『湾岸報道に偽りあり』(13)

第一部:CIAプロパガンダを見破る

電網木村書店 Web無料公開 2000.12.3

第二章:毒ガス使用の二枚舌疑惑 2

デマ宣伝で高名な特派員さえ、ついに沈黙

 この松原説に対して反論を試みたのは、産経新聞のワシントン支局長、古森義久だけだったようである。

「論文を読んでびっくりした。……イラクのクルド族への毒ガス使用も実はイランの仕業と書くあたりはあぜんとするほかはない」(『産経』91・3・26)

 だが、なんら反論の証拠も示さずに、「あぜんとする」という主観的な感想を述べるだけでは、なんの意味もなさない。逆にいうと、この古森の反論の仕方は、ワシントン駐在の「ボーン・上田賞」とやらに輝く高名なベテラン記者ですらが、まったく反証をあげ得なかったという事実を自ら立証しているようなものだ。これが裁判の公判なら、その場で鋭く反対尋問され、イチコロのボロボロである。

(★その後の現地情報によると、毒ガス関係の原資料は国務省の「機密記録」(Classified Document)として保管されており、普通のジャーナリストでは入手不可能だという。ブッシュらは肝腎の証拠をかくしたまま、いわば公開裁判抜きでサダムを無罪あつかいしたり、有罪と決めつける非難を行ったことになる)

 また、「イランの仕業」という表現は、松原の主張を故意に歪めている。だれも「イランの仕業」などという悪罵を投げつけてはいないのだ。

 問題となった地帯では、イラン・イラク戦争中、両軍が入り乱れて何度も戦っていた。毒ガスは風で流される。下手をすると味方まで殺してしまうという、危険な兵器なのだ。近隣の住民に被害が及ぶことは充分にありうる。

 さらに、裁判の証人調べでいうと「証人の信憑性に関する反対尋問」に当たるが、この古森証人には、真新しい証拠捏造の前科がある。地上戦でイラク軍前線が敗退した直後、古森は、『週刊文春』(91・3・14)で「湾岸戦争評論家よ、丸坊主になれ!」と題し、アメリカでは「見通しを誤ったニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは紙上で謝罪した」という趣旨の主張を展開した。それを受けて産経新聞(91・3・14)は、「誤った予測や提言をした米国のマスコミや専門家が、あいついで『間違えました』という反省の弁を公式に述べている……ブッシュ政策に反対した非をニューヨーク・タイムズ(社説)は認め」たと報道した。ところが、問題のニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストの紙面の広告欄に至るまで、どこを探しても、わびの一言もなかったのである。同業の朝日新聞からも「ニューヨーク・タイムズの社説には『間違えました』という言葉はない」(91・7・30メディア欄「戦争報道」31)と、やんわりタシナメられる始末であった。

「毒ガス」問題にもどると、喧嘩を売られた当人の松原久子は、翌月の『文芸春秋』五月号の「戦勝国アメリカよ驕るなかれ」で、さらに調査機関の名をあげて反論した。

 事件当時の記録の審査に当たり、「国務省の主張」を否定した「アーミー・ウォー・カレッジ(Army War College)」は、「米軍士官学校制度の頂点に位し、参謀養成機関として厳選された米軍人のみを入れる大学であり、陸海空軍の統合参謀本部により運営されている権威ある機関」である。

「一九八八年、毒ガス死者に関する事件が二度あった。一回目はまだイランとイラクが戦争中の三月下旬、イラク国境のハラブジャ市。毒ガスでやられたクルド族は、アメリカの専門家による調査の結果、シアン化物使用の結果であったことが明らかとなった。シアン化物はイランのみ所有の毒ガスである」

「二回目は戦争の終わった八月で、北イラクのクルド族が戦争中政府に謀反を起こしたという理由で、親衛隊の復讐に会い、命からがらトルコへ逃げのびた。トルコの医者たちは患者や、病院における死者たちを詳細に点検し、毒ガスの徴候はなかったと言明した」

 古森も、これには反論していないようだ。他の論者たちと大手マスコミは、沈黙を守り続けている。要するに、もともとどこも裏を取っていない報道なので、新しい反論の材料がないのだ。

 だが、古森が知らぬ存ぜぬではすまないのが、当のアメリカ国内の政治的思惑である。次の事情からして、前記のような調査や審査の存在を、関係機関のメンバー、特にブッシュは、十分に知っていたはずなのである。

イラク非難決議にホワイトハウス反対

 ロンドンで原著出版の『サダムの戦争』には、次のような記述がある。

「一九八八年、イラクがクルディスタンを攻撃した際、多数の民間人が毒ガスで殺されたことを契機に、制裁法案が(米議会に)提出されてかなりの支持を集めたが、ホワイトハウスの反対によって廃案となった。イラク政権による残虐行為は、ワシントンに本部を置く組織ミドル・イースト・ウォッチ委員会によっても記録されており、その信憑性は明らかであったにもかかわらず、ブッシュ政権はイラクの独裁者にたいして寛大な態度をとったのであった」

