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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

9年目を迎え、社会に徐々に浸透し始めている死刑囚の表現――第9回「大道寺幸子基金・死刑囚表現展」を終えて


『出版ニュース』2013年11月下旬号(2013年11月21日発行)掲載

「死刑廃止のための大道寺幸子基金」が主催する「死刑囚表現展」は、10年の時限を設けて2005年に発足した。今年は、残すところあと1年となる、9回目を迎えた。文章部門には12人、絵画部門には13人からの応募があった。両部門に応募したのは3人であったから、22人が参加したことになる。死刑確定者と、審理のいずれかの段階で死刑の求刑か判決を受けて係争中の人を合わせると、この間は150人ほどである。応募できる人びとのうち15パーセント程度の人が参加していることになる。新顔の応募があったのはうれしいし、逆に、今年は作品が届かなかったなあと思う名前も、幾人か思い浮かぶ。ユニークな発想で、物語性のある絵柄に加えて、描き方をさまざまに工夫した作品を毎年送ってくれた松田康敏氏の絵が、今年はなかった。2-12年3月29日に小川敏夫法相の命で処刑されたのだ。このように9年目ともなると、作品を通して見知った名前の人たちが、その間に幾人も刑死するか獄中死している。彼らが遺した、脳裏に印象深く刻まれていた文章や、目に鮮やかだった絵が、あらためて蘇ってくる。「死刑囚表現展」とは、そんな緊張感に満ちた場で続けられてきている、ひとつの試みである。

では、今年度の作品から、注目した諸点に、まずは文章部門、次に絵画部門の順で触れてみよう。

昨年、現代的な感覚に満ちた言葉を駆使した短歌と俳句作品を応募してきたのは、音音(ねおん、筆名)氏であった。

キャーママとゲリラ豪雨にはしゃぐ声すぐそこ遥か結界の外

裁判へ出廷する度育ってた空木(スカイツリー)が今日開花

AKB聞いてるここは東拘B

昨年の選考委員会は、この人の言語感覚に沸いた。選考会(毎年9月、非公開で開催)の討議内容も、10月の死刑廃止集会で行なう公開の講評も、すべて文字に起こして応募者に差し入れしているから、音音氏にもその雰囲気が十分に伝わったのだろう。今年、氏は、傍目には思いがけない表現方法を見い出した。「(表現展)運営会のみなさんへ」と題した作品で、昨年の選考会における各選考委員の発言を引用しながら、そこへ自らが介入するのである。選考委員の言葉のひとつひとつに、「そうなんです」とか「こうなんです」と言って実作者が介入すると、まるでそこに対話が成立しているような感じが醸し出される。選考する側からすれば、自分の読み方の「浅さ」があぶり出されるような思いも、ないではない。不思議な雰囲気を湛えた作品で、好評を得た。見方を変えると、獄中の死刑囚が、いかに他者との対話を欲しているかをも示していて、切ない思いがする。

響野湾子(こと庄子幸一)氏は、「紫の息(一)」「紫の息(二)」と題して短歌を555首、「赤き器」と題して俳句を200句、応募してきた。例年通りの、旺盛な創作力である。今年も、自らが犯した行為をめぐる贖罪の歌が多い。贖罪に贖罪を重ねても、それが他者からは認められぬもどかしさ。その思いは反転し、仲間の刑死や、来るべき将来に自らが「吊るされる」情景を描写する歌が続き、読む側は息苦しい。そこへ稀に、いささかユーモラスな趣きを湛えた、自己批評的な歌が立ち現れる。

希望なき死刑囚の身に配らるる 食事アンケート真剣に悩めり

処刑死を思ひつつ食ふ夕食の 生きんが為の苦瓜の汁

次のような歌にも注目した。

刑場で殺されるなら放射能 浴びて廃炉の石になりたし

終息を聞かぬ原子炉我が手にて 一命賭けたし殺されるなら

歌の巧拙を問題とするなら、採るべき歌ではないかもしれない。だが、ここにもまた、社会との接点を激しく求める死刑囚の真情があふれ出ていると感受しないわけにはいかないのだ。

