〕)、教諭から殴打行為を受けた小学6年生の生徒が、殴打行為から約1時間後に自殺した事案で「本件殴打行為の他に、被害生徒の自殺の動機となり得る事情が存したとはうかがわれないことを総合すると、被害生徒は本件殴打行為が引きがねとなって自殺したものと推認することができる。すなわち、被害生徒の自殺と本件殴打行為との間に事実的因果関係の存することは明らかである」とするもの(神戸地姫路支判平成12年1月31日判例時報1713号84頁)、教諭から違法な懲戒行為を受けた高校3年生の生徒が翌日、自殺した事案で「本件懲戒行為の経緯態様に関する事実を勘案するとき、被害生徒の自殺による死亡が本件懲戒行為により誘発されたものであって、その間にいわゆる条件関係にあったことは容易に推認できるところである。」とするもの(福岡地飯塚支判昭和45年8月12日判例時報613号30頁)などがみられ、これらの先例に照らしても、本件事件において、教諭らの違法な「事実確認」行為と被害生徒の「自殺」との間には事実的因果関係があるものと判断するのが妥当である。


・第 4 違法な「事実確認」行為を行った教諭らは、被害生徒の「自殺」損害について賠償責任を負うべきか

1 画定基準
 加害者が賠償すべき損害の限界づけ、あるいは賠償されるべき範囲はどこまでかを決定する一般的な基準として、判例は、大審院連合部大正15年判決(大連判大正15年5月22日民集5巻386頁)で「相当因果関係」という概念を用いて画定するものとし、最高裁昭和48年判決(最判昭和48年6月7日民集27巻6号681頁)でも「不法行為による損害賠償についても、民法416条の規定が類推適用され」るとして踏襲している。
 学説でも鳩山博士(鳩山秀夫・増訂改版日本債権法総論74頁以下)以来、我妻博士(我妻栄・事務管理・不当利得・不法行為202頁)、加藤博士(加藤一郎・不法行為(増補版)154頁)などが「相当因果関係」説に立ち通説とされ余り疑問視されてこなかった。
 しかし、最近では、民法416条は現実に賠償すべき損害の範囲を限界づける基準としては機能していないとして、ある損害が回避義務の及ぶ射程距離内にあると判断されるかどかによって画定しようとする「義務射程」説(平井宜雄・前掲書90頁以下)や、第一次損害と後続損害との間に危険性関連があるかどうかで画定する「危険性関連説」(石田穣・損害賠償法の再構成48頁以下、前田達明・民法Ⅳ2(不法行為法)301頁)などが有力に主張されていることは周知の通りである。
 しかし、どのような概念を用いても、そこから直ちにある損害を賠償すべきかどうかという結論は導き出されるものではない(同旨、森島・前掲書324頁)。その損害について加害者に賠償責任を負わせるのが妥当かどうかという法的な評価・判断であることが示されていればよいと思われる(同旨、森島・前掲書307頁)ことから、判例及び従来の通説と同様に、加害者が賠償すべき損害の範囲は、加害行為と「相当因果関係」にある損害に限るとの立場に立ってみることにする。

2 本件事件における被害生徒の「自殺」は通常損害である
 加害者が賠償すべき損害の範囲は、加害行為と「相当因果関係」にある損害であると画定する判例及び従来の通説は、条文の根拠として民法416条の類推適用に求めている。
 そこで、この民法416条をみると、2つの画定基準を定めている。一つは加害行為から「通常生ずべき損害」と、二つは加害者が予見しまたは予見することができた「特別の事情によって生じた損害」が、加害者が賠償すべき損害であるとしている。

