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7月1日に第4回やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!市民集会

 集会は、雨にもかかわらず、96名もの参加者で会場は熱気にあふれていました。
 6月7日に6歳未満の小児からの臓器摘出がおこなわれた直後でもあり、参加者の関心の高さが伝わってきました。
 主催者からは、6月7日の事例や過去の102例の検証会議の報告からも医師誘導事例の増加が指摘されました。新聞記事の、『臓器提供を促すために「愛のギフト」という言葉を使ってきたが、うまくいかないため、「愛する身体の一部が他の人の一部で生き続ける」という言葉が移植コーディネーターの隠しマニュアル化されている。』という内容を紹介。患者家族が「助からない」といわれて臓器摘出を承諾するとき、最後にすがりつく言葉になり、このような形で国策として移植が進められていること、この動きにストップをかける運動を強めていこうとよびかけられました。
 
講演 細田満和子氏
「脳死臓器移植の行方― アメリカの現実、日本の選択」
細田満和子さん

 アメリカのハーバード公衆衛生大学院で医療社会学を研究。社会学の観点から臓器移植の実態や、問題点、今後のあるべき姿等客観的データに基づいて語っていただきました。
たくさんのパワーポイントの資料をご紹介できませんが、主催者の方で、いくつかポイントをまとめてみました。( )内は主催者のコメント
 日本では、臓器移植法が改定されてから、脳死からの臓器提供が増えました。「意思表示なし」の人での「家族同意」のみでの提供が増えています。しかし一方、「心停止」後の「(腎臓)提供」が減っており、(推進側が期待したようには臓器提供は増えていません。このことにより)、「移植」への信頼が低くなっているのではないかとの指摘がありました。
 アメリカでは、年間2万件もの臓器移植が行われており、そのうち心移植は2000件。特殊な医療ではなく、「通常医療」の一つの選択肢となっている実態が示されました(この心臓移植2000件という数字はただただ驚きばかりでした。日本の年間数を仮に100例として、アメリカの人口が日本の2倍とすると、10倍!どう考えても、日本では「脳死」でない人が、アメリカでは「殺されている」?!と思いました)。
 しかし、ドナー不足の問題は、やはり深刻です。以前は、交通事故などの事故が原因のドナーが多かったのですが、最近は、交通規則が厳しくなり、交通事故が減少。脳血管障害(脳卒中)などの疾患による自然死や、殺人、自殺者のドナーが増えています。さらには、小児では、虐待児からの臓器提供が年間100人を超えています。ふえているのです(社会的背景が大きく左右されている実態を垣間見ることができました。そして、驚いたことは、日本では、ガイドラインでは禁止されている虐待児からの臓器提供がふえていることでした)。
 アメリカでは、虐待児からの臓器摘出を制限する法律は存在しません。むしろ、小児科学会のポリシーステイトメントには「・・・小児科医は臓器調達と移植を推進するという国家戦略を十分理解すべきである・・・」と提起され、手続きさえきっちり行えれば、虐待児から臓器摘出しても問題はないとしています。国策として、虐待を含むどのような背景での死因であっても、ドナーとなりうるのです(親が虐待をして子どもを殺しても、罪が問われなくなったら、さらに他の子どもを救ったとして美談とされたら、いったいどんな社会になるのだろう?それを考えると怖くて身が震えてきました)。
 しかし、一方で、子どもが臓器移植ドナーになることへの警鐘をテーマにした本がベストセラーになるという社会現象もあるのです。
 移植推進側は、はじめは、「命の贈り物」(gift of life)として進めてきました。しかし、アメリカ人もすごく苦しいのでしょう。ドナー、レシピエント双方が苦しい。そこで、「命のリサイクル」(スペア・パーツ)という重圧を感じない概念にすることで、双方の気持ちを軽くすることで、「通常医療」として、進めていきました。そして、信じがたいですが、リサイクルマークとして広めていったという現状です(会場からはどよめき・・・)。
 一方、「脳死」と判定されて、生還した事例がいくつも報告されました。このことは、「脳死」が死ではないこと、「脳死判定」がいかにあいまいなものかをあらためて示すものでした。そして、もっと、驚いたことは、マスメディアの報告から知る限り、「脳死」状態から生還した事例については、「よかったねといって、美しいHappyな話」にされてしまい、医師に対して、「脳死判定」が間違っていた等、責任が追及されないらしい(このような事例があるということは、どれだけの人が、生還の可能性があるにもかかわらず、脳死と判定され、臓器摘出されているのだろう?という疑問を抱かざるを得ませんでした)。
 最後に、移植でしか助からないと言われて苦しむ人も、移植に疑問を持つ人も、「いのち」を大切に思う気持ちは同じで、両者が対立構造に陥らされている現状こそが問題という指摘がされました。今後の展望として、移植以外の方法、再生医療・人工心臓の進歩という「第三の道」によって、臓器移植は淘汰されるかもしれない。情報の公開、透明性の必要性を提起されました。
 そして、現状では「移植」は色々な人々を巻き込み、傷つけながら、問題を隠蔽しながら進む医療に見えてしまい、社会的正当性を持つのかという社会的問題を孕むのではないか、さらに広く議論する必要があると結ばれました。

