『亜空間通信』449号(2002/12/02) 阿修羅再投稿再録

911テロ呼ばわり共産党広報が本通信の事実経過確認質問で暦年謝罪間近の兆候

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『亜空間通信』449号(2002/12/02)
【911テロ呼ばわり共産党広報が本通信の事実経過確認質問で暦年謝罪間近の兆候】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 911問題を決定的な突破口と位置付けた私の「わが反攻の秋近し」の予言は、確実かつ着実に、次々と実現しつつある。その象徴的な最近の状況は、「911テロ呼ばわり」組の典型、日本共産党の対応の急速かつ劇的な変化、または軟化である

 まずは、そのわが予言の過去の本通信の所在と「中心問題」のみを抜粋紹介する。

[以下、引用]
http://www.asyura.com/2002/war13/msg/483.html
『亜空間通信』297号(2002/07/10)
【911テロ呼ばわりした言論人は戦争屋ウィルスを自覚せよ、わが反攻の秋近し】

[中略]
 問題は、911が「テロであったか否か」、が中心である。

 さて、911事件をテロと表現した者をすべて「ブッシュの手先」とか「戦争屋の手先」と言い切ると、またもや敵を増やすことになるが、相手の職業によっては、やむを得ない。意識的か否かを問わず、「ジャーナリスト」とか「メディア論」とかの肩書きで「言論人としての発言をしている者に関しては、影響力を自覚しているはずだから、当然、責任を問わざるを得ない。今後の彼らの「言論活動」の評価にもかかわるので、やはり、「手先」になったことには間違いがないと言わざるを得ないのである。

 私は、あえて断言するが、911をイスラエルまたはアメリカの自作自演の謀略と見抜けなかった者は、相当な懺悔なしには今後、言論をなすべきではない。懺悔するまでは、許してはならない。気軽に許すと、またもや、世論誤導の誤りを繰り返す可能性が高いからである。[後略]
[引用終わり]

 以上の意味を含めて、私は、新著、『9・11事件の真相と背景』(副題:「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く)の中では、少し表現をゆるめて、簡略に次の文章を記した。

[以下、引用]
(『9・11事件の真相と背景』p. 6)

[前略] 私は、日本テレビを相手取って、16年半の不当解雇撤回闘争を経験した。その争議の最中に多くのことを学んだが、最大の教訓は、次の言葉に集約される。このような考え方は、実のところ、多くの軍学書に共通しているのである。

「敵と戦うのは簡単だ。味方と戦うのが一番難しい」

 戦いの要求、目的、戦略を明らかにし、戦いの中心となる集団を形成するためには、たとえ普通には味方の陣営に属すると思われる人物や組織に対しても、ときには、命がけの対決を挑み、いわゆる味方の中での主導権を確立しなければならないのである。もちろん、「非暴力抵抗」を選択する私の「対決」の手段は、言論以外にはあり得ない。この場合も、そうなのである。だから、言論として許容される範囲内での限りを尽くして率直な表現をする。[後略]
[引用終わり]

 このような原則に基づく「わが反攻の秋近し」の予言が、確実に次々と実現しつつあるのは、摩訶不思議でも何でもない。当然の帰結である。私は、論理的または科学的な、しかも実に地道な調査と研究の結果、長年蓄えた知識と経験を生かし切り、事件発生直後から真相を見抜き、次々と証拠を収集し、分析し、発表し続けてきたのである。

 なぜ私に、そのことが可能だったのかと言えば、その理由も、私から見れば実に簡単なことなのである。

 どの分野においても、複雑な問題を解くには、それなりの技術が不可欠である。

 現在の世界情勢を正確に認識し、分析するためにも、不可欠な知識、技術、数学ならば、1足す1は2、2掛ける2は4のような基本的な公理がある。現在の基本的な国際情勢分析のための公理、「ホロコーストの大嘘」および「民主主義の大嘘」を熟知し、身に付け、それを駆使して真相を見抜く訓練を経た日本人は、ほとんど私のみ、一人だと言っても差し支えないのが実情だからである。

 さて、日本共産党と私との関係については、以下に直近の情報を入れてある。

http://www.asyura.com/2003/war19/msg/222.html
『亜空間通信』434号(2002/11/20)
【911アメリカ自作自演説へ共産党の一角が崩れ衣替えで来春地方選挙に臨む兆候】

http://www.asyura.com/2003/war19/msg/583.html
『亜空間通信』446号(2002/12/01)
【911疑惑記事で巻き添え迷惑と出典なし『週刊金曜日』盗作を叱り共産党に注意】

 ああ、忙しい。あっちもこっちも面倒見ていたら、身体が持たない。ともかく、上記の2つの通信の中間で、私は、日本共産党の本部に電話した。「国民の声」担当者が出た。名乗ると、「前回の対応を電網に発信した」ことを、至極お上品な言葉使いながらも、「マナーが悪い。取材とか電網に発表するとか、断らなかった」などと仰る。こちらは、少しむかっ腹を立てて、「その時も通常の通りに電網雑誌編集者の身分を名乗り、日本共産党との関係も告げているのだから、取材に決まってる。相手が朝日新聞の記者だったら、マナーが悪いなどと仰いますか」と切り返してやった。

 その後、一昨日(2002/11/29)、金曜日のこと、週金の記事の盗作の疑いについて「注意」すべく電話したところ、別人が出た。身分を名乗り、先制攻撃として、「前回は無礼にも云々」と言ってやったら、まったく反発しない。

