編集長の辛口時評 2006年2月 から分離

ホロコースト狂信者の思い込みに哀れみを催す昨今

2006.02.20(2019.8.22分離)

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/699.html
ホロコースト狂信者の思い込みに哀れみを催す昨今

 つい最近、某市民運動の集会で、ある参加者が、私を名指して、敵意をあらわにし、「歴史修正主義者とは同席しない」と言い出した。典型的なホロコースト狂信者である。私は、まず、revisionistの訳語の好みに基づいて、歴史見直し論者、またはホロコースト見直し論者であると、軽く、いなして置いた。

 なお、「歴史的修正主義」を名乗る組織もあるようで、以下のサイトは非常に面白い。


http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/shoah_01.htm
『ショアー』(ランズマン)を批判する
R. フォーリソン、J.-F. ボーリュー、E. ブルン、B. スミス
歴史的修正主義研究会編集・試訳
最終修正日:2004年9月09日
[後略]


 話を元に戻すと、この種の日本の攻撃的なホロコースト狂信者の多くは、いわゆる「左翼」であり、特に多いのは、いわゆる「全共闘世代」の暴力的な派閥につながる連中である。彼らは、精神的にも未熟な学生時代に、暴力的な派閥対立の抗争を経験して、精神的外傷(trauma)を抱えている。自分が正しいと思いこむためには、「憎むべき敵」が必要なのである。

 ホロコースト見直し論者を、ネオナチ、ヒトラーの同類と位置づけ、攻撃することによって、彼らは、自らの主体性(identity)を維持しているのである。

 上記の集会の「ホロコースト狂信者」は、「同席しない」とか、「ホロコーストの議論はしない」理由を、「ヴィダル=ナケの原則に基づく」と称した。

 フランスのユダヤ人作家、ヴィダル=ナケの著書の日本語訳には、以下のような、『記憶の暗殺者たち』がある。ホロコースト見直し論者、または否定論者を、「記憶の暗殺者」と呼ぶのである。


VIDAL-NAQUET PIERRE
ピエール・ヴィダル=ナケ
LES ASSASSINS DE LA MEMOIRE
『記憶の暗殺者たち』(人文書院 1995年)


「記憶の暗殺」というのも、実に奇妙な表現であるが、裏返しに言うと、ホロコーストは、「記憶」、つまりは「頭の中にしか存在しない」、つまりは「作り事」と認めたようなものである。

「ヴィダル=ナケの原則」は、以下の3つのタブーである。


 ……われわれは自分自身に問い掛けてはならない
 ……義務的な出発点
 ……議論をしてはならない


 拙訳では、この「ヴィダル=ナケの原則」を巡る状況を、以下のように説明している。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-15.html
『偽イスラエル政治神話』
2章:20世紀の諸神話
2節:ニュルンベルグの正義の神話(その3)
(a)書証

 基本的な書証とは、“最終的解決”が何であったかを決定付けるものであり、まず最初には絶滅の命令であり、それが最高級の責任者によるものだということである。すなわち、ヒトラー、ゲーリング、ハイトリッヒ、ヒムラーらの名による処刑の命令書である。

[イスラエル中央文書館も「絶滅命令書はない」]

 まず最初は、ヒトラーによる「絶滅」の命令書である。

 これまでにおける「ジェノサイド」、お次は「ホロコースト」の理論家たちの努力の甲斐もなく、その痕跡はまったく発見されていない。一九六八年に、オルガ・ヴォルムセル=ミゴット夫人は、つぎのように記している。

《アウシュヴィッツのガスによる絶滅の明瞭な命令が存在しないのと同様に、一九四四年の中止命令も存在しない》。彼女はさらに正確を期す。《ニュルンベルグ裁判でも、その継続の裁判でも、クラクフでのホェス裁判でも、イスラエルでのアイヒマン裁判でも、収容所司令官裁判でも、一九六六年一一月から一九七五年八月までに行われたフランクフルト(第二次アウシュヴィッツ)裁判でも、一九四四年一一月二二日付けでガスによるユダヤ人絶滅終了を命ずるヒムラーの署名入りの有名な命令書、すなわち“最終的解決”の中止に関する命令書は、提出されなかった》(『ナチ収容所囚人システム』68)

