沖縄県収用委員会 第10回審理記録

島田善次(土地所有者・土地所有者代理人)


 当山会長:

 皆さん、こんにちは。せっかくのクリスマスでございますけど、大勢参集いただきまして、ありがとうございます。これより、第10回公開審理を始めたいと思います。

 初めに、私より収用委員の紹介をいたします。

 私が、会長の当山尚幸です。私の右側から、比嘉竪委員、それから西賢祐委員です。左側から、大城宏子委員、浦崎直彦委員です。なお、渡久地政賓会長代理及び上間瑞穂委員は、都合により、本日は欠席しております。

 審理進行のご協力についてお願いがあります。意見陳述者は、私から指名いたしますので、指名された方のみ意見を述べてください。勝手に意見を述べないようにしてください。審理記録の作成のため、意見陳述者はマイクを使用して、起業者那覇防衛施設局の方は職名及び氏名、土地所有者等は自己の権利に係る施設名及び氏名を言ってから、意見陳述を行ってください。

 本日の審理がスムーズに進行でき、多くの方が意見陳述できるよう、審理に参加している皆さんのご協力をお願い申し上げます。

 審理の進め方ですが、本日は、大きく分けて4点ございます。まず第1に、普天間飛行場に関する意見陳述、第2番目に、キャンプ瑞慶覧に関する意見陳述、第3番目に、陸軍貯油施設に関する意見陳述、そして第4番目に、牧港補給地区に関する意見陳述 を予定しております。

 では、さっそく始めたいと思います。普天間飛行場に関する意見です。島田善次さん、よろしくお願いします。

 土地所有者・土地所有者代理人(島田善次):

 私は、普天間飛行場に土地を所有する安里秀雄さんの代理人として、陳述をいたします。私の身分は、普天間基地を撤去する宜野湾市民の会の代表世話人の島田善次と申します。職業は、教会の牧師です。

 普天間の実態を申し上げる前に、私は、この実質的に公開審理をも否定するような、あの名護市の比嘉市長の行動を糾弾いたします。まさに住民を、市民を愚弄した沖縄県の思いを踏んだところの行動に対して、満身の怒りを覚えております。

 さて、このことはどういうことを示しているのか。あのように政府の露骨な介入やさまざまな妨害にもかかわらず、市民が良識をもってあのような結果を出しても、行政の責任者並びにそれに類する者たちが、それを正しく判断しなければ、あのような結果になると。そういう意味で、私はきょう最後の、本委員会に対しても、われわれが今まで、るるここで述べてきたとしても、皆さん方が正しい判断を下さなければ、あのような結果になるということを示しているんではないでしょうか。それゆえに、現収用委員会の皆さんの使命は実に重いと言わなければなりません。

 さて、あまり時間がありませんので、普天間の実態を申し上げます。初めに、爆音事故についてです。この資料は、毎年宜野湾市から公に出している資料をきょうは用いていたします。

 まず事故の件ですが、1974年から84年の間に、事故が57件、そのうち墜落が11件、84名の米兵が死んでおります。さらに、不時着だとかいろんなことを通して38件、重傷が25名、このような状況になっております。これは、日本政府が普天間基地は危険だということを如実にあらわしている証拠であります。

 次に、爆音についてお知らせします。

 1995年6月の爆音について申し上げますが、19時から22時、夜間の間に456回、22時から24時、深夜139回、7時から19時1,642回、0時から次の朝の7時までが7回、計2,244回発生しております。大変な爆音にさらされているのが、この現状でお分かりのこ とと思います。これは今、回数で申し上げているわけですが、これが70デシベルのものが、今、申し上げた2,244、それから70以上が、この6月に、ここに書かれているのが2,244に、さらに80以上加えて773回、90以上が48回、100以上が1回、これが宜野湾市が毎日受けているところの爆音の実態であります。

 私は先ほど、普天間飛行場を撤去する宜野湾市民の会の代表世話人であることを申し上げました。この運動がそもそも始まったのは、今から18年前です。その始まりは、生まれたばかりの娘が、爆音に驚いて飛び起きて、壁にぶつかるようになり、最後には引きつけを起こして乳を吸わなくなりました。このことが、この闘いの始まりであります。そういうわけで、もはや普天間は人間の住めるようなところではありません。

 今、爆音のことを申し上げましたけれども、それでは実際いつも爆音を受けている子供たちはどうなっているのか、このことを申し上げましょう。

 1981年、私たちがこの自費出版誌、冊子があります。これには、この飛行場周辺の子供たちのアンケートをとってあります。先生方に協力していただいて、普天間第二小学校、嘉数小学校、普天間中学校、嘉数中学校のこの4校、これが最も基地に近い 学校でありまして、この小学校2校の4年生、5年生、6年生の各学年より一つのクラスを選んで、さらに中学校2校の1年、2年、3年の各学年より一つのクラスを選んで、実施いたしました。

 この中で「飛行機の爆音についてあなたはどう思いますか」、「とても気になる」というのがほとんどが52%以上です。そしてさらに「いくらか気になる」というのが、第二小学校では23%、嘉数小学校で23%、普天間中学で50%、嘉数中学校で54%。あまり気にならないといっても、普天間第二小学校で23%、嘉数小学校で25%、普天間中で20%、嘉数中で20%。こういうふうに出ております。

