編集長の辛口時評 2006年2月分

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2006.02.27

ホロコースト狂信者の暴力的分派の講師の思い込み丸暗記

辛口時評 060227
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/746.html
ホロコースト狂信者の暴力的分派の講師の思い込み丸暗記

 前号の辛口時評では、次のように記した。

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 日本の攻撃的なホロコースト狂信者の多くは、いわゆる「左翼」であり、特に多いのは、いわゆる「全共闘世代」の暴力的な派閥につながる連中である。彼らは、精神的にも未熟な学生時代に、暴力的な派閥対立の抗争を経験して、精神的外傷(trauma)を抱えている。自分が正しいと思いこむためには、「憎むべき敵」が必要なのである。
 ホロコースト見直し論者を、ネオナチ、ヒトラーの同類と位置づけ、攻撃することによって、彼らは、自らの主体性(identity)を維持しているのである。
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 ところが、インターネット情報の検索をしていたら、まさに、その通りの「全共闘世代」の暴力的な派閥につながる連中の一つの分派、「戦旗」派のサイトに、以下の「勉強」の報告があった。講師の「早稲田大学教育学部教授」も、その世代である。

 この世代の思い込みの強い連中は、丸暗記世代でもあり、アウシュヴィッツのガス室の現地に行きながらも、事実を調べ直したりぜず、教え込まれた通りにしか、考えないのである。

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http://www.bund.org/interview/20040805-1.htm
SENKI
[中略]
発行所 せんき社
Interview
ドイツは戦後責任を認め、EU共通の歴史認識に達した
早稲田大学教授 高橋順一さんに聞たかはし・じゅんいち
1950年生まれ。早稲田大学教育学部教授。専攻、ドイツ・ヨーロッパ思想史。著訳書に『越境する思考』『響きと思考のあいだ』『現代思想の境位』『始源のトポス』『市民社会の弁証法』『ニーチェ事典』(共編著)『ヴァルター・ベンヤミン』『パサージュ論』(共訳)『戦争と暴力の系譜学』など。

 戦後責任や戦後補償問題で比較される日本とドイツ。その違いはどこにあるのか。ドイツ・ヨーロッパ思想史研究者の高橋順一さんにEU成立とドイツの事情を聞いた。

人間をモノと化したアウシュヴィッツ
―今年3月にポーランドのアウシュヴィッツに行かれたと聞きましたが。
 3月19日から1週間ほど大学の学生と共にドイツ、ポーランドに行って来ました。僕はこれまで、アウシュヴィッツについて色々な本を読んだし、『夜の霧』や『シンドラーのリスト』などの映画も見てきました。なかでもクロード・ランズマンの9時間にも及ぶ長編ドキュメンタリー映画『ショアー』からは、アウシュヴィッツで起こったことをどう捉えるかに関して決定的な影響を受けました。そんなふうにアウシュヴィッツとは何であったのかを自分なりに考えてきたつもりでした。しかし実際に行ってみて、アウシュヴィッツで起こった出来事が自分の考えていたよりもはるかに凄まじく途方もないことだったという印象を感じざるをえませんでした。

 最初にそれを感じたのは、第一収容所で収容者たちの様々な遺品を見た時です。眼鏡であるとか、義足であるとか、鍋や釜、鞄などありとあらゆるものがありました。中でも一番衝撃的だったのが女性の髪の毛です。ナチは収容者から彼らの持っていた全ての持ち物を取り上げたわけですが、それは義足とか髪の毛といった彼らの体そのものにまで及んでいたのです。しかもガス室で殺した後、遺体から金歯・銀歯を全部抜き、それをインゴットにして中立国であったスイスを通して売却していたりもしたのです。
 [後略]
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 以上の内、「収容者たちの様々な遺品」に関しては、現地の「案内役のポーランド人の教授」が、私の目の前で、「出所した収容者が残していったのを自分たちが集めた」と語ったのである。

 キーワード検索をしたら、以下のごとく、2年前のわが通信が出てきた。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku920.html
『亜空間通信』920号(2004/12/26)
【アメリカ帝国没落の予言に至る国際情報収集と総合分析の基礎には歴史と認識論哲学の素養が必要】
[中略]
 ホロコーストはイスラエル建国の為にデッチ上げられたものかも知れませんねえ。
 ホロコーストの写真を見たことがありますが、眼鏡が山のように積み上げられているヤツとか「こなのは別に単に眼鏡を多く集めて撮影しただけではないか?」などと思いましたけどねえ。
[中略] 
 事実の確認も重要である。上記の投稿の中の「眼鏡が山のように積み上げられているヤツ」に関しては、現地のアウシュヴィッツで、しかも、私の目の前で、観光客の質問に答えて、案内役のポーランド人の教授が、「出所した収容者が残していったのを自分たちが集めた」と語ったのである。10万人の単位の戦争中の収容者は、彼らを「解放」したソ連軍が新品を支給したので、衣類、靴、鍋などを、残していったのであって、「ガス室で殺されたユダヤ人の遺品」ではないのである。
 [後略]
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2006.02.21

ホロコースト認めて禁固刑逃れを狙ったアービングの失敗は醜態

辛口時評 060221
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/717.html
ホロコースト認めて禁固刑逃れを狙ったアービングの失敗は醜態

 デビッド・アービング被告(67)は、オーストリアの首都ウィーンの裁判所で、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を否定したとして、禁固3年の有罪判決を言い渡された。

 旧知のフランスの見直し論者、フォーリソンは、イギリスの作家、デビッド・アービングについて、「資料を注意深く読んでいないので、論敵に攻撃されては撤回することを繰り返し、簡単に負け続けている」と批判し、見直し論者でないといている。デビッド・アービングは、シオニストにとって非常に好都合な「見せしめ」の裏切り者にされたのである。

 以下は、本日の日経夕刊の印刷物にも掲載されていた短信である。

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http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060221AT2M2100G21022006.html
オーストリア裁判所、ホロコースト否定の英歴史家に禁固刑

 【ウィーン=共同】オーストリアの首都ウィーンの裁判所は20日、英国の歴史家デビッド・アービング被告(67)に対し、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を否定したとして、禁固3年の有罪判決を言い渡した。オーストリアやドイツでは、ホロコースト否定は法律で禁じられている。

 同国司法当局は1989年、アービング被告がオーストリア国内での講演などで「アウシュビッツにガス室は存在しなかった」などと述べたとして、逮捕状を出した。アービング被告は昨年11月に講演のため同国を訪れた際に逮捕された。

 同被告は法廷で罪状を認め、過去のホロコースト否定は誤りだったとして「後悔している」と表明。判決に対しては「ショックだ」と述べ、控訴する意向を示した。 (10:54)
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 以下は、非常に慎重な田中宇の通信からのデビッド・アービング関連部分の抜粋である。

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http://tanakanews.com/f1220holocaust.htm
ホロコーストをめぐる戦い
2005年12月20日  田中 宇
[中略]
 一般には「確定した歴史的事実」と考えられているホロコーストについて「別の見方」を発表した歴史学者らが、ホロコーストを否定したことを理由に、逮捕投獄されたり、強制送還されたりする事件が相次いでいる。
[中略]
 オーストリアで逮捕されたのは、イギリス人の歴史学者デビッド・アービングで、1989年にオーストリアで行った講演でホロコーストを否定する発言をしたとして、11月14日に逮捕された。アービングは、ナチス時代のドイツの歴史を詳細に研究した人で、自らの研究の結果として「ヒットラーがユダヤ人の絶滅を命じたという定説は間違いである」などと主張していた。(関連記事)

 彼は、オーストリアに行ったら逮捕されるかもしれないと知っていたはずだが、どうしたことか右派学生組織の要請に応えるかたちでオーストリアを訪問し、逮捕された。逮捕後、弁護士に「ホロコーストはなかったという自分の以前の説は間違っていた」と述べたと報じられている。(関連記事)

(著名なリビジョニストであるロベール・フォーリソンは、2000年に「アービングは資料を注意深く読んでいないので、論敵に攻撃されては撤回することを繰り返し、簡単に負け続けている。彼は、リビジョニストの代弁者のように言われているが、それは間違いだ」と書いている)
[後略]
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 以下は、拙著『アウシュヴィッツの争点』のデイヴィッド・アーヴィング関連部分の抜粋である。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/
憎まれ愚痴
http://www.jca.apc.org/~altmedka/hanbai.html
木村書店
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
『アウシュヴィッツの争点』
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-57.html
第7章:はたして「ナチズム擁護派」か
NHK放映『ユダヤ人虐殺を否定する人々』をめぐって
[中略]
 画面は政治集会の会場シーンからはじまる。最初はストップモーションで、右下に「海外ドキュメンタリー」という決まり文字の番組名がスーパーされている。絵が動きはじめ、カメラが引くと、会場には何百人もの人々がひしめいている。若い男女がおおくて、雰囲気はあかるい。パーン、パーンと、調子をそろえた拍手がなりひびく。色とりどりの旗が左右にはためく。旗の波の下に「制作・DR(デンマーク 1992)」の白抜きゴシック文字がスーパーされる。

