2000年12月分
| 12.6.(水) | 「偽の友は公然の敵より悪い」マスコミ商売人がパレスチナ内戦に煙幕張る |
| 12.10(日) | 「偽の友」マスコミ商売人批判(その2)防衛大学校教授がなぜ平和運動のパネラー |
| 12.14(木) | 真珠湾謀略判明で右が浮かれ左が黙る阿呆天国日本に怒りの原点は食い物の恨み |
| 12.19(火) | 「偽の友」3.「意見が違う問題」を避ける知恵が働く欧米流支援組織の限界 |
| 12.22(金) | 「偽の友」批判4.パレスチナ問題に限らず「寸鉄人を刺す」核心を避ける商売とは? |
| 12.28.(木) | 正月料理の材料に日本伝統の黒潮の鯨を献上し日米捕鯨戦争に反撃の檄をインターネットに飛ばす |
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正月料理の材料に日本伝統の黒潮の鯨を献上し日米捕鯨戦争に反撃の檄をインターネットに飛ばす
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月並みに、皆様、良いお年を、と申し上げます。
来年は、耶蘇教暦の2001年とか。私は、片言英語のカタカナ氾濫には反対ではありながらも、耶蘇教は嫌いでありながらも、この年度計算については、最早、仕方が無いと諦めています。なぜならば、歴史学的には若干の誤算があるとされながらも、交響楽の楽譜の区切りに従って一斉に楽器を奏で、合唱をするがごとくに、世界中で同時に時代を区切って一緒に人類史の過去、現在、未来を考え直すためには、耶蘇教暦を使うしかないからであります。本家の中国で廃止された骨董品の元号などに固執する右の半気違いに付き合っている暇は無いのです。
元旦には、あの、コカイン使用、飲酒運転の犯歴だけが確かな米大統領などは無視して、わが年頭、兼、世紀頭、兼、千年紀頭の「教書」を発表する予定でありますが、その前に、まずは、正月料理の材料に、日本伝統の黒潮の鯨を献上します。
実は、このところ、大手メディアでは表面のみしか報道されていない捕鯨問題について、最近、日本の研究者が、画期的な調査結果を発表していたのでした。水産庁の担当者から聞き出したホームページは、下記でありますが、その要点だけを転載します。要するに、鯨は適当に捕獲して食べないと、逆に生態系を破壊するという、まさに9回裏逆転ホームランの報告なのです。
ああ、戦後の栄養失調児童だった私にとって、時折の鯨の肉の配給は、まさに、涎たらたらの命の綱でした。あの独特の臭みのある鯨の肉を取り上げ、同じ哺乳類の牛肉を売り付け、自称左の市民運動までを利用して、ここ20年程繰り広げられてきた日米捕鯨戦争ぐらいについては、せめて、こぞって反撃に出てほしいものです。政府が役に立たなければ、インターネットの出番ですぞ!以下より転載。
プレスリリース
鯨類の食物消費量について
鯨類は哺乳類の仲間なので、直接的に水温が分布に影響することはほとんど無く全世界の水域に及んでいる。彼らの多くが大海原を回遊し、37℃の体温を保つために大量の餌生物を消費する。
鯨類はそれぞれの生息海域での海洋生態系における高次捕食者であり、食物連鎖の構成員として重要な役割を担っている。また、種々の関係で漁業との結びつきが強い。すなわち大部分の鯨類が、直接的に餌として漁業対象の海洋生物を多量に消費したり、間接 的に漁業対象の海洋生物の餌生物を多量に消費したりするなど漁業活動と競合しており、近年、注目が集まってきている。
この問題を考える基礎として、世界の海洋での鯨類による年間食物消費量を算出することは非常に重要であり、得られた結果は今後の世界における漁業資源の有効利用を図る場合に有益な情報となると考えられる。しかしながら、鯨類の食物消費量の算出には多くの仮定が必要であり、不足している情報も多いために実際には困難を極める。
パンフレットでは、最新の資源量推定値と3通りの摂餌量推定法を用いて、全世界を大きく北太平洋・北大西洋・南半球海域(インド洋を含む)の3つの海域に分けて、鯨類の年間食物消費量の推定を行っている。
世界の海洋における現生の鯨類は83種類に及ぶが、その内の35種について最新の推定資源量から年間食物消費量を推定した。
消費量は、
1)海域毎に最新の各鯨種の資源量と生物量を算出し、
2)3通りの方法で算出した各鯨種の日間摂餌量を用いて、
3)鯨類の年間食物消費量を推定した。
その結果、鯨類の年間食物消費量は、
インド洋を含む南半球海域で1.44〜2.69億トン、
北太平洋で0.65〜0.99億トン、
北大西洋で0.63〜1.29億トンであった。
世界の海洋での鯨類による年間食物消費量は2.8〜5.0億トンであり、これは世界の海洋での漁業による生産量(1994年:約8,400万トン)の約3〜6倍に相当すると推定された。
近年、世界的に鯨類と漁業活動との競合関係が示唆されていることから、得られた結果は今後の世界における漁業のあるべき姿を考える場合、有益な情報となると考えられる。「世界の海洋における鯨類の年間食物消費量」(田村力・大隅清治著)より
以上で、転載終わり。
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「偽の友」批判4.パレスチナ問題に限らず「寸鉄人を刺す」核心を避ける商売とは?
