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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[48]3月31日は、消費税引き上げ前夜だけではなかった


『反天皇制運動カーニバル』13号(通巻356号、2014年4月8日発行)掲載

この日のTVニュースは見ておこうと思った。3月31日――翌日からの消費税引き上げを前に、メディアには「売らんかな」の姿勢も顕わな売り手側と買いだめに走る消費者側の姿を、ここまでやるかと思えるほどに詳しく伝えた。ほんとうの怒りと苦しみはよそにしかないだろうと思うしかない、弛んだインタビューが続いた。私も身の丈に合った買い物はしたが、何かにつけて煽る売り手とそれに乗るメディアの術策に関しては、いつものように、冷ややかに見る視線を失いたくないものだと思った。NHKの場合には、今回の税率引き上げによって予想されている増収5兆円が、あたかもすべて社会保障費の充実に充てられるかのような、意図的な説明がなされた。首相の生の発言を挟み込みながら。政府発表に基づいてすら、その「充実」なるものに充てられるのは1割でしかないという事実が明らかになっているというのに。得がたい味方を、政府はNHKのニュース編成局に配置している。

同時に、私は、この同じ3月31日に期せずしてなされた3つの司法上の出来事に注目した。それは、まるで、年度末のドサクサを利用したかのように、「駆け込み」でなされた。

まず、あるかなきかのような報道しかなされなかったのは、強制送還死訴訟で国が控訴したという一件である。2010年、日本での在留期限が切れたガーナ人男性が、成田空港から強制送還される際に急死したのは、入国管理局職員の過剰な「制圧行為」が原因だとする遺族の訴えに関して、東京地裁が「違法な制圧行為による窒息死」であったことを認め、国に500万円の支払いを命じる判決が3月19日にあった。これを不服として、3月31日、国は東京高裁に控訴したのである。

私は新聞でしか見ていないが、判決のニュースはしかるべき質量でなされた(特に、朝日新聞3月19日夕刊及び20日朝刊)。在留期限を超えた人の入管施設での長期収容や、子どもや配偶者と切り離しての強制送還措置など、入管当局が日ごろから実施している行政措置の非人道性と人権意識の欠如が国際的にも問題視されている事実も伝え、今回の事態もその一環をなすことが読者には伝わった。ガーナ人男性は「暴れたために」機内で手足を手錠で拘束され口はタイルで猿ぐつわのようにして塞がれたうえで、前かがみに深く押さえつけられて、動かなくなった。「動きは完全に制圧され、格闘技の技が決まったときのようだった」とは、警備員の柔道経験に言及しながら、判決文が述べた文言である。地検は警備員をすでに不起訴処分にしていたが、遺族側の弁護士は「捜査対象が、検察と同じ法務省傘下の入管職員でなければ、すぐに起訴された事例」と述べたことは頷ける。だが問題は、現場職員の違法行為に留まることはない。ガーナ人男性は日本人女性と結婚しており、地裁は「夫婦関係が成立している」として強制退去命令を取り消したにもかかわらず、高裁が「子がおらず、妻も独立して仕事をしている。必ずしも夫を必要としない」という理由で退去命令を下したのである。その結果としての、成田空港での出来事であった。高裁の決定の言葉には、身が凍りつく。否、その人間観の貧しさに絶句する。司法上層部の言葉と下部現場職員のふるまいは、狭隘な同族意識の中で外国人を犯罪者扱いしている点で、両者が一体化した価値意識の持ち主であることを明かしている。

3月31日に行なわれた、残るふたつの出来事は、福岡地裁が飯塚事件の再審請求を棄却したこと、そして静岡地裁による袴田事件再審決定の取り消しを求めて静岡地検が即時抗告を行なったこと、である。いずれも、死刑問題に関わる重大な案件であるが、この事件の経緯と司法判断の在り方を少しでも調べたり、死刑囚の身を強いられたふたりの手紙や手記を読んだりすれば、誰もが、事態の「真実」に近い、合理的な判断に至るだろうと私には思える。それほどまでに、この2つの案件に関して「死刑を確定させた」司法の最終的な判断は、危うい。

私たちは、劣化するばかりの政治=政治家の在り方に、言葉も失うような日々を送っている。3月31日の3つの出来事は、司法もまた、救いがたい状況にあることを改めて示した。これが、ありのままの現実であること――そこが私たちの、避けることのできない「再」出発点である。

(4月5日記)