 そこでまず、本件事件における被害生徒の「自殺」が、教諭らの違法な「事実確認」行為によって「通常生ずべき損害」が、どうかについて検討する。
 ところで、「通常生ずべき損害」であるかどうかの判断に当たっては、「特別の事情によって生じた損害」の場合とは違って当事者の予見可能性は要素とはなっていないことに留意すべきである。
 すなわち、加害行為から「通常生ずべき損害」かどうかを判断するに当たっては、その損害が加害者にとって一般的に予見可能なものであったかどうかを判断要素とすることはよいとしても、このような予見可能性を判断要素に加えなければならいものではない。
 加害者にとって一般的に予見可能な損害であったとみられる場合には当然「相当因果関係」にある損害ということになるが、そのような加害者にとっての一般的予見可能性と直接かかわりなく「加害者にとって意外と考えられるほど例外的なものかどうかとか偶発的なものかどうかなどといった客観的要素」(同旨、森島・前掲書312頁)が通常かどうかを判断するに当たって考慮されることになる。
 そして、このような「意外」「偶発的」損害がどうかの具体的判断は、時代時代の社会的状況に応じて変化するものである。

 ところで、教諭らの懲戒的行為を原因としての被害生徒の「自殺」損害に係わる先例である最高裁昭和52判決(最判52年10月25日判例タイムズ355号260頁)は、被害生徒の「自殺」は「通常生ずべき結果ではなく、極めて稀有な事例」とみる第一審判決(福岡地飯塚支判昭和45年8月12日判例時報613号30頁)及び、これを前提として相当因果関係を否認した原審判決(福岡高判昭和50年5月12日判例タイムズ328号267頁)の判断は正当として是認できるとしていることから、被害生徒の「自殺」損害を「特別の事情によって生じた損害」とみているものと推測される。
 しかし、教諭らの懲戒的行為と被害生徒の「自殺」との関係については、控訴理由書で述べている(55頁参照)ように、昭和52年以降、子どもの自殺が大きな社会問題として取り扱われるようになってから、文部省及び文部省の通達・調査がなされ(甲36号証、甲37号証)、その一因として教師のしっ責が挙げられていること、また毎年のように教師のしっ責や体罰による自殺事例が報道されていた事実(甲39号証)に鑑みると、教諭らの懲戒的行為による被害生徒の「自殺」は「意外」「偶発的」損害とはいえなくなってきていることは明らかである。
 相当因果関係を否認した福岡高裁判決(前掲、福岡高判昭和50年5月12日)でも、昭和50年の時点で、すでに「異常な懲戒を受けた相手方の心理的反応及びこれを心理行動面で処理する方法は、その性格構造の差異によって千差万別という外はないけれども、高校3年生という思春期といわれる、心理的に最も不安定な特性をもった時期にある者にあっては、一般的に、心理的反応も著しく強烈で、これが相手方に対する反抗的攻撃的な心理作用に転化し易く、その心理行動面での処理方法として、家出、登校拒否、相手に対する直接的攻撃行動などの何らかの自己破壊的行動となって現れる可能性は他の年齢層の者に比して著しく高いといわれており、自殺も右行動のなかに含まれるものである」との鑑定人意見を採用していること、平成12年には、神戸地姫路支部判決(前掲、神戸地姫路支判平成12年1月31日)でも「子どもは自分の死によって自分を苦しめた相手を罰しようとする内的な願望をもっています。たとえば、理不尽に自分を叱った親に仕返しをしょうと思っても、腕力では劣るし論議でも負けるという場合、親を懲らしめる最大の方法として自分の命を犠牲にして相手に打撃を与えようとするわけです」と叙述している子どもの自殺に関する啓蒙的な文献を引用して、教諭の懲戒行為によって「攻撃的な自殺」に走り得る危険な精神状態に陥り、遂に自殺してしまったと推認することができると認定していることなどからすると、教諭らの懲戒的行為に伴う被害生徒の「自殺」損害は、今日の社会状況および子どもの心理分析の深化からみて「意外」「偶発的」損害ではなく、教諭らの懲戒的行為によって「通常生ずべき損害」であると判断するのが妥当である。
 本件事件における教諭らの「事実確認」行為も懲戒的な要素のあることは否定できない。そこで、この点に限ってみても、本件事件における被害生徒の「自殺」は、教諭らの違法な「事実確認」行為により「通常生ずべき損害」であり、民法416条1項類推適用により「相当因果関係」があると解される。

