『読売新聞・歴史検証』(0-32)

「特高の親玉」正力松太郎が読売に乗り込む背景には、王希天虐殺事件が潜んでいた!?
四分の三世紀を経て解明される驚愕のドラマの真相!!

電網木村書店 Web無料公開 2003.12.1

序章:「独裁」「押し売り」「世界一」 2

「新聞セールス近代化センター」を在京六社で設立の社告

 経済学的な問題としての「押し売り」は、実は、読売だけのことではない。

「赤信号、皆で渡れば怖くない」という類いの、新聞業界の宿年の難問、または歴史的恥部である。ひらたくいえば、たがいに激しい部数競争をくりひろげる大手紙全体が、いわば内々の共犯関係をむすぶ「独占の秘訣」である。業界の会合のたびごとに、「新聞販売正常化」のスローガンを掲げはするものの、実際には掛け声だけで無策のまま、「百年河清を待つ」のみなのである。

『日本新聞協会四十年史』では、「販売正常化への努力」の項に三二頁も費やしている。「不公正な販売競争を放置すれば新聞社の経営基盤を揺るがす事態を招来しかねない」という危機感にもとづいて、日本新聞協会は、一九七七年(昭52)五月二五日の理事会で「販売正常化委員会」の設置を決定し、翌日の第一回の委員会で「委員長に務台光雄理事(読売)を選出」している。

 ところが、この委員長が提案した「拡張材料の取り置きと使用の禁止」を含む「具体案」を、率先して踏みにじるのが、委員長の出身母体の読売なのである。同書には、以下、「読売新聞社のM[中型]洗剤使用問題」とか、「読売新聞社が新聞の『宣伝パンフレット』として、ルーブル美術館の複製画を額絵として購読勧誘に使用」した件とか、「中部読売新聞」の「大型拡材」とか、まるで泥棒が警官に化けたような漫画的な騒動が、つぎつぎに登場するのである。法的には「訪問販売法」の取締り対象にすれば一挙解決なのだが、「自主的に規制したいと要望し、法指定は見送られてきた」のである。しかも、この笑えない笑い話の実情を、監視し、世間に暴露する新聞は、どこにもないのだ。

 正直に告白すると、わたし自身、長年の考えの甘さを反省している。この問題の重要性を本格的に痛感しはじめたのは、実際には、フリーになってからのことなのである。それまでにも何度か、この問題をメディア批判の文章のなかで書いたことがあるが、その際には、まだまだ実感が不足していた。

 自宅で仕事をするようになると、つまり、無い知恵を必死にしぼって文章を練るという仕事中なのに、いやでも時折、無遠慮に訪ねてくる新聞拡張販売員と接触せざるをえない。それも、なんと、少ない時期でも月に二度、三度の頻度なのである。本書では公平を期すために明言をしないが、わたしの場合には、従来の行き掛かりや友人関係の都合で宅配の新聞を選んでいる。職業柄、ほかの新聞も図書館で見るように努力している。拡張販売員の言動によって新聞の選択を左右されることはない。しかし、一般的に考えると、自宅や町の商店などで仕事をしている自営業者や、家事専門の主婦の場合には、拡張販売の影響が大きいにちがいない。試みに何人かに聞いてみたところ、やはり、そういう返事だった。だからこそ、あれだけの数の拡張販売員が飯を食えるのだ。

 問題は「実感」であるが、なにしろ、実に、しつこいのである。拡張販売員で、最初から「○○新聞ですが」などと名乗るものはいない。名乗れば、扉を開けずに断られる場合が多いのであろう。わたしも、当然、そうする。だから、拡張販売員は、いきなり扉をドンドンたたき、大声で、「△△さん!」と呼ばわるのである。わたしの方が心得て、「どちらさんですか」と聞いても、大部分の拡張販売員は身分を明らかにしない。「ご近所の□□ですが」などと、見え透いた嘘までついて粘る例さえある。二、三度聞くと、やっと「今、何新聞取ってますか」などという。わたしの場合は、一応は推薦する新聞を確かめた上で、「うちは決まってるから時間の無駄だよ」と、お引き取りを願っている。それでもまた、何度も何度も、別の拡張販売員が入れ替わり立ち代わり来るのである。

 普通の人の場合には、うるさいのに負けてしまう。新聞業界の申し合わせには違反するはずなのに、堂々と見せびらかす「拡材」につられ、ついつい某紙を何か月か取る契約申込書に署名捺印してしまうのではないだろうか。しかも、率先して言いたくはないことだが、わたしの知るかぎりでは、拡張販売員の人相風体は、後楽園の入り口などで見掛ける「ダフ屋」と、実に良く似通っているのである。わたしの場合、あまりにしつこいので、腹立ちまぎれに相手が勧める「××新聞」の批判をしたところ、「ふざけんな!」と怒鳴って、扉を蹴り飛ばしてから、やっと立ち去ったことさえある。普通なら、逆らいたくない相手であり、はっきりいえば、「月に一度は各家庭を必ず訪れる“ヤクザ拡張販売”」なのである。これが「押し売り」でなくて、何であろうか。

 ところが最近のこと、宅配の某大手紙に四段広告が出現した。朝日・産経・東京・日経・毎日・読売と、五十音順で在京六社の連名だから、一種の社告である。内容は「新聞セールス近代化センター」設立の挨拶で、設立目的は「訪問販売のトラブルを防ぐため」とある。「新聞セールスマン」は「新聞セールス証」という写真入りの身分証明書を「胸につけています」というのだが、そんなものは一度も見たことがない。しかも、写真の主、「新聞太郎」さんの顔は、テレヴィ・ドラマに出てくる張り切り新人記者のような、お坊ちゃん風の二枚目ときたものだ。これには、もう、吹き出さずにはいられなかった。

 一応、在京各社、新聞協会、公正取引委員会などから事情を聞いたが、「新聞セールス証」を所持する訪問販売員の実在状況は、「各地の報告」と称するだけで、雲をつかむような話でしかない。これは中身を偽る「虚偽広告」ではないのだろうか。

「訪問販売」については合法だと主張するのだろうが、他の業種の訪問販売員は、本当にピシッと上品に決めている。その比較だけでも、新聞業界のヤクザ度は語るに落ちるというべきであろう。しかも、この共同社告自体が、「自主規制」の失敗と「訪問販売のトラブル」頻発の告白になっている。


(0-3-3)巨大企業の自宅訪問と系列専売、生産と流通の双方支配は禁止