木村愛二の生活と意見 2000年8月 から分離

「オンブズマン」廃号と「武蔵野市・野人1号」商標登録宣言の弁

2000.8.9.(木)(2019.6.10分離)

「野人」は「家畜人」の対極でもあるが、手元の安物辞書の「野人」の項の説明は、つぎのようになっている。(1)いなかの人。「田夫……」(2)礼儀作法もわきまえない人。また、教養のない人。ぶこつもの。(3)在野の人。民間人。

 このほど私が、「武蔵野市・野人1号」を名乗る気になったのは、普通の言葉に直すと、あくまでも「個人」の資格と責任で物を言うことの確認である。「武蔵野市・野人1号」としたのは、少なくとも隣接の三鷹市に、「野人弁護士」を自認する「冤罪の後藤昌次郎」弁護士がいるからである。

 以下は、すでに、わがホームページ上の『武蔵野市民オンブズマンの城』所収、「武蔵野市不祥隠し事件独自捜査シリ-ズ(その11)」で発表した記事の冒頭部分である。

「武蔵野市・野人1号」の商標登録を宣言する


 別途、メーリング・リストの「オンブズマン・ジャパン」でも宣言したが、私は、本年8月6日付けで、「武蔵野市民オンブズマン」と、その後の略称「武蔵野オンバー」をも廃号とし、「武蔵野市・野人1号」の商標登録を申請する。ただし、登録手続きは、わがホームページで記すのみで終了である。改号の理由は、いとも簡単である。

 第1は、日本全国に「オンブズマン」から、果ては、いかにもゲルマンの同系部族語とはいえ、スウェーデン語に英語を継ぎ足して「オンブズパーソン」などと、長々しい自称男女同権論者気取り風に至るまでが、雨後の竹の子のごとくにニョキニョキと増殖し、安売りから権力擦り寄りに至るまでの自称革新政党並みの醜態をさらけ出し始めたこと。

 第2は、上記の第1と密接不可分の関係にあるが、スウェーデン語の「オンブズマン」は「代理人」の意味であり、詳しくは「住民の委任を受けた代理人」なのである。それを勝手に名乗るのは、いささか傲慢ではなかろうかと、名乗り初めの当初から「流行語悪乗り」の軽率さに気付いていた内心忸怩の思いが、俄かに沸騰し始めたこと。

 第3は、その間に、このような哀れむべき悪乗り風潮に、さらに悪乗りした「英語第2公用語」論までが、「家畜人ヤプー」の間に蔓延し始めたこと、である。


 以下は、本日、新しく書き下ろし、旧稿の内の「家畜人ヤプー」に関わる部分を継ぎ足したものである。

ついに奇書NO.1『家畜人ヤプー』を読む羽目に陥る

 さる6.15.下記酒場、ロフト/プラスワンにて、「1960年安保闘争40周年記念激論:右も左も掛かってこい」を企画・出演の折、同期生・康芳夫と再会した。来春は卒業40周年でもあり、下記「暑気払い」企画に同期生の総結集をも呼び掛けている。


9.2(土)19:30~23:00歌舞伎町討論酒場・ロフト/プラスワン

[演題]:「希代の国際怪物プロデュサーの仮面を剥ぐ」
[宣伝文句]……「今明かされるモハメッド・アリ招聘、ネス湖探検、獣人オリバー、家畜人ヤプー etc....の真相」……
[出演]康芳夫(暗黒プロデュサー)、高取英(月蝕歌劇団)、室井佑月(作家)、三坂知絵子、鈴木邦男ほか、客席にも大物(被害者?)多数。
[企画、司会、ヴィデオほか映像紹介、学友代表]木村愛二


 となると、現在上演中の『家畜人ヤプー』の原作も見ないわけにはいかない。仕方がないから、武蔵野市の中央図書館の稚拙で動きの鈍いコンピュータ検索機を使ったところ、吉祥寺の図書館に(上、中、下)が所蔵されており、いずれも貸出中となっていた。貸し出しの期限を過ぎても返さない例が多いので、心の底では、そうなるのを願いながら注文したら、何と、珍しいことに、翌日、「ご用意できました」の留守番録音が入っていた。受け取りに行くと、いずれも「オッパイ丸出し」その他、図書館員に見られたら一目で意味の分かる俗悪表紙が付いていた。ああ……

 すでに、上記の「高取英(月蝕歌劇団)」から、目下上演中の『家畜人ヤプー』を客席から撮影したアマチュア・ヴィデオを受け取っていた。劇場の舞台芸の録音は客席からでは到底無理である。騒音が入り、音が「ワウリ」(業界隠語)、使い物にならない。それでも、原日本人を白人女性に仕える「家畜人ヤプー」に仕立てた状況の一部が面白く描かれていた。白人女性(女優は日本人なので想像力が二重に必要になる)が「オシッコ」と叫ぶと、キムタクみたいな日本人の男優が扮した「家畜人ヤプー」が顔を上げて小水を、ジャーと口に受けるのである。

 ところが、原作では「標準型肉便器(スタンダード・セッチン)」などとなっていて、キムタクどころか姿そのものが「便器」に近い形に改造されているのである。これを舞台芸で見せるのは至難の技である。奇書NO.1『家畜人ヤプー』への入り口の入り口程度の仕事であるが、それでも画期的と言わざるを得ない。

『家畜人ヤプー』(下、太田出版、1993)には、匿名の著者、沼正三の「あとがき」がある。その最後に康芳夫に対する謝辞が記されているので、その部分だけを紹介する。


[前略]康芳夫氏(現ノアの方船国際調査委員会全権プロデュサー)にも、ここで感謝の言葉を贈りたい。氏は『血と薔薇/第4号』(昭和44年6月刊、都市出版社版に先立ち、正編を一部掲載)以来、終始この作品刊行への蔭の仕掛人的存在だったばかりでなく、正編出版本に対し「国辱的であるから出版を中止せよ」と難を付けた右翼が凶器持参で都市出版社に乗り込んだ来た時にも、矢牧一宏氏とならんで毅然たる応対をされるなど、この作品の出版を廻る多事多難の思い出を私と共有する方でもある。ここに『決定版』を上梓するに当たり、改めて「お世話になりました」とお礼申し上げる。[後略]


 さて、果たして『家畜人ヤプー』が「国辱的である」か否かについては、9.2.当日の激論に譲るが、ああ、またしても、わが人生の清流は、しがらみに阻まれ、濁流の土砂を交え、新しい道草の迷路に迷い込むのではあるいまいか。ああ……