 なおさらに、本件事件における教諭らの違法な「事実確認」行為は、「県立所沢高校『事実確認後生徒自殺事件』に関する意見書」(平成21年1月25日)で指摘したように潜在的権力者である「教師による精神的いじめ行為」ともいうべき性質をももっている点に注目すると、「いじめ自殺」における相当因果関係の判断要素も加味することができる。
 そして、この場合、生徒間のいじめによる自殺の場合の教諭らの安全配慮義務懈怠と「自殺」との相当因果関係の場合とは異なり、教諭らによる直接の「精神的いじめ行為」と「自殺」との相当因果関係の問題として「直接性」のみられることに留意すべきである。
 ところで、生徒間のいじめによる被害生徒の「自殺」損害についても、これまでは特別損害とみる判例、学説が多く見られた。しかし、今日、「悪質重大ないじめであることの認識が可能であれば足り、必ずしも被害生徒が自殺することまでの予見可能性があることを要しない」として相当因果関係を認めた判例(福島地いわき支判平成2年12月16日判例時報1372号27頁)がみられ、このことは法理論的には、悪質で重大な「いじめ」について予見可能性があった場合には「いじめ」による自殺は「通常損害」であるとみるものであるとか(拙稿「判例解説」教育判例百選167頁、織田博子「判例解説」教育判例百選62頁、市川寿美子「判例解説」平成2年度重要判例解説56頁)、「自殺はいじめの被害の一内容」とみることができ、通常損害といえる」(拙稿「いじめ自殺事故」塩崎勤編・現代裁判法大系9学校事故312頁)として、自殺についての予見可能性まで必要ではない(潮見一雄「判例批評」判例評論329号216頁)とみるのが「いじめ自殺」事件に関する学説の大勢といわれている(織田・前掲169頁)。

 以上のように、今日、その社会状況の変化および子どもの心理分析の深化に対応して、学校における被害生徒の「懲戒自殺」あるいは「いじめ自殺」共に、「懲戒」行為あるいは「いじめ」から「通常生ずる損害」とみるのが通常とみられるようになってきている。
 このような状況に対応してみると、「懲戒」的要素と「いじめ」的要素が併有する本件事件における被害生徒の「自殺」を、教諭らの違法な「事実確認」行為によって「通常生ずべき」損害と判断するのが妥当ということになる。
 特に、本件事件では、教諭ら自身が違法な「事実確認」行為による悪質重大な「いじめ」に相当する「精神的いじめ行為」を行っているのであるから、教諭らが「精神的いじめ行為」を行っていると認識していたか否かにかかわらず、そのことによって社会通念上許容できないような肉体的・精神的苦痛を招来し、その結果としての自殺は通常損害として、相当因果関係を認めてよいものと判断できる。
 このことから、被害生徒の「懲戒自殺」の通常損害性を否定した原審判決を是認した前述の最高裁判決(前掲、最判52年10月25日)は、教諭の「懲戒」行為による被害生徒の「自殺」ないし生徒間の「いじめ」による被害生徒の「自殺」についての社会状況の変化および子どもの心理分析の深化に対応した結果として「判例変更」をするか、あるいは同判決は、単純な懲戒行為による被害生徒の自殺を前提としての判断であったのに対して、本件事件の「事実確認」行為は教諭という地位にある潜在的権力者による「精神的いじめ行為」としての特質をも併有するものである点に注目し、事案を異にするものとして先例最高裁判決の射程外にあるとして、本件事件での被害生徒の「自殺」は「通常生ずべき損害」と認定し、教諭らの違法な「事実確認」行為との間に「相当因果関係」があるものと認定するのが妥当と思われる。

3 本件事件における被害生徒の「自殺」の予見可能性
 かりに、本件事件における被害生徒の「自殺」が教諭らの違法な「事実確認」行為によって「通常生ずべき損害」ではなく「特別の事情によって生じた損害」であるとしても、教諭らの違法な「事実確認」行為に際して、教諭らが「その事情を予見し、又は予見することができた」ときは、相当因果関係にある損害ということになる(民法416条2項類推適用)。
 そこで、本件事件において、教諭らの違法な「事実確認」行為に際して、教諭らが「その事情」を予見することが可能であったか否かにつき検討する。

