『9.11事件の真相と背景』(12)

「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?
アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く

電網木村書店 Web無料公開 2006.2.2

第9章 古今東西「兵は詭道」の原則を知らぬ
平和主義の議論の愚挙

 9・11事件を「テロ」と呼び、さらには「アラブ人テロリスト」の犯行だと伝えることは、いわゆる「流言飛語」を、検証せずに広める行為である。この「流言飛語」の手段として、古今東西、メディアが使われてきた。その実例を日本の事件、関東大震災に見る。

 私は、拙著『読売新聞・歴史検証』の中で、関東大震災に関するメディアの役割を追った。新聞も「朝鮮人暴動」説の意図的な流言飛語を広めていた。この関東大震災後の事件の場合には、予測不可能な天災を、人為的な朝鮮人、中国人、社会主義者への弾圧に利用したのであるが、9・11事件が謀略だとすれば「大惨事」自体が、計画的かつ人為的に起こされたことになり、謀略の計画自体の中に、流言飛語の計画が含まれていたと考えるべきであろう。すでに、そういう主旨の告発記事も、アメリカから流れてきているのである。

 今回の事件についての私の「疑い」、または「考え方」は、決して突飛なものではない。 欧米や日本の大手メディアは、尻込み、逃げ惑い、ほとんどは「沈黙の共犯」として、アメリカとイスラエルの主流の主張に従ってしまったが、すでに数多い疑惑情報を紹介したように、アラブ・イスラム圏では、むしろ、私と同じ考え方が多数派、または主流と言っても差し支えない状態だった。今もなお、そうである。

 およそ犯罪事件の初動捜査で、類似事件の前科者の犯行を疑い、身辺を洗うのは、常識中の常識である。それが不幸にして前科者を犠牲者とする冤罪事件になることもあるが、確率が高いことは事実なのだから、捜査方針の基本となるのは当然のことである。

 しかも、アラブ・イスラム圏は、第2次世界大戦後の半世紀を超える長期にわたって、イスラエルとアメリカの対外政策の被害者だった。誰の目にも明らかな加害者で累犯の前科者は、他ならぬアメリカとイスラエルである。またかと疑うのは理の当然である。

 もしも、ソ連が、1960年代の当時のような状態で存在していたならば、9・11事件を、「アメリカ帝国主義のCIA謀略」だと非難したかもしれない。ソ連にも問題は多かったが、「毒を以て毒を制す」という意味では、それなりの役割を持っていたのである。そのソ連が崩壊し、いわゆる東西冷戦構造が唯一の超大国アメリカ一極支配の構造に移り変わる時期に起きたのが、湾岸戦争だった。以後、アラブ・イスラム圏の声が、いわゆる国際社会で、まったくと言って差し支えないほどに無視されるようになったのは、このようなアメリカ一極支配の進展下での象徴的な現象なのである。

 この事件を「テロ」だと認めろというのが、超大国アメリカの最初の基本的な「脅し」だったのである。これを安易に認めると、次には「テロは許さない」となり、さらには、その後の「右も左もテロ糾弾」合唱状況へと進んだのである。

 この最初の「判断」の重要性は、刑事事件の発生直後の「初動捜査」のそれに相当する。初動捜査の失敗は、後々まで響くのである。問題は、この「初動捜査」を誰がすべきなのか、誰がしたのか、なのであるが、私はあえて、ここで宣言する。確かに、警察もしょっちゅう間違えてはいるが、初動はもとより、あらゆる捜査に当たる担当者は、並の常識以上の知識と経験を持っていなければ、まるで役に立たないのは当然である。

 この「初動捜査」の基準で点検すると、9・11事件直後からの数多い日本の大手メディア報道、論評を見る限りでは、電網情報以前の問題が多すぎて、唖然を通り越し、寒心の至りであった。それが日本の言論人の水準なのである。

1928年の張作霖爆殺を想起し得なかった日本人は言論人失格

 何とも、まことにもって象徴的なことには、およそ日本の言論人で戦争と平和を語る者なら、常識中の常識の関東軍による張作霖爆殺事件に言及した例には、まったく、お目にかかれなかったのである。基本的な素養を疑わざるを得ない状況なのだった。 

 体制側が使う用語の「テロ」の意味は、昔なら「暴徒の襲撃」である。「国際法で認められた戦争行為ではない」という印象づけが狙いである。

 日本の関東軍がやった張作霖爆殺事件は、事前に中国人を2人雇っておいて殺し、線路際に投げ捨て、「中国人の暴徒の襲撃」を装い、それを口実にして戦争を仕掛け、満州国をでっち上げようと計画したもので、今の用語で言えば、「テロを装った戦争挑発の謀略」となるのである。1928年の張作霖爆殺事件は、謀略が露見して関係者が内々に処分されたにもかかわらず、日本の大手メディアは「満州某重大事件」としか報道せず、個人の覚悟を決めた暴露の動きもなく、関東軍を付け上がらせ、以後、17年の侵略戦争と人類史上初の核兵器被曝にまで至ったのである。この痛切な歴史の教訓を、今、想起し得ない者は、それだけで、日本の戦争と平和の問題に関する言論人としては失格なのである。

