木村愛二の生活と意見 2000年12月 から分離

「偽の友」批判3. 「意見が違う問題」を避ける知恵が働く欧米流支援組織の限界

2000.12.19(火)(2019.6.19分離)

 11.12(日)、市民運動「パレスチナ子供のキャンペーン」主催の集会の司会、高橋和夫は、私の質問、「リクードは極右ではないか。ナチと協力をした系統ではないか」の内から、後半を、完全にねぐった。この放送大学助教授とかの肩書きの高橋和夫も、最近、しばしばマスメディアに登場する。だから、上記の市民運動が司会に迎えたのであろう。

 このような私の批判の仕方を厳し過ぎると思う方も多いだろうが、これこそが現在の私の最大の関心事なのである。次回を最後として、そこでは「寸鉄人を刺す」または「寸鉄人を殺す」の格言を下敷きにして、「偽の友」批判の究極を論ずる。今回はまだ、その前段なのである。

軽いジョークの座つなぎは太鼓持ちの仕事だが

 会場で配布された資料によると1951年生まれだから、まだ50歳以下の年齢の高橋助教授の司会振りは、放送大学の授業風景を彷彿とさせるワイドショー並みの軽さだった。観客の層に合わせて、手品のように大きな紙袋から用意のパレスチナの旗をつぎつぎと取り出し、小話風の説明で座をつなぐ。サイズの小さい旗には、パレスチナ人の抗議が込められていると説明する。本人が冒頭に、「私は最近、パレスチナ問題について話をする時は、パレスチナの旗を持ってきます」と語ったのだから、あちこちで同じ小話をしているのであろうう。この種のアカデミー業者が最近の流行なのである。

 私は、いわゆる悲憤慷慨型の演説は好まない。しかし、軽佻浮薄は、もっと嫌いである。冗談は結構だし、私も少しはやるが、結局のところ中身までが薄いのでは、軽佻浮薄の上塗りである。高橋は、事実、私が絞りに絞った質問の内から、「(リクードは)ナチと協力をした系統ではないか」という部分を、ねぐったのである。薄味どころではない。いやしくも中東研究者を名乗るなら、知らぬ存ぜぬでは済まぬ話なのだ。私の質問をさらに詳しく記すと、「(リクードは)ジャボチンスキーの系統でナチと協力をした極右ではないか」という主旨だった。暴力主義者として著名な政治的シオニストのユダヤ人、ジャボチンスキーの名前は、この集会でも、すでに前座を勤めた平山健太郎の口から出ていたのである。だから、意図的な削除なのである。本人に問い質せば、まず間違いなしに、「運動の幅を広げるために意見の相違がある問題は避ける」などという返事が、打てば響くように戻ってくるであろう。この種の弁解は、そこらじゅうに溢れている。

 この種の「手法」の問題に突き当たる際、私の脳裏に必ず浮かぶのは、日本テレビ時代の友人と「テレビ文化研究会」名の共著で出した『テレビ腐蝕検証』の第9章、「ネオンの海に浮かぶ『中立幻想』」の一節である。そこで私は、「報道は本来、訴えと非難に満ちたものなのである」という発言を引用した。1968年に日本語版が出た『報道・権力・金/岐路に立つ新聞』の著者、『ル・モンド』記者会長のシュヴーベルは、上記のような同僚の発言を紹介しながら、つぎのように書いていた。


 ところが、大部分の報道機関が目標としているのは、まったく反対のことなのである。すなわち、今日の大部分の報道機関が目的としていることは、読者に不安を与えず、読者を慰めるということである。ことに問題なのは、どこへ行けばよいのかもわからず、方向を決めるための光を探すこともしないで、目を閉じたまま、ただ前進を続けるだけのアナーキーな世界のなかで、読者が引き受けなければならない責任から、読者の関心をそらせているということである。[p.25]


『ル・モンド』は、いわゆる高級紙の代表格で、中道右派に位置付けられている。しかし、同種の報道批判は、この時期、左右から溢れ出ていた。シュヴーベルも上記のごとく「今日の大部分の報道機関」を問題にしていた。土台としての「経済」、その具体的な表われとしての「広告」、広告主の密かな要望に添って、「読者に不安を与えず、読者を慰める」メディアが形成されていた。私が、「ネオンの海」と名付けたのは、ネオンサインに象徴される広告の世界のことであった。

