編集長の辛口時評 2005年12月 から分離

イスラエルを認めないのはイランの国是という基本的問題点を強調

2005.12.27(2019.8.20分離)

イスラエルを認めないのはイランの国是という基本的問題点を強調
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/496.html

 イランのアフマディネジャド大統領の「ホロコースト神話」に関する「大胆発言」で、目下、話題騒然であるが、もともと、ホロコースト神話の大嘘の異常性は、イスラエル建国の異常性に起因するのである。

 その点を、概略ではあるが、意外にも一応、記していたのが、以下の朝日新聞の電網(インターネット)記事である。


http://www.asahi.com/special/MiddleEast/TKY200512090130.html
イスラエル「欧州に移せばよい」 イラン大統領が発言
2005年12月09日10時16分

 イランのアフマディネジャド大統領は8日、イスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議出席のため訪問したサウジアラビアのメッカで記者会見し、「ドイツやオーストリアなどにシオニストの場所を移せばよい」と述べ、イスラエルの欧州移転を主張した。大統領は10月の反イスラエル発言で国際社会から強い反発を受けており、今回も新たな波紋を呼びそうだ。

 国営イラン通信によると、大統領は「ヒトラーは罪のないユダヤ人数百万人を殺したと欧州の国々は言い、疑う者を非難して投獄している」と、ナチスによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)に疑問を示した。そのうえで「もし虐殺が事実だとしたら、それが欧州にとってイスラエルを支持する理由なのか。それなら欧州にシオニストの国を造ればいい」と述べた。

 10月の「イスラエルは地図から消されるべきだ」との発言に、欧州各国から強い反発を受けたことを念頭に発言したとみられる。

 イスラエルを認めないのは、79年のイスラム革命以降のイランの国是。イスラム教徒としてパレスチナへの連帯から、革命初期のイラン指導者は金曜礼拝などでこうした発言を繰り返し、学生や市民が参加する反イスラエルデモは現在も毎年続いている


 国連(正確には連合国)の1947年、パレスチナ分割決議は、本来の国連の仕組みに反する強引極まりない国際的な違法行為であった。国境線を変更しないことが、国連の原則である。それなのに、パレスチナに、ユダヤ人国家を作る策謀に、実は強制力の内「決議」で荷担し、その決議を振りかざす「侵略戦争」が続いているのである。

 以下は、拙著の関連情報である。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-68.html
『アウシュヴィッツの争点』
(その68)終章:核心的真実
~または人類史の最後にしてほしい情報操作の本音の真相~

「六〇〇万人の神話」の出発点は「見さげはてた即物的課題」か?
 [中略]

「ホロコースト見直し論の父」として紹介したフランスのポール・ラッシニエの場合を考えてみよう。

 ラッシニエは、レジスタンス運動にくわわって、ナチス・ドイツのフランス侵略とたたかった。ゲシュタポに逮捕され、二年間にわたるナチ収容所での生活を経験した。戦後にはフランス政府から勲章を授与され、下院議員にもなっている。その「抵抗運動の英雄」のラッシニエが、みずからの実体験にもとづいて「ガス室はなかった」と主張し、各種の著作についての実証的な調査を積みかさね、自分でも何冊かの著作を発表していたというのに、なぜその主張がいままで少数派の憂き目を見ていたのだろうか。

 すでに紹介したように、ラッシニエは、『ヨーロッパのユダヤ人のドラマ』(『ホロコースト物語とユリシーズの嘘』所収)と題する著作のなかで、つぎのように断言していた。

「(ホロコーストの犠牲者数の計算は)しかるべき死体の数によって、イスラエルという国家にたいしてドイツが戦後一貫して毎年支払い、いまも支払いつづけている莫大な補償金の額を正当化するための課題でしかない」