 本件事件において、教諭らの予見の対象になる「その事情」とは何であるかである。
 前掲の「懲戒自殺」の先例とされる最高裁昭和52年判決(前掲、昭和52年10月25日)は「生徒が右懲戒行為によって自殺を決意することを予見することは困難な状況にあった」として相当因果関係がないとした原審判決を是認している。
 このことから、当該最高裁判決によると予見の対象は、被害生徒が「自殺を決意すること」ということになる。たしかに、これまでは、被害者の「自殺」事件における加害行為との「相当因果関係」の判断においては、「自殺」は被害者自身による決意という精神的作用に基づく自招行為であることを重要視して、予見の対象を被害者の「自殺念慮」あるいは「自殺の決意」に求めてきた。
 しかし、最高裁平成5年判決(最判平成5年9月9日判例時報1477号42頁)は、昭和59年に発生した交通事故の被害者がうつ病にり患し昭和63年に自殺したという事案について、事故と被害者の死亡との間の相当因果関係を認めた原判決の判断を維持している。そして、「交通事故自殺」では、平成元年ころ以降に発生した事故について、被害者が事故の後遺障害等によりうつ病にり患し又はうつ状態に陥って自殺した場合に、事故と被害者の死亡との間の相当因果関係を認める考えが、実務上定着を示していたと評するコメントがみられる(判例タイムズ1028号80頁参照)。
 ところで、先の最高裁平成5年判決は「鑑定嘱託の結果によれば、交通事故の受傷時の精神的シヨックから神経症状態に陥り、さらにうつ病状態に発展しやすいこと、また、うつ病患者の自殺率は、諸研究によると約15パーセントとされ、全人口の自殺率との比較では約30倍から約58倍にも上ると報告されていること等が認められる。したがって、・・被害者が、その後災害神経症的状態を経てうつ病状態に陥り、更には自殺を図って死亡したとしても、これらは、被告らのみならず、通常人においても予見することが可能な事態というべきである」と判示し、予見の対象として被害者が「自殺を決意すること」に求めていないのは明らかである。
 さらに最高裁平成12年判決(最判平成12年3月24日民集54巻3号1155頁)は、「過労自殺」事件でも、控訴人の「自殺は本人の自殺念慮に起因し、自ら死を選択するものであり、控訴人にはそれを予見することも、またこれを回避することも全く不可能である」との主張に対して、「前記認定の事実によれば、控訴人は被害者の常軌を逸した長時間労働及び同人の健康状態(精神面も含めて)の悪化を知っていたものと認められるのであり、そうである以上、被害者がうつ病等の精神疾患に罹患し、その結果自殺することもあり得ることを予見することが可能であった」と判示し、「交通事故自殺」と同様の判断基準に立っている。これらの最高裁判決によれば、事故によって「被害者の自殺決定を必然ならしめる場合」には、その自殺は必ずしも被害者の自由意思にもとずくとはいえないことから、経験的事実として、加害者側に予見可能があったと判断するものと解される(樫見教授も「交通事故自殺」事件について、同様の分析をしておられる(樫見由美子「判例解説」星野英一=平井宜雄編・民法判例百選Ⅱ」166頁参照、また、若穂井教授もこの見解を支持されている。若穂井透「体罰自殺事故」塩崎勤編・現代裁判法大系9学校事故338頁)。