 調子をそろえた拍手は、集会の講師にたいする歓迎の気持ちを表現している。熱狂的な拍手でむかえる群衆の間から、典型的にいかつい四角の顔をした講師が、むずかしい表情ではいってくる。いかにもネオナチの理論的指導者風だが、すでに紹介ずみの(わたしの考えでは「軽率な」)イギリスの作家、デイヴィッド・アーヴィングである。

 アーヴィングの顔のうえに、丸い白地にえがいた大型の黒のカギ十字(旧ナチ党の党章)がかさなり、ディゾルヴ(溶明、溶暗)で画面がいれかわる。赤い生地にはたくさんの小型カギ十字がうすくあしらわれている。生地は幕か壁の模様のようである。さらにそのうえに「ユダヤ人虐殺を否定する人々」の筆文字(つまりNHKが日本版用につくった文字)が回転してきてかぶさる。下には副題として「~ナチズム擁護派の台頭~」という白抜きゴシック文字がはいる。

 ここまではまったくセリフがない。だが明確に、「ユダヤ人虐殺を否定する人々」と「ネオナチ」、「旧ナチ党」などの同一性を強調する画面構成である。視聴者は最初に、そういう印象、先入観念をあたえられてから、この番組の中身を見ることになる。
 [後略]
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 以下も同じく、拙著『アウシュヴィッツの争点』の関連部分の抜粋である。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-60.html
[中略]
「アーヴィングは一回の講演につき、一万ドル以上の支払いをIHRから受けとっている。だが、IHRの巨額の運営資金がどのように集まるかはさだかではない。謎の鍵をにぎるのはIHRの創設者、ウィリス・カルトである。カルトは、アメリカの極右勢力の黒幕といわれている」
[後略]
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 これは、上記のNHK放映『ユダヤ人虐殺を否定する人々』の台詞であるから、逆宣伝の問題点はあるが、アーヴィングが、講演料を得ていることは確かであろう。今回の裁判も、オーストリアの刑法に違反する危険を冒して、講演をしたことが原因なのだから、やはり、それ相応の講演料を得ていたのであろう。

 そういう経過を考慮すると、罰金刑を受けても、それなりの講演料、カンパが得られれば、償えると計算して、廷で罪状を認め、過去のホロコースト否定は誤りだったとして「後悔している」と表明し、情状酌量を狙った可能性が高い。

 フランスのロジェ・ガロディは、同じ罪で罰金刑、アラブ諸国から罰金を上回るカンパを受けたが、アーヴィングは失敗して、醜態を晒しているのである。

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2006.02.20

ホロコースト狂信者の思い込みに哀れみを催す昨今

辛口時評 060220
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/699.html
ホロコースト狂信者の思い込みに哀れみを催す昨今

 つい最近、某市民運動の集会で、ある参加者が、私を名指して、敵意をあらわにし、「歴史修正主義者とは同席しない」と言い出した。典型的なホロコースト狂信者である。私は、まず、revisionistの訳語の好みに基づいて、歴史見直し論者、またはホロコースト見直し論者であると、軽く、いなして置いた。

 なお、「歴史的修正主義」を名乗る組織もあるようで、以下のサイトは非常に面白い。

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http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/shoah_01.htm
『ショアー』(ランズマン)を批判する
R. フォーリソン、J.-F. ボーリュー、E. ブルン、B. スミス
歴史的修正主義研究会編集・試訳
最終修正日:2004年9月09日
[後略]
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 話を元に戻すと、この種の日本の攻撃的なホロコースト狂信者の多くは、いわゆる「左翼」であり、特に多いのは、いわゆる「全共闘世代」の暴力的な派閥につながる連中である。彼らは、精神的にも未熟な学生時代に、暴力的な派閥対立の抗争を経験して、精神的外傷(trauma)を抱えている。自分が正しいと思いこむためには、「憎むべき敵」が必要なのである。

 ホロコースト見直し論者を、ネオナチ、ヒトラーの同類と位置づけ、攻撃することによって、彼らは、自らの主体性(identity)を維持しているのである。

 上記の集会の「ホロコースト狂信者」は、「同席しない」とか、「ホロコーストの議論はしない」理由を、「ヴィダル=ナケの原則に基づく」と称した。

 フランスのユダヤ人作家、ヴィダル=ナケ」の著書の日本語訳には、以下のような、『記憶の暗殺者たち』がある。ホロコースト見直し論者、または否定論者を、「記憶の暗殺者」と呼ぶのである。

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VIDAL-NAQUET PIERRE
ピエール・ヴィダル=ナケ
LES ASSASSINS DE LA MEMOIRE
『記憶の暗殺者たち』(人文書院 1995年)
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「記憶の暗殺」というのも、実に奇妙な表現であるが、裏返しに言うと、ホロコーストは、「記憶」、つまりは「頭の中にしか存在しない」、つまりは「作り事」と認めたようなものである。

「ヴィダル=ナケの原則」は、以下の3つのタブーである。

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 ……われわれは自分自身に問い掛けてはならない
 ……義務的な出発点
 ……議論をしてはならない
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 拙訳では、この「ヴィダル=ナケの原則」を巡る状況を、以下のように説明している。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-15.html
『偽イスラエル政治神話』
2章:20世紀の諸神話
2節:ニュルンベルグの正義の神話(その3)
(a)書証

 基本的な書証とは、“最終的解決”が何であったかを決定付けるものであり、まず最初には絶滅の命令であり、それが最高級の責任者によるものだということである。すなわち、ヒトラー、ゲーリング、ハイトリッヒ、ヒムラーらの名による処刑の命令書である。

[イスラエル中央文書館も「絶滅命令書はない」]

 まず最初は、ヒトラーによる「絶滅」の命令書である。

 これまでにおける「ジェノサイド」、お次は「ホロコースト」の理論家たちの努力の甲斐もなく、その痕跡はまったく発見されていない。一九六八年に、オルガ・ヴォルムセル=ミゴット夫人は、つぎのように記している。

《アウシュヴィッツのガスによる絶滅の明瞭な命令が存在しないのと同様に、一九四四年の中止命令も存在しない》。彼女はさらに正確を期す。《ニュルンベルグ裁判でも、その継続の裁判でも、クラクフでのホェス裁判でも、イスラエルでのアイヒマン裁判でも、収容所司令官裁判でも、一九六六年一一月から一九七五年八月までに行われたフランクフルト(第二次アウシュヴィッツ)裁判でも、一九四四年一一月二二日付けでガスによるユダヤ人絶滅終了を命ずるヒムラーの署名入りの有名な命令書、すなわち“最終的解決”の中止に関する命令書は、提出されなかった》(『ナチ収容所囚人システム』68)

 テル・アヴィヴの“中央文書館”のクボヴィ博士は一九六〇年に、つぎのように認めた。《ユダヤ人を絶滅せよと記したヒトラー、ヒムラー、ハイトリッヒらの署名入りの文書はまったく存在しない。……“絶滅”という言葉は、ユダヤ人問題の最終的解決に関するゲーリングからハイトリッヒへの手紙には出現しない》(『ユダヤ人に対する戦争』78)

 一九八二年一月には、“見直し論者”による批判的研究と戦うために、パリのソルボンヌ大学で討論会が開かれたが、そこでの対決の終了後に持たれた記者会見の中で、レイモンド・アロンとフランソワ・ヒュレは、こう宣言せざるを得なかった。

《最高級の詳しい探索にもかかわらず、ユダヤ人を絶滅せよいうヒトラーの命令は、いまだに発見されていない》

 一九八一年には、ラカー[72初版の大著『ユダヤ人問題とシオニズムの歴史』の著者]が、こう証言している。

《今日にいたるまで、ヨーロッパのユダヤ人社会の破壊を目的とするヒトラーの署名入り命令書は、発見されていないのだから、すべての可能性から見て、その命令は出されていない》(『恐ろしい秘密』81)

[再検証を禁止し議論を拒否する歴史家たちの論理]

 これだけのことが明らかになっても、ヴィダル=ナケとレオン・ポリアコフの煽動に乗って、つぎのような声明に署名した他の歴史家たちがいる。

《……どうしてあのような大量虐殺が技術的に可能だったかということを、「われわれは自分自身に問い掛けてはならない」。それは実際にあったことなのだから、技術的に可能だったのである。このようなことが、この問題の歴史的な探索に関しての「義務的な出発点」である。われわれには、この真実を単純に訴える義務がある。ガス室の存在に関しての議論は存在したことがないし、「議論をしてはならない」のである》

[三四名の歴史家の連名発表『ル・モンド』79・2・21]

 ……われわれは自分自身に問い掛けてはならない
 ……義務的な出発点
 ……議論をしてはならない

 三つの禁止、三つのタブー、調査に対する三つの決定的な制限。

 このような文書は、歴史の歴史の中で、まったく「歴史的」な画期を刻印する。ここでは、証明されなければならない「事実」が、すべての調査、すべての批判より以前に、勝利の直後に勝利者によって一度だけ行われた決定に関するすべての調査と、すべての批判に対しての、三つの強制的な取り消しの権限を持つ絶対的な真実および触れてはならない禁止事項であるかのように、主張されているのである。
 [後略]
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 ところが、イラン大統領の発言以後、ホロコーストに関する新しい事態が続発している。いわば、タブーの壁が壊れ始めたのである。