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パレスチナ問題に関する11.12(日)集会を契機とする「偽の友」マスコミ商売人批判は、今回の4.でシリーズ終了にする。今回は、パネラーのマスコミ業界の商売人に対してよりも、それらのイカサマ商売を成立させている経済的な基盤の「買い手」、または「受け手」と、その中間の商売人としての「組織運動中毒患者」への批判に、力点を置く。人類史を紐解き直せば明らかなように、個々の天才的人物の出現すらも、その当時までの人類全体の知的水準の地平線上にしか生じないのだからである。
「奇を以て勝つ」気のない支援運動は怠け者の詐欺商法
「組織運動中毒患者」への批判の視点は、彼ら自身が掲げるパレスチナ解放の大義を基本とする。自らが掲げる大義、パレスチナ問題で、本当に勝つ気があるのかないのか、または、真相を見抜く気があるのかないのか、という姿勢の点検にある。さらには、その構えがない運動の問題点を、厳しく指摘することにある。
私の考えでは、最も重要で決定的かつ核心的な問題点を避ける議論は、無意味、いや、むしろ、結果的には利敵行為であり、無責任である。ただし、自分では「世のため人のため」と信じて、この種の組織運動に参加している市民運動家にとって、このような観点に基づく批判は、まさに晴天の霹靂であろうし、彼らは、私に向けて激しい怒りを覚えるかもしれない。いや、ほとんど、そうなるに違いない。しかし、私は、敢えて言う。あえて挑発する。胸を貸してやるから掛かってこい、と大声で叫ぶ。
もしも、その市民運動家が、本当にパレスチナの解放に尽くしたいのであれば、極右政治的シオニストに勝たなくてはならない。すでに私は、謀略を見破り、それを打ち砕くことの重要性を、何度も指摘した。つぎには、勝てる布陣の築き方を、検討しなければならない。
戦争に関する議論ともなれば、孫子、クラウゼヴィッツ、ナポレオン、その他諸々の戦略家の意見を拝聴すべきであろう。私は、自分の争議中に、不十分ながらも戦略論を学んだ。その時、最も強く胸に響いたのは、どの戦略家も、簡単に言うと、「皆が賛成する意見は採用しない」と言う主旨の意見を述べていることであった。この点についての私なりの理解を、これまた簡単に述べると、「皆が賛成する意見」は、いわゆる無難な、締まりのない、在り来たりの戦法なのであって、それでは勝てないのである。むしろ逆に、敵に見透かされたりして、付け込まれる場合すらあるのである。孫子は、「正を以て合し奇を以て勝つ」と述べた。正攻法でも対等に渡り合い、奇襲によって勝つのである。奇襲を掛けるためには、敵の弱点を発見して、そこに総力を注ぐ体制を作らなくてはならない。
私は、相手が極右政治的シオニストの場合には、この「弱点」と謀略とが同じものだと考えている。だからこそ、なおさら、「ガス室の嘘」と「ナチ協力の極右」という決定的な問題点を避ける「偽の友」は、許し難いのである。およそ、中東問題の研究者で、この2つの問題を全く知らないなどということは、有り得ないのである。知っていて避けるのは裏切りである。よく分からないのなら、阿呆なのだから、黙って、すっこんでいればいいのである。でなければ、無知な大衆を騙す売文業者、または言論詐欺師となる。
さらには、「寸鉄人を刺す」、または「寸鉄人を殺す」という格言の意味を噛み締めるべきである。この格言は現在、風刺の鋭さの比喩になっているが、一寸の刃物でも人を殺すことができるからこそ、この格言が生まれたのである。名刀ではなくとも、怪力の持ち主ではなくとも、急所に刃物を刺せば、人を殺せるのである。
私は、殺人よりも言論で勝負を付けたい。言論で勝負が決まらない問題を暴力で解決すれば、報復の歴史が繰り返されるから、言論の勝負を選ぶ。その立場から言うと、「ガス室の嘘」と「ナチ協力の極右」という急所を知り、そこを突く鋭い「ホロコースト見直し論」を身に付け、この言論の武器に磨きを掛け続けることなしには、パレスチナ解放運動の真の勝利は不可能である。その努力を怠れば、これまでの人類史の変動期の数多の死屍累々の有様を、またもや繰り返す結果になるであろう。
最大の問題は、この種の核心的な問題点を避ける組織の運動が、実は、単なる小利口な怠け者の商売でしかないということなのである。「ガス室の嘘」「ナチ協力の極右」どころか神殿考古学も抹殺
さて、特にメモする気も起きなかったので不正確なまま、12.15.頃として置くが、市民運動「パレスチナ子供のキャンペーン」から、分厚い封筒が届いた。前回紹介したカンパ要請などの数枚の印刷物と一緒に、『サラーム』と題する機関紙の51号が入っていた。右肩に小さく「サラーム=平和」の説明が付いている。B4判で16頁の小綺麗なリーフレットである。これも、この種の市民運動では経済的な成功の部類に属する証拠である。11.12(日)の同会主催の「パネル・ディスカッション」における司会とパネラーの発言についての記事は、4頁分に要約されていた。
だが、これまた私の予測通りのことであったが、上記の要約には、私が発した「リクードは極右ではないか」との質問と、それに対する回答が入っていない。この部分の発言は、会場の皆の前で公開されていたのである。この部分だけの取り扱い方については、参加者との質疑応答だから割愛し、パネラーの発言を優先したという弁明も成り立つであろう。しかし、式次第として明記され、質問に答えてパネラーが追加の意見を述べているのであるから、卑しくも市民運動を名乗る団体の仕事としては、やはり、講師に対してだけではなくて、わざわざ参加した市民に対しても、失礼に当たると言うべきであろう。しかも、同じく公開されていた部分、最年長のパネラー、板垣雄三による非常に興味深い「神殿」の考古学に関する発言も、やはり、入っていなかったのである。
