『湾岸報道に偽りあり』(21)

第二部:「報道」なのか「隠蔽」なのか

電網木村書店 Web無料公開 2001.2.1

第四章:ジッダ会談決裂の衝撃的事実 1

アメリカ傭兵戦略の中での会談は「すでに戦争」

 八月二日のクウェイト侵攻は、七月三十一日のジッダ会談決裂の直後であった。

 不調に終わった会談の後に晩餐会があり、イラクとクウェイトの代表団だけが残って応酬すること深夜に及んだ。夜半を越え、八月一日の午前一時過ぎまで続いたらしい。イラク代表団が帰国の途についたのも八月一日であり、その午前中にはクウェイトが提案した共同コミュニケの文案をイラクが見て拒絶したという経過がある。だから、「決裂の翌日に侵攻」という表現も間違いではない。

 ジッダ会談の内容は公式発表されていないが、各方面からの取材により、その模様が少しずつ明るみに出てきた。

 比較的早い時期に発表され、最も詳しくドラマチックに描いていたのは、日本語版が四月十二日に出たサリンジャーらの『湾岸戦争――隠された真実』(『GUERRE DU GOLFE /LE DOSSIER SECRET 』)であろう。その5章の書き出しでは「ジッダ会談」を、「混乱した劇的な瞬間」( un moment confus et daramatique )と表現している。原題は直訳すると『湾岸戦争/秘密の記録』であるが、私はこの本がフランスで一月中に出版されたことを『朝日ジャーナル』の海外出版案内で知り、「秘密の記録」なるものを一日も早く見たかったので、いささか張り込んで航空便の注文をした。ところが、この本もその一例だが、この時期、何冊かの湾岸戦争関係の洋書の日本語版が、常日頃では考えられないほど早く売り出された。大手出版社が、海外での出版計画をいち早く知って契約を結び、集団で翻訳するというシステムを作っているのである。また、その前には『月刊アサヒ』(91・4)が「独占抄訳」を発表したので、主要な事実はこれで尽くされているのか、と思ってしまった。ところがなぜか『月刊アサヒ』の「独占抄訳」は、ジッダ会談の部分をまったく載せていなかったのである。

 私は二月中、つまり湾岸戦争の真最中に、ジッダ会談の内容こそ知らなかったが、『噂の真相』 (91・4)で次のような観測を書いていた。

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 この戦争の深層には複雑な世界戦略が潜んでいる。CIAがらみの陰謀についても、すでに若干の週刊誌や雑誌の報道がある。イラクがクウェイトで押収した内務省公安総局の極秘文書の数々は、やがてアメリカの陰謀を全面的に立証するであろう。私の手元にも、その一部の翻訳が届いているが、明らかにクウェイトはCIAにそそのかされ、『イラク政府に圧力をかけるためにイラクの悪化する経済状態を利用する』目的で、オペック協定破りの石油価格操作に走ったのだ。

 だが、陰謀のシナリオには、二重三重の仕掛けがあった。目的の第一は、クウェイト侵略反対の旗印の下に、イラクの軍事力を破壊すること。第二は、この機会を利用して、クウェイトやサウジアラビアなどが形成していた湾岸協力会議(GCC)から、年来の要求を獲得することだった。イラクに攻めさせておいて、おれが守ってやると出番を作る。そして『永続的に基地を置かせろ』『金を出せ』と脅し取るヤクザ戦略だ。

 GCC六ヵ国はオイル・ダラーあふれる元族長のカイライ型国家群である。イラン・イラク戦争の情勢下に結成されたGCCは、湾岸統合防衛軍の創設を目指し、一九八一年に三〇五億ドルの共同拠出を決めた。そのうち、サウジアラビアが二七七億ドル。それだけの金を簡単に出せる国々なのだが、なんとこれは、今回の戦争でのアメリカの請求書の数字にかぎりなく近い金額である。中東での覇権奪回を目指しながら、同時に双子の赤字に悩むアメリカにとっては、まさにヨダレがダラーダラー垂れる風景だったに違いない。