 イギリスの作家で、ガス室の存在を否定するデヴィッド・アーヴィングは、現在、オーストリアに拉致され、オーストリアの刑法に違反の告発を受けて、裁判中であるが、そのデヴィッド・アーヴィングの仇敵、デボラ・リップシュタットが、アーヴィングについて「釈放したほうが良い」と発言し、「言論の自由」とか「検閲に反対」とか言い出したのである。

 次の情報は、二〇〇六年一月四日の阿修羅ホロコースト掲示板への投稿の抜粋である。

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 デヴィッド・アーヴィングの仇敵、デボラ・リップシュタットが、オーストリアで拘留中のアーヴィングについて「釈放したほうが良い」と発言したという記事がBBCのサイトに出ていました。
"Generally, I don't think Holocaust denial should be a crime," she says. "I am a free speech person, I am against censorship."
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 以下は、拙著『アウシュヴィッツの争点』からのリップスタットに関する抜粋である。

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 リップスタットはユダヤ人で、アメリカのジョージア州、アトランタのエモリ大学の宗教学の教授である。専門のホロコースト史家ではないが、同書はエルサレムのヘブライ大学の調査プロジェクトの一環として出版されているから、それなりの組織的な資料収集の蓄積が見られる。
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 このようなホロコースト実在論の最先端の論客が、「ヴィダル=ナケの原則」を無視し始めたのである。国際的な公然の論争、調査となれば、彼らは、批判の矢面に立つことになる。「沈む船から鼠が逃げる」状態になったのである。

 ホロコースト狂信者の思い込みに哀れみを催す昨今である。

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2006.02.17

ホロコースト風刺漫画募集の斬り返しでイランが反撃

辛口時評060217
ホロコースト風刺漫画募集の斬り返しでイランが反撃

   
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 イラン大統領の「ホロコースト神話」発言への報復と思われるムハンマド風刺漫画の欧米紙での一斉掲載によって、イラン対シオニストの戦いは、抗議行動の死者も出る激動の局面に達した。

 この際どい局面で、イランの新聞は、ホロコースト風刺漫画募集の斬り返しで、新たな反撃に転じた。

 これは陽気で宜しい。早速、イランの新聞社に、1998年、パリ地裁のロジェ・ガロディ裁判で、イランの作家がくれたカラーのポスターの画像を送った。

 シオニズムの怪物が、ダヴィデの星の形の鉄格子の中から、血を吐くという不気味な絵である。

 もう一つの掲載の画像は、イランのフォーカス新聞が掲載しているものである

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2006.02.14

CIA・読売・正力「怪文書」騒ぎは27年前の拙著で指摘

辛口時評 060214
http://asyura2.com/0601/senkyo19/msg/629.html
CIA・読売・正力「怪文書」騒ぎは27年前の拙著で指摘

 3日前の辛口時評の「怪文書」関連部分抜粋。

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辛口時評060211
http://asyura2.com/0601/senkyo19/msg/539.html
CIAと読売・正力松太郎の関係の拙文と『週刊新潮』記事
『週刊新潮』記事
(2006年2月16日)【特別読物】
CIA裏工作ファイル発見! ポダムと呼ばれた「正力松太郎」
早稲田大学教授 有馬哲夫
[中略]
「怪文書」で作戦見直し
[後略]
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『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(1979、汐文社、木村愛二の筆名・征矢野仁)から、「怪文書」関連部分のみを抜粋。

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[前略]
 違法・適法の論議は別として、事実上のネットワークの成立は、当初のムント=正力構想に発していた。そして、マイクロ・ウェーブ網(中継回線)という技術的手段が、これまた強行軍によって設置されなければ、実現できないものであった。
 日本テレビの『25年』には、「電電公社は、マイクロ中継回線の建設を急いだ。もっとも、正力構想のスピードに及ぶべくもなく、二九年四月に東京-名古屋-大阪間二系統が開通」(同書五五頁)と記されている。そして、ここでは、電電公社と正力の間で、火花がちっていたのである。

マイクロ・ウェーブで「怪文書」

○斎藤委員 議事進行について……(略)……。ただいま当局からいわゆる正力テレビの御説明がありましたが、私の手元に入っておりまする、これは一種の怪文書だと思うのでありますが、「正力松太郎氏と米国防省の危険極まる陰謀、日本テレビの外資導入に関する報告、電波管理委員会有志」というパンフレットを読んでみますると、電電公社の首脳部にもいろいろな累の及ぶようなことも書いてある。こういう一国の最も重視すべきマイクロ・ウェーブを独占し、しかもそれがアメリカの国防省と通諜して、一〇〇〇万ドルの借款を目的とする電波通信網の独占というようなものが、もし日本において計画せられているとするならば、これは国家としてすこぶる重大であり、この真相をきわめるのは、国家の最高機関である国会の電通委員会以外にないのではないかと思うのであります。従って委員長におかれましては、この問題を解明する意味におきまして、単に当局の想像的な説明を求めるということは私は無意味だと思いますので、よろしく本人を呼び、関係者を全部呼んで、一挙にこの真相を解明するような、適当な方法をひとつ講ぜられるようお願いしておきます。

○成田委員長 ただいまの斎藤委員の御発言、ごもっともだと思います。

(『衆議院・電気通信委員会議事録』一九五三年一一月六日、一頁)

 問題の怪文書が出されたのは、この年の一〇月のこと。以来、各界で論議がなされ、ついに、国会における爆弾質問となったものである。この斎藤委員の議事進行動議にもとづいて、翌月の七日には、正力松太郎が参考人として登場することになった。

 前後の事情を整理してみると、日本テレビの開局は、この怪文書が出る直前の一九五三(昭和二八)年八月であった。

 その前年の七月三一日、日本テレビの予備免許がおろされた際、当局は、「テレビジョン放送は、さしむき東京において実施するものとし、その成果と中継回線の完成をまって逐次地方都市に及ぼす」という方針を示していた。「中継回線」とは、マイクロ・ウェーブ(極超短波)を使用するもので、当初からの“正力テレビ構想”に含まれていた。日本テレビが獲得した予備免許は、このマイクロ回線の部分と全国的ネット網とを切りすてた形であり、東京ローカル放送局の免許に縮小されたものであった。

 正力は、当然、のこりの構想をあきらめたわけではなかった。「日本テレビ放送網株式会社という社名が示すように、全国ネットワークの建設と、それによって可能となる全般通信網構想の実現を目標としていた」(『25年』五一頁)のである。そして、日本テレビの開局に先立って、さきのように、“密約”をやぶり、一九五三(昭和二八)年八月一七日、名古屋と京阪神地方についても、テレビ放送局開設の免許申請にふみきっていた。

 正力の動きは、しかし、各界の反発をよんだ。九月一五日には、「地方新聞社一五社の社長が連署し、反対趣旨を盛った『テレビの中継と外資の導入について』という声明書が公表された」(『25年』五三頁)。この声明は、「一部民問組織が外資により超短波通信幹線網設置を企図」しているのは、「公共性に反する」という趣旨のもので、たとえば『中国新聞』は、二面の中程に三段の大見出しで、「国会を訪れ声明」(同紙一九五三年九月一八日)と報道していた。ところが、その実態は、はるかに恐るべきものであった。

○正力参考人……(略)……いうまでもなく太平洋戦争に負けた最大の原因は、いわゆる通信網の不完全からであります。ことに御承知の通り、優秀な日本海軍が負けたということは、この通信不完全ということによる、これは皆さん御承知の通りと思う。こういう優秀を誇った日本の海軍が全滅を食ったのは、通信だということを知っているにもかかわらず、これに対する国民の注意力が少ない。ことに終戦後、通信網はかえって悪くなっておる。国家として、これほどゆゆしいことはないと私は思う。どうしても、この際、通信網を完備しなければならぬ。……(略)……

 アメリカの国防省も、われわれの計画を見て、これならば日米安全保障の意味からでも、日本にこれがあった方がよかろうということで、これまた推薦してくれたわけであります。

(『衆議院・電気通信委員会議事録』一九五三年一二月七日、一-二頁)

 なんとまた、国防省代表の演説かと思われるような、軍事論である。そして、これが、マイクロ・ウェーブを早期に、正力方式で建設するメリットのひとつだというのである。これでは、「怪文書がでるのも当然」といわれるわけである。

 もっとも、この時期、公職追放を解除された鳩山一郎が、吉田茂に政権返還をせまり、そのあおりで「怪文書」類が乱れとんでいた。内閣調査室が出所の「怪文書」さえあった時代である。松本清張の『深層海流』や『現代官僚論』シリーズなどは、それらの情報を巧みに料理したものであり、正力「怪文書」も、突っこめば面白い話になるかもしれない。しかも、「怪文書」といわれる以上、執筆者は不明だが、部外者では分らない部分も多いので、軍事的部分のみを紹介しておきたい。