 ラッシニエはさらに、「それは単に、純粋に、そして非常に卑劣なことに、即物的な課題でしかないのだ」という表現をもちいている。一九四八年までは存在していなかったイスラエルという国家にたいして、一九四五年以前の問題についての補償金を支払うという「イスラエル協定」については、その法的矛盾を指摘するとともに、「いかなる言語でも“詐欺”としか表現できない」という告発までしている。

 このラッシニエの告発は、決して突拍子もないものではなかった。永井清彦も『ヴァイツゼッカー演説の精神』のなかで「イスラエル協定」について、つぎのようにしるしている。

「この協定は日本では普通、『賠償』協定と呼ばれているが、実はボツダム協定にいう賠償の枠を越えた、『償い』の協定であった。イスラエルはかねてから、ドイツからの賠償を要求していた。しかし、戦時中には存在していなかったイスラエルに、賠償請求権があるかどうかについては法的な疑問がある、というのが戦勝四大国の立場であった」

 ラッシニエの言葉はたしかにきつい。だがわたしは、みずからの生命をナチス・ドイツとのたたかいで危険にさらした立場だけに、その上前をはねようとする策動へのいかりが、人一倍強かったのだと理解する。

 [後略]


http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-58.html
『湾岸報道に偽りあり』
隠された十数年来の米軍事計画に迫る
補章:ストップ・ザ・「極右」イスラエル(1)

(その58)一九四七年国連決議パレスチナ分割地図の欠落報道

 四七年決議の票決は湾岸戦争とよく似た構造で、ヤルタ会談体制で東欧などでの利権を取り引したソ連がアメリカに同調している。しかし、当時はヨーロッパにマーシャル・プランなどの復興計画を展開中の超々黒字国家のアメリカが、軍事・経済援助をエサに強引な根回しを繰り広げたにもかかわらず、賛成三三、反対一三(全アラブ諸国を含む)、棄権一〇(それまでの委任統治国イギリスを含む)という結果だった。確かに過半数ではあるが、重要事項の決定では世間常識の線といえる三分の二にも達していない

 しかも、現地のパレスチナ人はもとより、利害関係の当事者であるアラブ諸国のすべてが、戦争を決意するほど強い反対の意思を表明していたのである。

 分割案それ自体の作られ方にも重大な問題があった。当時の人口比率では約三分の一、それまでには国土の七%しか所有していなかったイスラエル側に、約五六・四%の土地を与える計算になっていた。アラブ国家に四二・八八%、エルサレム国際地帯に〇・六五%である。将来の移住計画もにらんでいたのであろうが、特に、ヨルダン川の水利を押える狙いと、地中海からアラビア湾に抜ける回廊を確保するという、スエズ運河制圧の意図が露骨に現われていた。アラブ側のパレスチナ国家は、なんともむちゃくちゃなことに、三分割される結果となるが、これをアラブ全体の立場から見ると、アラブ民族の歴史的世界が陸地の真中で完全に分断されることでもあった。

 以後の歴史的経過は、この分割地図の狙いどおりに展開したといってもよいだろう。この分割地図は、アラブ民族の大同団結を阻害し、結果として不可能にした最大の原因なのである。それ自体が大がかりな国際謀略だったのである。/p>


http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-69.html
『アウシュヴィッツの争点』
終章:核心的真実
(その69)世界ユダヤ人評議会の「情報機関」としてのユダヤ人問題研究所
極秘情報暴露の「脅迫」というイスラエル建国の裏話

 アメリカ最大の財閥ロックフェラーは、ドイツ最大の財閥I・G・ファルベンとの協力関係を戦争中も維持し、影響下にある南米の石油のドイツへの輸送をつづけていた。

 以上の材料による脅迫対象者のなかでも、中南米問題の調整役をホワイトハウスから請け負っていたこともあるネルソン・ロックフェラーの位置づけは、ことのほか大きかった。ヨーロッパの九票にたいして、中南米には一九票もあったのだ。

 ベン・グリオンらの脅迫作戦は基本的に成功した。だが、国連決議のつぎは戦争だった。
 [後略]