 ここでの「信憑性」の根拠は、「ミドル・イースト・ウォッチ委員会によっても記録されて」いるという「事実」である。だが、この委員会は、民間のクルド支援組織である。つまり、一方の当事者側の組織であり、専門的な要素を欠いている。また、残念ながら出典の注や資料リストがないため、これ以上の吟味ができない。問題の核心は、その「記録」なるものが果たして、医学的ないし化学的な鑑定として採用し得るものなのかどうかなのだが、それを判定できないのである。

 先のアーミー・ウォー・カレッジによる記録審査は、このイラク制裁法案と同時期になされており、アメリカ国務省が保持する公式記録を材料としたものである。国務省の記録は非公開だそうだが、アメリカの専門家による調査やトルコ人医師の診断は、当然、被害を訴えたクルド側の主張を踏まえて行なわれている。記録そのものが間違いか嘘だという証拠でもあるのなら別だが、それらをアーミー・ウォー・カレッジがさらに吟味しているだけに、このハードルは高い。

 また、今度のアメリカの宣伝が正しいのだとすれば、さかのぼって一九八八年、アメリカ軍の権威ある機関の信用は失われることになる。それなのになぜ、軍関係者は黙っているのだろうか。先に紹介した『司令官たち』における国防長官チェイニーの「不安」の原因は、ここにあるのかもしれない。『サダムの戦争』には、このほかにも毒ガス使用に関する記述があるが、そのいずれにも、専門家による調査だという主張がない。

 アメリカで原著出版の『クルド民族』では、著者自身は問題の毒ガス事件にふれていないのだが、日本語版に訳者でイラク駐在の経験を持つ前田耕一が解説を加えている。そこでは、先の制裁決議をめぐる事情が次のように説明されている。

「アメリカ上院議会は、一九八八年九月、イラクの化学兵器使用を非難し、イラクに対する経済制裁を提案した。しかしイラクとの貿易で利害関係をもつ農民との絡みなどがあり、結局実施されなかった。この制裁案には、八年間の実戦を通し軍事強国にのしあがったイラクを弱体化させようというイスラエル・ロビーストの思惑があったとも伝えられている」

 この『クルド民族』の解説では、クルド人に対してイラク政府が毒ガスを使用したとする記述が、さらに詳しく展開されているが、やはり、出典は示されていない。私が前田耕一本人に確かめたところ、資料の出所は主としてクルド支援組織のニュースだという回答があり、英文の資料を提示された。だがここにも、「自国民のクルド人」に対する毒ガス使用を証明するだけの専門的鑑定はなかった。アメリカ側の「人権のための医師団」などによる調査とあるのは、すでに指摘した国務省の記録にふくまれているものだろう。一部の資料では、使用された毒ガスの種類をマスタード・ガス(イラク所有)とシアン化物(イラン所有)の両方としており、先の松原論文に照らせば、逆に、両軍入り乱れての戦闘状況を思わせるものであり、ますます証拠能力を疑わざるを得ない。また、現地の土を持ち帰って検査した例があるが、これも、現地で毒ガスが使われたことの証明とはなっても、それだけで直接的に「自国民のクルド人」への使用を証拠立てることはできない。

 前田は「被害者の立場から報道するのが正しい姿勢だ」と主張する。もちろん、「被害者の立場」の重視には賛成だ。だが、いかなる立場からの情報であっても、裏は取るべきである。これが裁判ならば、味方の情報を信じて失敗したときの傷の方が大きくなる。

 しかも、今度の湾岸戦争の最中にも何度か、イラク軍が毒ガスを使用したというニュースが流れており、そのすべてが誤報だった。また、残念なことだが、クルド側の情報には誤りが多かったというのも、日本の報道関係者が異口同音に認める事実だった。だから途中から、裏を取るまで報道しないように気をつけたというのだ。それなのになぜ、毒ガス問題だけがフリーパスだったのだろうか。まさかではなく、きっとそれが、アメリカ経由だったからではないだろうか。

 ところがこの場合、裏づけのない情報をフルに活用しているのは、これ以前に二度もクルド人とイラク政府との対立を煽り、溝を深め、失敗すると捨て去り、今また三度目の国際謀略の犠牲にしようとしている超大国アメリカの政権なのだ。ブッシュは決して、クルド人に同情して、この事件を持ち出しているのではない。そうであれば、一九八八年当時に議会の制裁決議を支持し、今度の戦争をも未然に防ぐ努力をしていたはずである。