 「正力氏は、久しい以前より総司令部有力者間を奔走し、極超短波(マイクロ・ウェーブ)多重式中継施設のための、外資導入計画を進めて来たのであります。さらにさかのぼれば、そもそも正力氏がテレビ事業に手を染めたこと自体が、占領軍有力将校の勧奨に発端しており、目下問題の外資導入計画は、正力テレビの前提となっていたのでありました。

 ……(略)……正力氏はもっぱら米国筋と秘密裡に議を進め、その結論として、米国防省と提携して、自己の野望を達成することを決意したのでありました。

 東京における折衝でほぼ成算を得た正力氏は、今夏腹心の柴田秘書をワシントンに派遣し、直接国防省首脳に対する説得を行わしめました。柴田氏みずから語るところによれば、説得は大要次のごとき趣旨のものであります。

 現在米国は、日本を極東における前進基地として完備することを、急務としているのではないか。すでに日本に設けられた多数の基地を統制し、有事の際に十分なる機動力を発揮するためにも、通信施設の支配権は不可欠の要件であろう。それには、日本が近代的電波通信施設の建設にこれから乗り出そうとしている現在こそ、米国にとって絶好無二の機会である。もし、日本独自の力で施設ができてしまえば、何かと支障を生ずる。また、もし、日本の公共機関の手に建設をゆだねるならば、これも同様の支障を生むであろう。米国国防当局としては、今正力氏を援助することによって、実権を掌握することが最も有利ではないか。……(略)……

 かかる提案に対して、国防省側が心動かしたのは、もちろんのことであります。正力氏みずからが豪語するごとく、時宜にかない、相手の心奥を明察した上での、妙手であったと申せましょう」

(『衆議院・電気通信委員会議事録』一九五三年一一月六日、二頁)

 さて、さて、部外者では、とうてい書けないような「文書」ではなかろうか。しかも、一年後には、自衛隊との共同使用案まで、とび出してくる。

○片島委員 ……(略)……マイクロ・ウェーブの設備計画が、一部民間から非常に強力に押し進められておるということが、問題になりました。……(略)……ところがきわめて最近、八月の二八日に、正力松太郎氏が池田自民党幹事長と会談をし、その後塚田大臣と池田幹事長、木村防衛庁長官、それから正力松太郎の四氏が、東京会館で会談をいたしております。……(略)……

○塚田国務大臣 ……(略)……防衛庁に、防衛の必要からして、マイクロの設備を持ちたいという考え方があるわけであります。……(略)……その防衛庁の計画に今度付随して、その施設をひとつやらしてもらいたい。自分の方は外資を導入して、これをするから、その対価ということになりますか、やらしてもらいたい。……(略)……防衛庁の使用するマイクロ・ウェーブの一部分を、自分のテレビの連絡に使いたいという、構想であるわけであります。(同前一九五四年一〇月八日、一三頁)

 ついで、参議院では、木村篤太郎防衛庁長官がみずから事実を認めた。

○国務大臣(木村篤太郎君) 私といたしましては、防衛庁において、全国的のマイクロ・ウェーブを持つことが、望ましいと考えております。……(略)……しかし現実の問題として、防衛庁自体には、さようなものは、現段階においては持つことはできないことは、御承知の通りであります。……(略)……それで、今のお話の民間会社という、お話であります。民間会社がどこかということは、会社自体という話はありません。しかし、正力君が最初に来たことは、事実であります。正力君の話によると、自分のほうで、全国的のマイクロ・ウェーブを持ちたいんだという、話であります。……(略)……

 わたしの、非常に魅力を感じた点は、二つある。一つは、二ヵ年でやる。極めて短時日であるということ。もう一つは、これはでき上った上においては、これを防衛庁において保管さしてよろしい。まあ機密保持その他の点から見て、これは我々としては、自分の手において、これを保管するということは望ましいことである。この点が、わたしが非常に魅力を感じた点であります。

(『参議院・電気通信委員会議事録』一九五四年一〇月一二日、六、八頁)

 つまり・正力のマイクロ・ウェーブ計画は、早くできる、そして、防衛庁で保管できるという利点があったわけである。ここまでなら、正力一流の強引な売りこみとも見えるが、もうひとつの事実を重ねてみると、恐ろしくなってくるのである。

 というのは、すでに一九五一(昭和二六)年に、衆参両院の電気通信委員会の委員計五名が、アメリカ国防省(ペンタゴン)を訪れ、マイクロ・ウェーブの軍事的な重要性を教えられているのである。そして、その五名の国会議員の一人が、こういっている。

○山田節男君 ……(略)……ワシントンでペンタゴンに参りまして、GHQのこちらのマッカーサー元帥の通信部長であったバックという少将でありますが、ここに、われわれを歓迎されまして、ペンタゴンの四階あるいは五階でありますか、四階、五階のあそこは全部通信施設なんです。これは秘密の部分もあるけれども、国会の代表であるというので、われわれ五名のものは、とくにコンラッド代将が、つぶさにわれわれに見学を許してくれて、同時にコンラッド代将、それからバック少将がいうには、将来の文明、ことに戦争、防衛というものについては、もうこれは通信がほとんどといっていいくらい重要性をもっている。……(略)……将来日本というものは、通信ならびに防衛というものを考えて、マイクロ・ウェーブはいかに重要性をもっているかということを、実は知って帰ってきました。帰ってきたとたんに、正力氏がテレビならびにマイクロ開発を当局に申請しておられることを発見しました。(同前六頁)

 アメリカの動きは、当時の世界戦略の上に立つものであった。もちろん、日本と同様の資本主義国のこと、大電機メーカーの献金で成り立つホワイトハウスの主などの、それなりの思惑は働いたことであろう。アメリカの財界も、戦後不況乗り切りに、必死の策をねっていたところである。そして、それらの動きを背景として、正力松太郎が日本で、マイクロ・ウェーブ構想をぶち上げたのである。なるほど、正力の構想は、そのままは実らなかった。しかし、当時のアメリカは、たとえば吉田茂と鳩山一郎の、双方にヒモをつけ、反共おどりの上手な方にテコいれをしていたのである。商売の常識としても、入札方式に典型的にあらわれるように、複数の取引相手に話を持ちかけ、競合させるのが達人なのである。

 結果からみて、世論は、より反動的に見えた正力構想が敗れたことに安心し、電電公社と防衛庁のマイクロ・ウェーブが、公共資金で大々的に建設されることを許したのであった。そして、一般国民には、代償として、全国ネットワークのスポーツ中継、ミッチーブーム、皇太子御成婚パレードの実況中継が、あたえられたのであった。
 [後略]
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2006.02.11

CIAと読売・正力松太郎の関係の拙文と『週刊新潮』記事

辛口時評060211
http://asyura2.com/0601/senkyo19/msg/539.html
CIAと読売・正力松太郎の関係の拙文と『週刊新潮』記事

(2006年2月16日)【特別読物】
CIA裏工作ファイル発見! ポダムと呼ばれた「正力松太郎」

 週刊新潮の記事の筆者は、以下の拙文を読んでから、研究したのであろう。

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『放送メディアの歴史と理論』木村愛二
第三章 戦後の放送メディアの歴史をめぐる主要な問題点
●「武器」として建設された日本のテレヴィ放送網

 正力は戦後の一九四五(昭二〇)年一二月一二日、A級戦犯として逮捕され、巣鴨プリズンに収容された。二年後に釈放されたが、以後も四年間は公職追放の身であった。公職追放が解除されるとすぐにテレヴィ構想を発表して動き、一九五二(昭二七)年には初の民間テレヴィ放送免許の獲得に成功した。

 正力を中心とする日本テレビ放送網 の設立は、NHKと並立する唯一の民間テレヴィ放送の出発だった。その際、注目すべきことには、読売の正力が中心であるにもかかわらず、朝日・毎日・読売の三大新聞の日本テレビ放送網 への出資比率は同じであった。このパターンは、ラディオの独占的発足の繰り返しである。大手新聞各社は、この日本テレビ放送網 の出発の際には協力して、テレヴィ業界進出の足場を築いた。以後、複雑な経過を経て、逐次、それぞれの大手新聞系列によるテレヴィ・キー局と全国ネットワークの体制が確立される。当局と結託した大手新聞による放送支配は、さらに大規模に全国展開されたのである。

 さらには、正力のテレヴィ構想がアメリカの意向をうけたものであったことは、誰一人として否定しえない歴史的事実である。巣鴨プリズンからの釈放と公職追放解除の裏には、かなり早くからの密約関係があったと考えられる。

 拙著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』では、正力とCIAの関係に関する『ニューヨークタイムズ』(一九七六年四月二日、四四頁)の記事に関する騒動を紹介した。以下は、その抜粋である。