ともかく、偶然というよりも必然的な結果として、このシリーズで、これまでに私が重視し、それ故に特記した2つの部分が、完全に抹殺されていたのである。双方ともに、平山健太郎と立山良司の2人の「偽の友人」の化けの皮を剥がすためにも、決定的場面だったのである。もしも、私が、この機関紙の要約記事だけを読んだのだとしたら、面白くも何ともない時間潰しの薄味談義としか、理解できなかったであろう。
ところが、それでも、この機関紙は、「パレスチナ子供のキャンペーン」の目的には叶っているのである。この他の記事には、「気の毒な」パレスチナの子供の状態が溢れている。宗教で言えば、篤志家からのお布施を誘うための慈善三昧境の仕掛けは、まさに盛り沢山である。有り難い教会・神社・仏閣、賛美歌・祝詞・お経の方が重要なのであって、こ難しい議論は不要なのである。古代ユダヤ教の神殿の場所が違うなどという疑問が出てきては、座が白けてしまって、かえって困るのである。
ましてや、「ガス室の嘘」とか「ナチ協力の極右」とか、などともなれば、苦労して準備した宗教的、慈善的な三昧境の雰囲気が、ぶち壊しになる。場所柄を考えて、ご遠慮下さいということである。簡単に言えば、「微温的な運動」ともう言えるのであるが、実は、そう簡単な現象ではないから、いささか厄介なのである。半気違い暴力主義者の日本赤軍も不勉強を露呈
「類は友を呼ぶ」と言うが、もう一つ、「パレスチナ子供のキャンペーン」の集会参加者について、奇妙と言えば奇妙、当然と言えば当然の特徴がある。これは同種のNGO(非政府組織)とか、NPO(特定非営利活動)とかを名乗る組織の多くにも共通する現象なのであるが、いわゆる新左翼に属する連中が、周囲を徘徊しているのである。
これまた、旧左翼の数多の誤謬と魅力のなさが生み出した現象でもあるのだが、日本赤軍の重信房子の逮捕を知って、「懐かしい」などと呟くような薄汚い半気違いの阿呆な連中が、お上品な奥様方のカンパを当てにする市民運動に加わるという、一見、理屈に合わないと思える現象が、そこここで生じているのである。しかし、実は、「金の切れ目が縁の切れ目」とか。逆に言えば、「地獄の沙汰も金次第」。経済的に成功する運動の周辺には、常に群がる連中、いわゆる左翼政治ゴロが増えるであり、理屈に合っているのである。
私は、すでに、この種の右だか左だか分からない「類は友を呼ぶ」現象の参加者について、「組織運動中毒患者」という分類を提唱している。半分は気違い、または、半分は狂信者のことである。そのほとんどは、いわゆる思考停止型である。「思考停止」という言葉を私が最初に知ったのは、戦前の陸軍士官学校の教育を「思考停止教育」と批判する文章によってである。復唱の強制による丸暗記の叩き込みである。若い頃に、この種の教育を受けると、独自の思考能力が失われて、叩き込まれた教典の通りに突っ走るようになる。
パレスチナ「解放」の題目を、テンツク、テンツク、姦しく唱えながら、「ガス室の嘘」や政治的シオニストが「ナチ協力の極右」だったことなどを理解しようとしない自称左翼は、ほとんど「思考停止」型である。特に、「ガス室の嘘」に関しては、旧左翼の代表の日本共産党と、「反日共」の最たる日本赤軍が、同程度に「思考停止」なのだから、最早、これ以上、何をか言わんや、である。
重信房子は、日本国内に潜みながら、「中東レポート」を『人民新聞』に寄稿していた。2000.10.25.発行の通巻1058号、つまりは、いまだに続くパレスチナ内戦の最中に発行された号に、10月17日に記したという日付入りのトップ記事が載っている。高校生程度の実に稚拙な寄せ集めの材料による文章であるが、細部の批判までする気はない。私が、「ナチ協力の極右」の系統と指摘する挑発者、アリエル・シャロンについては、「極右」の形容をせず、単に「リクード党のシャロン党首」と呼び、「難民キャンプ虐殺の指揮官」と記している。単に「指揮官」とするのは、少なくとも読者誤導になる。正確には、レバノン侵略の当時の国防大臣であり、総指揮官であり、「難民キャンプ虐殺」を実行した傀儡軍に、武器を供給した責任者として、「偽」イスラエルにおいても非難されたのだった。その後も、すでに私が、この日記風で、拙訳『偽イスラエル政治神話』の一部を紹介したが、違法占領地への入植地拡大の先頭に立っていたのである。このいうな薄味報道は「偽の友」の特徴である。真相の究明と基本的な問題点を避ける商売は宗教の後継
以上のように、一見、ホンンワカ・ムードの奥様方相手の市民運動と、半気違いの暴力主義者の集団との間に、薄味報道を含む共通点があるのだが、これらをすべて人類史上から達観すると、要するに、阿片としての宗教の継続の商売であるが故の共通点なのである。ビート・タケシが、一時、「10人に1人騙せれば新興宗教は成り立つ」との主旨の発言をして、大騒ぎになったが、その通りなのである。いや、むしろ、その100分の1の1000人に1人でも騙せれば、日本では信者が13万人の巨大集団になるのである。
大義を掲げて集団を形成し、運動を広げると称して薄味化を繰り返し、いわゆる経営問題の迂回作戦と称して、綻びを縫っては縫っては、ごまかし続け、ついには矛盾だらけとなり、当初の売り込みはどこへやら、右顧左眄、右や左の旦那様、乞食根性で堕落し果てる有り様の自称革新政党などは、その典型である。