 本件事件における教諭らの違法な「事実確認」行為による被害生徒の「自殺」についても、被害生徒の自由意思により死という選択を行う余地のあった場合ではなく、「交通事故自殺」や「過労自殺」と同様に教諭らの違法な「事実確認」行為により「被害生徒の自殺決定を必然ならしめる場合」であったものとして予見可能性を判断すべきものである。
 すなわち、前述のように、既に、福岡高裁昭和50年判決においての鑑定人意見である「異常な懲戒により生徒が反抗的攻撃的な心理作用に転化し易く自己破壊的行為として自殺に至るものであること」を承認していること、神戸地姫路支部平成12年判決でも、子どもの自殺に関する啓蒙的な文献で、体罰により「攻撃的な自殺」に走り得る危険な精神状態に陥り、遂に自殺してしまったものと推認」していることなどから「自殺決定を必然ならしめる場合」であるとみるのが妥当である。
 また、「生徒間いじめ自殺」事件においても、いじめを苦にして自殺した事件が多く報道され、第一法規の「D-1LAW」で検索すると「判例体系」に掲載されているものだけで平成に入ってからでも13件もの「いじめ自殺」裁判例がみられることから「生徒間いじめ」は「被害生徒の自殺決定を必然ならしめる場合」とみることができる状況にある。
 なお、「悪質かつ重大ないじめ」については、「それ自体で必然的に被害生徒の心身に重大な被害をもたらすものであるから・・悪質重大ないじめであることの認識が可能であれば足り、必ずしも被害生徒が自殺することまでの予見可能性があることを要しない」とする裁判例(福島地いわき支判平成2年12月16日判例時報1372号72頁)もみられるところである。
 そこで、これらの裁判動向に対応してみるとき、本件事件のような教諭らの違法な「懲戒自殺」的要素と、教師としての潜在的権力者による精神的な暴力による「いじめ自殺」的要素を併有する教諭らの違法な「事実確認」行為による被害生徒の「自殺」については、「被害生徒の自殺決定を必然ならしめる場合」とみるのが正当の帰結と判断されるからである。

 そして、加害者の加害行為によって「被害者の自殺決定を必然ならしめる場合」は、控訴理由書でも主張されているように(控訴理由書55頁参照)被害者が「自殺に至る原因となる危険な状態」の認識が可能であれば足り、被害者が自殺することまでの予見可能性を要しない。
 先の裁判例でも、交通事故自殺では「事故の後遺障害等によりうつ病にり患し又はうつ状態に陥ること」、過労自殺では「常軌を逸した長時間労働及び同人の健康状態(精神面も含めて)の悪化を知っていたものと認められること」、いじめ自殺では「悪質重大ないじめであることの認識」で足りるとしていることからも明らかである。
 このことから、本件事件についてみると、被害生徒が「自殺」に至る原因となっている教諭らの「事実確認」行為の危険の認識が可能であれば足りることになる。

 そこで、本件事件における教諭らにおいて、教諭らの違法な「事実確認」行為のこのような危険の認識が可能であっといえるかどうかであるが、教諭らは教職免許取得に当たっては教育心理学を学んでいることから懲戒を前提とした執拗な取り調べに対して子どもが反抗的攻撃的な心理作用に転じて自己破壊的行動をとる危険のあることを認識していたか、認識が可能であったと判断するのが一般的である(なお、教育心理学の知見は現在ではいわば教師の常識であり、このような教育心理学の知見を前提として、被害生徒の「自殺」についても予見可能性まで認めるべきとする見解(若穂井・前掲338頁)もみられる)こと、あるいは教育専門職者としての経験から、「県立所沢高校『事実確認後生徒自殺事件』に関する意見書」(平成21年1月25日)でも述べたように、カンニング行為と認定されなかった本件事件においては、カンニング行為の疑いを持って不正行為の「事実調べ」をするかの如き態様で「事実確認」が行われたることによって、被害生徒の「心情との落差」が大きく、事実をいってもわかってもらえない「あきらめ」と、精神的に耐えられなくなって、いわゆる「切れる」状態に陥り、絶望的に「自暴自棄的」になる危険の認識は可能であったものといえる。
 そして、教諭らに、教諭らの違法な「事実確認」行為の危険の認識が可能である限り、教諭らが「被害生徒の自殺の決意」について予見できなかったとしても、教諭らの違法な「事実確認」行為と被害生徒の「自殺」との間には相当因果関係があるものと判断するのが妥当と思われる。


・第 5 結語

 以上から、本件事件における被害生徒の「自殺」は、教諭らの違法な「事実確認」行為を原因とするものであり「事実的因果関係」が認められ、かつ教諭らの違法な「事実確認」行為と「相当因果関係」があると認められることから、被告学校は、被害生徒の「自殺」損害につき賠償責任を負うべきものと判定する。


  

※ 原告側の意見陳述書もあわせてご参照ください。






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