山口 洋氏 (順天堂大学名誉教授)
山口洋さん

 「改正臓器移植法の問題点と是正への提言」をテーマに話していただきました。
 「脳死は人の死」と思いこませる概念操作した診断名であり、この「脳死」という言葉を世の中から払拭すべきことを力説されました。実際に生き返る人がいるのに公表されていない。また、「脳死判定」項目の無呼吸テストは、死に止めを刺す行為で行うべきではないこと。救命救急医療が十分行われず、打ち切られている例が多々あり得ることを指摘。従って、脳死発生から判定、臓器摘出までの全経過が公表されていないため、これを検証する第三者のオンブズマン的委員会が倫理上必要と提言。
 ドナーカードは、自己決定権の証の一つだが、それ無しの家族同意だけでは本人の意思ではないし、親が勝手に決める権利はないことも強調されました。

バクバクの会 吉岡由美子さんのお話 〜「娘の命と向き合って」〜
吉岡由美子さん
 20年前のしほりちゃんのことを振り返り、語っていただきました。
 2歳までしか生きられないと宣告された難病「ヴェルドニッヒ=ホフマン病」、残された日々を一日一日、生まれてよかったと思ってもらえる生き方をしたいと、お話される一言一言に、しほりちゃんと向き合ってきた中での数々の葛藤と、悩み、喜びなど深い思いを感じ取り、多くの参加者は涙の中でお母さんの思いに共感しました。
 深いお話を簡単ですが報告します。