 日本も、この請求書戦争につき合わされる結果となった。拠出先はGCCだから、域外加盟を認められたかのようである。だが、アメリカの傭兵商売は、他ならぬ日本が教えたようなものなのだ。日本は、駐留米軍費用の『思いやり負担』を続けており、その額は年々の露骨な要求で増大している。これで味をしめたアメリカは、世界中で大規模に傭兵商売を展開する気になったのである。

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 このときの最新情報判断の材料として最も貴重だった資料の中に、『クウェイト危機を読み解く』、『中東パースペクティブ』、『中東湾岸戦争と日本/中東研究者の提言』(すべて板垣雄三編著)の三冊の緊急出版があった。

 日本ジャーナリスト会議(JCJ)は一九九一年度の「JCJ特別賞」の受賞者として板垣雄三を選んだが、その「受賞名」は「一連の中東問題に関する編集・出版活動」であり、「受賞理由」は、「『湾岸危機』発生後、多数の中東問題研究者の研究成果を国民に提供する機会をつくり、湾岸問題に関して国民が認識を深めるうえで多大な貢献をしたことに対して」であった。八月十五日に日仏会館で行なわれた受賞式の演壇で、「多くの中東研究者や出版人など関係者全体の名誉と考えて賞を受ける」という趣旨の挨拶をした板垣雄三は、途中で軽く微笑みながら「マムルーク」について語った。JCJの機関紙『ジャーナリスト』(91・9・25)には、次のように記されている。

「目立たないかたちで中世史をやっている人が『マムルーク』という西アジア、中東における奴隷軍人の歴史を書いた本を出した。今回、サウジアラビアに展開した米軍は、ある種のマムルーク、雇われた軍隊と見ることもできると思っている」

 中東問題の研究者なら、単に「マムルーク」だけで意味が通ずるのだが、後で聞くと、日本のジャーナリズム関係者でこの言葉を知っていたのは非常に少数だったらしい。

 従来の日本の公認学校教育歴史学は、イスラム支配、アラブ時代、サラセン帝国、トルコ帝国ぐらいの説明で終わっていた。だが、「マムルーク王朝」と呼ばれる元奴隷軍人による一連の王朝は、中東の覇権がアラブからトルコに移行する中間期に、一二五〇~一五一七年という約三世紀にもわたって続いたのである。日本の歴史でいえば徳川幕府の三百年に匹敵する期間である。アラブ人は、彼らから見て「黒人」のアフリカ人奴隷兵を「アブド」、「白人」のトルコ、チュルケス、モンゴル、スラヴ、ギリシャ、クルド人奴隷兵を「マムルーク」と呼んだ。この「マムルーク」が権力を奪取したのである。また、ひるがえってそれ以前の歴史から見直すと、アラブ人の王朝が次第に奴隷兵に依存するようになり、やがて、奴隷兵出身の職業軍人に権力を奪われたのである。

「歴史は繰り返す」というが、常に新たな要素が加わる。私は『噂の真相』(91・4)で「地球最後のハイテク奴隷傭兵」という表現を用いた。ブッシュは、経済的奴隷制ともいうべきアメリカの現状の上に立って、「志願」の貧しい若者を戦場に追い込んだ。ハイテク兵器(中古品も「売りつくし」らしいが)をふんだんに使用して、そのツケを世界各国に回している。こんなにモラルの低下した大国の戦争商売は、人類史上初めてである。だが、この傭兵戦略問題は、湾岸戦争の謀略そのものというわけではないから、ここでは省略する。

 ここでの問題は、このようなアメリカ傭兵戦略の真只中で起きた「原油増産・安売り」という事態を、イラクのサダム・フセイン大統領が「戦争を仕掛けられた」と認識し、そう発言もし、随所で激しく抗議していたという事実である。後にOPECの歴史に関する項で「石油武器論」にふれるが、アラブの石油産出国の間では、石油の生産量の調節と値段の操作は「武器の操作」に等しいものと理解されていた。このことのもつ意味を詳しく解説しなければ、CIA=クウェイト情報機関の密約が果たした役割とサダムの発言の意味は、十分には理解できないであろう。


(22) クウェイトもだましたのがアメリカのヤクザ戦法