本多勝一「南京大虐殺」/100人斬りの大嘘 2

忌まわしき過去の「ガセネタ」報道居直りの源流あり

その2:手品の種に悪用

1998.4.15「ガス室」裁判原告本人陳述書抜粋

「南京大虐殺」を手品の種に悪用する
被告・本多勝一の汚い手口

 だが、この間、冒頭に示した最近の私宛て、1997年6月20日付け手紙(甲第32号証の1)で始めて出現した「取材不足」という文句が、次々にエスカレートの度を加えていったのである。

 以上の長期にわたるやりとりの経過と照応する最近の事実を、もう一つ指摘すると、被告・本多勝一は、『噂の真相』(98・3)の連載個人名持ちコラム「悪口雑言罵詈讒謗講座・第36回・論争について(その2)」(甲第34号証の3)の中で、「南京大虐殺をめぐる論争」にふれた後、つぎのように「講義」している。

「『南京』以上に世界史上の大事件となったナチのホロコーストで、ガス室を全否定するためには相応の覚悟と大取材を要します」

 この「大取材」という「大」の字入りの文句は、私の知る限りでは、この時始めて出現している。これは、いわばエスカレーションの頂点である。

 この「大取材」以外にも、被告・本多勝一は、このたったの一行の短い文章の中でさえ、お得意の俗耳に入りやすい俗物的用語をいくつも乱発し、「理屈と膏薬はどこにでも張り付く」という警句の典型をなす屁理屈をこねまわしているのである。

 別の堅い表現で批判すると、この「講義」内容、または被告・本多勝一の一所懸命の主張は、通俗的な報道操作に特有の催眠術的キーワードの綴合わせにすぎず、論理的な意味でのデマゴギーの典型であるばかりでなく、本件に関わる私と被告・本多勝一との間の交渉経過に照らすならば、まったく事実経過とは逆様で、欺瞞も甚だしい駄文なのであるが、この「講義」を再び、前出の昨年12月5日付けのファックスによる手紙(甲第31号証)と比較すると、見事に照応する内容であることが明白になる。

 ただし付言すると、文中の「相応の覚悟」の必要性に関してのみ、正しい指摘であると評価する。私自身は、いわゆる中東問題と日本の関係を熟慮した上で、それなりの覚悟を決めたからこそ、訴状でも記したように、おそらく日本では始めての本格的な「ホロコースト見直し論」の記事を『噂の真相』(94・9)に発表したのである。

 再び指摘し直すと、先の被告・本多勝一の手紙(甲第31号証)の内、もっとも特徴的な文句は、次の部分である。

「南京大虐殺について私はこの程度のことを調べました。[中略]木村さんも少なくともこの程度以上の報告を、ご自分の現地取材や体験者取材による結果を中心に書かれることをご忠告申し上げます」

 一応付言しておくならば、この文章には、まず、決定的に重要な欠落部分がある。被告・本多勝一の「調べ」なる作業に要した費用はすべて、当時の「文化大革命」(1966年~1976年)と称して似非社会主義独裁者・毛沢東を担いだ権力亡者の政治機構に取り入り、「北京支局」=「情報源」を維持することによって、「販売部数」を確保しようと企んだ「エセ紳士」の名の高い朝日新聞資本の支出で賄われていたのである。

 大手メディア特有のふんだんな取材費を乱費しながら、または、その大判の重みで権力への迎合方向に転んだ達磨の歪み切った視角からしか事実を見ることができず、またはむしろ、もともとが「当局発表」の運び屋でしかなかったが故に、のちに詳しい批判を展開するような「この程度」の仕事しかできなかったというのが、被告・本多勝一のいい加減を絵に書いたような賃仕事、いやむしろ、度重なる悪業の実態なのである。

 しかも、この「南京大虐殺をめぐる論争」と本件との関係は、以上略述したような最近の被告・本多勝一の言動としてだけでなく、はるか本件発生以前に溯る忌まわしき問題点を多々はらんでいる。

