『湾岸報道に偽りあり』(11)

第一部:CIAプロパガンダを見破る

電網木村書店 Web無料公開 2000.11.4

第一章:一年未満で解明・黒い水鳥の疑惑 7

「嘘、忌わしい嘘」で固めた「軍事発表」は謀略宣伝の必然

 ところで、この種のデマ宣伝は、単なる偶発的な思いつきの結果ではない。

 第一に、すでに広く明らかにされていることだが、湾岸戦争中のアメリカでは連日早朝から、ホワイトハウス・国務省・ペンタゴン・CIAの広報官による戦局発表打ち合わせが行なわれていた。報道官の記者会見だけでなく、大統領のメッセージの類いも、この打ち合わせの線に沿って行なわれている。

 イギリス海軍情報部の将校としての経験を持つベテラン・ジャーナリストのドナルド・マコーミックは、リチャード・ディーコンのペンネームも使い、すでに五十冊以上の著書を著している。情報機関についての著述は評価が高い。『日本の情報機関』という題名の本もある。ディーコン名の『情報操作/歪められた真実』(原題『THE TRUTH TWISTERS』)には、次のような記述がある。「過去四〇年間、マスコミ界ほど情報操作が効果的に浸透した分野は他には見当たらない。第二次世界大戦以前には、マスコミといえば新聞、雑誌、ラジオしかなかったのを考えれば、これは驚くに当たらない。今日ではこれにテレビとステレオ録音が加わったから、いっそうつけ入りやすくなった」

 テレヴィ漬けの一般大衆は、特に「つけ入りやすい」受け手である。だが、とりあえず日本に関するかぎりでも、今度の湾岸戦争の情報操作では、新聞の編集デスクまでがテレヴィ謀略に乗せられてしまったのだから、大変始末が悪い。たとえ半日遅れでも、新聞が外電ベタ記事と照合して、「待った」をかけていれば、事態は相当に変化したであろう。『ザ・スクープ』でも指摘しているように、この件では、バグダッド放送の方が先にタンカー爆撃を報じ、それが英文外電で流され、しかも、イラク側はブッシュ声明よりも先に国連に抗議文を提出している。双方の情報を冷静に比較検討すれば、ブッシュ声明の矛盾は最初から明らかだったのだ。  

 ところが、この件で最初に「黒い水鳥はガセネタ」のスクープを放ったのは、日頃は悪評の高い写真週刊誌の『フォーカス』(91・2・8)だった。大手新聞もテレヴィも、内々トチリの事実に気づきながら、訂正をサボっていたのが実状なのだから、病状は重い。

 水鳥問題は、決して孤立した誤報という現象ではない。メディアの所有者と、主役の位置を確保した政治的軍事的権力は、最初から「情報操作」を意図していた。ディーコンのいう意識的「TWISTERS」(歪め屋)であり、確信犯なのである。また、事前からの下地があったからこそ、即座にアドリブのデマを放つことができたのである。

 湾岸戦争で駆使された情報操作がいかに組織的なものであったかについては、すでに多くの指摘がある。なかでも、フランスの女性記者シャンタル・ドゥ・リュデールのアメリカ取材報告「巨大情報操作」(『朝日ジャーナル』91・7・26)は優れている。現代アメリカのコミュニケーション・広報技術は、広告宣伝、選挙戦を通じて高度に発達している。ついには軍人ですら、「大佐が将官に昇格する時、六ヵ月にわたって『教化授業』を受ける」に至ったのである。

 軍人が広報技術を駆使して「売る」商品は「戦争」以外にない。問題は、それを誰が、いつ、いかなるメディアを使い、どうやってチェックするか、である。

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「軍人が広報技術を駆使して『売る』」システムのやりすぎが湾岸戦争後に明らかになった典型例は、「ピン・ポイント爆撃」である。いわゆるピン・ポイント型の精密爆弾は、なんと、全体の七%でしかなかった。残りの九三%は、従来と同じ目視による投下爆弾だったのである。彼らは、たった七%をすべてであるかのように見せかけ、しかもそのうちの見事に命中したもののヴィデオだけを放映して、「クリーンな戦争」を売り込んだのだ。まったく子供だましの手法でしかないのだが、これがテレヴィで流れると、何億ものアメリカおよびアメリカ追随国民を見事にだましおおせたのである。

 その際、注意しておきたいのは、メディア関係者の位置である。多くの場合、こうした「歪め屋」が放つ弾丸の最初の犠牲者は、いわゆるジャーナリストである。彼らは脳天を射ち抜かれるのだが、痛みを感じることもなく、自分が射たれたことに気づきもせず、見事に「歪め屋」の仲間にされてしまうのだ。かくして「歪め屋」の弾丸は増幅され、大量にばらまかれる結果となるのである。

 空爆の目標に関する発表も、まったくのウソであった。ワシントン・ポスト(91・6・23)の報道によると、米国防総省の作戦立案者自身が、その事実を認めている。しかも、「軍事目標以外の諸施設などを広範囲に爆撃した意図」の、第一は「外国の援助なしに二度と立ち直れないほどの打撃をイラクに与えること」、第二は「国際的な対イラク封鎖を、広範な爆撃によってイラク社会への経済的、心理的脅威にまで拡大する」であった。

