『9.11事件の真相と背景』(9)

「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?
アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く

電網木村書店 Web無料公開 2006.2.2

第6章 「イスラエル・CIA説」から逃げた
「中東通」の中東蔑視

 判断の歪みの原因は、基本的に、その判断の根拠となる基本的な状況の認識の歪み、情報の流れ方の歪みにある。ではなぜ、それが歪んだのであろうか。

 実は、他のあらゆる「業界」におけると同様に、一般にはあまり知られていない「中東業界」の内部でも、恐るべき事態、いわゆる腐敗状況が、密かに進行していたのである。

 簡単に言えば、近年のいわゆる反体制派の「貧すれば鈍する」状況に加えて、中東情勢に関する状況認識の日本における主体となるべき専門筋の「中東通」の間には、右も左も区別なく、中東蔑視があり、いわゆる右の体制べったりは当然としても、いわゆる左も似たり寄ったりの体制依存、共生状況に成り果てていたのである。

 日本は、もともと国際情報音痴で、特に中東情報の過疎地帯なのであるが、それでもなお、9・11事件発生直後には、日本国内のいくつかのメディアで、アラブ・イスラム圏の事件に対する反応が、少しは報道された。その中には、9・11事件はイスラエルの秘密情報機関モサドやCIAなどのアメリカ国内の極右の仕業ではないか、との声もあり、これも少しは報道された。

 ある程度、中東、イスラエル、アメリカの実情を知る者なら、このモサドやCIAなどの犯行、謀略の可能性が高いことは、すぐに感じるはずだし、徹底的に調査すべきところである。犯罪事件には動機が付き物だが、事実、9・11事件直前には、前出のスターン・インテル記事にもあったように、イスラエルはダーバンで開かれた「国連」(正確な訳語は「諸国家連合」)の国際会議で、人種差別国家と非難を浴び、イスラエルとアメリカだけが退席するなどして、国際社会の世論の中での孤立を深めていた。

 そのイスラエルの極右首相シャロンは、9・11事件直後の混乱に乗じて対パレスチナで攻勢に転じ、アメリカはアフガンに侵攻した。アメリカの動きの背後にカスピ海周辺の石油資源争奪戦が潜んでいることは、常識中の常識だった。両者には犯行動機があった。

 ところが、日本国内で、モサド・CIAの謀略を疑う意見を、「陰謀説」として退け、または逃げ、無視したのは、いや、それどころか、その無視と言論抑圧の論調の先頭に立ち、しかも、アラブ情報を歪めさえしたのは、何と、「中東専門家」として飯を食っている連中だったのである。私の手元には具体例の資料が山ほどある。

 私は、もともと歴史マニアで、日本テレビでは調査課の資料室勤務を経験した。30年前の旧著、『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』を執筆する際には、私の流儀の徹底的な資料調査を実施した。七つの海を支配した世界帝国、イギリスの「アフリカ通」が、いかにアフリカ人に対して傲慢で、嘘つきで、公然と露骨に、アフリカ人を軽蔑してみせまでしていたかということを、たっぷり知っていたから、後進の経済大国、日本の第三世界に対する現在の態度、対応ぶりには、まるで驚かない。

 要するに、日本という世界第2の「経済大国」、成り金国家の「第三世界」への態度の典型の一つでしかないのである。欧米の物真似、右手で「搾取」し、左手で「慈善」を施す金持ちの傲慢さが、滲み出ているのである。古今東西、「善人面」の慈善家ほど、傲慢で、慈善を施す相手を「蔑視」している連中はいないのである。

 その状況は、他の分野でも同様で、もう一つの関連業界、大手メディアは、「中東業界」に見習った。

 こういう状況の実感を私は、不幸にして、かねてから持っていた。しかも、9・11事件以後の各所における見聞で、ますます、その実感を深めていたのである。

 日本の戦後初期のアラブ・イスラム研究者たちは、いわゆるアジア・アラブ連帯の立場から、アラブ・イスラム圏に接したはずである。ところが今では、彼らの弟子たちが「就職」する「業界」は、中東向けODAの金の生る木の商売になったのである。

 この現象は、世界史の実例と比較すると、別に珍しいことではない。貧困から身を起こした耶蘇教(当時の日本人の表記)の宣教師が、遙か極東の果ての日本にまで来たりして、植民地化のための情報収集の先兵をつとめるようになったようなことである。彼らが「アラブ世論」を歪めて伝えるようになるのは、当然すぎるほどの帰結なのである。

 しかも、すでに私は、「慈善家」という言葉を使ったが、いわゆる連帯とか救援とかの運動にも、残念ながら、別の意味で、その気がある。これまた、宗教やら社会主義やらの運動にも、「大衆蔑視」が付き物だったことを思えば、まったくもって不思議な現象ではない。「救援」する相手は、飯の種ではないにしても、運動の種なのである。これまた運動と言えば運動だが、「中東業界」と私が呼ぶ分野には、日本赤軍そのものや、心情的支持者がいて曖昧模糊の関係を持ち、ますます状況を複雑にしている。そのそれぞれに流儀の違いはあり、理論的には混乱の極みなのだが、「民族解放闘争の戦術としてのテロ」を容認したりして、実質的には9・11を「テロ」と認める立場となり、私の分類では、結局、9・11事件「テロ」呼ばわりの仲間に加わっているのである。

 しかし、幸いなことに、このような組織運動の宿命的な位置づけを理解できる若者も増えてきた。私とはカンプチアPKO出兵の際の現地取材以来の付き合いのNGO(非政府組織)の「国際ヴォランティア」運動の中には、前記のような「耶蘇教の宣教師」の歴史の教訓を知る者もいる。しかも、「あの」お粗末外務省が、何とも露骨に、カンプチアに対するODA(政府開発援助)資金やNGOへの補助金の窓口としての権限を振りかざし、「良いNGO」と「悪いNGO」の選別を行い、最近ではアフガン支援のNGOへの差別のスキャンダルが、大手紙でも報道されるようになった。彼ら国際ヴォランティアは、現地の状況も知るようになるし、自らの苦い体験を通じて、日本の財界や権力の本音の「利用主義」を肌身に感じているのである。

 以上のような状況下、事実上の情報封鎖または情報操作を受けながら、どうすれば事件の真相と背景に到達できるか。要は事実の再確認であるが、その虚心坦懐な観察を妨げる主体的な条件として、昔からの表現、「目の鱗」の存在を重視すべきである。真相や真理に到達した時の気持ちの例えとして、「目から鱗が落ちる思い」と言うが、特に中東、イスラエル、パレスチナ、アメリカの問題に関する決定的に重要な「目の鱗」としては、「ホロコーストの大嘘」がある。湾岸戦争後に私は、そのことに気づき、1994年に発表して以来、すでに8年間、さまざまな妨害と戦いながら主張し続けてきたのである。


第7章 なぜアメリカとイスラエルだけが何をしても「許される」のか(その1)