一坪反戦通信 Vol.81 一坪反戦通信 91(1998.1.12)

軍用地を生活と生産の場に!
No. 91
1998年1月12日
東京都千代田区三崎町
2-2-13-502
郵便振替 00120-8-45850  電話:030-910-4140  FAX:03-3386-2203
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック


◆本号の記事◆


ヘリ基地、ヘリ基地言うけれど
少しもヘラない 沖縄の基地
候補地・名護は二分され
賛成・反対 大動乱
仕掛け人は 言わずと知れた日本政府
ヌチドゥタカラにユイマール
美らことばで包まれた
毒入りまんじゅう まきちらし
建設受け入れ 叶うなら
あとは野となれ 山となれ
悪名高き四択に
ねじ曲げられし 条例を
受けて立ったは 反対協
地縁・血縁 はるかに超えて
つながりひろがる 女たち 男たち
ヘリ基地反対! 過半数を制したる
名護んちゅの良識 ここに確かなり
賛成派、負けを勝ちとは言わせない
仕切り直しの 98年
未だなお 選ばれし民か 名護市民

(野口)


97年決戦を顧みて ・98年の闘いへ

市長の座とりもどし

基地押しつけハネ返そう

 去年は波乱の年であった。一昨年も首相と知事の裁判があったり、県民投票があったりして、目まぐるしい思いをしたが、去年はそれに輪をかけるものがあった。ごく大まかに並べ上げてみると次のようになる。

 4月/特措法「改正」反戦地主逮捕。名護市長「海上ヘリ基地調査」容認

 5月/米軍用地の使用期限切れ、嘉手納基地への抗議行動

 7月/市民投票条例請求署名開始

 10月/投票条例制定

 12月/名護市民投票。反対派が勝利宣言。市長、基地受入を表明して辞任

 軍用地強制使用の公開審理は2月21日を皮切りに各施設ごとに開催され、12月25日までに10回を数えた。第11回目の来たる1月29日の審理で公開審理は終わる見込みである。

 各施設ごとに行われた地主や代理人の陳述によって、起業者側のいい加減な「裁決申請理由」は論破された。安保条約6条で認められた米軍は「陸軍、空軍及び海軍」であって、海兵隊の駐留は条約を逸脱している。弾薬庫の保安地域として使用されている土地があるが、保安地域を決める基準がなくて、米軍の言いなり放題である。「基地は有機的一体として使用されている」といいながら、実体はまったく遊休化しており、返還しても基地機能に影響のない土地が含まれている。地籍(土地境界)不明な土地を強制使用することは土地収用法上許されない。等々、手続きの欠陥が多数指摘された。 土地所有者を既に死亡した人と取り違えた点については、5月9日に収用委員会が「却下」の裁決を出した。

 公開審理のさなか、4月には米軍用地特措法が「改正」され、照屋秀伝氏や知花昌一氏など多数が逮捕されるというおまけまで付いた。その国会は自民党から「翼賛国会」という声が出るほどひどいものであった。

 市街地に存在し、危険きわまりないとして、返還合意された、普天間飛行場について「代替基地」をキャンプ・シュワブ沖に建設しようとする政府と基地の新設絶対反対の名護市民の闘いが、去年の「沖縄問題」の焦点であった。

 それまで反対を表明していた名護市長が、4月に突然「事前調査」容認に転び、基地反対の市民は「大切なことは市民みんなで決めよう」と市民投票推進協議会を作って、投票条例制定請求の署名運動を始め、有権者の半数近い署名を獲得した。

 市長と市議会与党はヘリ基地建設に「賛成」「反対」の二者択一から、経済振興策を絡ませた「条件付き賛成」と「条件付き反対」を付け加えた四者択一に、また投票日を「60日以内に実施する」から「1月18日までに実施する」に「修正」して投票条例を可決成立させた。

  投票は12月21日に実施され、政府と基地誘致派のなりふり構わぬ介入を振り切って反対票が53%を獲得した。ところが、市長は12月24日首相との会談で基地受入を表明して翌日辞職した。まったく市民の意向を無視した行為で市民多数の憤激を呼び起こした。住民投票の結果を無視する悪しき前例を作ってはならないと市長を訴える動きが出てきた。

 食い逃げされた市長の座を市民の側に取り戻すべく、選挙の準備が進められている。市長の座は、住民投票に負けた政府・誘致派にとって、食い逃げ前市長の路線をつなぐために絶対であり、私どもにとっては住民投票の成果を実らせ、政府の基地押しつけを跳ね返す武器となる。