「科学的」などと称しながら、結局は、阿片としての宗教の後釜を狙っただけのことである。「科学的」とは何かと言えば、ニーチェの「神は死んだ」の哲学を悪用し、頭蓋骨の計測装置まで発明したナチなどにも共通する近代神話の用語でもあったのである。言葉に騙されてはならない。実態を調べ尽くすことが肝要なのであるが、この問題は、「科学の世紀」でもあった20世紀の締めとして、別途、詳しく論じたい。以上で「偽の友は公然の敵より悪い」シリーズは全部終り。
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「偽の友」3.「意見が違う問題」を避ける知恵が働く欧米流支援組織の限界
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11.12(日)、市民運動「パレスチナ子供のキャンペーン」主催の集会の司会、高橋和夫は、私の質問、「リクードは極右ではないか。ナチと協力をした系統ではないか」の内から、後半を、完全にねぐった。この放送大学助教授とかの肩書きの高橋和夫も、最近、しばしばマスメディアに登場する。だから、上記の市民運動が司会に迎えたのであろう。
このような私の批判の仕方を厳し過ぎると思う方も多いだろうが、これこそが現在の私の最大の関心事なのである。次回を最後として、そこでは「寸鉄人を刺す」または「寸鉄人を殺す」の格言を下敷きにして、「偽の友」批判の究極を論ずる。今回はまだ、その前段なのである。軽いジョークの座つなぎは太鼓持ちの仕事だが
会場で配布された資料によると1951年生まれだから、まだ50歳以下の年齢の高橋助教授の司会振りは、放送大学の授業風景を彷彿とさせるワイドショー並みの軽さだった。観客の層に合わせて、手品のように大きな紙袋から用意のパレスチナの旗をつぎつぎと取り出し、小話風の説明で座をつなぐ。サイズの小さい旗には、パレスチナ人の抗議が込められていると説明する。本人が冒頭に、「私は最近、パレスチナ問題について話をする時は、パレスチナの旗を持ってきます」と語ったのだから、あちこちで同じ小話をしているのであろうう。この種のカデミー業者が最近の流行なのである。
私は、いわゆる悲憤慷慨型の演説は好まない。しかし、軽佻浮薄は、もっと嫌いである。冗談は結構だし、私も少しはやるが、結局のところ中身までが薄いのでは、軽佻浮薄の上塗りである。高橋は、事実、私が絞りに絞った質問の内から、「(リクードは)ナチと協力をした系統ではないか」という部分を、ねぐったのである。薄味どころではない。いやしくも中東研究者を名乗るなら、知らぬ存ぜぬでは済まぬ話なのだ。私の質問をさらに詳しく記すと、「(リクードは)ジャボチンスキーの系統でナチと協力をした極右ではないか」という主旨だった。暴力主義者として著名な政治的シオニストのユダヤ人、ジャボチンスキーの名前は、この集会でも、すでに前座を勤めた平山健太郎の口から出ていたのである。だから、意図的な削除なのである。本人に問い質せば、まず間違いなしに、「運動の幅を広げるために意見の相違がある問題は避ける」などという返事が、打てば響くように戻ってくるであろう。この種の弁解は、そこらじゅうに溢れている。
この種の「手法」の問題に突き当たる際、私の脳裏に必ず浮かぶのは、日本テレビ時代の友人と「テレビ文化研究会」名の共著で出した『テレビ腐蝕検証』の第9章、「ネオンの海に浮かぶ『中立幻想』」の一節である。そこで私は、「報道は本来、訴えと非難に満ちたものなのである」という発言を引用した。1968年に日本語版が出た『報道・権力・金/岐路に立つ新聞』の著者、『ル・モンド』記者会長のシュヴーベルは、上記のような同僚の発言を紹介しながら、つぎのように書いていた。………………………………………………………………………………………………………
ところが、大部分の報道機関が目標としているのは、まったく反対のことなのである。すなわち、今日の大部分の報道機関が目的としていることは、読者に不安を与えず、読者を慰めるということである。ことに問題なのは、どこへ行けばよいのかもわからず、方向を決めるための光を探すこともしないで、目を閉じたまま、ただ前進を続けるだけのアナーキーな世界のなかで、読者が引き受けなければならない責任から、読者の関心をそらせているということである。[p.25]
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『ル・モンド』は、いわゆる高級紙の代表格で、中道右派に位置付けられている。しかし、同種の報道批判は、この時期、左右から溢れ出ていた。シュヴーベルも上記のごとく「今日の大部分の報道機関」を問題にしていた。土台としての「経済」、その具体的な表われとしての「広告」、広告主の密かな要望に添って、「読者に不安を与えず、読者を慰める」メディアが形成されていた。私が、「ネオンの海」と名付けたのは、ネオンサインに象徴される広告の世界のことであった。
広告の目的は大量販売である。可能な限り多くの読者、視聴者に接触し、受入れさせるのが目的なのだから、「中立的な印象」が重視される。この「中立的な印象」と、上記の例、「運動の幅を広げるために意見の相違がある問題は避ける」などという「手法」は、全く同一の商売人感覚に基づくものである。「商売人感覚」は、マスメディア受けの教授、私の表現ではアカデミー業界の商売人にも、色濃く表われている。しかし、私が、さらに重視するのは、この種の商売人のアカデミー業者が、いわゆる市民運動の内でも特に、欧米流のヴォランティア型、人道援助とか、環境保護とか、新しいカンパニア組織に蟠踞する傾向である。
