『湾岸報道に偽りあり』(10)

第一部:CIAプロパガンダを見破る

電網木村書店 Web無料公開 2000.11.4

第一章:一年未満で解明・黒い水鳥の疑惑 6

新発見の原油流出源ゲッティ石油。タンク破壊は空爆か、地上爆破か

「英雄」シュワルツコフのマニフォールド爆破命令は、ともかく矛盾だらけだ。だが、その原因を考える前に、最初の水鳥を襲った油の謎を解いておく必要がある。

 一月二十五日のブッシュ声明発表直後、各方面から疑問が出された。

 最強力の疑問は、海流の速度を根拠にするものだった。沖合の最大速度が二〇キロ。海岸線に近づくと五、六キロに減速される。ところが、シーアイランドから、シャープ記者が黒い水鳥を発見したサウジアラビアとクウェイトの国境までは、海上の直線距離でも八〇キロある。一月二十五日午後の米国防総省発表では「イラク軍は過去二十四時間……原油放出」、つまり、前日の二十四日に「放出」を始めたことになっている。どうしてそれが、シャープ記者の撮影現場に、その日の内に到着しえたのであろうか。問題の映像は、撮影開始の翌日、二十五日にダーランから中継送信されたものなのだ。

 そこで一月二十九日、米国防総省は、水鳥を襲った油はイラクが開戦直後にミサイルで破壊したカフジ油田から流出したもの、と発表した。やはり「犯人」はイラクなのだ。

 ところが、この訂正ぎみの発表にも、三つの矛盾が生じた。

 まず最初に、肝腎のカフジ油田を経営する日本のアラビア石油が流出を否定した。先にのべたように、私自身も事件直後に本社の総務部に問い合わせているが、そのときの「可能性はゼロ」という返事の語気の強さには、印象に残るものがあった。『ザ・スクープ』の質問に答えて、アラビア石油施設技術部の長谷川捷一技師長は、意外な秘話を明らかにした。「一月二十六日、小規模の偵察隊を編成、周囲をくまなく調査、海岸にもれ出た事実はまったくないと確認」していたというのだ。

 次は、二月四日にカフジ上空を飛んだフランスの衛星、スポットイメージが撮った写真である。この写真を見た石油精製施設の専門家は、原油の流出を否定した。

 三つ目は、シャープ記者の証言である。問題の水鳥発見現場は、同じカフジ海岸でもアラビア石油よりは北側だった。原油は、アラビア石油とは反対側の、さらに北から南に流れてきた。風も北から南に吹いていた。

 そこで『ザ・スクープ』の取材班は、クウェイト海岸を北に向けて走った。劇的なクライマックスは、おそらく「世界初」、ゲッティ・オイル・カンパニー原油貯蔵タンク破壊跡の、ヘリコプター撮影である。

 完全に破壊され、文字通りペシャンコになったタンクが八つ。満タンだったというタンク一つに二〇万バレル、合わせて一六〇万バレルの原油のうち、燃え残りの大部分が海に流れ込んだと思われる。立ったままのタンクには、どう見ても、上から衝撃を受けたとしか考えられない窪んだ傷跡が残っている。アラビア石油の長谷川捷一技師長は映像を見ながら、「被弾している。装置の破壊状況から見て、上からだと思う。タンク火災の典型」と判断する。タンク破壊を目撃した証人は、まだいない。だが、すぐ近くのアスザウール南電力会社の発電所で戦争中も働いていたアタラ・アル・ムタイリ所長は、発電所が一月二十日に猛爆撃を受けた、と証言する。『ザ・スクープ』の映像にも、建物一面に残る銃弾の跡があった。爆弾投下だけではなく、機銃掃射による攻撃が行なわれたのだ。同じ攻撃がゲッティ石油にも加えられたとすれば、機銃掃射だけでもタンクの原油は爆発し、周囲の施設も崩壊したであろう。

『ザ・スクープ』が「念のため」[Webで初公開する注]に意見を求めた「軍事専門家」、イギリス国際戦略研究所のアンドリュー・ダンカン元大佐は、「空爆による破壊ではなくて、地上に爆薬を仕掛けて破壊したものだ」という。しかし、上部が斜めに窪んだ建物についての説明は欠けていたし、特に、「空爆なら、すべてが壊滅した姿にはなっていない」という結論部分は、明らかに映像と矛盾していた。