 選挙は「前市長の片腕」という岸本建男助役と、ヘリ基地反対協が推薦する名護市選出の玉城義和県議の闘いとなる。ヘリ基地反対の名護市民は立てつづけの闘いに力を振り絞って立ち上がっている。市民投票に劣らない支援体制を本土側でも直ちに組織しよう。

(上原成信)


▲名護市長候補・タマキ義和=玉城義和(たまき・よしかず)。名護市区選出の沖縄県会議員。中央大学・法学部卒業。95年の10・21県民大会の実行委員会事務局長。本部(もとぶ)町生まれ、49歳。所属は社民党だが、今回は同党籍を離脱しての立候補。

 なお、海上ヘリ基地反対協代表の宮城康博(38歳)は名護市議会議員補欠選挙[定員1名]に立候補する。同補欠選挙は2月8日、市長選挙と同日。


 不屈の反戦地主の闘いに連帯しよう

−沖縄雑感−

今年も眼を離せない沖縄

 名護の市民投票が12月21日に終わり、「よくぞ勝った!」の思いをもって羽田に向ったのは24日の暮れ。その待合室で映ったテレビの画面を見てビックリ。画面の中に大田知事に続いてあの比嘉鉄也市長が首相官邸に入っていくではないか!

 前日には反対協の「市民投票の結果を尊重してヘリ基地反対の意思表示を!」に対して「熟慮します」と答えたばかりなのに、今、東京に居るとは……。翌二五日の朝刊には『受け入れを表明、辞任』の文字が踊っていた。比嘉氏個人の無責任な意志というより、もっと大きなシナリオが動いているような気がした。

 午後一時から始まる公開審理の前に海老原鉄平さんの「ひき逃げ」に対する判決が出る那覇地裁沖縄支部に向う 判決は「3,660万円の賠償命令。米兵に任意保険に入ることを指示」という内容。判決が出てもどこまで圧力をかけられるのか。海老原さんの権利の無保証は海兵隊員の人権の無さから派生しているといえるのだろう。

 12時から宜野湾コンンベンションセンターで前段集会が開かれた。反戦地主をはじめ、政党関係者すべて名護市長に対して憤りを表し、民主主義を否定する政府のやり方に「絶対勝つ」と決意を述べていたのが印象的だった。一人一人から個のもつ重さを感じさせられたし、沖縄人の夢とも思えた。公開審理については、上原さんと吉田さんの陳述もあったが、いずれ報告があるだろう。

 その後、反戦地主激励・連帯パーティーが開かれたが、そこには牛汁と豚の丸焼きが並び、今の沖縄を個人の力で支え続けている人々が集まっていた。市長選になる名護では、一坪反戦地主会北部ブロックの人が反対協運動の中心を担っていたし、一坪関東ブロックからは12名が応援参加していた。私個人の係わり様は考えることも多いのだが、今年も沖縄から目を離せそうもない。

(光本=会員)


第10回公開審理

「普天間が危険なら移設するな」

島田さんら16人の地主が訴え

 第10回公開審理は12月25日、沖縄市の沖縄市民会館で開催された。参加者は傍聴者を含めて約300人。島田善次さんら普天間の地主など16人が発言、強制使用されている軍用地の返還を訴えた。

 今回の公開審理は普天間の県内移設をめぐって行われた名護市の市民投票直後の審理。前日24日の夜、名護市長の「海上基地受け入れ表明・辞任」というニュースの衝撃がまださめやらぬ中で開会された。

 東京ではその24日の夜、午後五時過ぎに橋本首相との会談のために大田知事が首相官邸へ。名護市長がその大田知事を追うようにして首相官邸へ向った。午後四時に防衛施設庁へ抗議・要請文=9ページに全文掲載=を手渡した関東ブロックも午後5時前、首相官邸前で大田知事激励の行動 。「首相の圧力に負けるな!」の声がとぶ。結局この後、名護市長は首相と会談、「海上ヘリ受け入れ表明」を決断した。

 このため公開審理では、島田善次さんをはじめほとんどの発言者がこの市長の受け入れ発言を批判した。

 審理された4施設のうち、普天間基地については八人が発言。最初に発言したのは、去る12月11日に関東ブロック主催の集会で感動的な講演をした島田さん=関東ブロックでの講演については7ページに報告の記事=。具体的なデータを示して普天間基地周辺の爆音がいかにすさまじいものかを強烈に訴えた(*)。基地の「経済効果」などと言われるが、現実にはその反対。雇用の危機は基地の存在が原因になっており、普天間が返還されればそれだけで1万人の雇用が確保できるはず−−と発言。