秘密情報機関の歴史的実態の理解を欠き予備知識皆無の日本マスコミ業界

 国際問題の予備知識も不足している。第2次世界大戦後、アメリカ人の調査でも、約3000件のCIA「隠密作戦」を行い、嘘をつきまくって戦争挑発の限りを尽くしてきたアメリカが、かつての日本を上回る戦争挑発の謀略を、やらないわけはない。そう考えて、徹底的に疑うのが、なおさらのこと、言論人の仕事の原則でなければならない。

 ここでも決定的に重要な問題は、いわゆる「秘密情報機関」の実態の理解の有無にある。今の今の世界の焦点の中東こそが、CIAの最大の活躍の舞台なのである。

 私は、今から10年前の1992年に出した拙著『湾岸報道に偽りあり』の巻末資料に記録しただけでも、それまでに44冊のCIA関係の単行本を読んでいる。数多い関連の雑誌記事にもほとんど目を通した。

 CIA(Central Intelligence Agency)は、日本語では「中央情報局」と訳されるが、これがまず実態を偽る言葉の魔術なのである。

 CIAはもともと、情報の収集や分析という言葉で一般に理解されるような上品な仕事をやる役所などではない。確かにアメリカの中央官庁ではあるが、実態は、まったく違う。第2次世界大戦中に創設された隠密部隊、直訳すれば戦略業務局OSS(Office of Strategic services)の看板を掛け換えただけの謀略集団である。日本軍が大陸で展開した戦略物資密輸や阿片密売の特務機関と同様、戦争を口実としてその裏面で犯罪的に暗躍したのだから、本来、終戦と同時に閉鎖されるべき部門であった。

 ところが、悪事の味をしめたOSSのボスたちは、戦利品の押収を始めとして、それ以前のヨーロッパ列強が植民地支配をしてきた諸国の利権を貪る禿鷹同然の仕事を引き継ぎ、中東に進出したアメリカ系石油マフィアに寄生して、生き残りを図ったのである。むしろ、今もなお、常に問題になる隠密作戦や情報操作の方が専門なのである。だから、アメリカ発の情報は、常に疑わなければ危ないのである。

 ところが、そういう秘密情報機関の歴史と本質を知らない日本の大手メディアの記者や番組制作者は、悪評紛々の情報独占機関「記者クラブ」に依拠し、まったく逆に、アメリカが「無料」で提供する「情報」を有り難く頂戴し、ほとんど鵜呑みにして垂れ流し、ほぼ完全に、CIAの情報操作の手先に成り果ててしまうのである。中には金で買われる連中もいる。だから、日本の大手メディアのアメリカ情報は、危険至極なのである。

 これは、平和のペンにとっても、敵味方入り乱れる熾烈な「情報戦争」なのである。

 実際には、事件発生の直後から、いわゆる西側諸国の中でも、特に電網空間では、アメリカの極右による自作自演説までもが溢れ出て、議論が沸騰した。日本国内でも、若者は、「裸の王様」の寓話の子供のように、何も失うものがない大胆さを発揮し、競って、若者が群れる電網掲示板で疑惑を公言した。しかも、若者の方が英語に強いから、英米その他から発信される英語情報を検索しては次々に、各種の掲示板で紹介してくれた。私は、それ以前からの欧米、アラブ・イスラムの友人が送ってくる情報とあわせて、逐次、それらの若者情報をも収集し、その源を手繰って所在を確かめ、分析して広めた。

 これらの作業は、私にとっても、まさに史上空前の忙しさだったが、既述のごとく、9・11事件の発生から、8か月後の2002年5月中旬になって、ついに、事件の現場、アメリカの議会で、ブッシュ政権が、少なくとも「事前情報を得ていた」と認めざるを得なくなったのである。これで、やっとのことで、またはようやくにして、事件の検証は公開の場での第一段階に入ったと言える。本書が公刊される時期、事件発生の1年後には、さらに新しい情報が増えているであろう。11月にはアメリカの中間選挙があるから、事態は激動の可能性もある。当然、情報戦も熾烈となる。そこで、次の第10章では、現段階までの「情報戦争」の概略を見直してみることにする。


第10章 遅蒔きながらも出始めた報道関係者の反省