『アウシュヴィッツの争点』(59)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.9.9

第4部 マスメディア報道の裏側

第7章:はたして「ナチズム擁護派」か 3

アウシュヴィッツの遺影とアンネ・フランクの『日記』

 画面はかわって、アウシュヴィッツ強制収容所の入り口である。

 鉄の門の上の飾りにカメラはフォーカスイン。「ARBEIT MACHT FREI」(労働は自由を生む)という文章の単語を追って右にパン(横移動)する。

 立っている老人にカットイン。「強制収容所に収容されていたヘンリー・マンデルバウム」というスーパー。ここでも、老人のドイツ語のしゃべり方よりもはるかに力みすぎのつくり声で、おもおもしい発音の日本語がかぶさる。

「アウシュヴィッツは事実です。二度とあってはならない事実です」

「事実」とはなにか。作品のテーマからいえば、当然、「ユダヤ人虐殺」は「事実」だということを強調したいのであろう。「事実」とはなにかを暗示するかのように、画面は写真をたくさんならべた壁にかわる。一目でわかる収容所の犠牲者たちの遺影の展示である。

 遺影を背景にして荘重な音楽がはいる。

 画面はかわって、赤ん坊と、ほほえむ女の子の写真。こちらには、やさしい男の声の解説がはいる。

「少女、アンネ・フランクがのこした日記には、一九四二年から二年あまりつづいたユダヤ人一家の隠れ家生活がつづられている」

 子どもの声で『日記』が朗読され、やさしい女性の声の日本語がかぶさる。

 ふたたび、やさしい男の声の解説がはいる。

「外の世界でなにがおきているか。かれらはイギリスのラジオ放送に熱心に耳をかたむけていた」

 これにつづく子どもの声の『日記』の朗読のなかから、「ホロコースト」についての部分だけを紙上再録しておこう。

「ユダヤ人がおくられていく遠くの収容所は、どんにおそろしいところだろう。ラジオによると、ガス室があって、ほとんどは殺されるらしい。とってもこわい」

 フランク一家の隠れ家の隅々をカメラがうつしだしたのちに、番組の冒頭でつかわれた「丸い白地にえがいた大型の黒のカギ十字」に切りかわる。その裏側をやはりさきと同様に、たくさんの小型カギ十字をうすくあしらった赤い生地がディゾって移動する。ナチス・ドイツの恐怖のイメージ・アップである。この合成画面は以後も何度かあらわれるので、以下、「ディゾルヴのカギ十字」と略称する。

 画面は「ディゾルヴのカギ十字」から名簿に切りかわる。四行分が強い光で照らしだされ、そのうちの三行分が赤く塗りつぶされる。しずんだ声の解説のセリフがはいる。

「両親と二人の娘の名は、アウシュヴィッツのユダヤ人移送者リストにのせられている。四人のうち、戦争終結を収容所でむかえたのは、父親のオットー・フランクだけだった」

 この部分にはまちがい、または意識的な省略による誤導がある。すでに指摘したように、アンネはアウシュヴィッツで死んだのではない。姉と一緒にベルゲン・ベルゼン収容所に移送されたのちに、二人ともおそらく「発疹チフス」の悪化で死んだのだ。「移送」と「発疹チフス」の説明をはぶくと、いかにも、二人の姉妹がアウシュヴィッツの「ガス室」で虐殺されたかのようなイメージがのこってしまう。

 もしかすると、それが制作者のねらいなのだろうか。

 ふたたび画面は「丸い白地にえがいた大型の黒のカギ十字」に切りかわり、つづいてアウシュヴィッツ収容所の金網の柵にかわる。ダーン、ダーンと、おもくるしい音楽がひびく。

 画面は金網の柵のまま、やさしい感じの発音の英語が聞こえ、やはりやさしい感じの発音の日本語がかぶさる。

「オットー・フランクはアウシュヴィッツから生還しました」

 声のあとから、声とおなじくやさしい卵型のツルリとした顔で、太ぶちの眼鏡をかけて、目つきもやさしい若者が登場する。おおきな机のむこう側に資料ファイルの棚を背景にして座っている。いかにもインテリ風である。

「オランダ戦争資料センター、デービッド・バーノウ」というスーパーがはいる。

 だが話は、「ホロコースト」そのものではなくて、『アンネの日記』(以下、『日記』)の真偽論争にうつってしまう。

 バーノウは机の上に、偽造説を宣伝する大小さまざまの出版物を積みあげる。それに対抗して行なった調査活動を語り、くわしい専門的な鑑定報告をしめす。

 わたしには現在、そこまで追究する時間の余裕がないので、この件はお預けとする。拙著『湾岸報道に偽りあり』を執筆したさいにも、根づよい『日記』の偽造説があることを知ったが、あえて深いりする気にはならなかった。なぜかというと、厳密な歴史的資料研究のうえでは、『日記』はあくまでも『日記』であり、あえていえば個人のせまい体験をそのまま書いた『日記』でしかない。アンネと一家の生活については一応の一次資料にはなるが、それ以上のものではありえないのだ。