 繰り返す肺炎の進行で、人工呼吸器をつけたしほり。アメリカでは、人工呼吸器をつけないという説明も受けた。でも、人工呼吸器をつけ、今ある「生」を可能な限り人として、子供らしい人生を味わわせて喜びあふれる人生を送らせてあげたい、との思いで在宅へ。
 保育園生活を送り、小学校への就学通知ももらった矢先、定期入院中に「心停止」。駆けつけたときには意識はなく生死をさまよって変わり果てた姿になっていた、「原因不明」の事故と説明され、看護ミスを疑ったもののモニター記録などを調べるとやはり不可抗力としか思えず、なぜこんなことになったのか、怒りや悔しさ、憤りをどこにもぶつけられない辛い状況だった。
 その時は、「がんばるなら前のように意識が戻った状態に」と条件付の応援。「死ぬ」ことより、「植物状態で生き続ける」ことを恐れ、「植物状態で生きる意味はあるのか、人間の尊厳はあるのか」と思った。主治医にこの思いを話し「臓器提供はできないの」とたずねた。主治医は「対光反射もあるしそのような状態でない」「6歳未満は法律も整ってないからできない」と諭された。現実をうけいれなければならない葛藤の日々。娘のありのままの姿を受け入れなかった。「脳死に近い植物状態」で横たわっているしほりがあのかわいらしい、以前のしほりとは思えなかった。そのような状態のしほりと一緒に生きていくということが考えられなかった。心の中で見捨てて殺してしまっていた。しほりのありのままを受け入れられない葛藤の2週間は苦しかった。
 でも、魂のぬけがらのように横たわっているしほりのモニターの心臓の音だけがピッ、ピッ、と規則正しくなっていた。その音は「どんな姿でも生きたい」というしほりの「生きたい」という意思表示に聞こえた。それでも受け入れられない。娘の生存をも拒否する自分の罪に気づき泣いた。泣いてしほりに謝った。すると頑なな心が洗われていった。今度こそしほりの一番身近な理解者になろうと決心ができた。楽しんでいた元の生活、家で暮らし保育園や学校で子ども達と触れ合う生活を再び始めました。
 そして、小学校にも通学。しほりが「生きる」という選択をしてくれてよかった。しほりが「存在」しているだけで周りの子ども達も生きることを学んでいた。どんなに重度であっても周りの受け入れがあれば人間らしく生きることができる。なくなる三日前に遠足にいった。そして、最後は安らかに召天。聖書にもあるように「生まれるのに時があり死ぬのに時がある」。死を操作するのはおかしい。

 法律ができてしまった今、私のように言った親に対して医師が「脳死ではない」からと、臓器提供をとめてもらえるのか?いつから「低酸素性脳症」が「脳死」になったのか疑問に思えた。「意識がない」というのは、私にとって、「低酸素性脳症」でも「脳死にちかい状態」であっても「脳死」でも、「意識がない」のには変わりなく、皆同じに見えてしまう。だから心配。とめてもらえるどころか「臓器提供」といったら、美談にすりかえられてしまってどんどんすすめられていってしまうのではないか。
 親の「差別する心」で「生きられる命」を殺してしまわないように、取り返しのつかない過ちをおかさないでほしいと、一人一人が正直に自分の心にむかいあって考えることが必要ではないか。
 子どもの思いと親の思いはちがう。何よりも「心臓」が動いている、それが、本人が「生きたい」と言う意思表示であることを痛感。その命を大事にしていきたい。
 欧米では人工呼吸器をつけないといわれ日本でよかったと思ったが、今、日本も欧米にならう動きがある。死ぬ助けをする話ばかり。生きる助けをしたい。弱者もあたりまえのよう受け入れられて、生きていける社会の法律や制度を変えていって欲しい。

質疑応答
会場の参加者からも多くの質問や意見が出され、活発な議論がおこなわれました。

報 告
「脳死下での臓器102例の〜 問題点」
 102例の症例報告では、脳死判定にもいろいろ問題があった事が報告されている。(資料参照) 厚生労働省は、検証会議で指摘されてきた不適切な脳死判定について、その都度問題症例を社会に公表したり、臓器提供病院に警告する等の対処をしていない。また主治医側から早々と行われる臓器提供の選択肢提示についても問題視していない。こうした問題を放置してきた「行政」に責任を取らせること、臓器提供病院へ指導させることが必要だ。

声明
 集会の最後に、"6歳未満の男児の「脳死」・臓器摘出に対する声明(案)"が読み上げられ、盛大な拍手で確認されました。


やめての会結成1周年記念集会  2月18日 75名が参加

「家族が死を早めたり、同意してもいいの?「脳死」は人の死ではない緊急市民集会」
講演「脳死判定は非科学的、むしろ生きている証だ」近藤孝さん


 2月18日、私たちは、会の結成1周年を迎え、<「脳死」は人の死ではない緊急市民集会>を開催しました。75名の参加者で、改めて「家族同意のむごさ、残酷さ」について考えることができた集会でした。
会場の様子1 会場の様子2
 本人意思が不明でも家族同意だけで「脳死」判定・臓器摘出が行えるように改悪され施行されて、家族同意だけで64例もの尊い命が奪われました。家族にすべて責任を負わされ、悩み続けることが多く、さまざまの問題を引き起こしています。「家族同意条項の撤廃させたい」という挨拶からスタートしました。
 以下、集会の内容を簡単に報告します。

