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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

憲法より上位に立つ日米地位協定という問題意識を


『「反改憲」運動通信』6号(2014年11月26日発行)掲載

15年前の歳末の日々、やがて巡りくる新しい世紀に特別な思い入れや期待があったわけでもない。大晦日と元日が時間的な地続きで、何の変化も〈自然には〉期待できないように、世紀の変わり目にしたところで、同じことだ。ただ単に、何かが「革まる」期待感が心理的にないではなかった。言い出したのは誰だったのか、20世紀は「戦争と革命の世紀」と呼ばれていたが、その「戦争」は相も変わらず絶えることもなく、他方「革命」は「無惨な残骸」となり果てて終わろうとしている20世紀には、どこか深い感慨だけはあった。哀惜の念とでもいおうか。その分、新世紀になると何かが「革まる」期待感は、正直言えば、高かったのかもしれぬ。

15年が過ぎた。内外ともに、激動の日々が続いている。その中で、忘れ難くこころに残る出来事は何か、与えられた「反改憲」という主題との関連で、と考えてみる。いくつか思い浮かぶなかから、私の場合、ふたつのことを挙げてみる。ひとつ目は、「反テロ戦争」の餌食にされたアフガニスタンとイラクに対してなされた米軍の占領政策である。ふたつ目は、政権交代が実現して成立した鳩山政権が、米軍基地問題をめぐって日米関係にほんのわずかな変化をもたらそうとした途端に〈内外から〉反撃を食らい、極端な短命政権として終わった事実である。このふたつの出来事からは、現在の日本の姿が如実に浮かび上がってくる感じがしてならず、その折々にも論じた。あらためてそれをおさらいする価値は、いまも、ありそうだ。

2001年「9・11」の出来事をうけて、米国がアフガニスタン攻撃を始めた当初から、「国家の体をなさない国は植民地化したほうが安上がりだ」という言葉が、米国支配層内部からは聞こえてきていた。なるほど、帝国内指導部の本音とはこういうものかと、痛く感じていた。事実、相手を「植民地め!」と見下していて初めて可能になるような、残酷で一方的な攻撃を、アフガニスタンに対して米軍は繰り広げた。続けて「大量破壊兵器を持っている」イラクも攻撃の対象となった。米軍が現地の武装抵抗勢力を「平定」し、さていよいよ「占領統治」が始まるという段になって、迂闊にも私は初めて、これこそが1945年8月以降に日本を見舞った事態なのだと、時空をはるかに隔てたふたつのことが二重写しになって見えてきた。戦争の性格をいうなら、日米戦争には帝国主義間戦争の意味合いもあったから「反テロ戦争」とは違うのだが、「占領」という事態に関わっての思いである。日本占領について実体験が薄い私は、歴史書や証言で読み、ある程度は理解してきたつもりでいたが、アフガニスタンとイラクで進行する事態を見ながら、そこへ至る過程も含めてはるかにリアリティをもって迫ってきたのだった。

同時に、時代状況の変化によるものか、それともアフガニスタンとイラクの両政権の「抵抗力」によるものか、その後の米軍駐留をめぐっては、現在にまで至る戦後日本とは決定的な違いが生まれた。イラクは「米兵に対する完全な刑事免責を認めなければ、アメリカ側は一兵卒たりとも撤退させない」と米側に脅迫されたが、侵略と占領の過程で米兵が犯した無数の残虐行為に照らしてそれは不可能だとの立場を譲らず、また米国側が要求する巨大な米軍基地の維持にも反対したために、米軍は撤退せざるを得なかった。アフガニスタンの状況はなお流動的だが、犯罪を犯した駐留米兵の裁判権をめぐっては、これを免責すべきだとする米国側の居丈高な要求にアフガニスタン側が一貫して反対していることに変わりはない。占領体制が解かれて62年を経た日本において、単に米兵犯罪の一件に限らず、日米安保体制を保証している法体系が憲法の上位に立っている現状が、国際標準からいっていかに異常であるかが、ここに浮かび上がる。

ふたつ目の問題に移る。鳩山首相が提起したのは米軍・普天間基地の移設先を県外または国外とする、というだけのことだった。(問題の本質は「移設」ではないと私は考えるが、ここではこれ以上主張しない。)日米の外務・防衛官僚は「2+2」という名で定期的会合を開いているが、そこへ出席している日本側のふたりは、首相の意向をまったく無視し、むしろその「馬鹿げた考えを無視するよう」米側に進言していた。マスメディアの多くもまた、これに添うように、首相の「迷走」が「日米関係を危機に陥らせている」とする一大キャンペーンを展開した。追い詰められた首相は、「自爆」相手を間違えて、持論をもって米国大統領と合いまみえるのではなく、結局は沖縄民衆に辺野古への移設を迫って、失脚した。覚悟と展望の欠如は覆い難いが、問題の本質はそこには、ない。日米安保の根幹にわずかながら触れようとした者が、その体制の絶対的な擁護者たちによる日米共同作戦で葬られたこと――そこにこそ、問題の本質はある。

前泊博盛の『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社、2013年)は、多くの人が薄々にでも感じていながら信じたくないと思っていたこと、すなわち「日本は独立した主権国家なのか」「もしかしたら、(沖縄はもとより)日本全体がまだアメリカの占領下にあるんじゃないか」と読者に問いかけた。この問いかけに応える努力なしに、「反改憲」は私たちの課題として主体化され得ない、と思う。

