『湾岸報道に偽りあり』(5ex)

隠された十数年来の米軍事計画に迫る

電網木村書店 Web無料公開 2001.1.1

第一部:CIAプロパガンダを見破る

 プロパガンダという「言葉」について、イギリスのグラスゴー大学で「プロパガンダ論」を講義したという元広告会社専務取締役オリヴァー・トムソンは、著書『煽動の研究/歴史を変えた世論操作』の中でこう説明している。

「この言葉は、十六世紀にローマ・カトリック教会がプロテスタントの攻撃に直面して、コミュニケーション(布教)の方策の見直しをはかったときに新たにつくられたものである」

 手元の英和辞典をめくると、プロパガンダの項には確かに「布教」の訳語もある、終わりの語源説明の[NL]はネオ・ラテンの略号であり、西暦一五〇〇年以後に造語された「近代ラテン語」という意味である。

 CIAのプロパガンダ作製の秘訣は、三〇%の真実を加えることだそうである。つまり、残りの七〇%は嘘ということになる。本書の冒頭に紹介した「誠は嘘の皮、嘘は誠の皮」ということわざに従えば、三〇%の「誠の皮」で七〇%の「嘘」をくるんで相手をだまし、まんまと食わせしまうわけである。

 湾岸に派遣されたアメリカ兵士は、『孫子の兵法』のパンフレットを携帯していたそうだが、孫子は「故上兵伐謀」(最上の戦争は敵の謀略を破ること)と説いている。戦争の剣と平和のペンの戦いを目指すのなら、平和のペンの側には、この「上兵」以外の戦いの道はない。戦争屋の謀略を一刻でも早く見破り、「平和」だの「正義」だのを「守る」と称して彼らが武力行使に踏み切る前に、真の平和を求める世論形成をなしとげるしかないのだ。

「戦争に謀略はつきもの」とは誰しもが認めるところであろう。だが、孫子の時代の「謀略」の対象は、敵国の権力者と軍隊である。その後の社会の歴史的発展に応じて、「謀略」の対象は拡大されてきた。元陸軍参謀の大橋武夫は、その名もズバリ『謀略』という著書で「近代謀略の矢は大衆に向けられる」という項目を設け、次のように説く。

「昔は、国家というものは一部権力者のものであったが、今は大衆のものである。……したがって政治謀略の重点は大衆に向けられ、その手段としてマスコミが重用される。国家が大衆の手に移ったのを如実に示したのは一八七一年の普仏戦争である。この戦争では、フランス皇帝はその全軍とともにプロシャ(ドイツ)軍の俘虜となり、首府パリはプロシャ軍に占領されてもなお終戦にはならなかった。フランス民衆の国民的抵抗がやまなかったからである。……現代の謀略は国民大衆を狙わなければ、その国をゆさぶることはできないのである」

 さらにそれ以前にも、ナポレオンの軍勢に正規軍が敗れ、国王が降伏した後のスペインで、「ゲリラ」の語源をなす大衆の抵抗が勝利している。日本が中国大陸を侵略した際には、大衆の抵抗を押えるための「謀略」を「宣撫工作」と称した。これらの場合に「謀略」の対象として意識された「大衆」は、征服する相手の国の国民である。

 ところが、国家総力戦といわれる段階になると、自国民を戦争に駆り立て、戦争を継続し拡大するためにも、自国民までを対象とする「謀略」の重要性が急速に増してきた。日本の「鬼畜米英」宣伝などは至極単純な構造である。欧米諸国では、すでに第一次大戦でも公然たる反戦運動が展開されているから、権力者側も世論操作の技術を磨かざるを得ず、自国民や味方の国の国民大衆を狙う「謀略」の手口も複雑に発達した。

 日本は、今回の湾岸戦争では「ミツグ君」でしかなかった。だが、そういうミソッカス的立場にもかかわらず、欧米諸国で中世の宗教戦争以来発達を極めた味方向け「謀略」の対象にされ、歴史上はじめて本格的な洗礼を受けたのである。数々の謀略に目が眩んでしまったのも、無理からぬことだったのかもしれない。

 もちろん日本だけのことではなかったが、「平和のペン」は「謀略」を完全に見破る力量を欠いていた。だから、湾岸戦争を防止できなかったのだが、今からでも遅くはない。この失敗の教訓を可能なかぎり早く整理し、現在の事態にも警告を発しつつ、今後に備えることが肝要であろう。


第一章:一年未満で解明・黒い水鳥の疑惑
(5) 水鳥の映像にヤラセの疑い。軽率な速報競争に仕掛けワナ