 決して「すべてが壊滅」してはいなかったのである。しかも奇妙なことには、『ザ・スクープ』の現地取材によると、「従業員たちが帰ってきたとき、まだ壊れていないいくつかのタンクの下には、爆弾が仕掛けられていた。だから彼らは、工場を破壊したのはイラク軍だと信じている」というのだ。イラク軍の破壊班の作業が、一部失敗に終わったのだろうか。それとも、空爆を免れたタンクが、地上に仕掛けられた爆弾とともに残っていたのであろうか。または、同盟軍がクウェイト解放後に、偽装工作をしたのだろうか。

『ザ・スクープ』は、あえてこれらの疑問を突き詰めようとはしない。ダンカン元大佐の発言の矛盾も、そのまま視聴者の判断にまかせている。それも一つの手法であろう。

 疑問は尽きないが、最早、現地を完全に破壊しなおすことは不可能であろう。いずれ、機銃弾や爆弾の破片などの発見によって、事実が判明するだろう。現時点で重要なのは、アメリカ側が知らなかったはずはない、という認識だ。ゲッティ石油のタンク破壊、そこからの原油流出を、十分承知していたはずなのだ。ではなぜ、それを、ひた隠しにしていたのだろうか。

 ダンカン元大佐がなんといおうと、あの破壊されたタンクや設備の映像は、いかにも惨澹たるありさまで、誰の目にも猛爆撃の跡に見えるだろう。あの映像は、「クリーンなピンポイント爆撃によるテレヴィ・ゲーム戦争」のイメージには、ふさわしくなかった。また、『ザ・スクープ』の説明によると、ゲッティ石油は、シーアイランドとつながるミナアルアハマディと違って、油田ではない。原油を買って貯蔵し、それを転売するディーラーの会社である。だから、タンクが破壊されてしまうと、以後は、無限に「汲み出して」放出するわけにはいかない。そのため、「イラク軍による環境破壊」宣伝には、不向きだと判断されたのかもしれない。「マニフォールド爆破による流出防止」という、ウルトラC級作戦の題材にもならなかった。

 ただし、ゲッティ石油という新しい原油流出源が確かめられたからといって、「放出」問題全体にケリが付いたわけではない。『ザ・スクープ』は、爆撃の痕跡を残すイラクのタンカーをも写し出した。タンカー一隻に原油が八〇万バレル、イラク側発表のとおり二隻だとすれば、合わせて一六〇万バレルが流出したはずである。そして、タンカー爆撃の事実はアメリカ側も認めている。また、バルブが締まっていたとしても、シーアイランドには原油が一五〇万から二〇〇万バレルは残留していたという。『ザ・スクープ』は徹底的に破壊されたシーアイランドの映像を伝え、「誰がここまでの破壊を行なったのか」と疑問を発する。そしてここでも、シュワルツコフは一月二十七日のブリーフィングで、「イラク軍の機雷敷設艇を攻撃した際に、シーアイランドに火災が発生した」と認めている。本当は「火災」を起こした爆撃で、シーアイランドを破壊し尽くしたのではないだろうか。

 タンカーとシーアイランドから流出した原油は、一体、どこへ消えたのだろうか。この疑問に回答を与えるのは、まず、すでにふれた東海大学情報技術センターによる気象衛星ノアの映像解析である。二月二十六日午前十時の段階で、原油の流れはシーアイランドから南に二〇キロ離れた位置にしか認められなかった。ところが、この位置は逆算すると、ゲッティ石油よりは三二キロ北に当たるのである。風も海流も南に向かっている。ということは、ゲッティ石油よりは三二キロ以上北の位置から流れ始めた原油のかたまりがあったことになる。また、『ザ・スクープ』は最初に、衛星写真のコンピュータ解析では世界的な水準をいくという、ロンドン郊外のリモート・センシング・センターを訪れている。開戦直後のペルシャ湾は雲に覆われており、衛星写真では、一月二十四日以後の状況しかわからない。映像の説明には距離が欠けていたが、流出原油のかたまりは、北と南に大きく分かれているようだった。北の方はきっと、タンカーとシーアイランドからの流出であろう。南のゲッティ石油と合わせて、三つの流出源があった、というのが正解ではなかろうか。


(『創』1991.10「衛星写真が明らかにした『情報操作』/暴かれた湾岸戦争“水鳥”映像の疑惑」)
(11) 「嘘、忌わしい嘘」で固めた「軍事発表」は謀略宣伝の必然