 記事の見出しは、「CIAは一九五〇年代からロッキード汚職を知っていた」である。児玉、岸の名前に続いて、以下のようになっていた。

 《元CIA工作員(複数)の言によると、この他に、戦後の早い時期にCIAの恩恵(複数)を受けた人物として挙げられるのは、強力な読売新聞の社主であり、一時期は日本テレビ放送網社長、第二次岸内閣の原子力委員長、科学技術庁長官となったマツテロ・ショーリキである」

 この記事では、松太郎がマツテロになっていたりして、あまり重視はされていない。

 アメリカの古文書館にはかなりの証拠資料が眠っているのではないだろうか。

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『週刊新潮』(2006年2月16日号、52-56頁)
【特別読物】CIA裏工作ファイル発見! ポダムと呼ばれた「正力松太郎」

早稲田大学教授 有馬哲夫

〔52頁・記事カバー図版〕讀賣新聞に君臨した「大正力」(上は戦犯時の調書)
〔53頁・記事カバー図版〕CIAに封印されていた「正力松太郎ファイル」

〔太ゴチック体のリード文〕
秋霜烈日の個性で読売新聞に君臨した昭和の傑物、正力松太郎。「プロ野球の父」にして「日本テレビの創設者」「原発の先駆者」等の顔を持つ彼の後半生には、しばしばCIAの影が囁かれた。浮かんでは消える唇気楼のような噂は真実だったのか。早大の有馬哲夫教授が米公文書館で発見したのは、正力を「ポダム」と暗号名で呼ぶCIAファイルだった。

 年度末のこの時期、ワシントンの郊外にある国立公文書館には、連日、多数の日本人研究者が訪れている。その多くが50年という長い時を経て公開されるアメリカの外交機密文書を閲覧し、未発見の文書を見つけだす目的で通ってきているのだ。
 だが、公文書館に備え付けのパソコンの検索システムを駆使して、目当てのファイルや文書を探し出しても、他の研究者の閲覧した痕跡が残っている文書、つまり、コピーした際に付く折り目のある文書がその大半である。

 しかし、筆者が咋年暮れに発見したアメリカ中央情報局(CIA)のファイルには、不思議といつも見慣れたコピーの跡が全く残っていなかった。

 おそらく、昨年秋ごろ公文書館に収蔵されたと思われるそのファイルは、誰一人、研究者の手に渡らず、片隅でひっそりと眠っていたわけだ。

 第二次大戦の日本人戦犯に関する文書を探していた際、偶然に発見したのは、「正力松太郎」(1885年~1969年〉に関する分厚いファイルである。読売新聞社社主にして、日本テレビ放送網を設立し、メディア帝国を打ち立てたばかりでなく、「プロ野球の父」「原子力発電の先駆者」と呼ばれた「大正力」その人のものだった。

 しかも機密性が高いゆえに大部分が墨塗りで公開されるケースの多いCIA文書にしては珍しく、ところどころの単語が削除されている程度で、文書は9割方原型を留めていた。

 そのため、ファイル全体を通読すれば、文脈からおおよそのことを汲み取ることが可能で、研究者の身にとっては願ってもない貴重な文書だったのだ。

 この「正力松太郎」ファイルは、総ページ数が474で、三つのフォルダに分けて保存されていた。

 同じCIAファイルとして公開されていながら、新聞記事の切抜きが数枚ファイルされていた岸信介元首相や重光葵元外相のファイルと比べても、厚みの差は比較にならない。

 しかし、驚かされたのはCIAが徹底的に正力をマークしていたと推察できる文書量だけではなかった。

そのファイルには、正力が「ポダム」という暗号名を与えられ、さらに、「ポダム」を作戦に使うことをCIA極東支部チーフに許可する文書までが綴じられていたのである。

 その文書の一端をご紹介すると、例えば、正力の身上調査書には、「CIA部外秘」「秘」と、書かれているのみならず、「閲覧後、破棄」を意味するスタンプさえも押されている。そこには、生年月日や国籍、出身地から始まって、微に人り細を穿つような質問項目とその答えが次々と列挙されている。

 実は、これまでに正力とCIAの関係がマスコミで取り沙汰されたことが一度だけあった。

 1976年4月2日のニューヨークタイムズに掲載された記事は、「戦後の早い時期、CIAの好意を受けたのは、読売新聞社社主、正力松太郎氏である」と、報じている。

 この報道に対しては読売新聞が反発したように、CIAとの具体的な関係に言及がない上に、いつ、どこで、だれがという記事の基本的な要素が記されていなかった。さらに、証言が元CIA局員からの伝聞だったため、半ば真偽不明の情報として扱われていた。

 だが、今国発見したファイルは、CIA自身が保管していた公文書である。50年を経て、少なくともCIAが正力を利用して政界裏工作を画策していたことがようやく明らかになったわけだ。

〔見出し〕読売を救ったGHQ

 では、王力とCIAはいつからどのように結びついていたのか。

 1885年(明治18年)に富山県で生まれた正力は、東京帝大を卒業後、警視庁に勤めた。無政府主義者や共産主義者の取り締まりで名を上げたが、1923年(大正12年)、虎ノ門で起こった摂政宮(のちの昭和天皇)暗殺未遂事件の責任を取り、辞職せざるを得なくなった。

 この後、彼は政界の大物から大金を借りて、当時わずか5万部に低迷していた読売新聞を買収し、新聞事業に乗り出した。

 自ら陣頭指揮を執って、奇抜な企画や大衆に親しみやすい紙面作りで、見る見るうちに読売新聞を毎日、朝日に次ぐ大新聞へと成長させたのである。

 その過程で、巨入軍設立を初め、「プロ野球の父」と呼ばれる功績を残したのはご存じの通りである。だが、敗戦後の1945年12月に、戦犯容疑者として巣鴨に収監。

 1947年に容疑が晴れて釈放されたものの、収監中に公職追放者に指定されてしまった。

 この措置が解かれたのは4年後だったが、その間、読売新聞社は、2度に亘って戦後最大と言われた労働争議の舞台となって揺れに揺れていた。

 会社の実権があわや労働組合幹部によって握られそうになった読売新聞を救ったのは、GHQの介入だった。GHQは万が一、労働組合側が勝利をした場合、その影響が他の企業に飛び火し、日本全体が共産主義に傾斜していくことを恐れたのである。

 この頃から、正力とアメリカの奇妙な共生関係が始まった。

 アメリカは、正力を好意的に扱い、援助を与えることによって彼のマスコミに対する大きな影響力を利用しようとした。

 日本人の赤化を何より恐れたアメリカにとって、戦前の警察官僚時代は共産主義者の取締りに血道を上げ、戦後も労組に会社を乗っ取られそうになった正力は、絶対に安心できるメディアの経営者といえた。

 一方、正力もアメリカの援助を巧みに引き出すことで新規事業の展開に野心を燃やしたのである。

 〔見出し〕「ポダルトン作戦」
 〔54頁、写真キャプション〕「ポダルトン作戦」の見送りを要請した文書

 そして時代は、問題のCIA「正力ファイル」が詳細に物語る1950年代に突入する。

 当時、アメリカは日本にマイクロ波多重通信網を導入しようと試みていた。

 この通信網はテレビ放送のほかレーダー、航空管制、電話、ファクシミリに利用することができた。

 国務省の文書によれば、その目的は、親米メディアによって、日本全国に反共・親米のプロパガンダを流すこと。

 さらにもう一つ、レーダーと航空管制を増強して、ソビエトと中国に対する空と海の守りを固めることだった。この中でも、CIAが分担したのが、親米プロパガンダの流布と通信設備の敷設だとされる。

 CIAファイルを読む限り、その構想の具現者に選ばれたのが正力だった。

 すでに新聞を持つ正力にとっても、マイクロ波通信網は、日本の情報インフラ全てを手に入れることを意味し、利害は完全に一致していた。

 正力は公職追放が解除となった1951年に、アメリカの全面支援を大々的に喧伝して、財界から日本テレビの設立資金をかき集め、その翌年には、吉田茂首相や通信分野の官僚に圧力をかけて、テレビ放送免許を取得した。

 現在の「日本テレビ放送網」という社名は、この時、全国に22の直営局を展開する計画を持っていたことの名残だ。

 さらに1953年、正力は後に日本テレビ専務となる柴田秀利を窓口にして、アメリカと交渉させ、全国縦断マイクロ波通信網建設に充てるための資金、1000万ドルをアメリカ輸出入銀行からの借款によってまかなう工作をさせた。

 実は、この1000万ドルの借款こそがCIAの作戦だったことをファイルは示している。

 まず、柴田の交渉相手となった二人のアメリカ入弁護十はCIAの協力者だった。CIAファイルには、この二入が正力や柴田の動きを逐一、報告している文書が残されている。

 CIA内部でポダムと呼ばれた正力に対して1000万ドルを貸し与える計両は「ポダルトン」と命名された。奇妙な暗号名の由来は不明だが、CIAが詳細な検討を加えたことがわかる。正力の身上調査ファイルには、「現在の協力者をどういう形でコントロールできるか」というCIAらしい質問項目がある。資金や女性問

題から、果ては麻薬によるコントロールに至るまで千差万別の答えが書かれるこの欄に、正力の場合は、「テレビのベンチャーに対するアメリカの資金供与」という趣旨の回答が記載されていた。

  〔見出し〕「怪文書」で作戦見直し
  〔55頁、写真キャプション〕正力氏の晴れ舞台だった天覧試合(右は日本テレビの旧社屋)

 実際、柴田が半年に亘る渡米で国防総省などから借款の推薦を得て帰国した直後、CIAは「ポダルトン作戦」を許可する文書を在日極東支部の課長(チーフ)宛てに送付しているのである.