 私は、この爆撃方針が、当時イラクの占領下にあったクウェイトに対しても適用されていたと考えている。特に「経済的」に重要なのは、石油関係施設である。結果から推測すると、アメリカの許可と技術援助なしには、イラクとクウェイトが再び石油を輸出できなくすることも、その方針の「本音」部分に入っていたのではないか、と疑っている。

 しかも、それ以上の話さえある。私は、この疑問を抱いた後に出会ったアメリカの労働組合関係者に、「ベクテルを知っているか」とたずねた。「ベクテル」については第三部で詳しく紹介するが、世界一の事業規模を誇るアメリカの建設会社のことである。すると彼は、「もちろん知っている」と深くうなずいただけなく、私の次の質問を手で封じ、身を乗り出した。目配せしながら指先でテーブルをコツコツたたき、語気鋭くこう語ったのだ。

「アメリカ軍がクウェイトの石油精製施設を爆撃して破壊しただろ。あれはベクテルの仕事を増やすためにやったんだ」

 もちろん、この疑惑を完全に証明するに足る証拠はない。だが、当のアメリカの労働者が、これだけ確信を持って語っているのだ。

 ベクテルは、百億ドルと推定されるクウェイトの石油関係復興特需の契約を、ワシントンで地上戦開始の二日前に獲得している。過去をたずねると、第二次世界大戦後には日本で、朝鮮戦争後には韓国で、やはり、復興特需で大活躍した実績を誇っている。戦争の復興特需で何度も味をしめた巨大企業が、このところ受注が減っていたという事実もあり、ついには戦争そのもののヤラセに乗り出したとしても、ちっとも不思議ではない。しかもベクテルは、労働組合のストライキをつぶすために軍隊を呼んだり、黒人労働者を差別したり、いくつもの疑獄に関与していたり、裁判沙汰を抱えていたり、日本の同業者に負けず劣らず、暴力と政治的汚職の体質にはこと欠かない企業史をひきずっている。

 もう一つ、湾岸戦争で爆撃目標となったイラクの建物についての報道で強く印象に残っているのは、建物の詳しい図面が直ちにテレヴィ画面に現れたことだった。あの種の図面の入手先は、まさかイラクの建設省関係ではないだろう。つまり、その建物を作った同盟国の建築会社以外の入手先は考えられない。日本の建設会社の技術者もテレヴィ画面に登場していたが、アメリカの建築会社は、特に、早くからアメリカ空軍と連携を保っていたと推定してもいいだろう。その後の耳情報によると、ある日本の建設会社は、イラクでの仕事を受注するに際してCIAから直接、図面の提出を求められ、渡したという。

 第二部および第三部の石油問題で、これらの疑惑を思い出していただきたい。

 さて、ここまで書き、本書の原稿全体がほぼ完成した年の暮れ、黒い水鳥をめぐる謎がさらにドラマチックに解明されるにいたった。次の項は、その後に追加執筆したものである。

やったぞ! ついに真相解明。中央軍が爆撃を認めた

 一九九一年の年末、およそどのメディアでも年間十大ニュースのトップに「湾岸戦争」が挙げられた年のおおみそかに、『ザ・スクープ』取材班の執念の真相追及努力が、ついに実ったのだ。放送枠は通常の『ザ・スクープ』ではなく、十二月三十一日午後九時からの年末特別番組『9時間報道スペシャル』の最初のコーナー。その後に「ソ連政変」などが続いた。新聞のテレヴィ欄での宣伝文句は「水鳥を油で汚したのは誰?/原油流出の謎今夜解明」であった。

『ザ・スクープ』取材班は、ゲッティ石油の破壊状況を記録したヴィデオなどの証拠を携えて、同盟軍関係者への取材を続けていた。そしてついに、フランスやアメリカの軍関係者から、決定的な証言を得ることに成功した。ゲッティ石油の貯蔵タンクを破壊したのはアメリカ空軍の自動誘導精密ミサイル。日付も、開戦当日の一月十七日だった。そこまでの詳しい証言が得られた。ホワイトハウス発表のCIAプロパガンダは、一年を経ずして化けの皮が剥がされたのである。

 テレヴィ画面に映し出されるのは、フランス軍発行の豪華版カラー印刷による戦闘記録、『Guerre Eclaire dans la GOLF 』(『湾岸の稲妻戦争』)。この戦闘記録中には、クウェイト領内での爆撃箇所を赤い印で示した地図があり、その一つの位置はゲッティ石油と一致していた。  次に映るのはフランス軍のジャガー爆撃機の編隊飛行である。湾岸戦争に参加した十三機のジャガーは、クウェイト領内だけの爆撃に参加した。『ザ・スクープ』取材班はジャガー編隊の指揮官だったイボン・グッツ中佐をサンテグジュペリ(元空軍飛行士の作家の名)空軍基地に訪ねる。グッツ中佐は、クウェイト領内のすべての石油精製および貯蔵施設を、同盟軍が一月十七日の開戦直後に爆撃し、破壊したと語る。目的は、イラク軍から「戦闘用燃料」を奪うことであった。ゲッティ石油を基地にしていたのは「イラク軍の機械化歩兵第20師団」ということまで分っていた。だが、ゲッティ石油を爆撃したのは「フランス空軍ではない」という。