この種の新しいカンパニア組織は、いわゆる全共闘時代の1970年代以降、急速に増えた。旧左翼が嫌われた結果でもあるが、欧米の流行の影響をも受けている。駄洒落に近くなるが、日本語化した「カンパ」を資金源として、若者を海外に送ったりする。そういう組織の場合には、人寄せパンダに、マスメディアなどで名が売れた「有名人」を講師に呼ぶのが、当然の帰結となる。元朝日新聞記者の本多勝一などは、その走りである。「マスコミ業界の商売人」である彼らは、これまた当然、いわゆる心情左翼が満足できるように、しかし、体制の許容範囲で要領良く話すことになる。つまり、問題は、カンパニア組織と講師の相互作用にもあるのである。「奥様方」からカンパを集める救援組織の限界と本質
11.12(日)の集会の主催団体、「パレスチナ子供のキャンペーン」の場合には、非常に生真面目な若者たちが運動を担っている。だから、彼らの個人個人を責める積もりはない。私自身にも同種の手法の市民運動の経験がある。彼らが学んだ手法には、「カンパ」を資金源とする最近の組織の特徴が見事に表われている。集会に参加した際に住所氏名を受付で記すと、その後、必ず分厚い封筒が届く。何冊のもパンフレットと一緒に、金額が空白の支援金の欄と、4千円、6千円、1万円と3段階に分かれた年会費の項目の欄が印刷済みの「払込取扱票」が入っている。金額欄に数字を記入し、払込用紙の書式の通りに住所氏名を記入して、郵便局に行って、「払込」さえすれば、簡単に「救援者」になれる仕掛けである。
「パレスチナ子供のキャンペーン」は、「特定非営利活動法人」である。この種の市民運動の中では成功している部類のようだ。こういう書き方をすると、関係者は、カンカンになって怒るかもしれない。しかし、有力会員にも確かめているが、集会の当日にも特に目立ったのは、実に品の良い奥様方だった。いわゆる慈善家の集まりなのである。今年の年末には「チャリティーパーティー」も予定されている。いわゆる有閑マダムの内でも、いわゆる良心のうずきを覚える心情左翼が、体制の許容範囲内で「罪の償い」をするには、もってこいの市民運動なのである。
私は、中学生の頃に始まった「赤い羽」運動以来、この種の慈善が大嫌いである。その欺瞞を憎むのである。欧米、特にアメリカの同種組織の実情については、すでに『援助貴族は貧困に巣食う』(グラアム・ハンコック、武藤一羊監訳、朝日新聞社、1992)などの告発がある。所詮、他人、特に裕福な個人や企業の懐を当てにする運動には、それなりの限界があるのは、これまた当然のことである。教会の前で乞食に小銭を恵み、動物愛護協会を世界に先駆けて創設したイギリス人は、同時に、最悪の植民地支配者だった。日本人も、今、おずおずと、その後塵を拝し始めているのだ。軽いジョークで座を持たせるマスコミ業者は、その種の運動の必需品である。慈善が植民地解放に役立ったと主張するほどの図々しい人はいないだろう。それと同様に、パレスチナ問題に限らず、慈善的な救援運動が、真の解決につながるはずがないと、私は考えている。
その点では、もう一人のパネラー、最年長の板垣雄三が、自分自身の「限界」を認めつつ、いわゆる中東研究者の「売文業」への批判を、おだやかに述べていたのが、実に興味深かった。以上で「偽の友は公然の敵より悪い」(その3)終り。(その4)に続く。
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真珠湾謀略判明で右が浮かれ左が黙る阿呆天国日本に怒りの原点は食い物の恨み
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2000.12.22.訂正。最初は「飯の恨み」と記したが、どうも座りが悪い。その後、突然、ああ、「飯」ではなくて、「食い物」だったと、この下品な言葉を思い出したので、素性が知れるのも恐れず、慎んで訂正する。もっとも、「飯」の方も、決して上品な言葉ではないのだろうが、この場合は、むしろ、下からドドッと、恨みつらみを低音の「食い物の恨みは恐ろしいぞ!」に込める方が効果的であろう。その他、ついでに細部の字句訂正をしたが、主旨に変更は無いので、挨拶は省く。
このところ、『正論』『諸君!』『サピオ』など、いわゆる右の雑誌に、真珠湾攻撃の誘い込み謀略が判明したとの記事が氾濫している。ところが左は沈黙している。馬鹿な話だ。真珠湾攻撃は、1941年12月8日、1937年1月17日生まれの私が4歳11ヵ月未満の頃に起き、来年で60周年を迎える事件である。アメリカで当時の真珠湾の軍司令官の名誉回復がなされたなど、ようやく、極秘情報も公開される時期になったようである。しかし、すべては歴史の細部に過ぎないのである。どうせ細部ならば、私には、もっとずっと細くて、わが身に起きた事実の方が重要である。そこが私の視点の置き場所なのである。
「戦争などによる食料難が影響」した世代の悲憤
というのは、この問題でも一言せねばと思いつつ、多事多端の折、『日本経済新聞』(2000.12.14)の「文部省調査」による記事、「17歳男子/100年間で12.9センチ背高く」に、以下のグラフが出現した。1950年までにガックリと身長が低くなった日本人男子、1950年には早生まれの私は、まだ13歳だったのだが、14歳男子とは、中学校での同学年か1年上の学年なのだ。少なくとも近似値だし、私は特に背が低かった。ウ、ウッ、畜生!
