Racak(ラチャク)村「虐殺報道」検証(4)

ユーゴ戦争:報道批判特集 / コソボ Racak検証

朝日は遅れてローマ発米従属記事

1999.6.11

1999.6.7.mail再録。

 本日、1999.6.7.午前12時直前、朝日新聞広報室に、「インターネット週刊誌の取材」と明言して、先の検証(3):掲載の読売新聞1999.1.24.「コソボ虐殺“演出説”」記事をファックスで送り、朝日新聞紙面での同主旨「真偽」報道ありやなしやと質問したところ、留守中にファックス回答が届いていました。

 上部には、「'99-06-07 15:09コウホウシッ(ッが小さいですよと、ご注意申し上げました)p.1」と自動的に記入されていました。

 まずは、以下、その全文を御覧下さい。


1999/06/07

 木村様

 朝日新聞社 広報室

 先ほど、いただいたファックスで、読売新聞の記事を確認し、朝日新聞の記事で「虐殺」について、その真偽に疑問を呈したものを検索してみましたところ、1月29日朝刊外報面で「ラチャク村の『虐殺』事件、真偽めぐり論争/欧米メディア」という記事がでています。読売がパリでフランスの有力紙などの疑問を扱っているのに対し、朝日はローマ発でワシントン・ポスト、仏ルモンド紙の報道を伝える形で報道しています。

 ご参考までに、その記事をお送りします。

掲載日:1999年01月29日朝刊ぺ一ジ:面名:1外

■ラチャク村の「虐殺」事件、真偽めぐり論争/欧米メディア

【ローマ28日=藤谷健】

 ユーゴスラビア・コソボ自治州南部のラチャク村でアルバニア人住民45人の遺体が見つかり、欧州安保協力機構(OSCE)停戦合意検証団のウォーカ一団長がセルビア当局による虐殺だと断定した事件について、「虐殺」の真偽をめぐる議論が欧米のマスコミなどを巻き込んで続いている。

 米ワシントン・ポスト紙は28日、セルビアで電話傍受にあたっている西側諸国の担当者に近い筋の話として、セルビア政府高官が、治安部隊兵士3人の殺害を受けて、コソボ解放軍の掃討作戦を命令。事件発覚後は、ユーゴのシャイノビッチ副首相が治安部隊司令官に対して遺体を部隊との交戦で死亡したように偽装するよう指示した、としている。ユーゴ政府は同日、「米国の情報機関のでっちあげだ」とこの報道を否定した。

 一方、フランスのルモンド紙は、遺体発見前後に村を訪れた合意検証団のメンバーの証言などから、一部の遺体が実際の死亡現場から発見現場に動かされていたと指摘するなど、アルバニア人側による偽装の疑いがあるとの見方を伝えた。

「セルビア当局による虐殺だ」と記者会見で発言し、ユーゴ政府から国外退去を命じられたウオーカー団長(現在は処分凍結中)は、こうした報道の後も「虐殺だったとの見方は変えていない」としている。

 事件はセルビア当局が捜査を進めており、州都プリシュティナの専門家と、OSCEが招いたフィンランドの専門家らが協力して司法解剖を続けている。しかし、遺体がイスラム寺院(モスク)に安置された後、プリシュティナの病院に運ばれたことによる損傷が目立つほか、「隠ぺい工作が行われた可能性も排除できない」(フィンランド人専門家)ため、解剖で虐殺の真偽が判明するかどうかは分からないという。


 さて、「ある時は自称名探偵」(この日本語を、実際には使い物にならないので、「実験用」と思って諦めることにした割引定価1万2千円の英訳ソフト「これはえいわ」に入れると、When it is there would be name detectiveとなる)としては、捜査に掛かる前に、時間節約を目的として、一応の仮説を立てます。

 この朝日新聞の記事には、「フランスのルモンド紙は」という部分もありますが、本当に該当記事を載せた『ルモンド』を読んだのでしょうか

 冒頭には、「米ワシントン・ポスト紙は28日」とあります。その4日前の1月24日に、読売新聞のパリ支局員が、『ルモンド』などのフランス紙の疑惑記事を要約しているのです。当然、『ルモンド』などの記事が現れたのは、1月24日以前です。となれば、その『ワシントン・ポスト』記事は、『ルモンド』などの記事の「疑惑」に対して、アメリカから出た反論に違いありません。その『ワシントン・ポスト』記事に『ルモンド』の名が出ていて、そこでは、おそらく都合のいい「切り縮め」が、行われていたのではないでしょうか。

 ともかく、このローマ発の朝日新聞の記事では、『ルモンド』などのフランス紙の記事に出ていたはずの具体的な「疑惑の根拠」が、まったく欠落しています。これは不公平です。さらに、『ワシントン・ポスト』記事の引用が正確だとしても、この朝日新聞の記事からは、「住民45人の遺体」が、いつ、どこにあったのか、だれが「発見」したのか、それが、どうして「イスラム寺院」(当然、アルバニア人側)から、「プリシュティナの病院」(当然、ユーゴ当局側)に運ばれたのか、などの初歩的な経過が、まったく分かりません。

 他にも、不十分、かつ、対米従属的な間違いだらけですが、それはまた、事件の経過全体を検証しながら、逐次、指摘します。できれば、ご自分で、先の読売記事と比較して、考えて下さい。

今回は以上。次回に続く。


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