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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[47]「真実究明・赦し・和解」の範例を遠くに見ながら


『反天皇制運動カーニバル』12号(通巻355号、2014年3月11日発行)掲載

状況分析のために必要性を感じて、昨年12月上旬の特定秘密保護法案成立以後、14年3月上旬の現在にまで至る3ヵ月間の「東アジア日録」を整理してみた。東アジア諸国の多国間関係に深い影響を及ぼす事項に限定した。日付を入れて1行40字でまとめていくと、たちまちのうちに70行を超えた。もっと丁寧に拾うと、100行なぞ優に超えてしまいそうな勢いを感じた。上に述べた限定的な観点で事項を絞り込んでも、ほぼ連日のように、どこかで何事かが起きていることを、それは意味している。別に生業をもつ、市井の個人が整理するには、その能力を超えた情報量である。その意味では、そんな個人でもある程度まではまとめることができるという点で、パソコンの威力を想った。

日本で目立つのは、戦後最大の岐路というべき時期を自らが思うがままに突き進む現首相A・Sの言動、加えてその取り巻きの補佐官や議員と閣僚、さらにはNHK新会長+経営委員らのふるまいである。靖国神社参拝、解釈改憲によって集団的自衛権の行使を可能にするための策動、旧日本軍「慰安婦」や南京虐殺をめぐって歴史を捏造する発言、学習指導要領解説書での「領土教育」の強化指針、巷にあふれ出るヘイトスピーチ――どれを取ってみても、すべてが周辺諸国民衆と為政者の神経を逆なでせずにはおかない方向性をもっている。それに反応するかのようにして、韓国・朝鮮・中国での動きが伝わってくる。私の考えからすれば、後者の言動のなかにも政府レベルであれ民衆レベルであれ、日本で噴出する醜悪なナショナリズムに対してその水準で対抗しようとするものも散見されないことはない。特に政府レベルでは、日本の場合と同じように、自らが生み出している国内矛盾から民衆の目を背けさせるために「外なる敵=日本」の存在を大いに利用している権力者の貌が見え隠れしている場合がある。それは、私の心を打たない。だが、まず変革されるべきは、日本の現為政者にみなぎる植民地支配と侵略を肯定する歴史観であり、同時にそれを陰に陽に肯定する社会全般の雰囲気であるという私の捉え方からすれば、他国のナショナリズムが「第一の敵」として登場することはあり得ない。言葉を換えるなら、国家間の歴史問題に関して、加害国側がその自覚を持たないふるまいを続ける、否むしろ現在の日本のように居直り、過去を肯定する態度を続ける限りにおいて、被害国側にそれを超える論理と倫理を求めることはできないというのが、「国家」に拘りそれを単位として行なわれている国際政治の変わることのない現実だ。ふたたび、別な観点から言うなら、だからこそ、A・Sを首班とする日本の「極右政権」はその政策路線を追求するうえで、緊張に満ちた現在の東アジア情勢(=国家間関係)から十分すぎる恩恵を受けているのである。どの国の民衆であれ、自国と隣国の国家指導者たちが興じる、この「ゲーム」の本質を見抜く賢さを獲得しなければならない。

主題は変わるが『現代思想』(青土社)三月臨時増刊号が総特集「ネルソン・マンデラ」を編んでいる。私も寄稿しているのだが、それを書き、そして出来上がったもので他者の論考を読んで、いちばん心に響くのは、アパルトヘイト(人種隔離体制)の廃絶後のマンデラ政権下で追求されている「真実究明・赦し・和解」への道を模索する姿勢である。「人道への犯罪」と呼ばれたアパルトヘイト体制の推進者――政治家、経営者、警察官、軍人、言論人、市井の人のどれであっても――の罪を告発し追及するのではなく、加害者が「真実」を告白し、被害者に「赦し」を乞い、それが受け入れられ、もって「和解」へと至るという、困難な道を彼の地の人びとは選んだのである。アパルトヘイト体制が内包していた、悪意に満ちた人種差別の本質を思うだに、それは渦中の人びとに(とりわけ被害者に)とって矛盾も葛藤もはなはだしい過程だったに違いない。だが、社会が「復讐」と「報復」の血の海に沈むことがないように、南アフリカの人びとはその道を選んだ。この範例の横に、加害者側からの「真実究明」がなされていない、否、それどころではない、「真実」を捻じ曲げ、隠蔽する動きが公然化している東アジアの実例をおいてみる。身が竦む。

(3月8日記)