 広告の目的は大量販売である。可能な限り多くの読者、視聴者に接触し、受入れさせるのが目的なのだから、「中立的な印象」が重視される。この「中立的な印象」と、上記の例、「運動の幅を広げるために意見の相違がある問題は避ける」などという「手法」は、全く同一の商売人感覚に基づくものである。「商売人感覚」は、マスメディア受けの教授、私の表現ではアカデミー業界の商売人にも、色濃く表われている。しかし、私が、さらに重視するのは、この種の商売人のアカデミー業者が、いわゆる市民運動の内でも特に、欧米流のヴォランティア型、人道援助とか、環境保護とか、新しいカンパニア組織に蟠踞する傾向である。

 この種の新しいカンパニア組織は、いわゆる全共闘時代の1970年代以降、急速に増えた。旧左翼が嫌われた結果でもあるが、欧米の流行の影響をも受けている。駄洒落に近くなるが、日本語化した「カンパ」を資金源として、若者を海外に送ったりする。そういう組織の場合には、人寄せパンダに、マスメディアなどで名が売れた「有名人」を講師に呼ぶのが、当然の帰結となる。元朝日新聞記者の本多勝一などは、その走りである。「マスコミ業界の商売人」である彼らは、これまた当然、いわゆる心情左翼が満足できるように、しかし、体制の許容範囲で要領良く話すことになる。つまり、問題は、カンパニア組織と講師の相互作用にもあるのである。

「奥様方」からカンパを集める救援組織の限界と本質

 11.12(日)の集会の主催団体、「パレスチナ子供のキャンペーン」の場合には、非常に生真面目な若者たちが運動を担っている。だから、彼らの個人個人を責める積もりはない。私自身にも同種の手法の市民運動の経験がある。彼らが学んだ手法には、「カンパ」を資金源とする最近の組織の特徴が見事に表われている。集会に参加した際に住所氏名を受付で記すと、その後、必ず分厚い封筒が届く。何冊のもパンフレットと一緒に、金額が空白の支援金の欄と、4千円、6千円、1万円と3段階に分かれた年会費の項目の欄が印刷済みの「払込取扱票」が入っている。金額欄に数字を記入し、払込用紙の書式の通りに住所氏名を記入して、郵便局に行って、「払込」さえすれば、簡単に「救援者」になれる仕掛けである。

 「パレスチナ子供のキャンペーン」は、「特定非営利活動法人」である。この種の市民運動の中では成功している部類のようだ。こういう書き方をすると、関係者は、カンカンになって怒るかもしれない。しかし、有力会員にも確かめているが、集会の当日にも特に目立ったのは、実に品の良い奥様方だった。いわゆる慈善家の集まりなのである。今年の年末には「チャリティーパーティー」も予定されている。いわゆる有閑マダムの内でも、いわゆる良心のうずきを覚える心情左翼が、体制の許容範囲内で「罪の償い」をするには、もってこいの市民運動なのである。

 私は、中学生の頃に始まった「赤い羽」運動以来、この種の慈善が大嫌いである。その欺瞞を憎むのである。欧米、特にアメリカの同種組織の実情については、すでに『援助貴族は貧困に巣食う』(グラアム・ハンコック、武藤一羊監訳、朝日新聞社、1992)などの告発がある。所詮、他人、特に裕福な個人や企業の懐を当てにする運動には、それなりの限界があるのは、これまた当然のことである。教会の前で乞食に小銭を恵み、動物愛護協会を世界に先駆けて創設したイギリス人は、同時に、最悪の植民地支配者だった。日本人も、今、おずおずと、その後塵を拝し始めているのだ。軽いジョークで座を持たせるマスコミ業者は、その種の運動の必需品である。慈善が植民地解放に役立ったと主張するほどの図々しい人はいないだろう。それと同様に、パレスチナ問題に限らず、慈善的な救援運動が、真の解決につながるはずがないと、私は考えている。

 その点では、もう一人のパネラー、最年長の板垣雄三が、自分自身の「限界」を認めつつ、いわゆる中東研究者の「売文業」への批判を、おだやかに述べていたのが、実に興味深かった

 以上で「偽の友は公然の敵より悪い」(その3)終り。(その4)に続く。