文章部門では、音音氏が「新波(ニューウェーヴ)賞」、響野湾子氏が「努力賞」と決まった。「新波賞」という命名は、音音氏の軽妙な言語感覚にせめても応答したい気持ちの表われなのだが、ご本人はどう思われるだろうか。

他の応募者の作品についても、ひとこと述べておきたい。檜あすなろ(筆名)氏の「自分史」は、肝心の「自分史」に関わる箇所は、これまでの同氏の作品がすべてそうであったように、まだ自分に正面から向き合えていないために読み手にははぐらかされた思いが残った。だが、獄中の死刑囚がおかれている状況を詳しく述べている箇所に注目した。秘匿されている現実が明らかにされない限り、死刑制度の本質を見極めることは難しいからだ。露雲宇留布(筆名)氏の「霊」は昨年同様の長編フィクションだが、書きためていた原稿なのか、昨年の選考委員の批評がまったく生かされていないことが残念だ。死んだ人間が誰かに乗り移るといったプロットだけが先行し、登場人物のひとりひとりが描けていない点がむなしい。氷室蓮司(筆名)氏の「沈黙と曙光の向こうがわ」は未完のまま提出されているので、完成時に触れたい。何力氏の「司法界の怪」は、自分の裁判の実態を通して日本の司法の在り方を問うのだが、表現方法にいま一つの工夫がほしいと思った。

最後に、短詩型で印象に残った作品をひとつづつ。

人間のいくさ始まる呱呱(ココ)の声(石川恵子)

人類がなかなか絶つことのできない「いくさ」の始まりを、「おぎゃあ」という誕生の声に求めた意外性が印象に残る。

大学を終えて娘は東京へ 女優目指して日々励みおり(西山省三)

この歌は、同じ作者による数年前の忘れがたい歌「16年ぶりに会う18の娘 何で殺したんと嗚咽する」に繋がる。作者と娘との交流は続いており、娘は自立した道をしっかりと歩み始めている様子がうかがわれて、どこか、ほっとするものを感じる。作者が死刑囚と知っていてはじめて生まれる思いなのだが、「死刑囚表現展」とは、このような感慨をもたらす場でもあるだろう。

秋風に背中おされて猛抗議(渕上幸春)

別句「鰯雲見ていただけで怒鳴られた」とともに、獄中処遇の厳しさを伝える。日本の行刑制度にあっては、教育刑か応報刑かの議論が依然として必要なのか。獄中で孤立無援の作者は、さわやかな「秋風」にも励ましを受けるのである。

わが罪を消せる手段(てだて)があるならば さがしに戻らん母のふところ(大橋健治)

悪人と呼ばれし我も人の子で 病いにかかり涙も流す(加賀山領治)

薫ちゃん母のもとえと抹殺死(林眞須美)

この方たちも、もっとたくさんの歌や句を詠み続けていただきたい。石川恵子さんの歌に「ひとたびは身辺整理なしたるに改めて買う原稿用紙」というのがあった。皆さんが、いちど手にした「表現」の場を失ってほしくない、放棄してほしくない、と切に思う。

次に、絵画部門へ移ろう。13人から合計39点の作品の応募があった。絵画は、直接的に観る者の目に飛び込んでくるだけに、それぞれの作者の個性が際立ってわかる。そのことは、風間博子さんと林眞須美さんのふたりのなかで、対照的に立ち現れてくる。あらかじめ言っておけば、私の考えでは、ふたりとも冤罪である。粗雑極まりない捜査と裁判の結果、彼女らは取り返しのつかない運命を強いられている。だから、ふたりはたたかう。どのようにして? 風間さんは、正攻法で冤罪を訴えることによって。「幽閉の森、脱出の扉」は、例年の作品と同じく、自らが閉じ込められている暗い閉鎖空間と、外部から差し込んでくる光とが描かれている。状況は厳しいが、ここから脱出できるという希望を捨ててはいないという強い意志が横溢している。いわば、直截的なメッセージ絵画と言えようか。したがって、観る者にとっても、作者の意図は伝わりやすい。