 DVD上映 「脳死」から臓器摘出1時間前に回復した青年
 2011年10月ごろアメリカで起こった出来事。交通事故に遭い病院に救急搬送され、頭の手術を受けたが、脳死と宣告されたアメリカの21歳男性の話である。家族はあきらめ、臓器提供を承諾した。救命装置を外して、臓器を取り出す1時間前に、手を動かし始め、意識も出てきて、治療を再開したら回復に向かい、クリスマスには正常に会話ができるようになるだろうか・・・という内容の放送でした。

 *これは、2007年アメリカで「脳死」と判定され、臓器摘出寸前に自動運動を発見され、生還したザック青年と同じような事例でした。

 講演:近藤孝さん(脳外科医)「脳死判定は非科学的、むしろ生きている証だ」
 記憶など脳の機能のふしぎさ、脳のさまざまな機能が全て無くなったと判定はできないということを強調され、"原子力は安全"がウソだったと同じように"「脳死」のウソ"も言い続けていくしかない、等々前置きされた。
近藤孝さんの講演
 2010年7月に「改正」施行された「脳死」臓器移植法はその前の法とはまったく違って、本人の意思がなくても家族の同意だけで移植ができるようになりました。1年半がたって明らかにされた家族の苦悩をテーマにしたNHKクローズアップ現代の番組や、雑誌「世界」2012年1月号の特集、「脳死ドナーはどんな亡くなり方をしているか」を資料として紹介し、問題点を説明された。
 「世界」の記事では、1例目の交通事故で足の骨折をした青年が、手術後、意識が回復せず、脂肪塞栓症と診断され、「脳死」とされた件をとりあげ、肺塞栓が起こらず脳にだけ広範な塞栓が起こることは医学的に有り得ない、医学界でも疑問が出されていて検証はされていないと厳しく批判された。
 また、唯一、行われた小児の移植の件は、明らかな飛び込み自殺の事例で、法で禁止されている虐待(自殺であるならば)の疑いが否定できない例なのに検証もしていないと批判された。
日本小児学会や小児神経学会の動きや、アメリカのシューモン教授の調査報告などを詳しく話されたあと、ご自分の見解・意見を大きく2点にまとめられた。
 1点目は家族の選択の問題。「選択」は自由であり権利であるが苦しみを与える場合もあると、映画「ソフィの選択」を紹介された。アウシュビッツのガス室の前で、2人の子どもの内、1人だけを助けてやると看守に言われた母親ソフィの選択である。医療現場で家族に、"家族の同意で移植ができます。どうしますか?"という問いかけ自体が苦しみを与えると思う、それが正当化されているがいいのか?大きな問題だと思うと話された。
 2点目は小児の「脳死」判定の問題。厚労省は出来上がっているようにいっているがまだ検討中である。小児科学会は子どもの命と権利を守ろうという基本姿勢で、判定の24時間は子どもにはあてはまらないと研究・検討を続けている。加えて、「長期脳死」といわれた、ほのさん、中村有里さんの例をあげ、長く生きることが出来る方法、しくみを考える必要があると提起された。
 最後に、死因が解明されていないなど検証会議の現状を危惧し批判された。
多方面にわたる豊富な話、資料が準備されていなかったことも笑いとばすなど、先生のお人柄も感じさせてくれる講演でした。

