『亜空間通信』249号(2002/05/05) 阿修羅投稿を02.12再録

アフガン侵略反対を叫ばぬ共産党系労組メーデー行進の沈滞が日本の現状を象徴

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『亜空間通信』249号(2002/05/05)
【アフガン侵略反対を叫ばぬ共産党系労組メーデー行進の沈滞が日本の現状を象徴】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 以下に記す問題と経過については、別途、亜空間TV「木村愛二の動画日誌」2002年05月01日「全労連系の三多摩メーデーに初参加し制止を制して大演説」(参加に至る経過の詳細は日記風5月6日分参照)で放映中である。

 realplayer使用の「電話回線・ISDN向け」と「ADSL・CATV向け」の2種類である。
(2017.12.26追記:動画日誌休止中)

 さて、この件では先にも、「時節柄、日記風に記す」と断って、『亜空間通信』247号(2002/05/03)【有事や情報規制だけ騒ぐ井の中安住偽善系左翼蛙に「アフガン侵略反対!」の喝】を発した。

 私がメーデー当日、不機嫌至極になったのは、もともとの予想以上に、地元、東京都の三多摩の共産党系労組のメーデー集会とデモ行進の沈滞振りが、甚だしかったからである。簡略に言い直すと、集会の演説にもデモ行進のシュプレヒコールにも、肝心要の「アフガン侵略反対!」がなくて、時折、「アメリカの勝手な戦争反対!」という間の抜けた文句が、音量だけは大きい宣伝車の拡声器から響くものの、デモ隊の呼応の声は実に小さくて、要するに「やる気のない」腐れ縁のだらだらデモだったのである。

 この沈滞振りの根源を本通信で明確化しようと予定していたところへ、別の国際的な状況が発展した。そこで続いて、「その問題点の指摘の材料となる典型的な事態が、911から半年後の今の今、世間を賑わしている」と断って、『亜空間通信』248号(2002/05/04)【反イスラエルとガス室の嘘主張が共通の仏英「極右」大衆不満迎合派台頭の深層】を送った。その「主題の中心」には、「国民戦線のルペン党首が大統領選挙の決戦投票に進んだフランス」の状況があった。

 ことは現下の国際問題と日本のメーデーと憲法制定記念日の基本に関わる問題を孕むので、私の議論の中身は複雑だが、5月初めに起きたことについては連休中に片付けたい。

 メーデーの起源は、アメリカの労組が8時間労働制を要求して、1886年5月1日にゼネストを行った際、シカゴのヘイマーケット広場で武装警官と衝突し多数の死傷者を出したことにある。もともとは経済要求に発しているのだが、時代とともに変遷を遂げた。

 私が労組役員だった時代には、新橋駅のそばの解散地点への最後の一区切りで、並み居る政党や労組の宣伝車を横目で見ながら、「ヴェトナム戦争反対!」と「ヤンキー・ゴーホーム!」のシュプレヒコールを轟かせて整然と行進していた。それを今更、絶対視する気はないが、あの沈滞振りが今の日本の現状を象徴すると思えば思うほどに、なおさら我慢ができず、仕方なしに時折、地声で勝手に「アフガン侵略反対!」と怒鳴りながら歩いていたのだった。

 ただし、「実行委員会」とやらと集合会場の入り口で最初に2度も大声でやり合った件に関しては、断固として演説を続け、実行委員が謝った後には優しく説諭し、完全勝利したので、その状況を先に記した「木村愛二の動画日誌」で発表した。

 その経過についても、後に報告する。

 以上。


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