 その日付は、1953年9月29日で、文書の一番上には、「ポダムを使った作戦の実施許可」という内容の一文が削除されずに残っていた。

 つまり、正力のマイクロ波通信網建設をCIAが極秘のうちに援助し、完成ののちは日本テレビと同線のリース契約を結んでアメリカのプロパガンダと軍事日的として使う計画だったのだ。これが、「ポダルトン」にポダムを「使う」という意味である。

 ところが、「ポダルトン作戦」は、成就する一歩手前の段階で破綻し、1000万ドルが正力の手に渡ることはなかった。

 その原因は、実施許可の下りた直後から、突然、マスコミや政界に出所不明の怪文書がばら撒かれたためだった。

 その怪文書は、「正力とアメリカの国防総省が陰謀を巡らし、正力がアメリカの軍事目的のために、アメリカの資金で全国的な通信網を建設しようとしている」と、書き立てていた。「近代国家の中枢神経である通信網を、アメリカに売り渡すのはとんでもない」という非難が連綿と綴られ、約ーカ月後の11月6日には、衆議院の電気通信委員会でも、怪文書が読み上げられるという大騒動へと発展してしまった。-

 防戦に回った正力は、12月7日、衆議院で参考入招致されて喚問を受け、弁明に終始せざるを得なかったが、この喚問の20日ほど前、11月17日付けのCIA文書からは、CIAが慌てて作戦の見直しを検討している様子を読み取ることができる。

 こうして正力を主入公にした「ポダルトン作戦」は失敗に終わった。

 その後、CIAは日本テレビに代わって、電電公社に通信網建設を請け負わせて、当初の目的を達したが、しかし、問題は、作戦の実施許可が出たタイミングを見計らったかのように一斉に流された怪文書の出所がどこだったのか、である。

 その絶妙の問といい、怪文書がCIAを慌てふためかせたほど正確だったことから考えても、情報は日本政府のきわめて高いレベルからリークされたものと見て間違いはないだろう。

 CIAの決定を知ることが可能で、その決定に反発する人物を当時の政治状況から推察すると、吉田茂首相しかいないと筆者は睨んでいる。

 それを裏付けるように、あるCIA文書は、ちょうど同じ時期に、吉田政権の打倒を目論んでいた政敵の鳩山一郎派に正力が与していたと分析している。

 また、別の文書は、この年、鳩山が正力に政界入りを勧め、鳩山内閣誕生の暁には国務大臣のボストを密約していたという情報を記している。

 アメリカから要求されていた再軍備に強硬に反対していた吉田は、少なくとも正力にマイクロ波通信網を任せるわけにはいかなかったのだ。

  〔見出し〕暗号名「ポジャックポツト」
  〔56頁、写真キャプション〕「原子力発電」導入に傾倒

 こうして正力とCIAが共に夢見た「マイクロ波通信網」は潰えたが、両者の共生関係はその後も途切れることはなかった。

 CIAは正力に関する追跡調査を続け、ファイルは厚みを増していった。

 その接着剤となったのが原子力発電である。

 正力の衆議院参考人招致と同じ1953年12月、アイゼンハワー大統領は、「原子力を平和のために」と唱え、キャンペーンを始めていた。が、その矢先の翌年3月、アメリカの水爆実験が行われたビキニ環礁で第五福竜丸が死の灰を浴びる事件が起きてしまった。

 日本では激しい反核、反米運動が巻き起こり、親米プロパガンダを担当するCIAの頭を悩ませていた。

 一方の正力は、政界出馬に意欲を燃やし、アメリカのキャンペーンに呼応するかのように、原発推進の立場を明らかにしていた。

 おそらくCIAにとって正力の存在は地獄に仏だったに違いない。

 この時、正力の尖兵として、原発導入のロビー活動を行っていたのは、1000万ドルの借款計画で活躍した柴田だったが、彼が接触していた入物は、やはりCIAのある局員で、CIAファイルにはこの局員が書いた多数の報告書が残されている。CIAは、正力が政治家となる最終目標が総理の椅子だということも早くから見抜いていた。

 1955年2月に行われた総選挙で、正力は「原子力平和利用」を訴えて、苦戦の末に当選し、同年11月、第3次鳩山内閣で北海道開発庁長官のポストを得た。

 CIA文書は、この時、鳩山首相が正力に防衛庁長官を打診した際、正力が、「原子力導入を手がけたいので大臣の中でも暇なポストにしてほしい」と希望した内幕まで伝えている。

 この時期から読売新聞と日本テレビはフル稼働で原子力のイメージアップに努め、CIAは原子力に対する日本の世論を転換させたのは正力の功績だと認めている。

 正力の目的は、原子炉をアメリカから購入することにあったが、最終的に、CIAはその件で正力に協力することはなかった。

 日本が潜在的原爆保有国になることへの懸念が理由だが、それ以外にも、CIAが正力の政治的野望に利用されては困るという抑制も働いていた。

 そして1956年以降、正力にはポダムに替わって「ポジャックポット」という新たな暗号名が与えられることになった。

 暗号名の変更が総理の椅子を諦めたからなのかどうかは定かではない。(敬称略)

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2006.02.06

ホロコースト・イスラエル・ムハンマド風刺漫画騒ぎの因果関係

辛口時評060206
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/625.html
ホロコースト・イスラエル・ムハンマド風刺漫画騒ぎの因果関係

 昨年末、12月8日にイラン大統領がホロコーストを「神話」、「創作」、「作り話」だと宣言したが、その前段には、「イスラエルを地図から抹殺せよ」との発言もあった。イスラエルを認めないのはイランの国是である。

 年が明けて2月の初めからは、以下の朝日新聞の報道のような、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画の騒動となった。

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http://www.asahi.com/international/update/0204/001.html
「不適切」とデンマーク首相 風刺漫画問題
2006年02月04日00時26分

 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を欧州各国の新聞や雑誌が掲載し、イスラム世界で激しい反発が広がっているのを受け、デンマークのラスムセン首相は3日、イスラム諸国などの大使ら70人以上と会談し、風刺漫画の掲載について不適切だったとの考えを示した。だが、漫画を掲載し、問題の発端となった同国の日刊紙ユランズ・ポステンが謝罪したことを歓迎するとしながらも、イスラム諸国側が求める国としての謝罪は拒否しており、事態は沈静化していない。

 ユランズ・ポステンが漫画を掲載した直後、ラスムセン首相は抗議を申し入れたイスラム諸国の大使11人との会談を拒否していたが、3日の会合にはこれらの大使も招いた。2日夜には、中東などで視聴者が多い衛星テレビ、アルアラビアに出演。イスラム教徒が侮辱されたと受け止めているとの認識を示し、「深い苦痛を感じる」として、事態の沈静化を図った。

 それでも騒ぎは拡大。デンマークを本拠とする乳製品会社は3日、イスラム世界で拡大している不買運動の影響で、毎日180万ドル(約2億1000万円)の損失が出ていることを明らかにした。
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 風刺漫画そのものの発端は、昨年9月にデンマークの新聞、Jyllands-Postenの記事にある。この新聞は、12の戯画化されたモハメッドの姿を描き、その中の一つはターバンの中にある導火線に火のついた爆弾を頭につけていた。これに対してイスラム諸国で大きな怒りが広がった。

 この漫画を、ノルウェーのキリスト教原理主義者系の新聞Magazinetが、今年の1月30日に再掲し、それが広がったのである。

 昨年9月のデンマークの新聞は、いわば伏線で、今年の1月30日以降の騒ぎが、本格的な事件である。

この中間には、このノルウェー紙の漫画再掲の直前、今年の1月25日のパレスチナ評議会の選挙でのハマスの圧勝がある。

 設立憲章で「イスラエルせん滅」を掲げているハマスの圧勝は、イラン大統領による「ホロコースト神話」、「イスラエルを地図から抹殺せよ」などの発言と呼応する。

 以下は日経の報道である。

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http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060127NTE2INK0326012006.html
パレスチナ評議会選、ハマスが圧勝か・中東和平に影響も

 【エルサレム=森安健】25日投開票のパレスチナ評議会(国会に相当)選挙でイスラム原理主義組織ハマスが圧勝し、過半数を獲得したもようだ。ハマス最高幹部のイスマイル・ハニヤ氏は「全132議席中、70議席は獲得した」と表明。与党ファタハ(パレスチナ解放機構主流派)のクレイ・パレスチナ自治政府首相もハマス勝利を認め、全閣僚が辞表を提出した。

