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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[83]現政権支持率の「高さ」の背景に、何があるのか


『反天皇制運動 Alert』第10号(通巻392号、2017年4月4日発行)掲載

私としたことが、少なからず驚いた。3月末に行なわれた世論調査の結果に対して、である。ふだんから、その結果に大幅に依拠した発言は控えてはいる。設問の仕方が明快ではなく、信頼に足る調査結果が果たして生まれるものなのか、との疑念が消えないからである。だが、例えば、内閣支持率の場合には、ある程度の「現実」がそこには反映されていて、時の政権も「20%を割ったら、もたない」などといってその数字を気にかけていることが、過去の事例からわかる。

現政権の支持率の「高さ」は、私の〈狭い〉人間関係の中での周辺を思えば不可思議で、同時に、後述するこの四半世紀の社会・政治状況を思えば、心ならずも得心が行くところはあった。しかし、今回は違うだろう。去る3月23日、いわゆる森友学園問題をめぐって、衆参両院の予算委員会で籠池学園理事長の証人喚問が行なわれたが、そこで発せられた証言を見聞きした直後の世論調査では、いくらなんでも、内閣支持率は急激に落ちるだろう。確かに「敵失」によってではあっても、この最悪の首相を早晩辞任に追い込む一里塚になるかもしれない――そんな思いが、ないではなかった。

もちろん事が終わったわけではなく継続中だから諦めるわけではないとしても、その段階での私の見立ては間違った。甘い読みだった。共同通信が、籠池証言の2日後に行なった世論調査での内閣支持率は確かに下がったが、それでもなお50%前後を維持している。森友学園問題についての首相の答弁が十分ではないと考えている人びとの率が70~80%であっても、内閣支持率になると「復調」するのだ。一昨年の戦争法案の時も同じだった。この政権に限っては、なぜ、このような現象が起こるのだろう? その人格・識見において「敵ながらあっぱれ」と思わせるどころか、歴代の保守政治家と並べてみても劣悪極まりない人物なのに。

世代交代によって自民党が変質したとか、民主党政権「失敗」の印象が強く代わり得る受け皿がないなどの意見を筆頭として、さまざまな見解が飛びかっている。それぞれ一理はあろうが、ここでは改めて、自分たちの足元に戻りたい。私たちが、戦後民主主義者であれ、リベラルであれ、左翼であれ、社会の在り方を変革しようとする、総体としての「私たち」の敗北状況のゆえにこそ「現在」があるのだという事実を噛み締めるために。

現首相の支持母体であり、森友学園問題の背後に見え隠れする「日本会議」についてこのかん刊行された複数の書物を読むと、彼らは周到な準備期間を経て、自らの潮流をこの社会の中に根づかせてきたことが知れる。結成されたのは1997年だが、これが胎動し始めた決定的な起点は、それを遡ること6~7年目の1990年前後だと振り返ることができよう。1989年から1991年にかけて、東欧・ソ連の社会主義圏一党独裁体制が次々と崩壊した。実感をもって思い起こすことができるが、あの時代、公然とあるいは暗黙の裡に、左翼からの転向現象が相次いだ。書店の棚からはマルクス主義の書物が、大学からはマルクス経済学の講座が消えた。ソ連圏の実態については、はるか以前から数多くの批判が、外部および内部から積み重ねられてきていたが、共産党が独占してきた非公開文書の流出によって、社会主義の悲惨な内実がいっそう明らかになった。「ナチズムは断罪されるのに、なぜ共産主義はされないのか」――この言葉が、端的に、時代状況を言い表していた。共産主義が掲げていた「理想主義」も「夢」も地に堕ちた。「反左翼」が「時代の潮流」となった。日本会議は、この「時を掴んだ」のだ。

この時期の東アジアの状況は特異だ。韓国では軍事独裁体制が倒れ、言論の自由を獲得した人びとの声が溢れ出たが、その一つは、日本帝国のかつての植民地支配が遺したままの傷跡を告発することに向かった。北朝鮮と中国からも、日本の植民地主義と侵略戦争をめぐる告発が次々と発せられた。これこそ、歴史修正主義潮流である日本会議の路線に真っ向から対立するものだった。日本ナショナリストたちの反応は捻じれたものとなった。「いつまで過去のことを言い募るのか」「左翼が負けたと思ったら、今度は植民地問題か」――この「気分」は、状況的にいって社会に広く浸透していた。「難癖をつける」隣国に負けるな、強く当たれ! それを政治面で表象するのが安倍晋三である。

安倍の時代は早晩終わるにしても、社会にはこの「気分」が根づいたままだ。いったん根を張ってしまったこれとのたたかいが現在進行中であり、今後も長く続くのだ。

(4月1日記)