これこそが、わが人生の腹の底からの怒りの原点なのだ。御年8歳の砌、中国は北京からの引き揚げ者の子供と致しましては、君、知るや、南の国ではない。アメリカの馬の餌だったトウモロコシの粉を溶いた収容所の飯のまずさよ。君、知るや、薩摩芋の種芋まで食ったことがあるか。ああ、あの臭さ。君、知るや、時折、教室中に広がった芋っ屁の臭さ。その上に、君、知るや、現人神と崇めさせておいて、奇妙な発音でケロケロと人間宣言しくさった天皇の野郎は、戦争中も、フランス料理を食っとったと知った時の、ああ、あの怒り。ああ、食い物の恨みは恐ろしいのだ!
「一週間以内に日本軍が真珠湾を攻撃する」と記した手紙
ここで私は、上記の雑誌に記された重箱の隅ほじくり情報を、繰り返しはしない。真珠湾攻撃は、アメリカが石油をネタに使った謀略の結果であることなどは、細部は分からずとも先刻承知のことである。1992年発表の拙著『湾岸報道に偽りあり』でも明記した。
ところが、上記の雑誌を斜め読みしたところ、私が、米軍放送傍受で得た逸話が、載っていないようなので、それだけを記す。
アメリカで『黄金時代』(The Golden Age)と題する本が出ているらしく、その著者との対話が放送された。本の訳出の情報は得ていないが、題名は、どうやら、皮肉を利かせたものらしい。アメリカが孤立主義を標榜しながら対外侵略を続けてきたことへの批判のようである。その放送によると、民主党のローズヴェルト大統領は、共和党の有力者に、「一週間以内に日本軍が真珠湾を攻撃する」との予告の手紙を出していた。インタヴュアーは、ローズヴェルトが、真珠湾の司令官には予告していなかったという事実を、念を押して確認した。軍の最高指揮官でもあるローズヴェルトは、多数の部下が攻撃で死ぬことを知りつつ、日本軍が釣針の餌に食い付くのを待っていたのだ。
私は、この手紙を、最も重要で決定的な物的証拠と評価する。ヒトラーと同様にラディオ放送による世論操作に長けていたローズヴェルトのことだから、おそらく、議会での有名な「汚辱の日」の演説の草稿も、早くから練りに練っていたのであろう。その演説によって野党の共和党の賛同をも獲得し、挙国一致で、対日、実は対独が主眼の参戦世論を形成することが、ローズヴェルト、もしくはその背後の財界の念願だったに違いない。日本の軍部・天皇制官僚・財界の阿呆さ加減の追加情報
アメリカが常に謀略を操る国だということは常識中の常識である。今回の新情報でさらに明確になったのは、むしろ、日本の方のお粗末さの程度の酷さである。真珠湾攻撃の計画が漏れていたこと、艦隊の並び大名の将軍たちが恐怖に駆られて無電封鎖を破っていたこと、軍の暗号無線もすべて解読されていたこと、などなどの実に実に、お粗末極まる実情であった。
私は早くから、子供の頃に軍神と教え込まれた山本五十六の深層心理について、自説を語ってきた。日本海での日露の海戦の英雄、東郷元帥に憧れ、自分も戦史に名を残したいばっかりに、真珠湾攻撃の狂気の計画を立てたに違いないのである。こんな真相は、明らかになればなるほど、阿呆な右翼の不名誉が増すばかりなのに、やっぱりか、などと喜んでいる馬鹿な右翼が多い。煽って稼ぐメディアも、メディアで、実に、こすからい。その一方で、この最大の矛盾に気付かず、ただただ沈黙を守っているだけの左翼も、同程度の阿呆揃いである。
ああ、ああ、同じ阿呆なら、踊らにゃ損、損。
偉い奴っちゃ、偉い奴っちゃ、よい、よい、よい、よい。
ともかく、覚えておれ。食い物の恨みは恐ろしいのだ!
