現代企画室

現代企画室

お問い合わせ
  • twitter
  • facebook

状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

アルジェリア事件の先に、何を視るのか


『スペース21』第74号(2013年3月発行)掲載

今から半世紀前の1960年代、アルジェリアから届くニュースは、「時代」の希望の証しのひとつだった。植民地解放闘争を弾圧するために現地に送り込まれたフランス軍の内部からは「祖国に反逆する」脱走兵が次々と生まれていた。解放戦線側は、戦闘で捕虜にしたフランス兵が負傷していると手厚く看護したうえで本国に送り返すという人道主義的な姿勢を明確にしていた。フランツ・ファノンの目の覚めるような帝国―植民地論も、アフリカ革命論も、他ならぬアルジェリアの闘争を源泉として発信されていた。ほぼ同じ時期に解放を成し遂げたアルジェリアとキューバの間では、あの時代の中では突出した国際主義的団結が実現しているように思えた。

いたずらに、過去を美化するのでも懐かしむのでもないが、半世紀後のアルジェリアから届くニュースは、寒々しい。今回の天然ガスプラントでの襲撃・人質事件を引き起こしたイスラーム聖戦主義集団にしても、これを暴力的に鎮圧した政府にしても、国の内外の人びとの心に響くようなメッセージのひとつでも発しているわけではない。1990年代、複数政党制に移行したとたんに15万人もの犠牲者を生み出すことになる、血を血で洗う凄惨な「暴力の時代」をこの国は経験した。今回は、プラントで働く多国籍の人びとが関わり合いを強制されたぶん、事態が国際化して見えているだけだ。もちろん、ここに、グローバリゼーション時代の、国境を超えた労働力移動という問題を見出すことはできる。武装集団が、フランス軍のマリ撤兵という要求を掲げていたことも、無言に近かった彼らのメッセージとしては唯一注目すべきことだ。

だが、BPという英国資本と日揮という日本資本が関わってきた天然ガス開発が孕むかもしれない問題点が、武装集団から、ましてやアルジェリア政府から指摘されているわけでもない。行為の主体が問題提起を怠れば、事態の本質は浮かび上がらない。言葉を伴わなければ、何らかの行動が本来的に孕むべきメッセージ性は、他者に伝わらないのだ――「9・11」がそうであったように。今回のアルジェリアの場合でいえば、開発された資源は、地元と多国籍企業の間で「対等に」分配されているかという問題が見えてはこない。帝国の内部にあっては、第三世界に対する自国企業の進出は「無償の贈与」のような思い込みがあるだけに、事態の奥行に手が届かないままに、事件の悲劇性はいっそう増すばかりである。

日本のメディアではあまり浮かび上がってこない問題に触れておこう。2010年暮チュニジアに始まる「アラブの春」以降の激動の中で、独裁体制が崩壊したのちに旧政府軍の武器庫から大量の武器が武装集団に渡ったことの指摘は多々ある。私は、アフガニスタンとイラクという、「9・11」以降「反テロ戦争」の標的とされてきた国々が、アフリカ北部と地形的に一続きであることに注目したい。これに「海賊退治」の標的=ソマリアや、この地域最大の暴力装置を有するイスラエルなどの国名を加えるならば、ここ十数年もの間、この地は大国主導の下で激しい戦地であり続けてきたことがわかる。暴力の「旨味」は感染する。超大国を中心として諸国家が実践してきた戦争による地域支配の現実を見て、これを真似する武装集団が次々と生まれたのだ。国家暴力を「テロ」の範疇から取り除き、非国家集団の行為だけを「テロ」と呼ぶご都合主義の破綻を、今回の事態は示している。

したがって、今回の事態から引き出すべき教訓は、「テロ」や紛争に武力で対抗することの危うさである。現政府は、自衛隊法を改訂し現状では認められていない「邦人保護のための陸上輸送」を可能にする方針を固めた(2月21日現在)。この先に展望しているのは武器使用基準の緩和だろう。非国家集団を相手に「対テロ戦争」なる非対称的な戦いを続けることの過ちを知ろうともしない者たちは、こうしていつも、火事場泥棒的なふるまいに終始する。先に待ち受けるのは、困難な問題を解決する手段として「軍事」に当たり前のように頼る、米国やフランスのようなありふれた国家の姿である。(2月22日記)