(11月17日、沖縄知事選挙の結果を聴きながら記す)

戦争と死刑と国家


『文化冊子 草茫々通信』7号(2014年11月10日発行、書肆草茫々、佐賀)掲載

昨冬一橋大学で開かれた「追悼授業 ドキュメンタリスト・片島紀男の世界」で、私は「獄窓の画家平沢貞通―帝銀事件死刑囚の光と影」という作品を取り上げた。片島氏と私の出会いが、死刑廃止運動の中においてであった、ということに拘りたかったからだ。敗戦後の歴史や死刑制度に関心をもつごく少数の学生を除けば、圧倒的多数の人は、65年前の帝銀事件も無実の死刑囚の獄中死も、そのいずれをも知らないだろう。授業の日は、ちょうど、特定秘密保護法案なるものの国会審議が大詰めを迎えた頃であった。機密を好む国家、秘密を民衆には知らせぬままに国家が独占することで他ならぬ民衆を縛り上げてしまう国家――この〈怪物〉のような存在の片鱗をなりとも、若い学生たちには感じ取ってもらいたい、と思った。

帝銀事件は米国占領下の出来事だから、そこではふたつの国家が絡み合う。事件を捜査する日本警察の手が、犯行現場での犯人の手慣れた毒物処理に注目して、旧関東軍満州第731部隊員に及ぼうとしていた。米軍はその時すでに、「仇敵」であった同部隊員の技量を高く評価し、戦争犯罪を免じ、冷戦下での対ソ連軍作戦に彼らを利用しようとしていた。だから、占領下の日本側に圧力をかけ、捜査方針の転換を強要したのである。他方、日本官憲は代わりの生贄=平沢氏をでっち上げて死刑判決確定までもっていったものの、平沢氏が獄死するまでに就任した35人もの法相は、判決の事実認定への疑義があってか、ひとりとして執行命令書にサインする者はいなかった。前者には、戦争の成果をいかようにも利用しようとする常勝国である超大国の驕りが見える。後者には、死刑制度を墨守するためには冤罪による死者にも頬被りする国家の冷酷さが見える。

ところで、戦争の発動と死刑の執行によって、国家は「国民」の誰かに命令して他者の死を招く権限を独占しているとは、私の古くからの国家論テーゼだった。いかなる個人にも集団にも「人殺し」の権利は認めないが、唯一国家のみにはその権限が付与されていると信じて疑わない支配者たち! 戦争と死刑のためなら、どんな権力の行使も厭わない国家のあからさまな本質を示しているという点で、帝銀事件は、腹立たしくも痛ましい、繰り返してならぬ、国家犯罪のひとつの先例なのである。

だが、世界的に見れば、この状況は近年になって大きく変化した。戦争廃絶へ向けた強固な意思を示す国はほとんど見当たらないが、死刑の実質的な廃止国は140ヵ国に上り、旧帝国も集うEU(欧州連合)圏では死刑制度を廃止していることが加盟条件の一つになっている。米国軍と共にアフガニスタンやイラクへ派兵して、戦争での〈人殺し〉は続けてよいが、刑罰として〈非人道的な〉死刑は廃止すべきだ、と考える国家(政府)が登場しているのである。これをしも、人権の確立に向けた、人類のたゆみない歩みの成果といってよいだろうか? いずれにせよ、私の旧来の国家観は、いくらかは好ましいことに、修正を迫られてきたのだと思える。

ところがここで、新たな問題が生じた。日本で――他ならぬ私たちの足下の社会では、上に見た世界の趨勢には逆行する荒々しい動きが顕著になっている。せっかく軍備と戦争を廃絶した憲法をもちながら、世界でも有数の強力な軍隊(自衛隊)を保持し続けてきたという自家撞着の戦後史の中から、この軍隊を他の「ふつうの国」のように、海外での戦争にも参加できるようにしたいと考える為政者が現われたのだ。私の考えでは、それは、1991年ペルシャ湾岸戦争後に地雷除去の名目で自衛隊の掃海艇を派遣する動きを阻止できなかったことの延長線上にある。悔しいことである。他のいかなる存在をも超越する国家の〈優位性〉を、戦争発動の権限に求める勢力が、敗戦後69年にして社会の前面に立っているのである。

加えて、この政策を推進する政権下での死刑執行は、その頻度において過去を凌駕している。歴代法務官僚の中枢も、その支配下の政権も、自ら率先して〈非人道的な〉死刑制度廃止の気運をつくるどころか、内心では「法の支配」はこれによって貫徹されると考え、外に向かっては「世論が支持しているから」と嘯くのである。私は、先に述べた自分なりの国家論の核心が、古びて、瓦解する時代の到来をこそ望んでいる。戦争にも死刑にも、自己存在の証明を求めない国家の到来――それは、人類史の、未踏の領域に進みゆく課題である。

NHK佐賀局時代に反戦闘争をたたかい、帝銀事件取材を通して死刑制度廃絶を望んだ片島氏は、その課題に共に取り組む同志であり続けている、と私は感じていたい。

(9月18日記)