 報告:藤井真希さん(バクバクの会)
 さつきが教えてくれたことーひとつのいのちの生きるかたちー
 「脳死」と言われた子の親であり家族であり、当事者としての立場でなら、「命」とは?「脳死」とは?ということについて考えてきたので、何かお話できるかなと思い引き受けました、と思いを精一杯に語られた。
藤井真希さんの報告
 さつきは1才8ヶ月。24時間人工呼吸器をつけ、鼻から胃に通したチューブからミルクを注入していて、お医者さんからは反応はないと言われています。5ヶ月の時、預け先での事故で心肺停止状態になり病院に運ばれました。心臓は蘇生したが自発呼吸はなく、予後は非常に厳しいといわれた。その時、家族はまさに極限状態に置かれていました。親である自分も、お医者さんの言う通りなのか、もう諦めるしかないのか、と思いました。そういった状況では、病院のアプローチ、スタンスが本当に大事だと思います。
 しかし、さつきはほんとうに強い子で、波はあったがその後安定をとりもどしました。それでも、医師から「脳死」状態は変わらないといわれ、「脳死」という言葉について考えはじめました。医学的な説明は理解していたつもりですが、さつきの頑張りを傍で見守りながら、「医学で計れないこともある、反応が感じられる、"生きているんや"」という気持ちが日を追って強くなっていきました。それで、状況把握のための無呼吸テストというお話が出た時も同意はしませんでした。無呼吸テストには危険もあるように思えましたし、その結果がどうであってもさつきの状態や家族の気持ちに何ら変わりはないと思ったからです。反応がないといわれても私の気持ちは変わらない、さつきと共に生きていくと。
 さつきの親として思うことは、命を生きるということの大切さ、それをさつきが教えてくれたということです。「脳死」を人の死とすることは、結局家族にはなじまない、そぐわないと思いました。私もこの間ずっと考えが一貫していた訳ではないし、「脳死」や「脳死臓器移植」には様々な立場、様々な考えがあると思いますが、このような大事なことを決める時にはもっと議論されるべきだと思います。そのためにも自分をふくめ、一人一人がもっと「知る」必要があると思いました。
 報道や広報の与える影響は大きいので、良く知らないと無意識のままに誘導されることもあるのではと思います。現状で、個人として思うのは、「脳死」状態になった患者とその家族に関わる医療者に望まれることとして、「あきらめる」説明だけでなく、「ちゃんと治療を受ける」「あきらめない権利」についても同時に教えてほしいということです。家族はほんとうに大変な状況だと思うので、後悔しない結論がだせるような情報と、時間と、支援をしていただきたいと願います。
 最後に、命が大切にされる社会であってほしい、弱いもの、小さいものほど安心して生きられるやさしい社会であってほしい。今の切捨て策をやめてほしいと言って話を結ばれた。

 DVD上映:「家族の苦悩について」
 法「改正」後、ねらい通り移植?の件数は3〜4倍に増えたが臓器提供?の8割は本人の意思表示なし、家族のみの同意。家族に選択させるため、家族の苦悩が深まっていると。北海道の病院でその家族の姿を追う。
 くも膜下出血40歳代男性。「脳死状態だろう」「回復はむずかしい。選択肢の一つとして臓器提供があると説明を受ける」本人のドナーカードはなし。家族は臓器提供を前向きに考えた。コーディネーターの話を聞いた。その時、「いくら本人が頑張っていても2回目の脳死判定時刻が死亡時刻になると説明され、家族が死を決めてしまうのは受け入れられない」と考え、脳死判定を断って最後まで看取る道を選んだ家族。
 一方、母親の「脳死」臓器提供に同意をしたが、「母親の意思を確認できずに提供したことが良かったのか、メスで身体を傷つけてよかったのだろうか?」と1年後も悩む家族の姿があった。