 ハマスは設立憲章で「イスラエルせん滅」を掲げ、米国やイスラエルが「テロ組織」と認定している。政権に参加するハマスがどういう姿勢をとるかで、中東和平交渉の流れは大きく変わる。パレスチナ中央選挙管理委員会は26日午後7時(日本時間27日午前2時)に公式結果を発表。これを受けてハマスは政権の運営方針などを明らかにする見通し。

 ブッシュ米大統領は26日朝、「米国の同盟国であるイスラエルのせん滅を憲章に持つ限り(ハマスは)和平の当事者にはなり得ない」と述べ、中東和平を巡ってハマスとは交渉しないとの立場を明確に示した。 (07:02)
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 「ホロコースト神話」の動機は、「イスラエル建国」の異常な狂信にある。異常な狂信こそが、異常な神話の根源である。ホロコースト・イスラエル・ムハンマド風刺漫画騒ぎには、明白な因果関係がある。その根源に、「イスラエル建国」があるのである。

 「イスラエル建国」は、1947年の国連総会のパレスチナ分割決議を根拠としているが、イランやパレスチナのハマスは、この決議を認めていないのである。

 以下は、拙著『アウシュヴィッツの争点』の「パレスチナ分割決議」関連部分の抜粋である。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-31.html
『アウシュヴィッツの争点』
第4章:イスラエル・コネクションの歴史的構造
(その31) パレスチナ分割決議を強行採決した国連「東西対立」のはざま

[中略]

 イスラエルという国家は、現地のアラブ諸国こぞっての反対をおしきって採択された国連決議によって建国されている。国家としての存立基盤が不確かなのだ。一九四七年にパレスチナ分割を決議したさいの票決は、賛成三三(アメリカとソ連をふくむ)、反対一三(全アラブ諸国をふくむ)、棄権一〇(それまでの委任統治国イギリスをふくむ)というきわどい結果だった。

[中略]

 パレスチナ分割決議は、内容そのものも、当時の人口比率で約三分の一、国土の七%しか所有していなかったイスラエル側に約五六・四%の土地を配分するなど、問題点だらけだった。

 もともとパレスチナ地方に住んでいたユダヤ教徒の人口比率は、一九世紀半ばまで五~七%だったと推定されている。

[中略]

「パレスチナの運命を決定したのは、国連全体ではなく、国連の一メンバーにすぎないアメリカだった。パレスチナ分割とユダヤ人国家創設に賛成するアメリカは、国連総会に分割案を採択させようと躍起になった。分割案が採択に必要な三分の一の多数票を獲得できるかどうかあやしくなると、アメリカは奥の手を発揮し、分割反対にまわっていたハイティ、リベリア、フィリピン、中国(国府)、エチオピア、ギリシャに猛烈な政治的、経済的な圧力をかけた。ギリシャを除いたこれらの国は、方針変更を“説得”された。フィリピン代表にいたっては、熱烈な分割反対の演説をした直後に、本国政府から分割の賛成投票の訓令を受けるという、茶番劇を演じさせられてしまった」

[中略]

http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-69.html

終章:核心的真実

[中略]

極秘情報暴露の「脅迫」というイスラエル建国の裏話

『ユダヤ人にたいする秘密の戦争』という六七〇ページの大著が一九九四年一〇月に発行されていた。

[中略]

 アメリカ最大の財閥ロックフェラーは、ドイツ最大の財閥I・G・ファルベンとの協力関係を戦争中も維持し、影響下にある南米の石油のドイツへの輸送をつづけていた。

 中南米問題の調整役をホワイトハウスから請け負っていたこともあるネルソン・ロックフェラーの位置づけは、ことのほか大きかった。ヨーロッパの九票にたいして、中南米には一九票もあったのだ。

 ベン・グリオンらの脅迫作戦は基本的に成功した。だが、国連決議のつぎは戦争だった。
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 国連総会の決議には、「強制力・拘束力」はないのである。
 以下は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の関連箇所である。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E5%90%88
国際連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[中略]
総会
 総会は、全加盟国で構成され各国が1票の表決権を有し、国際連合の関与するすべての問題を討議する。全会一致制で半ば機能不全に陥っていた国際連盟の反省から、総会の評決には重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する多数決制を取り入れた。ただし、総会の決議は加盟国または安全保障理事会への勧告までしか権限は無く、強制力・拘束力をもっていない。
[中略]
安全保障理事会
 国際連合では安全保障理事会の権限が強化され、軍事参謀委員会の助言に従って国連軍を平和維持のために行使する権限が与えられた、安全保障理事会の常任理事国である5大国が拒否権を持っているため、冷戦時代は紛争当事者でもある常任理事国同士の対立により効果的に機能できなかった。また、国連の主要機関の中で安全保障理事会の決議のみが、法的強制力・拘束力を持つ。
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2006.02.02

ナチスドイツとヒトラーを育成したのはユダヤ資本とアメリカの財閥

辛口時評 060202
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/619.html
ナチスドイツとヒトラーを育成したのはユダヤ資本とアメリカの財閥

「ホロコースト神話」の物語の筋書きそのものが「大嘘」の極地であった。
 この物語の「善玉」、被害者は、ユダヤ人であり、「悪玉」、加害者は、ナチスドイツとヒトラーということになっている。

 ところが近年、ナチスドイツとヒトラーを育成したのは、ユダヤ資本とアメリカの財閥だったことが、ますます明らかになってきたのである。「迫害」は、ユダヤ人国家、イスラエル建国の口実作りだった。すべては、そのための「八百長」芝居だったのである。

 以下は、季刊『真相の深層』04夏2号の記事の抜粋である。

http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/400.html
 全米マスコミが60年間隠蔽しつづけた“爺ブッシュとナチスの腐れ縁”が政府公文書ではっきり確認された(投稿者 佐藤雅彦 日時2003年10月18日)

 ジョージ・ブッシュの祖父で、イエール大学の「骸骨団」秘密結社の会員だったプレスコット・ブッシュは、ハリマン財閥と組んでナチス・ドイツに秘密資金援助をしていた「ならずもの」の黒幕一派のメンバーである。

 上記表題のニュースを『ニューハンプシャー・ガゼット』(03年10月10日)が報じている。ブッシュ家とナチスとの腐れ縁については、勇気ある独立系の調査報道ジャーナリストによって、かなりの詳細が伝えられてきたが、主要メディアはそれを黙殺してきた。(今も黙殺している……。)

 この記事には、プレスコット・ブッシュやハリマンと、ナチスのパトロンだった産業資本家との腐れ縁の大雑把な輪郭が書かれている。その詳細について、米国のジャーナリストたちが暴露してくれるのを期待したいところである。

[中略]

Bush - Nazi Link Confirmed
【ブッシュとナチスの結びつきが確認された】
By John Buchanan
from The New Hampshire Gazette Vol. 248, No. 1, October 10, 2003
【『ニューハンプシャー・ガゼット』03年10月10日付】
By John Buchanan
Exclusive to The New Hampshire Gazette

【ジョン・ブキャナン記者、『ニューハンプシャー・ガゼット』独占記事】

 ワシントンDC発――全米マスコミが60年にもわたって見落とし、拒否さえしていたことだが、このたび暴露された国立公文書館と議会図書館の所蔵文書により、現職大統領ジョージ・W・ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュが1926~1942年にナチス軍拡・戦争体制の財政基盤のビジネスパートナーとしてだけでなく、それを支えた米国の銀行経営者としても暗躍していたことが明らかになった。当時、米国議会はプレスコット・ブッシュとその「敵国」の実業パートナーに厳しい対応をとっていた。

 今回見つかった文書には、ブッシュとその仕事仲間が――連邦財務省とFBIの調査によれば――ドイツの産業資本家フリッツ・ティッセンと資金提携していた事実を隠そうとしていたと、はっきり記されている。鉄鋼石炭王ティッセンは1920年代なかばから個人的にヒットラーに財政支援を行い、ヒットラーがドイツ国内法や民主制を転覆して権力を掌握するのを手伝った人物である。さらにこの機密解除された公文書によれば、プレスコット・ブッシュと彼の仲間であるロウランド・ハリマン(当時の米国外交界のアイドルだったエイヴレル・ハリマンの弟)やジョージ・ハーバート・ウォーカー(現職ブッシュ大統領の母方の祖父)などが、米国が開戦して以降も8か月近くこのドイツ産業界の大実業家と取引を続けていたことが生々しく記されている。

[中略]

 ブッシュとハリマンとティッセンの米国における事業活動は、ブロードウェイ39番地にあった一続きのオフィスで行われ、プレスコット・ブッシュがそれを管理していた。この共同事業は1942年7月30日に『ニューヨーク・ヘラルドトリビューン』紙で暴露され、それがきっかけで詳細の解明作業が始まった。この新聞暴露は、米国がドイツと開戦して8か月近くのちのことである。「ヒットラーの守護天使は米国の銀行に300万ドルを保有している」――こんな見出しを掲げた『NYヘラルドトリビューン』の記事は、記事の冒頭でフリッツ・ティッセンを「アドルフ・ヒットラーを10年来支え続けた最初からのパトロン」だと紹介していた。事実、この鉄鋼石炭王は1923年10月以来、ヒットラーを強力に資金援助していた。これはティッセン自身も『私はヒットラーのパトロンだった』という自伝で書いていることだ。同書でティッセンは、ヒットラーやゲッベルスやルドルフ・ヘスとも個人的親交があったと告白している。