 もしも『日記』が本物だとしても、さきに日本語で再録した『日記』の朗読の一部が証明するように、アンネは、「ラジオによると、ガス室があって、ほとんどは殺されるらしい」としか書いていない。裁判の証拠価値からいうと、「ホロコースト」についての記述はあきらかに、反ナチ宣伝をつづけていたラジオからの「伝聞」による二次的な認識でしかない。『日記』には、「ホロコースト」の真偽についての物的証拠としての価値は、まるでないと断言してさしつかえないのだ。

 むしろ『日記』の問題点は、偽造かいなかではなくて、このような情緒的利用の仕方にある。たとえばバーノウは、確信にみちたやさしい声で、こういう。

「日記を否定することは、アウシュヴィッツを否定することへのステップにほかなりません。かれらのねらいは、ナチの罪をおおいかくすことなのです」

 このバーノウの発言の仕方も、それを無意識かつ無自覚に追うメディアの手法も、決して論理的ではない。『日記』が本物だからといって、それは、この作品のテーマの「ユダヤ人虐殺」の事実の立証にはならないのである。かれらは、『日記』の信憑性によりかかり、それを絶対的な反撃の材料としてつかい、きわめて情緒的に視聴者の心情をとらえようとしている。見た目に有利な材料をさきにしめすことによって、論点をそらそうとしているのだ。

 裁判の法廷技術でいうと、ツンデルやアーヴィングらの「証言の信憑性」を疑わせるための、演出的な弁論と証拠調べの手法である。陪審制度の国ならば、これらはとくに陪審員むけに有効な演出として、かかすことのできない法廷戦術のハイライトである。

 ただし、その手品に幻惑される陪審員の水準を前提にしてのことであるが。

「散乱した死体」の映像を説明ぬきで挿入する「誤導」の手法

 さらに心情にうったえる映像が追加される。ドイツ軍。演説するヒトラー。収容所の風景。死体の山。やせおとろえた人々。

 穴の中に死体が散乱しているシーンが、なんらの説明もなしにおりこまれる。撮影場所も、撮影した日時も、撮影者も、撮影された対象の説明も、なにもわからない映像の挿入である。

 すでに紹介したようにベルゲン・ベルゼンでは、チフスで死んだ収容者をイギリス軍が処理し、イギリス軍が撮影していた。ダッハウでは、やはりチフスで死んだ収容者にたいして、アメリカ軍が同じような処理をし、撮影をした。どちらも、「ガス室」における大量の計画的虐殺という意味での「ホロコースト」とは、まったく関係がない。

『二〇世紀の大嘘』の著者、ブッツ博士は、マサチューセッツ工科大学出身で電子工学を専門としているだけに、数字的なデータの追及がとくにきびしい。死体の映像の問題では、ダッハウ収容所の近くの「列車の上のそれが常に殺害されたものの標本として提示される」という問題点を指摘し、つぎのようにしるしている。

「ダッハウの列車の上の死体の数は約五〇〇である。戦争末期のドイツでは普通の乗客用列車の場合でさえ、死んだ人々が発見されるのが異常ではなかった。一九四五年の一月には、ベルリンに到着した列車のなかで、八〇〇名のドイツ人がこごえ死んでいるのが発見された。ドイツの鉄道システムは完全な混乱状態におちいっていた。一九四五年四月[ダッハウ解放は四月二七日]の状態は想像するのも困難である」

 一九四四年から戦争が終了するまでの間に、ドイツ全土の都市、鉄道、道路は、アメリカ軍のジュウタン爆撃によって完全に破壊されつくくしたのである。収容所周辺も例外ではなかった。この破壊状態とチフスの大流行を無視した議論は、それ自体が欺瞞である。

 問題の映像作品にもどると、意識的なのかどうかは判断のしようがないが、次第にナレーションの論点がずれていく。「ユダヤ人虐殺」または「ホロコースト」、くわしくは「ガス室による計画的大量虐殺」否定または見直しの主張が、つぎのようにあたかも、「ユダヤ人強制収容所の存在」そのものの否定であるかのようにすりかえられていく。

 日本語のセリフはこうなっている。

「膨大なフィルムや資料が語るユダヤ人強制収容所の存在を歴史から消すことなど、ありうるのだろうか」

 だがいったい、いつ、だれが、「ユダヤ人強制収容所の存在を歴史から消すことなど」を意図したり、宣言したりしたというのだろうか。「強制収容所にガス室はなかった」という主張は、だれが考えても「強制収容所の存在」を前提にしている。制作者は善意なのかもしれないが、あまりにも「思いこみ」がはげしすぎる。やたらと力むばかりで、事実を正確につたえるというメディアの基本的な役割をわすれている。


(60)「ナチズム擁護派の国際的なネットワーク」というレッテルはり