『湾岸報道に偽りあり』(17)

第二部:「報道」なのか「隠蔽」なのか

電網木村書店 Web無料公開 2001.1.1

第三章:CIA=クウェイトの密約文書 1

アメリカとクウェイトの歴史的謀略構図

 中東で戦争が起きると、必ず出るのが石油メジャー謀略説である。

 湾岸戦争中のテレヴィ解説などには、OPECとの関係で石油メジャーの支配力は四割以下に低下していると評価し、「メジャー謀略説は古い」と真向から否定する石油関係者も登場した。だが、ことはそう簡単ではなかった。私は当初からメジャーの巻き返しを疑っていたが、結果から判断しても、この疑いは完全に証明されたと考えている。ただし、OPEC関係は第五章、メジャー関係は第三部でふれることとし、ここでは、クウェイトとイラクの関係だけを追及する。

 湾岸戦争の直接のきっかけとしては、クウェイトがOPEC協定違反の増産と安売りで石油価格を下げる一方、イラクの南部国境地帯にあるルメイラ油田から盗掘し、外貨の九〇%を石油収入に頼るイラクを怒らせたことがあげられている。イラクは、その際のクウェイト側の強腰外交の陰に、アメリカの挑発があると疑っていた。

 イラクはこの問題で、八月二日のクウェイト侵攻以前に、七月十五日付けで「アラブ連盟事務局長にあてた覚書」(『湾岸戦争/隠された真実』巻末資料の訳による)を出している。非常に長文なので全文引用は控えるが、対米関係の認識と、石油価格操作、ルメイラ油田盗掘の問題にかかわる要点のみを抜き出すと、次のようである。

「クウェイト政府は数ヵ月来、正確には、イラクがパレスチナ人の権利を強く声高く叫び、湾岸における米国の存在に対し警報を発して以来、アラブ民族、特にイラクを傷つけることを目的とした不正な政策をとってきた。かくしてクウェイトは、他の湾岸の首長国と謀って、OPECが認めた割当量を上回る過剰生産によって石油を市場に氾濫させる策謀をめぐらした。そのためにクウェイトは根拠のない、不合理かつ不正な、いかなる兄弟産油国にも支持され得ない口実を使った。この政策は石油価格の危険な暴落を招いた。実際に、石油価格がバレル当り二十四、二十九、二十八ドルで推移した当時の世界平均から下がり始めたあと、クウェイトとアラブ首長国政府の姿勢がいっそうの暴落を招き、OPECの枠内でできたバレル当り十八ドルという一応の合意を超えて、バレル当り十一から十三ドルという低価格にまで下落してしまった」

「アラブ諸国に約五千億ドルの損失、うちイラクに八百九十億ドルの損失をもたらした」

「クウェイトはイラク領内に石油、軍事、農業関係の施設を作ることでわが国の主権の侵犯を続行した」

「イラクのルメイラ油田の南方にあたるところで石油採掘施設を設け、石油の盗掘を始めた」

 以上のイラクの主張のうち、石油の値段の変化、クウェイト他のOPEC協定違反の増産、それによる損失に関しては、計算の間違いはないようだ。クウェイトはイラクとともに一九六〇年のOPEC結成以来の主要メンバーである。加盟国の経済破綻をもたらすような石油増産・安売りが、いかに犯罪的な敵対行為となるかについては、十二分に承知していたはずだ。ルメイラ油田盗掘に関しては後にふれるが、もう一つの争点の「国境線画定」も、決して「領土支配欲」だけに基づくものではなく、石油輸出増大によるイラクの国家財政再建計画と密接な関係があった。

 イラクに詳しい酒井啓子は、「イラク側の状況理解に関する考察」(『中東レビュー91/湾岸戦争と中東新構造』)という視点から、要旨、次のように記している。

「イラクは短期に経済復興を実現するために石油収入の増加を」必要としたが、その手段の「一つは石油価格を上昇させることで、もう一つは石油輸出ルートを拡大することである」。輸出ルートには「パイプライン輸出」と「タンカー輸出」がある。だが、「パイプライン建設など時間とコストが必要とされる状態にあった」。イラン・イラク戦争で破壊されたバスラ港の修復とシャットアルアラブ河の「しゅんせつ作業」にはイランとの和平がからむ。クウェイト寄りの「コール・ズベイル水路」にあるウムスカル港の開発は進んでいたが、この水路の利用に当たっては、「隣接するクウェイトとの国境画定に関する『古くからの問題』が浮き彫りにされてくる」。

 この「古くからの問題」の古さは、イギリスが一九四〇年に妥協案を出し、イラク「王国」が拒否したというほどのものである。水路の出口のワルバ島とブビアン島に関するイラクの領土要求には半世紀前からの歴史的根拠もあるし、海への出口をイギリスによってせばめられたイラクにとっては、地理的に切実な問題であった。だから、湾岸危機の初期の段階では、サウジアラビアからの妥協提案さえ出たのである。さらに歴史をさかのぼると、「七つの海を支配し、日の沈むことのない」世界帝国イギリスが、アラブ民族の海への出口を押えるためにこそ、クウェイトを無理やりもぎとったのである。そのころはクウェイトから石油が噴き出るとは誰も予想していなかったのだ。紛争の種を撒いたのは、イギリスであり、アメリカ「帝国」が今、それと同じ支配を続けようとしているのだ。クウェイトがサウジアラビアに国境線を譲った経過もある。イラクに対するかたくなな拒否姿勢の裏には、やはり、挑発が匂うといわざるを得ない。

 第九章で述べるが、アメリカはこの国境地帯をもっぱら「戦略的」に位置づけており、湾岸戦争後も次のようなイラクの希望とは逆の策動が続いている。

「国連のイラク・クウェイト国境画定委員会は十六日、新国境を旧国境からイラク側に約六百メートル移動させることを決めました。これにより、クウェイトは、領有権をめぐり紛争が続いていたルメイラ油田の数本の油井と、イラクのウムスカル港の一部を獲得」(『朝日』92・4・18)


(18) 大手メディアは知りながら無視ないしは軽視