 テル・アヴィヴの“中央文書館”のクボヴィ博士は一九六〇年に、つぎのように認めた。《ユダヤ人を絶滅せよと記したヒトラー、ヒムラー、ハイトリッヒらの署名入りの文書はまったく存在しない。……“絶滅”という言葉は、ユダヤ人問題の最終的解決に関するゲーリングからハイトリッヒへの手紙には出現しない》(『ユダヤ人に対する戦争』78)

 一九八二年一月には、“見直し論者”による批判的研究と戦うために、パリのソルボンヌ大学で討論会が開かれたが、そこでの対決の終了後に持たれた記者会見の中で、レイモンド・アロンとフランソワ・ヒュレは、こう宣言せざるを得なかった。

《最高級の詳しい探索にもかかわらず、ユダヤ人を絶滅せよいうヒトラーの命令は、いまだに発見されていない

 一九八一年には、ラカー[72初版の大著『ユダヤ人問題とシオニズムの歴史』の著者]が、こう証言している。

《今日にいたるまで、ヨーロッパのユダヤ人社会の破壊を目的とするヒトラーの署名入り命令書は、発見されていないのだから、すべての可能性から見て、その命令は出されていない》(『恐ろしい秘密』81)

[再検証を禁止し議論を拒否する歴史家たちの論理]

 これだけのことが明らかになっても、ヴィダル=ナケとレオン・ポリアコフの煽動に乗って、つぎのような声明に署名した他の歴史家たちがいる。

《……どうしてあのような大量虐殺が技術的に可能だったかということを、「われわれは自分自身に問い掛けてはならない」。それは実際にあったことなのだから、技術的に可能だったのである。このようなことが、この問題の歴史的な探索に関しての「義務的な出発点」である。われわれには、この真実を単純に訴える義務がある。ガス室の存在に関しての議論は存在したことがないし、「議論をしてはならない」のである》

[三四名の歴史家の連名発表『ル・モンド』79・2・21]

 ……われわれは自分自身に問い掛けてはならない
 ……義務的な出発点
 ……議論をしてはならない

 三つの禁止、三つのタブー、調査に対する三つの決定的な制限。

 このような文書は、歴史の歴史の中で、まったく「歴史的」な画期を刻印する。ここでは、証明されなければならない「事実」が、すべての調査、すべての批判より以前に、勝利の直後に勝利者によって一度だけ行われた決定に関するすべての調査と、すべての批判に対しての、三つの強制的な取り消しの権限を持つ絶対的な真実および触れてはならない禁止事項であるかのように、主張されているのである。
 [後略]


 ところが、イラン大統領の発言以後、ホロコーストに関する新しい事態が続発している。いわば、タブーの壁が壊れ始めたのである。

 イギリスの作家で、ガス室の存在を否定するデヴィッド・アーヴィングは、現在、オーストリアに拉致され、オーストリアの刑法に違反の告発を受けて、裁判中であるが、そのデヴィッド・アーヴィングの仇敵、デボラ・リップシュタットが、アーヴィングについて「釈放したほうが良い」と発言し、「言論の自由」とか「検閲に反対」とか言い出したのである。

 次の情報は、2006年1月4日の阿修羅ホロコースト掲示板への投稿の抜粋である。


 デヴィッド・アーヴィングの仇敵、デボラ・リップシュタットが、オーストリアで拘留中のアーヴィングについて「釈放したほうが良い」と発言したという記事がBBCのサイトに出ていました。
"Generally, I don't think Holocaust denial should be a crime," she says. "I am a free speech person, I am against censorship."


 以下は、拙著『アウシュヴィッツの争点』からのリップスタットに関する抜粋である。


 リップスタットはユダヤ人で、アメリカのジョージア州、アトランタのエモリ大学の宗教学の教授である。専門のホロコースト史家ではないが、同書はエルサレムのヘブライ大学の調査プロジェクトの一環として出版されているから、それなりの組織的な資料収集の蓄積が見られる。


 このようなホロコースト実在論の最先端の論客が、「ヴィダル=ナケの原則」を無視し始めたのである。国際的な公然の論争、調査となれば、彼らは、批判の矢面に立つことになる。「沈む船から鼠が逃げる」状態になったのである。

 ホロコースト狂信者の思い込みに哀れみを催す昨今である。