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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[60]「地下鉄サリン事件から 20年」報道で語られないこと


『反天皇制運動カーニバル』第25号(通巻368号、2015年4月7日発行)掲載

「オウム、大ばか、死刑」――これは、20年前の地下鉄サリン事件に遭遇して、今もサリンの後遺症に苦しむ51歳の女性の言葉だ。いったんは心肺停止状態に陥ったが、蘇生措置で命は取り留めた。だが8年半ものあいだ入退院を繰り返し、自宅療養中の今も片言しか話せず、体には麻痺が残り寝たきりの生活を強いられている。辛うじて発語できる「口癖の」言葉がこれだという(4月2日付け「東京新聞」)。死刑制度の廃止を願う私は、末尾の「死刑」という言葉にはびくっとするが、かの女の止むにやまれぬ心の叫びとして受け止めなければならぬ。

去る3月20日は、事件から20年めであり、同時に、関連して起訴されたオウム真理教(以下、オウムと略記)元信者の公判が開かれている日々とも重なったために、例年より多くの回顧報道がなされたように思える。回顧報道において重要なことは、過去に起こった事件そのものと、その後ろに広がる背景とを、出来る限り正確に把握して行なうことである。仮にこの事件が起きたと同じ年に生まれた人の場合、同時代的には事件の記憶を持たないのだから、まるで真っ白な心で20年後の事件報道に接することになる。その人からすれば、今回の主流の報道からは、地下鉄サリン事件を引き起こすまでに「暴走した狂信的宗教集団=オウム」というイメージしか残らないだろう。

だが、地下鉄サリン事件は防ぐことができた、さらには松本サリン事件も防ぎ得たという仮定が、もし成り立つとすれば? そのとき追及の矛先は、何がそれを妨げたのか、という問いへと向かわなければならぬ。この問題について私は何度か書いてきたし、同じ考えの人も少数だがいる。改めて今回の情報洪水に抗する再確認の場としたい。まず、簡潔な関連年表を用意してみよう。

1989年11月 坂本弁護士一家(在神奈川県横浜市)「失踪」事件

1990年 2月 右事件に関わった一信者、教祖(「尊師」)との対立関係が生じ、坂本一家の遺体を埋めた場所を神奈川県警に通告

1994年 6月 松本サリン事件

1995年 1月  オウム真理教本拠地のある山梨県上一色村で、サリン成分発見報道

1995年 3月 東京地下鉄サリン事件

わずか6年間の出来事を記したに過ぎないこの小さな年表は「雄弁」である。坂本がオウムに出家した子どもを持つ親の相談に乗っていたこと、事件の現場にはオウムのバッジであるプルシャが落ちていたこと、遺体埋葬現場の密告まであったこと――すべてにオウムの影が差している。だが、神奈川県警は、坂本の金銭横領や内ゲバによる失踪情報を一部報道機関に流し、オウムに向かうべき捜査を徹底して怠った。県警が行なった共産党幹部宅盗聴事件などで坂本が属する弁護士事務所と「敵対」関係にあった警察には、そうする「理由」があったのである。事実、20年目を迎えた今回の一部報道で明かされたところによれば、警視庁捜査一課は1991年8月にオウム捜査専従班を設けたが、県警から横槍が入りわずか2ヵ月で中絶に至っている。各警察署の「管轄権限」の壁に突き当たったのである。

この一連の事態から松本サリン事件までは4年有余、地下鉄サリン事件までは5年有余の年月がある。県警がまともなオウム捜査を行なっていたならば、後者の二つの事件は防ぎ得たという結論を、ごく自然に導くことができる。人生上の迷いや苦しみの救済をオウムに求めたに過ぎない、幾人もの有為な青年たちが殺人者に化すことは避け得た。29人の死者も、冒頭で触れた女性を含めた6400人もの後遺症に苦しむ人も生まれずに済んだはずだ。したがって、神奈川県警の罪は大きい。この組織的な権力犯罪に触れることなく地下鉄サリン事件を回顧しても、事態の真相から遠ざかるほかはないのだ。

オウム教祖は「国家権力とのたたかい」を信者に高言していた。それは国家を無化する方向性においてではなく、国家が独占する暴力をオウムも手にすることで対抗できるという「幻想」に基づいていた。事件とオウムの関連性を示すたくさんの証拠があるのに、捜査の手が一向に伸びてこないことで、オウムは国家権力を甘く見て、増長した。オウムは国家の所業をなぞるかのように、銃・VXガス・サリンなどの武器を躊躇うことなく行使して殺人を犯した。「国家」の、陰惨な真似事に終わったオウムの経験は、あくまでも哀しい。国家=オウムに共通する暴力性と権力志向を見抜くためにも、事態の正確な把握が必要なのだ。(敬称略)

(4月4日記)