核戦争を覚悟の元CIA大統領

 ブッシュの姿勢と対比して、「毒ガス」報道には、もう一つの重大な偏向があった。

 駐日大使のアルリファイは『アラブの論理』の中で、「イスラエルの核兵器に対して、われわれはどうやって自分の身を守るのか。われわれにはその権利がある。そのために、イラクは『貧者の原爆』――化学兵器を持った」と主張し、湾岸戦争に関しては次のように述べている。

「イラクは大量破壊兵器を決して使わなかった。……ある西側の新聞は、イラクが化学兵器を使うと脅迫したと報じた。この新聞は、クェール米副大統領が核兵器の使用をほのめかした際には、急に口をつぐんでしまったが……」「皮肉にも、恐るべき気化爆弾やナパーム弾、集束爆弾、対人殺傷爆弾、スーパー爆弾といった国際的に許されていない兵器を使用したのは、他ならぬ米国とその同盟国だった」

 アメリカがサウジアラビアの基地に核兵器を配置したのは、周知の事実だった。だから、初めて気化爆弾の凄まじい爆発状況を目撃したイギリス軍兵士は、無線機に向かってこう叫んだのである。

「司令官! 司令官! ちくしょう、米軍がイラク軍を核攻撃しました」(『朝日』91・9・12)

 イラク軍が毒ガスを使用した場合には、アメリカ軍が核兵器を使用するかもしれない、という憶測が流れていた。その際、決定的な命令を下す立場にあったブッシュは、核兵器の使用を、どう考えていたのだろうか。

 社会心理学の長老、南博は、「湾岸の情報戦争」(『世界』91・4)で、「心理療法の権威カール・ロジャース」の著作に「書き留め」られたCIA長官時代のブッシュと新聞記者の、次のような応答を引用している。

問「戦略兵器については、お互いに何回でも壊滅させることができる点まできていて、それを使いたい人なんていないのではないですか? 我々の方が一〇パーセントあるいは二パーセント高いとか低いとかは問題でないと思いますが……」

ブッシュ「そう、あなたが核戦争には勝者なんていないと信じているならね。そうすればその説にも意味があるだろうね。しかし私はそう考えていません」

問「核戦争でどうやって勝てるんですか?」

ブッシュ「軍の司令部は生き残る可能性があります。企業も生き残る力がありますし、国民の何割かを保護できます。われわれが敵から加えられる以上の損害を敵に与えることができます。それが勝者となる道です。そして、ソ連の軍備計画は核戦争に勝つというきたない考えにもとづいて行われています」

問「あなたは五パーセント程の人々が生きのびられると言われるのですか。それとも二パーセントですか?」

ブッシュ「それ以上です。人々がすべての兵器を使用するなら、もっと多くの人々が生き残れます」

 南博は、この応答を「恐ろしい会話」だと評し、ブッシュの「精神構造が、今日でも変わっていないと思われる」と記している。

 確かに今回、アメリカ軍は核兵器を使用しなかった。だが、核爆弾に次ぐといわれる衝撃波で地上を破壊し焼き尽くす気化爆弾を、撤退中のイラク軍の背中に浴びせる攻撃に関しては、いささかもためらっていない。

「恐ろしい会話」は、湾岸戦争で「ほぼ九〇%」現実化したのだ。

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 私は、この最後の「ほぼ九〇%」という認識が必要不可欠だと考えている。

 なぜなら私は、核兵器廃絶運動の重要性は十分に評価する。しかし、核兵器の登場によって、「通常兵器」という奇妙な区分が発生した。これはどういう歴史的事態なのだろうか。極論になるが、核でさえなければ、いかに残虐であっても非難できないかのような国際世論が作り出されてしまったのである。この問題は、核兵器のみに的をしぼりがちな運動に限界があり、幻想性のマイナス面があったのだして、これまた十分に意識する必要があると思う。いわゆる「軍縮」にもまた、同じ問題がつきまとっている。前世紀のハーグ条約による残虐兵器の禁止にも、真に戦争を不可能にする力はなかった。そして、今の「通常兵器」は、そのときの残虐兵器の限界をはるかに突破しているのだ。

「残虐兵器の禁止」に関しては、すでに古代エジプトにすら先例がある。ブーメランと同じ原理の投げ刀が、相手構わず人を殺すからという理由で禁止されていたのだ。この投げ刀の殺傷力と気化爆弾のそれとを較べるのも愚かであろう。イラクの「貧者の原爆」を誇大宣伝して「悪魔化」を図り、無抵抗な敗惨兵を焼き殺したブッシュらの「悪魔性」の方をこそ、より深く分析し、追及すべきなのである。

 しかも、その誇大なイラク「悪魔化」宣伝には、すでに知られているかぎりでも驚くべき巨大な組織的背景があった。


(14) 宇宙空間から下るご神託「ヴィデオ」