 追い打ちを掛けて、「朝日とか何とか記者クラブと称する情報独占・隠蔽組織に所属する大手企業社員と独立系を区別・差別するのは権力のやること」と言っても、実に穏やかな対応振りである。「暖簾に腕押し」の感があったのだが、向こうの方から逆に、「メールを拝見していますが、一部、事実関係を確認したい」ときた

 私は、この春から、日本共産党の広報にも、亜空間通信をBCC方式で送っている。それを読んでいた広報担当者らしい。

「質問は何ですか」と聞くと、今度は、「除名の理由は何ですか」ときた。「除名じゃなくて除籍、云々」などと説明した。どうやら、すでに、こちらから厳しく迫り、「返答次第では俺一人でも日本共産党をぶっつぶしてやる」とまで斬り込んだのに、結構、まともに対応する気になったらしい

 やはり、「動物園のゴリラ飼育係」の教訓を忠実に実行したのが、効いたらしい。

「動物園のゴリラ飼育係」は、木刀を持って檻に入り、「や、やっ」とか叫んでは、西瓜を一刀両断したりして、「俺の方が強いんだぞ」とゴリラ(ほとんど子供)に教え込むのだそうである。さらには、檻の前で、園長に頭を下げさせて、「俺が、この縄張りの親分だ」と畳みかけるのだそうである。

 さて、日本共産党の軟化の兆候は、この他にもある。それは別途、詳しく論ずる予定である。ここでは、基本的な状況のみを記す。

 戦後の日本共産党の歴史を概観すると、最初は「徳田球一」(とっきゅう)の「家父長制」が死後に批判され、宮本顕治(「みやけん」、または「ずるけん」)のカリスマ支配が続いた。その間、「ずるけん」に逆らう者は次々と追放され、除名、その後も「反党分子」攻撃で社会的に「葬られた」

 しかし、その「葬られた」はずの勢力の方が、逆に、日本共産党を包囲し始めた。日本共産党の内部の方は、イエスマンと子供ばかりとなり、日本共産党は、いわゆる大衆運動への支配力を失い、いわゆる文化人からも孤立した。批判も高まった。その典型のひとつは、以下である。詳しくは直接、そこを訪問されたい。

ずるけん変態長征
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_keireki4.htm

"宮顕のはるかなる変態長征 (戦後後半・新日和見主義事件以降現在まで)

[中略]

1994年
(平成6年)【下里赤旗記者査問、除名と作家森村誠一氏の日本共産党との絶縁事件】

 党内反宮顕派清掃第19弾。1994年10月、「日本の暗黒」赤旗連載の突然中止をめぐって下里赤旗記者他2名の査問、除名と作家森村誠一氏の日本共産党との絶縁が発生した。この時、担当常幹、赤旗編集局長と激論した結果が査問と統制処分であったと云う。下里氏は赤旗記者を解雇され、この経過を公表し除名処分になった。

 「日本の暗黒」赤旗連載の企画は、もともと国会での浜田幸一議員の「小畑査問死事件」に対する質問をテレビで見た作家・森村誠一氏が、「この問題を徹底的に明らかにしたらどうか」と赤旗編集局に進言し、それがきっかけで連載企画が進行したものであった。党の内部で集団的に長時間をかけて検討し、何度もの会議と決済文書を積み重ね、「日本の暗黒」の第一の柱として「スパイ査問事件」を取り上げることが決まり、これを元に、党外作家と赤旗編集局長の合意が成立し、1989年に連載が始まった。 上級の集団的チェックを受けた原稿によって、多くの読者を獲得して進んでいたものが、いよいよ同事件に筆が進みそうになった直前の1991年6月の時点で、突然中断となった。何の問題もなく、万事順調に進んでいた連載が、なぜ突然中断になったのか。この背後には、宮顕のこの事件に対する徹底した隠蔽体質があるとしか考えられない。

1997年
(平成9年) 【引退】

 9月の第21回党大会で宮顕議長が引退。名実ともに「不破―志位」体制が固まる。「21世紀の早い時期」に民主連合政府の樹立をめざす政権構想を打ち出す。連立相手について不破氏は「修正資本主義論の立場にたつ勢力でも」と語る。
[終わり][引用終わり]

 つまり、「ずるけん」の引退とともに、当然のことながら、「変態長征」事件は発生しなくなっているのである。やがて、「とっきゅう批判」、または「スターリン批判」と同様、「ずるけん」の死後に「公式」の批判が行われ、新しい「王朝」の「正式」な開幕となるであろう

 このような「王朝」の交代と歴史記述の「歴史」は、中国にその典型を見る。

 こんなことで、何が社会主義だ、何が共産主義だ、ということにもなるが、それも別途、詳しく論ずる予定である。

 当面は、911以後情勢との関係での「反攻の秋」の一幕として記し置く。

 このような現状を熟知しながら、私は、上記の新著の記述の中の「普通には味方の陣営に属すると思われる人物や組織」の典型として、日本共産党を位置付け、これをまず公然と「長征」することに、相対的重点を置きたのである。

 今や、日本共産党は、私が、この「組織」を「味方の陣営に属する」と評価するか否か、その岐路に立っているのである。「911テロ呼ばわり」問題の処理は、その第一歩である。それなくしては、「有事法制反対」を来春の痴呆選挙のスローガンにすることはできないのである。

 これから冬を迎える。日本共産党にとっては、心して対応すべき秋の終わりなのである。

 以上。


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