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「偽の友」マスコミ商売人批判(その2)防衛大学校教授がなぜ平和運動のパネラー
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11.12(日)、市民運動「パレスチナ子供のキャンペーン」主催の集会での3人のパネラーの2人目は、何と、防衛大学教授の肩書きの立山良司だった。このこと自体が、この市民運動の限界と「偽の友」の正体の暴露となるのであるが、それは後に述べる。
なお、「偽の友は公然の敵より悪い」(A false firiend is worse than an open enemy)、またはその逆に、「公然の敵の方が偽の友より良い」(An open enemy is better than a false friend)という格言は、いかにも海賊帝国の建設者、アングロ・サクソンの本性を顕す名言である。中国の格言にも似たようなのがあるが、悪さでは孫のような日本人には受けが悪い。だから、日本人は、何度も海外進出に失敗しているのである。『朝日新聞』よりもましだった防衛大学教授の立山の分類
立山良司は、政府関係の中東調査機関の出身で、私の表現では「薄味」、かつ、結果的には体制側を利する部類である。それでも、これまた薄味専門の岩波新書などの著書があるから、日本の自称平和主義者の間でも中東専門家と目されている。今回のパレスチナ内戦報道でも、『朝日新聞』(2000.10.4)に、防衛大学教授の肩書き付きで、「中東・国際政治」の専門家として登場した。
それでも、なお、その時までの『朝日新聞』の記事と比較する限りでは、少しましだったのだから、不勉強で行動しない心情左翼(いや心情のみの暴力志向極左か)を食い物にする『朝日新聞』が、いかに悪質な「偽の友」であるかが、明らかとなる。『朝日新聞』の記事を綿密に点検すると、それまでの自社取材の記事では、今回のパレスチナ内戦の挑発者、アリエル・シャロンのことを、単に「野党」の党首としか記していなかったのである。立山の寄稿の中には、つぎのように記されていた。………………………………………………………………………………………………………
[前略]エルサレム旧市街のイスラム教聖地に、イスラエル右派リクードのシャロン党首らがこれ見よがしに入ったことが、今回の衝突の直接のきっかけとなった。[中略]今回、リクードは労働党を挑発し、和平交渉を妨害しようとの意図が見える。[後略]
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集会では、立山も、やはり、フィルムの映像プロジェクターを使って、小党乱立のイスラエルの政治状況を説明した。表では右と左が逆になっていたが、「右派」のリクードの左に「極右」の小政党が並んでいた。与党の労働党は「左派」だった。しかも、出典を明示しないなど、およそ研究者とは言えない無責任な態度だった。まるで、ワイドショーのタレント並みである。なお、出典の説明なしは、先の元NHKキャスター、平山教授の場合も同様だった。
なお、シャロンの位置付けとも関係するが、「リクードは労働党を挑発」という部分は、決定的な間違いである。この点では、やはり出典なしの平山のフィルムが、唯一、役に立った。シャロンとともに「嘆きの壁」に向かう警官隊は、防弾チョッキを着た完全武装の姿で、しかも前向きに自動小銃を構えていたのである。「挑発」の対象は、労働党ではなくて、この壁を含む宗教的な聖地の管理権を持つイスラム教徒のパレスチナ人であった。何度もの血で血を洗う抗争の結果、嘘っぱちの遺跡とはいえ「嘆きの壁」に祈りを捧げるユダヤ教徒などは、あくまでも個人の資格でなければ、この区画に入ることは許されない決まりになっているのだ。シャロンは、その経過を十分承知の上で、内戦を挑発したのである。シャロンは、極悪の暴力主義者である。しかも、リクードは、ナチと協力関係を結んだ極右シオニストの系列なのである。シャロンは「極右」で表情を失い沈黙した立山の恐怖?
この時期、米軍放送では、商業放送のAPなどがリクードを「野党」(opposite)、公共放送のNPRが「右派」(right wing)と呼び、その後、APなども「強硬派」(hard liner)と呼ぶようになった。アメリカの商業放送は、ほぼ完全に、政治的シオニスト・ロビーの支配下にあるのだから、この現象は当然の帰結である。
私は、リクードを「右派」とか「強硬派」と呼ぶことに対してすらも、厳しい批判を表明している。少なくとも結果的に、現在のバラク首相が所属する労働党を、「中道」または「左派」と思わせるための言論詐欺を構成すると判断する。私は、労働党をも極右と分類している。だから当然、立山の「右派」という表現、または分類は、薄味よりもさらに厳しい事実隠蔽の言論詐欺への荷担なのである。
そこで、集会の休憩時間に提出を求められた質問の用紙に、「リクードは極右ではないか。ナチと協力をした系統ではないか」などと記入して、集会の主催者に渡した。
司会の高橋和夫は、放送大学教授の肩書きだが、この「偽の友」の批判は次回とする。高橋は、私の質問の内から、前半だけを読み上げた。立山は、慌てて、しかし、「極右の右に、また極右」などと、冗談めかして逃げた。しかし、その後の表情は、固く、こわ張り、目は暗く、虚ろになった。最初は、はしゃいでいたのだが、完全に沈黙した。もしかすると、やはり、リクードを「極右」と表現する日本赤軍の半気違いの回し者が、会場に潜んでいて、自分が狙われると想像し、恐怖に怯えていたのかもしれない。
これぞ、「左右」の「偽の友」の空想的な鉢合わせか。わしゃ、知らんぞ!以上で「偽の友は公然の敵より悪い」(その2)終り。(その3)に続く。
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「偽の友は公然の敵より悪い」マスコミ商売人がパレスチナ内戦に煙幕張る