 *宜野湾市発行の『基地の概況』に詳しい。他に『「普天間飛行場跡地利用基本計画」説明資料』(97年6月)、『<アジアの国際交流拠点>・宜野湾の実現化に向けて』も宜野湾市から発行されている。


 宮城正雄さんも、沖縄戦での地上戦の体験は自分の原点であり、その土地は平和のためにこそ使われねばならない、と述べた。

 また山田親幸さんは普天間の地主・視覚障害者としての立場から、「戦争は障害者を作り出す。そのような戦争をさせないように、普天間基地を使わせたくない」と発言した。

  関東ブロックからは吉田正司上原成信の二人が発言。条約に「陸軍・空軍及び海軍が使用」と明記してあるのにそれとは違う海兵隊に使用させている不当性や、防衛施設局は50年たってもまだ外国の軍隊に「占領」させ、しかも地主に過酷な・辻褄のあわない・強引な手続きに終始しているのはやめるべきだ−−と主張した。関西から参加したガジマルの会の金城馨さん(一坪反戦地主)は、仕事がなくて「本土」にやむなく就職する人も多いが、それは軍事基地があるためではないのか、と指摘した。

 また仲山忠克代理人(弁護士)は、米海兵隊員だった人物本人が「海兵隊はまったく非人間的であり、ただただ『人を殺す』ためだけの訓練を日夜続けている存在である」と語っていると発言(**)。さらに那覇防衛施設局長が「普天間はとんでもない飛行場だ。同じ日本人として許し難い」と発言したことについて、普天間を名護に移設させようとしてつい本音を出したものであり、「そんなに危険なら、名護に移設すべきではない!」と批判した。

 **アレン・ネルソン『沖縄に軍事基地はいらない』、岩波ブックレット=1997年12月発行。

 キャンプ瑞慶覧の地主の新垣善春さん新垣萬徳さんらは、米軍が広大な面積でぜいたくに施設を使っている実態を指摘し、軍事基地に使わせることには反対する、と述べた。

 さらに牧港補給基地・陸軍貯油施設についても、パイプラインからの油漏れの危険が大きいと地主から発言があった。

 次回1月29日の第11回審理では総論陳述が行われ、結審の予定。

 2月に第1回審理が開始され、「収用委員の名誉にかけて」(第1回審理での有銘政夫さんの発言)実質審理が続けられてきた。たしかに5年前の審理とは委員の姿勢が全くちがっており、実質審理的になっている。あの当時、何度悔しい思いをさせられて唇をかんだことであろう! とても忘れることはできない。 裁決は3月以降と予想される。


沖縄に基地はいらない!

宜野湾市の島田牧師が講演

 海上ヘリ基地についての講演を含む「第9回公開審理報告集会」が去る12月11日7時から、南部労政会館で開かれた。

 前半には第9回公開審理に関東から参加した上原成信さんと吉田正司さんによる報告(第9回公開審理については本誌第90号をご参照下さい)、後半には宜野湾市在住の島田善次さん(牧師、普天間基地反対・宜野湾市民の会、一坪反戦地主)の「普天間基地と海上ヘリ基地」と題する講演が行われた。

 島田牧師は、ご自身の娘さんが幼い頃、普天間基地から離発着するヘリによる騒音に驚いてミルクを飲まなくなってしまったことをきっかけに、普天間基地に反対する行動を始められたそうである。

 当初は米軍に抗議に行っても「あなたは牧師なのに、どうしてこんなことをするのだ」と言われたり、まわりの人たちにもアカ牧師と言われ、信者までもが去ってしまったという。その頃は、普天間基地が撤去されるなどということを信じる人はいなかったのだ。だが96年4月、日米政府が突如として普天間基地返還を発表。島田牧師は一瞬喜ぶが、しかしそれは県内移設条件付きだった。島田牧師は単に、普天間から基地がなくなればよいと考えているのではない。島田牧師は「沖縄のどこにも基地はいらない」と考えているのだ。そこで建設候補地になった名護に出向き、普天間基地の騒音のひどさなどについて報告、経済効果等を持ち出す政府側にだまされないよう名護市民に訴えはじめたという。

 また防衛施設局によるヘリ基地建設についての市民への説明会についてはだれもが参加する権利があるはずなのに、名護市民以外は参加できなかったこと(でも島田牧師は、うまく入り込んで施設局に厳しい質問を行った)。防衛施設局は名護市民の騒音への不安の声に対し、「米軍に夜間の離発着を制限するよう求める」などと答えているが、普天間基地の例からわかるように、ヘリ基地が建設されれば米軍用機が昼夜を問わず離発着することになるだろう−−ということ等が話された。