 そこで「飛行機の爆音はあなたの勉強に何か影響を与えていますか」この設問に対して「与えている」、普天間第二小学校で80%、嘉数小学校で60%、普天間中で61%、嘉数中で50%、こう書いてある。さらに「与えているに○をした人は、どのような影響があるのか書いてください」、この4校において先生の授業中の話が聞き取りにくいが80%以上です。そしてさらに「集中できない」、これが普天間第二小学校で20%、嘉数小学校で49%、普天間中で26%、嘉数中学校で37%。

 さらに、3番目に「授業中飛行機の音がすると、あなたはどうなりますか」、「全 く勉強に手がつかない」普天間第二小学校が40%、嘉数小学校が32%、普天間中学が13%、嘉数中学が21%、こう書いてある。さらに「イライラするけれども、それほどでもない」という回答もあります。これが普天間第二小学校が34、嘉数小が41、普天間中が54、嘉数中が49。

 そして「飛行機の爆音であなたの体に何が起こりましたか、下の事柄から選んで○をつけてください」と。「耳なり」これが普天間第二小で15%、嘉数小学校で13%、普天間中で4%、嘉数中で6%。「声が大きくなる」22%、8%、13%、5%。そして、最も大きくパーセンテージの高いものが「イライラする」と。これが65%、53%、40%、34%、その次に「怒りっぽくなる」、これが26%、20%。こういうふうに、この飛行場の爆音は学校の子供たちに大きな影響を及ぼしている。

 そして最後に、こう書いてある「飛行機が上空を飛ぶとき、不安を感じますか」、「はい」普天間第二小学校が73%の子供たち、嘉数小学校が47%、普天間中学が42%、嘉数中が36%、こういう結果になっています。

「「はい」と答えた人に聞きますが、それはなぜか書いてください」、「飛行機が墜落しないかと心配である」普天間第二小学校は97%、嘉数小学校が87%、普天間中が83%、嘉数中学校は何と93%。こういう回答を寄せております。

 そのほかに「爆音に関することで感じたことを記してくれ」と言いましたら「基地を撤去してほしい」というのが圧倒的な数字です。さらに「エンジン調整でとてもうるさいのでやめてほしい」「授業中は飛ばさないでほしい」「爆音で学習面に不安を感じる」「低空飛行で恐い」「テレビの映りが悪い」「戦争が始まらないかと心配である」「うるさくて眠れない」「廃油を燃やすのはやめてほしい」「土地収用はやめてほしい」「学校周辺は飛ばさないでほしい」「イライラして弟とけんかしてしまう」「飛行訓練は自国でやってほしい」「弟が爆音でおびえている」こういった声が圧倒的に私たちに寄せられております。

 これだけではありません。この基地の周辺の環境はどうなのかということですが、ご存じのとおり、米兵によるところの性犯罪、この間も喜友名で婦人が殺されました。さらに、基地からの汚水のたれ流し、そして、麻薬やピストルの横流し、そういう実態の中に宜野湾の人間は置かれて、しかもこの子どもたちが毎日、ご存じのとおり、あの真栄原からちょっと入った新町というところ、このような特殊の街の中で彼らは育っているわけであります。この実態をよくこ覧になってください。

 次に、経済の問題でお話し申し上げます。

 ご承知のように、普天間飛行場は、宜野湾市の3分の1を占める150万坪、広大な土 地であります。その中で、一体日本人従業員は何人働いているのかと言いますと、186名です。皆さん、沖縄は歴史始まって以来、失業率の高い県の一つです。われわれ は、もしその土地を返してもらった後には、その土地に公共物やさらに企業、さらに様々なものを誘致するならば、5,000人、いや1万人の職場を確保することは、夢ではありません。委員の皆さんもご存じでしょう。あのハンビー飛行場の跡を見てください。これが実態なのであります。このように考えてまいりますと、あまり時間がなくてさらに詳しい資料は宜野湾市から取り寄せたら分かりますから申し上げませんけれども、まさに基地は、諸悪の根源です。沖縄県民をこのような状態、貧困な状態に陥れるのは、まさに沖縄の人間が知恵がないからではなくて、日本政府団、そしてその沖縄県民を若しめるために、働いているところの那覇防衛施設局の犬たちであります。

 皆さん、今、私は名護市長のあの態度に対し、また今日まで、沖縄が51年間、私は1940年生まれですから太平洋戦争を知っております。戦後のあの生き地獄、すべてを見てまいりました。そういう中で、沖縄が今なおこのような状況に置かれているということは、どんなに理解しようとしても理解できません。

 そういう意味で、ぜひ皆さん方が、収用委員会の皆さん方が、何故沖縄の人間から選ばれたのか。そうでなければ、他府県の者が収用委員になってもいいはずです。これまでの収用委員会は、沖縄の現実をいくらとうとうと述べてきても、それを正しく採用しなかった。まさしく名護市長の態度と一緒です。食い逃げしていきました。

 こういう中で、私ははっきりと申し上げたい。18年の闘いからして、先ほど申し上げましたように、われわれがるる申し上げても、皆さん方が本当にそれを正しく採用するかどうか、そのことを念じております。よろしくお願いします。

 当山会長:

 ありがとうございました。それでは次に宮城正雄さん、お願いします。


  出典:第10回公開審理の議事録から(テキスト化は仲田


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