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9日前の11.27(月)、アメリカ大使館前にて1時間の英語演説を敢行した。その次第はすでに簡略に報告したが、これは同時に、きたるべきインターネット高速化時代の『憎まれ愚痴』テレヴィ放送局、自称『超々辛口キャスター』、英語版の修行開始でもあった。アメリカ大使館前を稽古場に使ったと言えば、失礼な、となるだろうが、仕方がない。
孫子は作戦篇の冒頭で「拙速」を推薦した。英語のキャスター修行と、稽古場の選び方、突然のような一念発起は、わが拙速作戦である。先には日本赤軍を半気違いと批判したが、パレスチナ問題での半端な「偽の友」は数限りない。数多の邪魔者を一気に追い抜くには、それなりの奇襲作戦が必須である。なにも無理に「拙く」やることはない。しかし、ぐずぐずしている内に、好機を逸してしまう。だから、拙速を承知の上で決起したのだ。私の闘争の手段は言論以外にない。だからキャスター修行を兼ねた街頭宣伝となるのだ。キャスター修行は本当に本気なのだ
私は、かつて、日本テレビの広報部時代に、番組宣伝のための短い番組、「新番組ハイライト」などの録音に、何人ものアナウンサーを使った。新人の育成には本番の緊張の経験が一番有効である。時には失敗することも良い経験になる。失敗は成功の源である。
私が使った新人の中には、現在、独立してフリーの超々著名な徳光アナウンサーもいた。徳光は非常に熱心だった。私がオーケーを出しても、「もう一度やらせて下さい」と言うことが多かった。それでも、なかなか芽が出ない時期が続いた。その頃、社員食堂で私に、突然、「僕なんかより、木村さんの方がアナウンサーに向いていますよ」、と言ったことがある。その時、私は、虚を突かれた気分になった。私は、当時、労組役員だったから、決起集会の壇上などで演説をする機会が多かった。徳光は、そういう時の私の声音を聞いていたのだ。しかし私は、いわゆる「もぐり専従」状態で、広報部の仕事自体も、あまりしていなかった。だから、いささか伸び悩んでいるらしい徳光に、そう言われた時、反射的に、仕事上の悩みを覚えたことのない自分の方に、現場から浮いた足のない幽霊のような危険を意識したのである。
私は、その後、不当解雇を受けて労組の全面支援の下に闘っていた時期にも、しょっちゅう演説した。会議の議長や集会の司会を頼まれることも多かった。謝礼を貰ったこともある。何度も、「木村さんはアナウンサーだったんですか」と聞かれた。私は、「戻ったらニュース・キャスター」と答えて笑い、Vサインしていた。職場復帰はできなかったが、その夢は、新たな「個人放送局」の実現によって、必ず果たす。しかも、中味は、ますます濃くなっているのである。以下、まずは「偽の友」を撫斬りする。量が多いので連載とする。(その1)元NHKキャスターの平山健太郎が口をアングリ
アメリカ大使館前では、持参のヴィデオ・カメラを道路の反対側に設置して、自分自身の演説を収録した。自宅で、VHSテープへのダビング(dubbing)[再録音]作業をしながら聞いていると、力み過ぎで、破裂音ばかりが響く。もっとゆっくり、母音を長く発音する必要がある。その他、原稿の準備など、改善すべき点が多々ある。
そう思って見ている内に、ふと、英語のキャスター修行と、この稽古場の選び方、一念発起の拙速作戦には、もうひとつのきっかけがあったのではないか、と気付いた。
実は、この11.27(月)から丁度半月、15日前の11.12(日)に、『ピース・ネット・ニュース』で、市民運動「パレスチナ子供のキャンペーン」主催の集会を知って参加した。この種の市民運動では、決して「ガス室の嘘」や「シオニストとナチの協力関係」などに触れないことは、重々承知しているのだが、パネラーの中に会いたい人がいた。湾岸戦争報道批判の関係で知り合い、『アウシュヴィッツの争点』執筆の際にも教えを受けた元・東京大学、現・東京経済大学の板垣雄三教授の名が、3人のパネラーの中にあったのだ。
集会では、しかし、白鴎大学教授の肩書きの元NHKニュース・キャスター、平山健太郎が、3人のパネラーの冒頭に立った。平山について私は、旧著『湾岸報道に偽りあり』の中で、いささか批判した。いかにもNHK風の「バランス感覚」の持ち主である。資料リストには、彼の著書、『エルサレムは誰のものか』(1992,NHK出版)を記載しておいた。NHKの定年退職以後の商売として、いわゆる中東専門家の位置を狙っているな、と睨んでいたが、その通りだった。この日も、最近の集会で使われることが多いフィルムの映像プロジェクターを巧みに使いながら、エルサレムの歴史と現状について、一応は、詳しい説明をした。もちろん、「立て板に水を流すような名調子」であった。
詳しく説明すればするほどに、私が「偽イスラエル」と呼ぶ国家の無法な現状は、いやでも明らかにならざるを得ない。ところが、平山は、「ガス室の嘘」はもとより、シオニストの歴史にすらまるで触れないどころか、最後に、お得意の「バランス感覚」を発揮した。「パレスチナの側にも反省すべき点がある」と言い出したのである。曰く、「神殿の壁は嘘だとまで言う。これは挑発になる」。
「嘆きの壁」とも言われる壁の遺跡は、旧約聖書のソロモン王時代の神殿の一部だと称されており、それが「偽イスラエル」建国の決定的な根拠の一つとなっているのである。
ところが、この点に関して、中東史では右に出る者のない板垣教授が、さらりと言ってのけた。曰く、「神殿の証拠は、いくら掘っても、掘っても、出てこない。旧約聖書時代のイスラエルは現在のイエメンに近いアシール地方だったという説がイスラエルでも有力になっていて、イスラエル人のアイデンティティが揺らいでいる」。この説の存在については、すでに日本語訳の『聖書アラビア起源説』(1988,草思社)がある。拙訳『偽イスラエル政治神話』(1998,れんが書房新社)でも紹介した。平山は、どうやら、この説の存在そのものを知らなかったらしく、愕然とした表情で、口をアングリ開けて、板垣教授を見上げていた。以上で「偽の友は公然の敵より悪い」(その1)終り。(その2)に続く。
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