 被告・本多勝一は、準備書面(1)で、「付言するに、原告は訴外本多と花田紀凱との関係を憶測し、種々邪推しているが、まったく無根であるうえ、そもそも本件とは無関係である」と強弁し、準備書面(2)でも再び、「付言しておくと、本企画は、原告のいう訴外本多の同花田に対する『宿年の恨み』等とはまったく無関係である」と、さらに念を入れた強弁を続けているが、この「論争」なるものの存在こそが、以後の被告・本多勝一の累犯的諸行為の基本的動機となっているのであり、被告・本多勝一の私に対する不可解かつ理不尽な諸行為の数々の背景をもなしているのである。

 以下、若干複雑な経過説明となるが、まずは、基本的な問題点を要約的に解明する。

俗耳に入りやすい
「取材」「大取材」という言葉の乱用、論理のすりかえ

 被告・本多勝一が用いている屁理屈は、『マルコポーロ』廃刊事件の引き金を引いた「いかさまナチ・ハンター」ことサイモン・ウィゼンタール・センターによる「広島」と「アウシュヴィッツ」の同一視に類する「子供だまし」の手口に他ならない。

 この手口の屁理屈、または手品の種を簡略に暴くと、まずは、「広島」と「アウシュヴィッツ」とは、あくまでも「別件」なのである。「広島」の大量虐殺が事実であることが、直接的には、「アウシュヴィッツ」、またはより正確に、この希代の大嘘が捏造された当時の表現を用いれば「ユダヤ人絶滅計画」の実在の証明になるはずはないのに、厚かましくも、発疹チフスによる死者の映像を偽って見せたりして、これを同一視するような催眠術的心理操作を施し、それでも疑う向きには「否定する気か」だの「反ユダヤ主義」だの「ナチズム」だのとワンワン吠え続けて、人々を怯えさせ、まともな議論と調査活動を封殺するのが、「いかさまナチ・ハンター」らの年来の陳腐極まりない常套手段なのである。

 日本には、古来からの「味噌も糞も一緒くたにする」という警句がある。原告準備書面(4)で述べたパリ地裁傍聴のための取材旅行に備えて、このいささか汚らしいが分かりやすい警句の論理をフランス人に説明するために、「チーズと石鹸を一緒くたにする」という文句を用意して行ったところ、すでにその通りの警句が、ご当地にあった。どこかが似ているから同じだという「子供だまし」の屁理屈は、古今東西の人類社会に共通、古来から横行し続けている一番簡単な報道操作の手口なのである。こんな簡単な手品に引っ掛かったり、または、この種の手品を駆使して破廉恥にも人々を引っ掛け続けるアカデミー業者(大学教授など)や、マスコミ業者(自称「新聞記者」など)こそが、私の年来の批判的著述の対象なのである。

 「ガス室」神話を、あえて「南京大虐殺」などを派生した日本の侵略史の場合に、正確に置き換えると、「天皇」を「現人神」と崇めさせ、その命令に従うのが「天皇の赤子(セキシ)」たる日本国民の絶対服従の義務であると教え込んだ「近代日本神話」に相当する。

 この「近代日本神話」の大嘘が暴かれ、天皇自らが「人間宣言」を発するに至った経過には、いかなる「取材」も必要ではなかった。八百万(やおよろず)の曲学阿世の「学者」や「新聞記者」たちが、それまでに振りまいた「証言」の数々を「取材」し直せなどと主張する痴れ者は、どこからも現れなかった。いい加減を絵に描いたような「新聞記者」たちでさえ、そんな主張をしてはいなかった。

「ガス室」神話の構造は、「現人神」神話よりも、いささか複雑ではあるが、「犯罪科学」などの専門知識がなくとも世間一般の常識で十分に理解できる矛盾だらけの下手なフィクションなのである。こられくらいの嘘が見破れないようでは、いかなる職業においても、専門家としては通用し得ない。


その3:資格のない大嘘つきの間に進む