 『NYヘラルドトリビューン』には匿名情報源の話として、ティッセンの米国の「たくわえ」が実はゲッベルスやヘルマン・ゲーリングやハインリッヒ・ヒンムラー、さらにはヒットラーなど、「ナチスのお偉方」の所有物だという説も載せていた。

 【純粋なるビジネス】

 ナチスの隠し財源とまで言われた「問題の銀行」とは、ニューヨークシティの「ユニオン銀行株式会社」(UBC)のことだ。同銀行は1924年にW・エイヴレル・ハリマンが、ティッセンとそのオランダの企業である「貿易航海銀行株式会社」の代理人として設立していた。各種の政府文書によれば、ユニオン銀行はティッセンが支配していた多くの企業や資産の手形交換所の役割を果たしていた。そうした企業のなかには、10社ほどの個人企業もあった。

 ユニオン銀行は、海外からの金や鉄鋼や石炭、あるいは米国の財務省証券や戦時国債を購入し、その海運輸送を行っていた。ティッセンの下で「頭取」としてユニオン銀行の運営管理を行っていたのは、オランダ生まれで米国に帰化したコーネリス・リーヴェンスという人物である。そしてロウランド・ハリマンが「会長」、プレスコット・ブッシュが「社長」を名乗っていた。

 『NYヘラルドトリビューン』の記事ではブッシュもハリマンもユニオン銀行の経営者だったことや、ユニオン銀行の個人銀行としてブラウン・ブラザーズ・ハリマン社がビジネスパートナーだった事実を明示していない。当時作成されたFBIの秘密メモは、ブッシュ家やハリマン家の名前を出してはいないが、欧州におけるヒットラーの略奪行為がこのまま続いて行くなら政界の有力者たちが米国政府の公式の調査対象になるだろうと書かれている。

 「ヒットラーの守護天使」を暴き立てた記事が発表されたのちも、ティッセンとのいかがわしい金融同盟からブッシュとハリマンが手を引くきざしはまったくなかった。それどころか彼らは「ユニオン銀行が事実上、米国におけるナチスの偽装機関になっている」と報じた同紙を攻撃していたほどだ。

 ところが政府文書には、こうした態度とは裏腹にブッシュとその商売仲間は、逃げ口上を打って自分たちの事業の正体やら会社所有の事実関係を隠そうと懸命だったことが、ありありと記されている。こうした隠蔽工作は米国が参戦して顕著になったという。さらに政府文書では、ティッセンじきじきに任命され、ロッテルダムに本拠をおくティッセンの「貿易航海銀行株式会社」の米国案件を管理する番頭役として20年間にわたってユニオン銀行の経営を行ってきたコーネリス・リーヴェンスが、米国政府の捜査官に対してオランダの貿易航海銀行のこともその銀行にティッセンが関与していることも知らないと繰り返し否認を続けていたことも、はっきりと記述してある。

[中略]

 プレスコット・ブッシュはウォーカーの娘であるドロシーと結婚し、1926年にウォーカーはブッシュを民間金融投資会社W・A・ハリマン商会の副社長に据えた。この会社もやはりニューヨークに本拠を置いていた。ブッシュはのちに世界最大の民間投資銀行に成長したブラウン・ブラザーズ・ハリマン社の共同経営者になり、最終的にはユニオン銀行の社長になって同銀行の株式を所有するわけである。

 ただし政府文書によれば、ブッシュもハリマンもリーヴェンスも他のユニオン銀行の株主たちも、実際にはティッセンとそのオランダの銀行の身代わりに「名義人」すなわち“幽霊株主”をしていただけだという。つまり彼らはドイツの上客の命令で動いていたわけだ。

[中略]

 公文書資料館に保存されていた文書からも、ヒットラーが戦争準備を進め第2次大戦の発端となるポーランド侵攻を行った1939年当時に、ブッシュとハリマンが金・石炭・鉄鋼・米国財務省証券・米国戦時国債などの価値ある米国資産を海運輸送で海外の顧客に送っていたという事実が、はっきりと記されている。

[中略]

 ブッシュとハリマンとティッセンが共同経営していたユニオン銀行と他の4つの企業が差し押さえられてから、ずいぶんと年月が経過した1944年の12月16日になって、ようやく『ニューヨーク・タイムズ』が25頁というまったく目立たぬ場所に、ほんのわずかな記事を載せた。

[中略]

 こうして『ニューヨーク・タイムズ』に短報が出たっきりで、以来、ブッシュ家の顔ぶれが選挙に出たことが幾度もあったのに米国のニュースではこの件はまったく報じられなかったし、ブッシュ家のことを描いた主な伝記類もこの件はまったく触れずにきた。

 ただし『ジョージ・H・W・ブッシュ:非公式伝記』(ウェブスター・タープリー&アントン・チェイトキン著)は、この件を詳しく伝えている。チェイトキンの父親は1940年代に弁護士をしていて、ブッシュ・ハリマン・ティッセンの共同会社の被害者たちの仕事を手がけていたのである。

[中略]

 ブッシュ家がナチスと提携していたことは、何年も前からさまざまなインターネットのサイトに掲載されてきた。たとえば「BuzzFlash.com」や「TakeBackTheMedia.com」などである。だがオンライン・メディアでこの事実を独自に確認したものは、皆無のようである。

[中略]

 『ニューズウィーク・ポーランド版』は2003年3月5日号に「ブッシュとナチスの過去」についての短い記事を載せた。

 ニュージーランドの『スクープ』(http://www.scoop.co.nz)が著作権許諾を得てこの記事の英訳を掲載したが、それによればポーランドの『ニューズウィーク』は「ブッシュ家はアウシュヴィッツ強制収容所で展開された囚人たちの強制労働から収獲を吸い上げていた」と書いていた。この記事では、ブッシュとハリマンとティッセンのさまざまな共同会社が米国政府に差し押さえられた事実についても報じている。

 [中略]

 ブッシュとナチスの腐れ縁を記した政府文書が見つかった、という情報は8月29日(金曜日)の朝にマスコミ界にもたらされた。だが『ABCニューズ』『NBCニューズ』『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』『ワシントン・タイムズ』『ロサンジェルス・タイムズ』『マイアミ・ヘラルド』など、米国の大手報道機関はいずれも調査取材を繰り返し拒否したのである。

 [中略]

 コーネリス・リーヴェンスとそのドイツ人仲間が番頭役をしていた数々の企業を差し押さえたのち、米国政府はブッシュやハリマンらと戦後こっそり和解していた。ブッシュとハリマンは企業資産差し押さえへの賠償金として、それぞれ150万ドルを現金で受け取ったのである。

 1952年にプレスコット・ブッシュは連邦上院議員に選出されたが、この時、彼がナチスに関与していたという“隠された過去”について報じたメディアはひとつもなかった。その後、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュも、ジェブ・ブッシュも、そしてジョージ・W・ブッシュも様々な選挙に立ったわけだが、そのたびごとに行われた選挙戦関連報道の記事を調べても、ブッシュとナチスとの腐れ縁を米国のメディアが報じた記録はまったくないのだ。

[中略]

 下記の「ブッシュとナチス」は、『ニューズウィーク・ポーランド版』に載ったプレスコット・ブッシュとナチスに関する記事の英語訳である。

 ブッシュ家は、アウシュヴィッツ強制収容所で展開された囚人たちの強制労働から収獲を吸い上げていた。米国大統領ジョージ・W・ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュは、第2次大戦当時、ナチスと金融面でつながっていた。ナチスのおかげで、プレスコットは銀行家として富を築くことができたのだ。

 プレスコット・ブッシュは「ユナイテッド・バンキング株式会社」(訳注:正しくは「ユニオン」)の社長であり株主だった。この銀行はナチスの産業資本家フリッツ・ティッセンからシレジアン合同製鉄株式会社を取得し、そこでアウシュヴィッツ強制収容所の囚人を働かせていた。

 1942年の夏に米国の新聞がブッシュとナチスのこうした腐れ縁を報じるところとなり、米国政府がUBC銀行の会計監査に乗り出した。10月20日には政府が同銀行に「敵との交易法」(原文のママ)にもとづく処分を出した。この法律は、1941年12月の真珠湾攻撃から1週間後にフランクリン・ローズヴェルト大統領が制定したものである。

 この銀行は「ナチスへの支援に結びつく活動を行ってはならない」という条件つきで営業維持が許された。1943年になってプレスコット・ブッシュは同銀行から距離を置くようになったが、全米戦争基金の総裁として戦争被害者からの金集めはその後も続けたのである。