 パリの陸軍士官学校内にある雑誌『 Defense Nationale』(『国防』)のポール・マリ・ド・ラゴルス編集長は、『ザ・スクープ』が撮影したゲッティ石油のヴィデオを見て、「驚くべき正確さで破壊している。おそらくアメリカ軍の自動誘導ミサイルによるもの」という判断を示し、「ゲッティ石油はクウェイト南部で最も重要な燃料供給基地だった」と語る。

 取材班はワシントンに飛ぶ。湾岸戦争中のテレヴィ解説ですでにお馴染みの国際戦略研究所エドワード・ラトワク戦略部長は、「アメリカ軍が爆撃したのか」という質問に対して明快に「分っている( We know it )。それは確実だ」と答え、さらに詳しく説明する。

「一月十七日にイラクとクウェイトで三七ヵ所の製油所と石油貯蔵所を破壊した。ゲッティ石油は最初の目標の一つだった。諜報員が現地で働いているクウェイト人から得た情報では、イラク軍はゲッティ石油で灯油を製造していた。目的は、サウジアラビア国境地帯の、長い、長い塹壕に流し込んで、同盟軍への炎のバリアーを築くことだった」

『ザ・スクープ』取材班は、これらの情報をもとに、直接ペンタゴンに取材を申し入れた。ペンタゴン内部でのカメラ取材は断られたが、代わりに、湾岸戦争で有名になったフロリダの中央軍本部から、ファックスで回答が届いた。

 中央軍は、一月十七日にゲッティ石油を爆撃したことを認めた。ただしその理由は、シー・アイランド攻撃の場合とそっくりそのままであった。「イラク軍が原油を放出していたから、マニフォールドを破壊した」となっていた。『ザ・スクープ』は再び、「二点で矛盾があるが……」、という質問を投げ返した。第一に、「アメリカ軍は一月二十七日に原油の流出源は不明と発表している」。第二にその際、「製油所爆撃には触れなかった」……だが今度は、「明確な返事を得られなかった」

 しかしもう、これ以上の論評は不必要であろう。『ザ・スクープ』が先に、念のためというよりもむしろ、自主規制の習慣からバランスを取るために仕方なしに意見を求めた「軍事専門家」、イギリス国際戦略研究所のアンドリュー・ダンカン元大佐の「空爆による破壊ではない」という発言は、完全にくつがえされた。「イラク軍が原油を放出していたから、マニフォールドを破壊した」という弁明も、爆撃が開戦直後の一月十七日に行われたという証言と矛盾する。いきなり破壊しておいて、 「イラク軍が原油を放出していたから」もないものだ。また、すでに私が『創』(91・10)で記したように、ゲッティ石油のタンクには転売する原油が貯蔵されていただけだ。爆撃でタンクが破壊され、タンクが空になったのちの「マニフォールド」からの「放出」もあり得ない。

 もともとシー・アイランドでのマニフォールド爆破作戦も、「策士、策に溺れる」の典型である。思い起こせば、「イラクの原油放出・火の海」作戦の噂は、あまりにも早くから流されていた。西側報道の記事にもなっていた。だから、クウェイト国営石油公社の職員は、バルブを締めてしまったのだ。この「バルブ締め」作業も『ザ・スクープ』の現地取材も、シュワルツコフらの計算外だった。「策士」たちは、かえって疑惑を深める材料を増やしてしまったのだ。

 さて、以上の経過を振り返って考え直すと、もう一つ、重大な疑惑が再び浮上せざるを得ない。それは、私がすでに『創』(91・4)で指摘しておいた問題点である。

 アメリカは、開戦前に詳しい情報を得ており、綿密な爆撃計画を立てていた。繰り返すが、「豊富な油田地帯」での爆撃計画である。すでに八年間にわたるイラン・イラク戦争の経験もあった。世界中から「環境破壊の警告」も発せられていた。たとえばゲッティ石油一ヵ所だけを考えても、爆撃の結果は明白だったはずだ。アメリカ軍の首脳部が気づかぬはずはない。そういう危険の予測が出された時、シュワルツコフ司令官だけでなく、パウエル統合参謀本部長らは、どういう解決策を考えたのであろうか。ブッシュ最高司令官は、どういう言葉で「OK」したのであろうか。

「それはイラクのせいにする」と私は書いていた。

 まさに「一石二鳥」の解決策である。それくらいの「計画性」を認めて差し上げなければ、かえって失礼に当たるというものではないだろうか。


第二章:毒ガス使用の二枚舌疑惑
(12) 次々に暴かれるデマ宣伝の真相