他方、林さんの作品は、私が共感した選考委員・北川フラム氏の表現を借りると、「他人に理解されたいとか、コミュニケーションの可能性をすべて断ち切っている」地点で成立している。画面の中央に描かれている黄色い月や花や赤曲線や四角形を取り囲むのは、常に、昏い黒と青の地色である。内部の明るい色を四方から包囲する地色は、地域で一風変わった生活を送っていたがゆえに事件発生後に自分を真犯人に仕立て上げていったメディア、警察、検察、裁判所、そして社会全体の象徴だろうか。内部に四つの明るい色があれば、それは来るべき将来に獄中から解放された母親の帰宅を待つ四人の子どもたちだろうか。傍目なりに勝手な想像を膨らませることはできるが、それが、作者が込めた深い暗喩にたどり着くことは難しいのかもしれない。しかし、林さんの作品は、観る者を捕えて、放さない。事実、各地の展示会場では彼女の作品をじっと凝視する人の姿が目立つ。メディアが作り上げた「真犯人」像と作品との間に横たわる、深い溝を覗き込むような思いからだろうか。だとすれば、彼女の作品は、その高度な抽象性において訴求力を持っているのだと言える。

8点を応募した宮前一明氏の作品が語りかけるところも多い。多様なテーマを多彩な方法で描き分ける作品自体が興味深いのは当然で、人目を惹いた。氏からは、9月の選考会議が終わった後で、作品と画材についての説明書が届いた。そこには、購入も差し入れもできない和紙(しかも、サイズが大きい)をいかにして入手したか、直径二・五ミリの極細筆ペンしか使えないのに、どんな描法を工夫して太い線を描いたかなどに関して、詳しく説明されていた。それを可能にした努力は尊いと思えるほどに、徹底したものであった。差し入れ物に関しては、もちろん、獄外の協力者の存在があり、両者のコミュニケーションの好ましいあり方が、作品の背後から浮かび上がってくるような感じがした。

藤井政安氏の「年越し菓子」の精緻な細工には頭を垂れる。北村孝紘氏の「トリックアート」をはじめとする6点も作品群もそれぞれ個性的で、才能の乱反射といった趣がある。金川一、高尾康司、高橋和利氏ら常連も、他の誰でもない己が道を歩んでいる。謝依悌氏の作品が例年の迫力を欠いたことはさびしかった。Ike(通称)、伊藤和史、何力氏らも、今後の展開を期待したい。檜あすなろ氏は、紙で作る小物入れの設計図を応募してきた。外部の協力者がそれを基に工作した。立体が登場したのだ。獄中者には何かと厳しく、理不尽な制限が課せられている中で、「表現」上の工夫は新たな一段階を画した。

以上を概観した結果、絵画部門の受賞者は、藤井政安氏に「優秀賞」、林眞須美さんに「独歩賞」、風間博子さんに「技能賞」、宮前一明氏の「オノマトペの詩」に「新波賞」――と決まった。