 報告:冠木克彦さん(会代表、弁護士)
 今流したDVDの内容で、悩む人は何を悩むんでしょう?生きているかもしれないと思うから悩むんでしょ、そこが大問題なのにマスコミも?それをいわない。「脳死」を死と証明した人はいない。本人が承諾したからいいだろうという違法阻却法として当初の「脳死」臓器移植法が成立した。ところが、今の改悪法は本人同意をはずした。本人以外が同意して云々という法はない、憲法違反だ。家族は自分が決めたが、ずっとわだかまる、こんな残酷な法はない。
冠木克彦さんの報告
 法の法的担保になっているのが「検証」だ。当初はリアルタイムで報道され、意見が反映されることもあった。今の「検証」は1件30分、長くても60分である。そして中身に問題がある。例えば、59例目の「脳死判定」。無呼吸テストを24分〜29分まで行い、29分目に条件を満たしたから「脳死」と判定している。24分までの記録もない。法的には無呼吸テストの時間制限の規定がない。殺すような検査だと思う。われわれは、疾患が何で、どのような治療が尽くされたのかに最大の関心がある。しかし、「検証」には"家族がのぞまない"という理由で大半が明記されていない。
 そこで後に紹介されるリーフレットをつくりました。とてもいいものです。ぜひ活用してください。深昏睡の状態で反応がない状態でも、本人は分かっている例があったし、あるんです。安易に同意しないで、助けてくださいと主張しないといけない、と話を結ばれた。

 報告:リーフレットの紹介
 会の事務局から、「早まらないで!脳死判定・臓器提供承諾を」というタイトルのリーフレットの紹介と説明が行われた。マンガにある事態は起こりうること、そしてどう行動したらよいかが問答形式で簡潔に記載されている。ここに参加出来ない人達のために、すぐに役立つ分かりやすいハウツウ物として作った。ぜひ広めていきましょう。

 報告:岡本さん、情報開示について
 情報開示について、審査会にしつこく意義申し立てをして、我々は常に監視しているんだということを示していきたい。2月3日、「改正」後77例目、以前からでは164例目の「脳死」臓器移植が行われた。検証会議の報告がすすんでいない。そして公開していないのが71件中30件ある。おかしい。そして、最近公開された、自殺と見られている15歳以下の子どもの事例を問題提起。虐待防止法で虐待・または疑いがある場合は禁止している。子どもの自殺にはいじめがあることが多いが何の規定もない。自殺は対象外にということを運動に取り入れて行きたい。

 会場から:
 (山口洋さん:循環器内科医)
 いままで話されたことはその通りだと思う、まずこの改悪を1997年までもどす、その通りだと思う。どうやって実現していくかだ。「脳死」は深昏睡という状態で診断がむずかしい。無呼吸テストはとどめをさすためにする。「脳死」という言葉は払拭しないといけない。違法阻却の本人同意はゆずれない問題だ。
 NHKの番組で柳田邦男氏が「検証結果に医学的なまちがいがない」という発言をしていたが医者でも言えないこと、検証委員になって意見が変わったと氏を批判した。
 「脳死」移植が普及しているアメリカ社会について、当初は命のプレゼントだったが、今はスペアパーツ(臓器交換)の社会になっていると危惧されている。「脳死」を払拭するため、みんなでがんばってやっていきたいと決意を述べられた。先生の活動してこられた思いや提起されている5つの課題については添付の資料をよんでいただきたい。

 (松田さん:大本教本部)
 「人類愛善会」として活動し、街頭で署名やアンケートをとってきた経験から、「脳死」はまだまだ理解されていないと。移植ネットワークは全国の中学校に冊子を配布し説明するように依頼している。われわれも「脳死」の説明をいろいろな方法で先にやっていかないといけない。また、「脳死」と言われたときの応答の言葉とか、ドナーになるための条件3点を逆説として話され具体的でわかりやすい方法の提案もされた。

 (折田さん:バクバクの会の事務局)
 子どもたちは1日1日、1時間1時間を毎日楽しく生きている。親だからこそ、この子たちの命が大切にされるよう社会に発信していきたいとあいさつがあった。

 最後に、事務局から簡単なまとめと、これからも「脳死」反対、家族同意だけでOKのやり方を問題にして反対していきたいのでよろしくおねがいしますとしめくくり、会場の拍手で確認され集会を終えた。
また21名の方から心のこもったアンケートを頂き、その内18名から掲載の了承を頂いておりますので以下に紹介させていただきます。

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