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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

第2回死刑映画週間「罪と罰と赦しと」開催に当たって


『死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90』機関誌第127号

(2013年1月25日発行)掲載

昨年開催した死刑映画週間『「死刑の映画」は「命の映画」だ』から、私たちは確かな手応えを感じた。一見したところ「暗さ」と「重さ」を感じさせる催し物だが、にもかかわらず大勢の人びとが詰めかけてくれたから、ということも理由の一つだ。映画を観たり、ゲストの話を聞いたりした人から、死刑制度についての自分の誤解や無知をめぐって、また犯された罪と死刑囚をめぐる思い込みをめぐって、冷静にふり返る声をいくつも聞いた、ということもある。その後、私たちが開く集会や会議に新たに参加している若い世代の人びととは、この映画週間を通して出会った、というのも大きな理由だ。もとより、私たちとは逆に、死刑制度は維持されなければならないと考えている人びとも、この催し物に参加していたに違いない。それも、私たちが望んだことだ。情報公開が極端に制限され、秘められている部分があまりにも大きい社会制度については、賛否いずれの立場に立つ誰であっても、まず、その制度のことを「もっと知る」ことが必要だと思うからだ。

制度のことは、法律や歴史の中でそれが果たしてきた役割を通して、外形的には理解が届く。分からないのは、この制度の下に生きざるを得ないひとの心だ。あるいは、この制度を何らかの理由で廃止した社会に生きるひとの心に、どんな変化が起こるのか、ということだ。その意味では、開催した私たち自身が、10本の作品をあらためて(あるいは初めて)観て、それぞれ深く思うところがあった。生きた時代も場所も異にする多くの人びと――フィクションとドキュメンタリーでは、犯罪が想像上のものか実際に起こったものかの違いはあるが、いずれも、罪を犯した者あるいは冤罪者・被害者・遺族・周辺の人びと、そして脚本家・監督・俳優など映画に関わるすべての人びと――が、「死刑」という、人類が生み出した制度をめぐって、肯定しあるいは否定し、怒り、悲しみ、あれこれ戸惑い、迷い、断言し、苦悩する姿が、そこにはあった。この重層的な複数の思いを、ひとつの固定的な線の上に手際よく整理することはできない。そうしようと焦るのではなく、そこで揺らぐひとの(自分の)心のありようを、じっくりと見つめることが必要だ、と私たちは考える。

今回選んだ9作品から、大まかに言って「罪と罰と赦しと」という共通のテーマを私たちは取り出した。そこから微妙に外れ、別な課題を取り出すべき作品もある。いずれにせよ、ひとを殺めた「罪」を犯した者がいて、それに対する「罰」として国家あるいは或る権力の下で処刑する行為が行なわれるという、明快な因果の関係だけで、事が済むわけでない。済ませてはならない。罪ある者の「償い」と、長い苦悩を経たうえでの当事者の「赦し」の可能性を排除することなく、制度としての死刑の問題を捉えたい、それはひとが持つ人間観と価値観に関わることだ、と私たちは主張したいのである。(2013年1月10日記)

【追記】詳しい上映情報については、会場となるユーロスペースのHPをご覧ください。