  講演を聞いた参加者のひとりは、島田さんの話があまりに過激だったので「島田さんはほんとうに牧師さんなんですか?」と尋ねたほど。島田さん本人は「牧師であろうとすればするほど、それだけよけい過激にならざるを得ない」と語った。


防衛施設庁に抗議

 関東ブロックでは12月24日午後4時、名護市民投票で賛成派に肩入し(賛成派に囲い込むため、投票場までバスで送迎したケースまであるという)、公権力を使っての戸別訪問をしてまで「条件付き賛成に○印」票を増やそうと、露骨な投票介入をした防衛庁・ 防衛施設庁に抗議し、次ページの「抗議・要請文」を防衛庁の門前で読み上げた上、手渡した。

 市民投票で賛成多数が得られなかった以上、防衛施設庁はキャンプ・シュワブ沖への海上ヘリ建設は断念すべきところであり、実際に同ヘリ基地建設のための調査費計上は見送られ、住民の合意が得られないままで建設することはもはやできなくなったといえよう なお、同抗議・要請文を首相官邸に届けようとしたが、警察官が官邸に近づくことさえ妨害、届けられなかった。


−資料−

抗議・要請文

海上ヘリ基地建設の是非を問う名護市の市民投票が去る12月21日に実施された。投票率は82.45%。開票結果は下記の通りである。

 当日有権者数38,176人 有効投票数30,906人 投票者数 31,477人 (投票率82.45%) (無効・持ち帰り571票) (小数点2位未満は切り捨て)(註) (註)投票者数は市投票実施本部集計。有効投票数に占める割合と有権者数に占める割合は共同通信社集計。

投票者数

有効投票数に占める割合

有権者数に占める割合

賛成

2,562

8.28%

6.71%

環境対策や経済効果が期待できるので賛成

11,705

37.87%

30.66%

賛成 計

14,267

46.16%

37.37%

反対

16,254

52.59%

42.57%

環境対策や経済効果が期待できないので反対

385

1.24%

1.00%

反対 計

16,639

53.83%

43.58%

貴職はこの結果をどう受けとめられたのだろうか?

  11月下旬、政府・自民党は名護市の有権者を対象にした電話アンケート調査で、賛成3割・反対6割という結果を得た。このことに危機感をつのらせた政府は、アメとムチをちらつかせて躍起になって賛成票の獲得に乗り出した。

憲法を尊重し擁護する義務を負っているはずの大臣・公務員(憲法第99条に明記)の、常軌を逸したこれらの行動によって、名護市の平和と自然を愛する人たちがどれだけ苦しめられ、悩まされたことか!

 それでも名護市民は、命を奪い自然を破壊することにつながる経済振興策よりも、基地のない平和な町づくりの道を選んだ。名護の市民投票の結果は、どう読んでも「基地建設反対」である。

  にもかかわらず橋本首相は「私が予想したよりも賛成票が多かった」などと、名護市民の「基地はいらない」という意志を無視し、自分の命(政治生命)を守ることだけに躍起になっている。これは、名護市民はもちろん、「軍用地を生活と生産の場に!」と願うわれわれにとっても許し難いことである。

 政府・防衛庁・防衛施設庁はただちに辺野古沖への海上軍事基地建設を断念し、普天間基地の完全撤去実現への行動を実施せよ!

1997年12月24日

東京都千代田区三崎町2−2−13−502 
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック 
代 表 上 原 成 信  

内閣総理大臣  橋本 龍太郎 殿
防衛庁長官   久間 章生 殿
防衛施設庁長官 萩 次郎 殿


お知らせ

◆ガイドライン反対集会=2月1日午後1時から、代々木公園。主催は同実行委員会。

◆関東ブロック総会=2月7日(土)午後2時から、中野商工会館・大会議室。午後6時から記念講演。

◆次回公開審理(第11回)は来たる1月29日午後1時からです。会場は沖縄市民会館。


訂正とお詫び

前号・90号の8ページにミス・プリがありました。訂正してお詫びします。 8ページの下段・7行目

 [誤]日当千円

 [正]時給千円


実録 公開審理・全記録

98年2月発行予定(価格等未定)

◆予約申し込みは関東ブロックへ。


▲市民投票の結果について質問される大田知事=12月24日午後7時30分、首相官邸で。この時官邸前に関東ブロックなど、知事激励のメンバーが集まっていた。

海上基地受け入れをめぐって、焦点は大田知事の決断に。

▼県議会の与党5会派から「住民投票の結果を尊重する」ように要請を受けた大田知事=12月24日午前11時過ぎ。


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