最後に、「死刑囚表現展」の9年目を迎えた今年は、画期的な動きがあったことを報告しておきたい。文章作品の過去の優秀作は、すでに3冊ほど単行本化されている。例年話題となる響野湾子氏の俳句と短歌も、最近出版されたばかりの『年報・死刑廃止2013』の「極限の表現 死刑囚が描く」(インパクト出版会、2013年)にかなりの数の作品が掲載された。他方、絵画作品に関しては、毎年一〇月東京で開かれる死刑廃止集会当日に会場ロビーに展示する以外では、いくつかの地域で小さな展示会が積み重ねられてきた。昨2012年9月、広島で開かれたのも、そのような小さな展示会の一つであった。そこへ、制度化された枠から外れた表現への関心が深い評論家・都築響一氏が訪れ、死刑囚の表現のすごさをインターネット上で発信した。氏のブログを読んでいる読者は全国各地に多数散在しており、次々と人が詰めかけた。その中に、広島県福山市鞆の浦にあるアール・ブリュット専門のミュージアム、鞆の津ミュージアムの学芸員・櫛野展正氏もいた。氏もまた、死刑囚の絵画表現に衝撃を受け、自分が働くミュージアムで絵画展を開きたいとの打診が私たちにあったのは昨秋のことである。年末には東京へ来られて8年間の全応募作品を見て、展覧会のイメージを固められたようだ。準備は着々と進み、4月20日には「極限芸術–死刑囚の絵画展」が開幕した。「表現展」8年間の応募作品およそ300点が展示された。私も開幕日を含めて二度足を運んだ。築150年の醤油蔵だった建物は、天井も高く、落ち着いた雰囲気をもっている。プロの学芸員の仕事だから、額装も照明も作品の配置も、十分に練り上げられている。壁に掛けない作品は、作者ごとにファイリングされていて、見やすい。

福山駅からバスで30分、瀬戸内海に向かって細長くのびる街を歩くと、あちこちに極限芸術展のチラシやポスターを見かける。スーパー、喫茶店、食堂、船着き場、郷土館――「異形な者」をあらかじめ排除する空気が、ない。それもあってだろうか、人びとは詰めかけた。新聞各紙、「FLASH」や「週刊実話」のような週刊誌、タレントや俳優も来て、出演しているテレビやラジオの番組で広報が行なわれた。複数の美術評論家による評も、新聞各紙や美術誌に掲載された。会期中には、都築響一、北川フラム、田口ランディ、茂木健一郎氏らによる講演会も開かれた。会期は2ヵ月の予定だったが、1ヵ月間延長され、7月20日に終わった。ほぼすべての都道府県から5122名の人びとが来場したという。終了後、鞆の津ミュージアムからは、媒体掲載記事一覧と入場者のアンケートが送られてきた。熱心に鑑賞した様子が伝わってくる。知られざる世界を知ることの重要性がひしひしと感じられる。

もうひとつ付け加えることがある。基金の名称となっている大道寺幸子さんの息子、大道寺将司氏は昨年『棺一基』と題した句集を刊行したが、それが2013年度、第6回目の「日本一行詩大賞」を受賞した。角川春樹氏の肝いりで始まった試みである。選者は、角川氏以外に、福島泰樹、辻原登、辻井喬の4氏である。過去の受賞者を見ても、俳句・短歌・詩の分野での重要な仕事が選ばれている。

「死刑囚表現展」を初めて9年目――事態は、ここまで「動いた」と、あえて言ってもよいだろう。政治・社会の表層を見れば、私たちが目標としてきた「死刑制度廃止」を近い将来に展望することは難しい。個人や集団に許されない殺人の権限を、従来の国家は、戦争と死刑という手段で独占してきた。戦争を未だ廃絶し得ない国家も、人権意識の発揚によって死刑は廃止する――それが全国家の3分の2を超える140ヵ国を占めるまでになった。人類史の、たゆみない歩みの成果である。現在の日本国家は、死刑を廃止するどころか、戦後は辛くも封印してきた「戦争によって他国の死者を招く」戦争行為まで可能な体制作りに邁進している。戦争と死刑を認めることは、「他者の死」を欲する/喜ぶ精神に繋がる。それがどれほどまでに社会の荒廃を招くか。その「手本」は太平洋の向こう側の大国にある。この趨勢を、社会の基層から変えるにはどうするのか。

私たち、「基金」運営会はまもなく、最終年度10年目の展望を討議しなければならない。

当初設定していた時限が来たからといって、止められるか。「11年目以降」を視野に入れなければならないのではないか――だとすれば、そのための条件づくりも含めて、討議はきびしいものになりそうだ。