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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

第3回死刑映画週間を終えて


死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90ニュース「地球が決めた死刑廃止」134号

(2014年3月27日発行)掲載

第3回目を迎えた今年の「死刑映画週間」は2月15日(土)から21日(金)までの一週間、例年のとおり、渋谷のユーロスペースで開かれた。2年連続してこの催しものを開催してきた「成果」が今年の取り組み方には現われた。映画会に来場したことをきっかけにフォーラム90の定例会議その他の活動に参加している人が、数人いる。上映作品の選定やトークゲストの人選などで、その人たちからの意見も出て、最終的なプログラムにはそれが生かされている。アンケートで具体的な作品を推薦して下さった人の意見も取り入れられている。このことが、活動の〈広がり〉となっていることが実感されるのだ。

今回上映したのは8作品で、もちろん、それぞれの見所があるのだが、アンケートでもスタッフが耳にした直接的な感想でも、『軍旗はためく下に』と『さらばわが友 実録大物死刑囚たち』の評価がきわだってよかった。深作欽二と中島貞夫の作品はほとんど観ているはずなのに、なぜ、これは見過ごしていたのだろうと語る人は、ひとりやふたりではなかった。前者は1972年の作品だが、日本帝国軍が展開したニューギニア戦線で敵前逃亡の咎で処刑された軍人をめぐるこの物語では、毎年8月15日に執り行われる全国戦没者慰霊式典の虚しさや昭和天皇の戦争責任への言及がなされていることで、今回の惹句であった「国家は人を殺す」という事態の本質が浮かび上がってくる思いがした。あの時代には、こんなにも緊迫感のある作品を創る映画人たちがいたのだ、翻って、今の時代はどうだろう?――そんな思いを再確認された方が多かったのではないだろうか。

『さらばわが友~』は敗戦直後の時代に起こった事件で、その後死刑囚となった「有名な」人たちが登場する。フィクション仕立てではあるが、考証に基づいて再現されている、当時の獄中の情況などを見ると、厳格な制限と絞めつけばかりが目立つ最近の獄中処遇の異様さが際立ってくる。敗戦後の混乱期をすでに抜け出た1961年の事件である名張毒ぶどう酒事件を描く『約束』は、何代にも及ぶ取材陣が撮りためていた映像や実写映像も織り交ぜることで、警察・検察・裁判所の捜査・立件・判断に孕まれる嘘を明示的に突き出す。この社会で死刑制度を廃絶するために、人びとは、実に遠い道を歩んできていることを思わせる。諦めで、いうのではない。冤罪の犠牲者の立場から見れば、その道はあまりに遠すぎるのだ。2年連続の上映となった『ヘヴンズストーリ』の人気は高い。多面的な見方が可能な映画がもつ、独特の魅力なのだろう。

劇場公開は初めてであった韓国映画の『執行者』は、韓国の現実を背景に、制度は存続していても10年間以上も死刑執行がなされないと、人びとの意識がいかに変わるかを浮かび上がらせていて、示唆的だった。残りの3本『最初の人間』『声をかくす人』『塀の中のジュリアス・シーザー』は、いずれも最近公開されたばかりの作品である。国と時代を異にしながら、「罪と罰」をめぐる人類の試行錯誤の様子が普遍性をもって伝わってくる。映画は偉大だ。映画を通して死刑制度に向き合うよう、人びとを誘う「死刑映画週間」を、この日本では、まだ絶やしてはならない――と言ってみたくなる。

この「週間」は、いつも土曜日に始まり、翌週の金曜日で終わる。土曜・日曜に当たる初日と2日めで、総観客数の4割近くが来場される。それが過去2年間の実績だった。今年の初日、東京はその前夜から大雪に見舞われた(雪国の方よ、あの程度で「大雪」と表現することを許されよ)。劇場のある渋谷へ繋がる一鉄道路線は、その影響で終日運転不能になった。翌日曜日も、足元がおぼつかない、滑りやすい道路があった。初日と2日めの出足が阻まれて、今年は例年に比して3割強ほど来場者数が少なかった。当然にも、赤字は増えた。だが、再起不能なほどではない。

来年も「第4回め」を実施します。「フォーラム90」の総意です。読者の皆さんからの、さまざまな提案を歓迎いたします。スローガンは決まっています。今年は雪に負けたのだから、来年は「雪辱戦」です。死刑と冤罪の世界には、そういえば、「雪冤」という言葉もあるのです。